記録ID: 6813749
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ハイキング
関東
奥州街道を歩く (宇都宮宿・白沢宿・氏家宿)その1
2024年05月18日(土) [日帰り]
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体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 06:20
- 距離
- 24.1km
- 登り
- 60m
- 下り
- 10m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:21
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:21
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
奥州道中は、日本橋を起点として陸奥國白河宿へ至る街道であるが、日本橋から宇都宮宿までは日光道中と共用であり、日光道中は既に歩いているため、宇都宮伝馬町の追分からスタートすることとした
おしどり塚
鎌倉時代のころ、猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられていた。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したという。
鎌倉時代のころ、猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられていた。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したという。
旧篠原家住宅
明治28年(1895)に建てられたこの店蔵は、店舗と住宅部分を一体化した蔵造りになっている。
嘉永四年(1851)築の石蔵や明治二十八年(1895)築の店蔵は国指定重要文化財
明治28年(1895)に建てられたこの店蔵は、店舗と住宅部分を一体化した蔵造りになっている。
嘉永四年(1851)築の石蔵や明治二十八年(1895)築の店蔵は国指定重要文化財
首切り地蔵 右の地藏堂
元和7年(1621)、宇都宮城主本多正純が幕府から差し向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、これに従わなかったため全員を処刑した場所で、その首をここに埋めたという。
元和7年(1621)、宇都宮城主本多正純が幕府から差し向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、これに従わなかったため全員を処刑した場所で、その首をここに埋めたという。
白沢地蔵
「鎌倉時代(建久年)源頼朝の命を受け、伊沢家景が奥州総奉行として鎌倉より東北に向かう途中、白沢稚児ヶ坂で子供が病気になり亡くなりました。
その子をこの地に葬り地蔵堂と石塔を建てました。それから900年もの間、この地蔵堂は白沢南自治会(昔は上岡本村)の人々によって守られてきました。
「鎌倉時代(建久年)源頼朝の命を受け、伊沢家景が奥州総奉行として鎌倉より東北に向かう途中、白沢稚児ヶ坂で子供が病気になり亡くなりました。
その子をこの地に葬り地蔵堂と石塔を建てました。それから900年もの間、この地蔵堂は白沢南自治会(昔は上岡本村)の人々によって守られてきました。
将軍地蔵
「源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めません。宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てました。」
「源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めません。宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てました。」
「勝山城は鎌倉末期に氏家氏が築き、芳賀氏により強固な防御が完成。鬼怒川の崖を天然の要害とした崖端城(がけたんじょう)で宇都宮氏一族の防衛拠点で戦国時代には那須氏との攻防を繰り返しました、慶長二年(1597)宇都宮氏の改易に伴い廃城となった。」
【氏家宿着】12:27 宇都宮駅から22.7km
氏家宿江戸口 馬頭観音・道標
北向地蔵と道標、馬頭観音が建てられている。道標の正面には「右江戸海道」、左側面には「左水戸かさま、下たて、下つま みち」と彫られている
氏家宿江戸口 馬頭観音・道標
北向地蔵と道標、馬頭観音が建てられている。道標の正面には「右江戸海道」、左側面には「左水戸かさま、下たて、下つま みち」と彫られている
寛方・タゴール公園
「荒井寛方(1878-1945)はここに生まれ、日本画家を目指して巣立った。仏画を志した寛方は、原三渓やアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの知遇を受け、日本画の教授としてインドに渡った。」
「荒井寛方(1878-1945)はここに生まれ、日本画家を目指して巣立った。仏画を志した寛方は、原三渓やアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの知遇を受け、日本画の教授としてインドに渡った。」
撮影機器:
感想
快晴で気温は高かったものの湿度は低く爽やかな季節
田植えが終わったばかりの水田も美しく気分爽快な一日でした
未だ歩けそうな時間でしたが太ももに違和感があり無理をしないことに
年齢を考えると一抹の不安はありますが
楽しくなってきた五街道歩きを何とか貫徹したいと思う今日この頃です
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