5月10日(金)西予ジオパークミュージアム訪問+中津川洞窟縄文人骨
- GPS
- --:--
- 距離
- 173km
- 登り
- 3,411m
- 下り
- 3,401m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
感想
松山駅に正午過ぎに到着し、すぐにレンタカーの手続きをして出発。途中内子町に立ち寄り、元蝋燭などを作っていた商家を見学、近くのカフェでケーキを食べながら一休みし、一時半から二時半過ぎまで東京の考古サークルのリモート例会に参加し、聴きながらカフェを後にしてジオパークミュージアムに向かう。例会は東潮先生の伽耶と倭国の読書会。今回は三国時代の百済と馬韓と伽耶などの関係について議論した。例会が終わる頃ミュージアムに到着。数年前にミュージアム賀できる前に城川の地質資料館を見学したが山奥で行くのが大変だったが、今回は内子町から三十五分ほどで比較的近かった。予算がついたのかすっかりキレイで見やすいミュージアムとなっていた。ビデオのガイダンスを見てから展示を一通り見てジオパークの全体像を理解し、かつて須崎海岸や笠置峠古墳、卯之町町並みなどを見学、今回は帰りに道の駅近くの河川敷にある
下相のジュラ紀化石露頭を見学する予定だが、その前に近くにある城川歴史民俗資料館に向かう。
ジオパークミュージアムから近くにある城川歴史民俗資料館に向かう。ホームページで土器を見かけたので立ち寄ってみた。施設は入口のドアホーンで呼び出すと近くの管理者が駆けつけて開けてくださった。一階は民俗資料館、二階に考古資料館や歴史史料などがある。石器類や縄文土器、須恵器などもあるが松山市内を含め広い範囲でかつてどなたかが集めたものか?それよりこの地域には数多くの洞窟遺跡などがあるようで、石器や土器片のみならず人骨が出ている。出土時の写真や実物が展示されており驚いた。全くノーチェックだった。洞窟からは動物などの骨も出ており、骨が残るような石灰岩などアルカリ性の地質を含むのだろうか?後でミュージアムに聞いてみたい。また、穴神洞という中津川洞穴よりさらに奥の洞窟遺跡のチャート石器づくりをしている人々の暮しを復元した大きなジオラマが展示されており、城川町の教育委員会は頑張っていたなと感心する。このあたりは化石などの出る河川敷などがあり、地質的にも興味深い地域だ。
中津川洞穴遺跡見学から城川道の駅のしたの河原にある下相のジュラ紀化石露頭を見学する。松山駅前に車を返却せねばならないので急いで河原に降りる。結構急な石積の段差だ。化石らしい何かは見えるが上の解説では二枚貝となっているのを見落とし、よく理解できなかった。残念。それらしい岩場の模様を撮影し、急いで松山駅にむかった。
参考:中津川洞窟遺跡遺跡は、四国地方最大の洞穴・岩陰遺跡分布地帯である西予市にあり、同市城川町を流れる黒瀬川の支流、中津川の右岸に迫り出した砂岩からなる丘陵斜面と河岸段丘に形成され、南向きに開口した洞穴とその前庭部に立地(標高約191m)している。洞穴は大規模な崩落もなく、規模は開口部高2.1m・奥行5.0mである。
数次にわたる発掘調査の結果、縄文時代の早期・前期・後期の遺存良好な文化層(約10000年〜3000年前)から、土器類や石器類のほか人間や動物の骨や貝殻が出土しており、近隣の県史跡・穴神洞遺跡とともに当地域の典型的な洞穴遺跡である。
洞穴内の各文化層や前庭部から、地元産チャート製の打製石器類が出土している。多くは石鏃であり、完形品のほか未成品や製作のための素材や製作時に生じた石核や剥片が大量に含まれている。これら打製石器類の製作関連資料は、新たに始まった縄文的狩猟活動を支える生産具開発の実態をよく示すとともに、本遺跡前面の川や背後の森林といった自然環境のもと、縄文人の多様な食料獲得活動(狩猟・漁撈・植物採集)のあり方を解明するうえで貴重である。
以上のことから、本遺跡は、四国地方における縄文時代の初期獲得経済社会の復元に欠くことのできないものであり、かつ、今後の四国地方西部の山間部に集中する洞穴・岩陰遺跡群の総合的解明の起点となる遺跡である。
(愛媛県教育委員会文化財保護課ホームページ『愛媛県の文化財』より引用)
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する