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Yamareco

記録ID: 6725462
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
金剛山・岩湧山

【日本二百名山】金剛山 ~千早城跡から周回 ついでに楠公ゆかりの古戦場を見学~

2024年04月30日(火) [日帰り]
 - 拍手
体力度
2
日帰りが可能
GPS
03:39
距離
9.2km
登り
680m
下り
668m
歩くペース
速い
0.70.8
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:17
休憩
0:12
合計
3:29
10:29
10:29
5
10:35
10:39
26
11:04
11:05
20
11:24
11:25
10
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11:36
5
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12
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4
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8
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12:14
4
12:18
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6
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12
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7
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5
12:53
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17
13:10
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4
13:15
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10
13:31
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20
13:52
13:52
0
13:53
ゴール地点
天候 曇り時々雨
過去天気図(気象庁) 2024年04月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
<駐車場>
◆金剛山登山口駐車場 600円
・千早城跡の最寄りの駐車場で、20台くらい停められます。
・数百メートル手前にも有料駐車場(500円)が何箇所かあります。
・駐車場に隣接してトイレがあります。
・朝は管理人さんがいましたが、不在時は料金ポストに投函する方式です。
コース状況/
危険箇所等
・よく整備されています。危険箇所、不明瞭箇所はありません。
・分岐が多いので、行き先の確認を。
その他周辺情報 <日帰り温泉>
◆金剛乃湯 700円(5/8から値上げされます)
・ホテルに隣接した日帰り施設ですが、天然温泉です。
・内湯や露天風呂の他、サウナ、水風呂があります。
・泉質はナトリウム系で、かなり特徴的なお湯です。
金剛山登山口駐車場に停めました。朝から雨が降ったり止んだりでしたが、止んだタイミングで出発します。
2024年04月30日 10:13撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:13
金剛山登山口駐車場に停めました。朝から雨が降ったり止んだりでしたが、止んだタイミングで出発します。
楠木正成によって金剛山の中腹に築かれた千早城。鎌倉時代末期の激戦地「千早城の戦い」の舞台となった城です。
2024年04月30日 10:15撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:15
楠木正成によって金剛山の中腹に築かれた千早城。鎌倉時代末期の激戦地「千早城の戦い」の舞台となった城です。
千早城までは急な石段をひたすら登ります。金剛山を目指すだけなら千早城を巻くルートもあります。
2024年04月30日 10:15撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:15
千早城までは急な石段をひたすら登ります。金剛山を目指すだけなら千早城を巻くルートもあります。
「まさしげくん」というイメージキャラクターがありました。楠木正成はかなりエゲツないことをした人物なので、ちょっとイメージに合いませんね。
2024年04月30日 10:15撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:15
「まさしげくん」というイメージキャラクターがありました。楠木正成はかなりエゲツないことをした人物なので、ちょっとイメージに合いませんね。
鳥居が現れましたが、千早城跡も千早神社もまだまだ先です。
2024年04月30日 10:17撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:17
鳥居が現れましたが、千早城跡も千早神社もまだまだ先です。
平らな場所に出ました。この辺りは四の丸があった場所です。千早城の遺構はほぼ残っていないのが残念なところです。
2024年04月30日 10:28撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 10:28
平らな場所に出ました。この辺りは四の丸があった場所です。千早城の遺構はほぼ残っていないのが残念なところです。
こちら鳥居には狛犬が鎮座しています。
2024年04月30日 10:29撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:29
こちら鳥居には狛犬が鎮座しています。
「千早城址」の立派な石碑がありました。この辺りが二の丸跡です。
2024年04月30日 10:32撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:32
「千早城址」の立派な石碑がありました。この辺りが二の丸跡です。
千早神社が見えて来ました。元々は千早城の本丸があった場所ですが、後に神社が建てられたものです。
2024年04月30日 10:34撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 10:34
千早神社が見えて来ました。元々は千早城の本丸があった場所ですが、後に神社が建てられたものです。
今の建物は明治7年に再建されたものです。登山の無事をお祈りして、先に進みます。
2024年04月30日 10:35撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:35
今の建物は明治7年に再建されたものです。登山の無事をお祈りして、先に進みます。
千早城跡を過ぎて登山道と合流しましたが、石段はまだまだ続きます。山頂までこんな感じでした。
2024年04月30日 10:55撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 10:55
千早城跡を過ぎて登山道と合流しましたが、石段はまだまだ続きます。山頂までこんな感じでした。
5合目には休憩所があり、仮設トイレが設置されていました。メジャーな山だけに、トイレには困りません。
2024年04月30日 11:05撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 11:05
5合目には休憩所があり、仮設トイレが設置されていました。メジャーな山だけに、トイレには困りません。
ここには何故かウルトラマンとバルタン星人の石像がありました。『金剛山本道中間点 人生も山も苦しみも喜びも あと半分会 会長ウルトラマン 副会長バルタン星人』とあります。大阪が舞台になったのはゴモラでは…?
2024年04月30日 11:05撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 11:05
ここには何故かウルトラマンとバルタン星人の石像がありました。『金剛山本道中間点 人生も山も苦しみも喜びも あと半分会 会長ウルトラマン 副会長バルタン星人』とあります。大阪が舞台になったのはゴモラでは…?
「河南八勝第五蹟」とありますが、これは楠公(楠木正成)ゆかりの8ヶ所の内、金剛山が5番目の場所という意味だそうです。他の7ヶ所も機会があれば訪れてみようと思います。
2024年04月30日 11:25撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 11:25
「河南八勝第五蹟」とありますが、これは楠公(楠木正成)ゆかりの8ヶ所の内、金剛山が5番目の場所という意味だそうです。他の7ヶ所も機会があれば訪れてみようと思います。
金剛山の山頂に到着しました。海抜1125mとありますが、この地点の標高は1088mです。日付が入っているので登頂の記念になりますね。
2024年04月30日 11:41撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 11:41
金剛山の山頂に到着しました。海抜1125mとありますが、この地点の標高は1088mです。日付が入っているので登頂の記念になりますね。
山頂は広く、視界も開けていますが、残念ながらこの日はガスガスで何も見えませんでした。
2024年04月30日 11:42撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 11:42
山頂は広く、視界も開けていますが、残念ながらこの日はガスガスで何も見えませんでした。
なお、この場所は国見城のあった場所です。国見城は楠木正成が金剛山に築いた城砦の一つで、見晴らしが良いことから、司令部の一角として使用されていたようです。
2024年04月30日 11:41撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 11:41
なお、この場所は国見城のあった場所です。国見城は楠木正成が金剛山に築いた城砦の一つで、見晴らしが良いことから、司令部の一角として使用されていたようです。
山頂近くには立派な造りのトイレがあります。
2024年04月30日 11:57撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 11:57
山頂近くには立派な造りのトイレがあります。
金剛山転法輪寺に来ました。炎を纏った大日大聖不動明王が立っています。
2024年04月30日 11:59撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 11:59
金剛山転法輪寺に来ました。炎を纏った大日大聖不動明王が立っています。
金剛山転法輪寺は665年に役行者によって開かれました。この山が「金剛山」と呼ばれるようになった由縁でもあります。
2024年04月30日 12:02撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:02
金剛山転法輪寺は665年に役行者によって開かれました。この山が「金剛山」と呼ばれるようになった由縁でもあります。
次は金剛山の最高地点である葛木神社に向かいます。道中、灯籠がズラッと立ち並んでいます。
2024年04月30日 12:04撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 12:04
次は金剛山の最高地点である葛木神社に向かいます。道中、灯籠がズラッと立ち並んでいます。
金剛山の最高地点である葛木神社に到着しました。こちらの神社が建てられたのも転法輪寺と同時代だそうです。
2024年04月30日 12:08撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:08
金剛山の最高地点である葛木神社に到着しました。こちらの神社が建てられたのも転法輪寺と同時代だそうです。
なお、正確には葛木神社の裏が最高地点ですが立入禁止です。数メートル低いですが、葛木神社の参拝場所が到達可能な最高地点となっています。
2024年04月30日 12:11撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 12:11
なお、正確には葛木神社の裏が最高地点ですが立入禁止です。数メートル低いですが、葛木神社の参拝場所が到達可能な最高地点となっています。
ひっそり佇む湧出岳(1112m)に来ました。ここには一等三角点があるので、「一等三角点百名山」の一座だったりします。
2024年04月30日 12:24撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 12:24
ひっそり佇む湧出岳(1112m)に来ました。ここには一等三角点があるので、「一等三角点百名山」の一座だったりします。
湧出岳の近くには電波塔が建っており、少し興醒めな感じがします。必要性は分かりますが…。
2024年04月30日 12:26撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 12:26
湧出岳の近くには電波塔が建っており、少し興醒めな感じがします。必要性は分かりますが…。
電波塔の先は10分ほど悪路が続きます。広い道まで戻ればここを通らなくても先に進めます。
2024年04月30日 12:28撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:28
電波塔の先は10分ほど悪路が続きます。広い道まで戻ればここを通らなくても先に進めます。
ちはや園地の手前に展望台がありました。
2024年04月30日 12:39撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:39
ちはや園地の手前に展望台がありました。
上はそこそこの広さがあります。天気が良ければ四方が見渡せそうです。
2024年04月30日 12:40撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:40
上はそこそこの広さがあります。天気が良ければ四方が見渡せそうです。
ちはや園地に来ましたが、ひっそりとしています。金剛山ロープウェイが休止中なので、気軽に来れなくなりましたね。
2024年04月30日 12:47撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 12:47
ちはや園地に来ましたが、ひっそりとしています。金剛山ロープウェイが休止中なので、気軽に来れなくなりましたね。
伏見峠に到着しました。この先は林道(関係者以外通行止)となっています。
2024年04月30日 12:52撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 12:52
伏見峠に到着しました。この先は林道(関係者以外通行止)となっています。
もっと登山道寄りの林道だと思っていましたが、ガチ舗装路でした。脚に疲労が来そう…。
2024年04月30日 13:05撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 13:05
もっと登山道寄りの林道だと思っていましたが、ガチ舗装路でした。脚に疲労が来そう…。
伏見峠から30分ほどで車道に出ました。ここから更に30分ほど舗装路歩きが続きます。
2024年04月30日 13:23撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 13:23
伏見峠から30分ほどで車道に出ました。ここから更に30分ほど舗装路歩きが続きます。
この辺りの駐車場も500~600円でした。無料駐車場は無さそうですね。
2024年04月30日 13:24撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 13:24
この辺りの駐車場も500~600円でした。無料駐車場は無さそうですね。
駐車場に戻って来ました。見所は多かったですが、最後は舗装路歩きが1時間続いたのでやや単調でした。
2024年04月30日 13:52撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 13:52
駐車場に戻って来ました。見所は多かったですが、最後は舗装路歩きが1時間続いたのでやや単調でした。
下山後は「下赤坂城跡」に寄ってみます。観光用駐車場から片道10分ほどの距離にあります。
2024年04月30日 14:17撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 14:17
下山後は「下赤坂城跡」に寄ってみます。観光用駐車場から片道10分ほどの距離にあります。
下赤坂城は楠木正成が築いた城で、「千早城の戦い」の2年前の1331年に幕府の大軍を相手に籠城戦を行った場所です。
2024年04月30日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 14:26
下赤坂城は楠木正成が築いた城で、「千早城の戦い」の2年前の1331年に幕府の大軍を相手に籠城戦を行った場所です。
残念ながら遺構は残っておらず、石碑が建っているだけです。
2024年04月30日 14:28撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 14:28
残念ながら遺構は残っておらず、石碑が建っているだけです。
楠木軍500人に対し、幕府は正規軍4軍を編成して1万(太平記だと30万)もの大軍を差し向けています。この頃から楠木正成が幕府に警戒されていたことが分かります。ちなみに、4軍の大将格の1人は足利高氏(後の尊氏)でした。
2024年04月30日 14:27撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 14:27
楠木軍500人に対し、幕府は正規軍4軍を編成して1万(太平記だと30万)もの大軍を差し向けています。この頃から楠木正成が幕府に警戒されていたことが分かります。ちなみに、4軍の大将格の1人は足利高氏(後の尊氏)でした。
楠木軍は寡兵ながら地の利を生かして1ヶ月に渡り互角以上の戦いを見せますが、兵糧攻めにより継戦困難となります。そのため、城を放棄して落ち延びますが、この時の経験が後に千早城の戦いで生かされることになります。
2024年04月30日 14:39撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 14:39
楠木軍は寡兵ながら地の利を生かして1ヶ月に渡り互角以上の戦いを見せますが、兵糧攻めにより継戦困難となります。そのため、城を放棄して落ち延びますが、この時の経験が後に千早城の戦いで生かされることになります。
なお、下赤坂城のあった場所は「日本の棚田百選」に選定されています。棚田百選なんてあるんですね…。
2024年04月30日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 14:26
なお、下赤坂城のあった場所は「日本の棚田百選」に選定されています。棚田百選なんてあるんですね…。
のどかな風景です。約700年前に激戦が繰り広げられた場所とは思えません。
2024年04月30日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 14:26
のどかな風景です。約700年前に激戦が繰り広げられた場所とは思えません。
次は上赤坂城跡に来ました。こちらの駐車場は10台くらい停められます。
2024年04月30日 14:47撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 14:47
次は上赤坂城跡に来ました。こちらの駐車場は10台くらい停められます。
本丸まで約20分と、そこそこ距離があります。こちらにも「まさしげくん」がいました。
2024年04月30日 15:30撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 15:30
本丸まで約20分と、そこそこ距離があります。こちらにも「まさしげくん」がいました。
本丸跡までは山道を歩きます。整備された金剛山の登山道よりも「山道」という感じです。
2024年04月30日 14:49撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 14:49
本丸跡までは山道を歩きます。整備された金剛山の登山道よりも「山道」という感じです。
「上赤坂城の戦い」は千早城の戦いと並行して行われた籠城戦です。楠木正成は千早城に1000人の兵と共に籠城し、こちらは平野将監と楠木正季(楠木正成の弟)が300人の軍勢で幕府軍を迎え討ちました。
2024年04月30日 14:50撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 14:50
「上赤坂城の戦い」は千早城の戦いと並行して行われた籠城戦です。楠木正成は千早城に1000人の兵と共に籠城し、こちらは平野将監と楠木正季(楠木正成の弟)が300人の軍勢で幕府軍を迎え討ちました。
楠木軍は地の利を生かした山岳ゲリラ戦で幕府の大軍を相手に1ヶ月近くも互角以上に戦います。
2024年04月30日 15:27撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 15:27
楠木軍は地の利を生かした山岳ゲリラ戦で幕府の大軍を相手に1ヶ月近くも互角以上に戦います。
力押しは困難と悟った幕府軍は水源を抑えて給水させない「断水作戦」を行います。これにより、継戦困難となった平野将監以下300名弱の兵は降伏します。(楠木正季は何とか千早城に逃げ延びた)
2024年04月30日 15:24撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 15:24
力押しは困難と悟った幕府軍は水源を抑えて給水させない「断水作戦」を行います。これにより、継戦困難となった平野将監以下300名弱の兵は降伏します。(楠木正季は何とか千早城に逃げ延びた)
ところが、幕府軍は約束を違えて降伏した将兵を全員処刑します。このことが千早城の楠木軍の復讐心を駆り立て、死に物狂いの反撃を受けることになります。
2024年04月30日 15:22撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 15:22
ところが、幕府軍は約束を違えて降伏した将兵を全員処刑します。このことが千早城の楠木軍の復讐心を駆り立て、死に物狂いの反撃を受けることになります。
上赤坂城を攻め落とした幕府軍は千早城の包囲勢力に合流します。吉野方面を掃討していた別働隊も加わり、千早城は圧倒的な大軍に取り囲まれることになります。
2024年04月30日 15:06撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 15:06
上赤坂城を攻め落とした幕府軍は千早城の包囲勢力に合流します。吉野方面を掃討していた別働隊も加わり、千早城は圧倒的な大軍に取り囲まれることになります。
本丸跡に到着しました。上赤坂城の本丸があった場所には立派な石碑が建っています。開けていて見晴らしも良い場所です。
2024年04月30日 15:07撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 15:07
本丸跡に到着しました。上赤坂城の本丸があった場所には立派な石碑が建っています。開けていて見晴らしも良い場所です。
中央の白い塔はPLタワー(PL教団のシンボル)です。高さが180mもあり、京都タワーや通天閣よりも高い建造物です。ちなみに、信者でなくても見学可能だそうです。(入れるのは1Fのみ)
2024年04月30日 15:07撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 15:07
中央の白い塔はPLタワー(PL教団のシンボル)です。高さが180mもあり、京都タワーや通天閣よりも高い建造物です。ちなみに、信者でなくても見学可能だそうです。(入れるのは1Fのみ)
斜面は切り落ちており、登山道以外からのアクセスは難しそうです。
2024年04月30日 15:09撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 15:09
斜面は切り落ちており、登山道以外からのアクセスは難しそうです。
こちらは二の丸跡です。周りは急斜面なので、やはり取り付くのは難しそうです。
2024年04月30日 15:14撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 15:14
こちらは二の丸跡です。周りは急斜面なので、やはり取り付くのは難しそうです。
実はこの上赤坂城跡から金剛山まで登山道が延びています。機会があれば歩いてみたいところです。
2024年04月30日 15:22撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
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4/30 15:22
実はこの上赤坂城跡から金剛山まで登山道が延びています。機会があれば歩いてみたいところです。
ひと通り観光した後は「金剛乃湯」で汗を流しました。意外にも濃い目のナトリウム泉でした。
2024年04月30日 16:19撮影 by  iPhone 12 Pro Max, Apple
4/30 16:19
ひと通り観光した後は「金剛乃湯」で汗を流しました。意外にも濃い目のナトリウム泉でした。

感想

金剛山地の盟主であり、日本二百名山の一座でもある金剛山(1125m)。
元々は葛城山(葛木山)や高天山(たかまやま)と呼ばれていたようですが、役行者が山頂に金剛山転法輪寺を創建したことから、金剛山と呼ばれるようになったそうです。

見所が多いので、時計回りに周回するコースを計画しましたが、伏見峠から先は舗装路が1時間も続いたので、メインルートを往復した方が良かったかもしれません。雨が降ったり止んだりで、山頂からの景色もガスガスだったので、天気が良い日にでもまた来たいと思います。
なお、その後に寄った上赤坂城跡からも金剛山への縦走路が延びていたので、機会があればこのルートも歩いてみたいと思いました。

なお、金剛山の中腹には、「千早城の戦い」で有名な千早城跡があります。当時の遺構はほとんど残っていませんが、難攻不落と言われた堅城の険しさを偲ぶことはできました。

「千早城の戦い」は、1333年の2月から5月にかけて行われた戦いで、鎌倉幕府滅亡に繋がる重要な一戦となりました。「太平記」によると千早城に籠城した楠木正成軍(約千人)が200万もの幕府の大軍を打ち破ったとされています。太平記の記述はかなり「盛られている」ので、実際は2~3万ではないかとされていますが、楠木正成は鎌倉幕府から警戒されていた人物なので、大軍が差し向けられたのは間違いないようです。

城壁に取り付こうとする幕府軍に対し、上から大岩や大木を落としたり、油を流した後に火を放つなど、地の利を生かしたエグイ戦法で、幕府軍はおびただしい犠牲者を出したと伝えられています。
また、2年前の「下赤坂城の戦い」で楠木正成は兵糧攻めに屈したことから、千早城の籠城戦では十分な量の食糧や水を担ぎ上げていました。そのため、幕府軍の兵糧攻めや断水作戦に屈することなく3ヶ月余りを戦い抜きます。

なお、楠木正成が千早城で幕府軍を釘付けにしている間に各地で討幕の動きが活発化し、足利高氏(尊氏)が京都の六波羅探題を攻め落とします。このことで幕府軍は撤退を余儀なくされ、千早城の戦いは楠木軍の勝利に終わりました。そして、その12日後には新田義貞が鎌倉を攻め落として鎌倉幕府は滅亡しました。
実は、新田義貞は当初は幕府軍の一将として千早城の攻城戦に参加していましたが、病気を理由に帰国すると、討幕の旗揚げをしています。
もし千早城が早々に落城していたら、足利高氏(尊氏)や新田義貞が幕府に叛旗を翻すこともなく、「建武の新政」はなかったかもしれません。

奈良周辺の山は歴史のある史跡・遺構も多いので、色々と調べながら登ってみると面白いと思います。

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コメント

SHAKATAKさん
歴史登山お疲れさまでした。
「千早城の戦い」で、楠木正成が籠城して耐えたことが討幕のきっかけを作ったこと判りました。
足利高氏(尊氏)と新田義貞が急に朝廷側に寝返るとは、よほど幕府に不満を抱いていたのでしょうか。
2024/5/2 9:57
KOTOWAKAさん
コメントありがとうございます。
新田一族は清和源氏の家系ながら、源頼朝の挙兵に当初参加しなかったことで、鎌倉幕府からは冷遇され続けていました。不満は常に抱えていたと思います。
足利高氏(尊氏)は執権北条守時の妹を妻とするなど幕府の重鎮でしたが、下赤坂城の戦いの辺りから、北条氏と確執が広がっていたようです。
反乱軍の鎮圧に向かう途中で「天下を取れ」という祖父の書き置きを見て倒幕を決意したという説もありますが、事実かどうかは分かりません。
2024/5/2 21:28
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