栂海新道
- GPS
- 56:00
- 距離
- 47.2km
- 登り
- 3,545m
- 下り
- 5,361m
コースタイム
- 山行
- 5:15
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 5:40
- 山行
- 6:10
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 7:00
- 山行
- 12:10
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 14:00
過去天気図(気象庁) | 2018年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
小野健氏の著書「栂海新道を拓く」「栂海新道ものがたり」を読みいつかは白馬から日本海まで歩いてみたい、と念願だった栂海新道。
1日目
入山は栂池高原から。
ロープウェイを使えば少しは楽だろう、と思ったら大間違い。歩き始めから大石がゴロゴロした急坂で歩幅がマイペースできず疲れる。
白馬大池は思いの外大きい。30年前ツマと来たはずだが全く記憶にない。ツマも記憶がないと言う。別のヒトと来たのかなぁ。
大池からは歩きやすくなるがペースはあがらない。なんとか白馬岳を超え白馬山荘に到着。初日からこれでは先が思いやられる。
山荘のスカイラウンジで生ビールを飲んだら元気が出てきた。さらに隣席の老夫婦のお話を伺ってますます元気が出てきた。
2日目
5時半出発。事前に予約した朝日小屋の女将から、白馬を日の出前には出発してください。栂海新道に行くなら荷物はできるだけ軽量化してください、と言われていた。
2日目もペースが上がらず、やっと朝日小屋に到着。前半戦でこんなに疲れて大丈夫だろうか。ここからエスケープしちゃおうかな、と甘い考えが頭をよぎる。
小屋の女将に栂海新道について指導を受けた。
「朝は、日の出前に出発してください」「はい、では4時に」
「明日はどこまで行きますか」「栂海山荘の予定ですが、できれば白鳥小屋まで」
「今日白馬を何時に出発しましたか」「5時半です」
「・・・この時間にこの小屋ですか」「・・・(ペースが遅いらしい)」
「みんな白鳥小屋まで行きたいんです。でも行けるのは10人中1人です。特に栂海新道で一番キツイのが栂海山荘から白鳥小屋間です。12時に栂海山荘に着いて、しっかり休んで白鳥小屋へ行く体力と気力があったら行ってください。くれぐれも安易に突っ込まないように」「・・・はい」
パチン、とこれでスイッチが入った。ヨシ、絶対白鳥小屋まで行く!朝3時に出発だ!
素晴らしい夕食をいただき、早々に寝入った。
3日目
3時15分出発。夕方より天気が崩れるらしいので、その前に白鳥小屋に着きたい。
吹上のコルより念願の栂海新道に入る。
黒岩山までは素晴らしい湿原地帯を行く。草紅葉が始まっている。
黒岩山からいよいよ尾根伝いの登りに入る。
向かいから若い単独の男性に出会う。昨日親不知から登り始めたそうだ。
このコース、下るだけでも大変なのに、ひとりで登ってくるなんて随分男前な若者である。
その若者も言っていた。「栂海山荘と白鳥小屋の間が一番キツイですよ」
栂海新道のコースの特徴は、全てのピークを巻かずに直登降していること。開拓者の小野氏の信念だったそうで、巻き道を作ろうとすると小野氏に怒鳴られたそうだ。通常、急坂では九十九折りに道をつけるが、このコースの道は全て尾根伝いにまっすぐついているので、トラロープやハシゴがあちらこちらに設置されており、木の根も加えて手足総動員で登下降しなければならない。
四つ足歩行で急登をこなし、やっと犬ヶ岳に到着。直下に栂海山荘が見える。
刻は9時45分。ここから白鳥小屋までコースタイム4時間。2時までには白鳥小屋に着けるだろう。体力もまだ余裕がある。
うん?待てよ、白鳥小屋から親不知まで5時間。今日中に行けないだろうか。
でもこれからが一番の体力勝負、甘い期待など持たずにその先のことは白鳥小屋に着いてから考えよう。
女将と若者が言ったとおり、この間はキツかった。とくに、下駒ヶ岳と白鳥山の登り、もちろん四つ足歩行多々あり。
白鳥小屋到着12時55分。時間は大丈夫。気力はやや大丈夫、体力は多分大丈夫。ヨシ、今日中に親不知まで行こう!
しかし、親不知に降りても今日中に帰京することは無理だろう。
終着地点の一件宿「親不知観光ホテル」に泊まるべく携帯で連絡をとろうとするが、電波状態が悪く電話が通じない。ネットは通じるので、ツマにLineで6時頃到着で宿の予約をお願いする。
帰宅後ツマから聞いた話である。予約の電話を入れると
「今日の出発はどこからですか?」「朝日小屋です」
「トレランの方ですか?」「いえ、普通の登山者です」
「朝日小屋から親不知まで1日では無理ですよ。どこから連絡があったのですか?」「それがわからないのです・・・」
そんなやりとりがあったことなどつゆ知らず、ひたすら日本海目指して歩いていた。
地図上の最後の山は入道山だが、その後さらに2つ山を越えた。最後の最後まで頂上を越えさせる開拓者の意思、執念を感じる。
雨も降り出し森林の中の道は薄暗くなってきたが、あえて歩みを遅くした。念願だった栂海新道が終わってしまうからである。
国道に出る直前、濡れた石に滑り尻もちをついた。なぜか笑みがこぼれる。最後まで気をぬくな、か。
国道を渡り、親不知観光ホテルの脇の道を日本海に向けて降りていく。ゆっくりゆっくりと。
雨に濡れたゴロ石を慎重に渡り、薄暗くなった日本海に手をつけた。
しょっぱい・・・。海水のせいだけではないだろう。
終わった。
14時間歩いた。
握手する相棒もいないが、これほど達成感と感動を得られる下山地点はない。
翌日さらなる感動が待っていた。
ホテルから親不知駅まで送迎していただいた車中で、運転の支配人が北アルプスの船窪小屋オーナー松澤ご夫妻の親族だというのである。
以前から松澤ご夫妻のことはテレビ、ネット等で見知っており、是非尋ねてみたい小屋のひとつだった。ところが一昨年、お歳を理由に引退され、ご子息に経営を譲られたのである。私にとって松澤ご夫妻あっての船窪小屋であったので至極残念なことであった。
また奥様の寿子さんが著した「私は山の上のお母さん」も読みたかったが、どこを探しても見つからず、これも残念なことであった。
その話を支配人にすると、「栂池に戻るなら(自家用車を停めている)ばあちゃんの家がすぐ近くだから寄っていけば本を譲ってくれるよ。私から連絡を入れておくから」と、その場で電話をしてくれた。
支配人にお礼を述べ、電車、タクシーを乗り継ぎ4日ぶりに栂池の駐車場に戻ってきた。教えていただいた地図を頼りに松澤様宅へ。玄関にお出でになられたのはまぎれもなく松澤寿子さんだった。穏やかなやさしい笑顔の会いたかったその人であった。
突然の不躾な訪問を詫び、貴重な著書をいただいた。さらに自家製のルバーブのジャムまで頂戴した。
ご主人の宗洋さんはご不在だったが、寿子さんとしばしお話しをさせていただき、ご自宅を辞した。
人と人との縁は不思議なものである。袖触れ合うも多生の縁とはかようなものか。
栂海新道を歩き通すことができ、松澤様より著書をいただくことができ、本当にすばらしい山行であった。
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