北岳・仙丈ヶ岳《日本百名山》
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- GPS
- 27:18
- 距離
- 44.8km
- 登り
- 4,528m
- 下り
- 5,104m
コースタイム
- 山行
- 4:10
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 4:33
- 山行
- 9:12
- 休憩
- 1:47
- 合計
- 10:59
- 山行
- 10:33
- 休憩
- 1:13
- 合計
- 11:46
天候 | 晴れ一時曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
下山口:伊那里バス停から伊那市バスで高遠、JRバス関東で伊那北駅 |
写真
感想
1日目(8/20)
広河原へ行く登山バスは平日にも拘らず2台満席で甲府駅を出発した。芦安までは順調に進んだが、南アルプス林道に入ると極端にスピードが落ち、何やら無線でやり取りが始まった。やがて路肩に止まると後部から煙(湯気?)が出ている。バスはここで運転を打ち切り、芦安から来る代替バスに乗り換えさせられた。初っ端からこのトラブルこの先どうなることか。
鷲住山展望台には23分遅れで到着、“展望台”と名が付いているが此処から鷲ノ住山は見えない。林道を少し進み、鳳凰山系の大崖頭山(おおがれあたまやま)から流れてきた尾根に取り付き100m程の標高差で鷲ノ住山(1,534m)に達した。樹林帯で展望はなくそのまま野呂川へと400m余りを下り発電所横に下りて来て、定員1人の長い吊橋を渡った。斜面を這い上がり県道南アルプス公園線に乗り上がった。この道は駐車場のある奈良田と登山基地の広河原を結ぶ道でシーズン中はシャトルバスが登山者を運んでいる。トンネルが3本あり、中でも2番目の吊尾根トンネルの長さは600m近くもあった。ヘッドライトを出さねば、と思ったが、直線で出口が見えているのでそのまま闇に突入した。素掘りのトンネルに工事のダンプが入ってきて壁に張り付いてやり過ごした。運転士はさぞビックリしたことだろう。歩き沢橋にはバス停もあり奈良田と広河原を結ぶバスが停車する。
義盛新道は此のバス停の裏から始まり、北岳から流れてきた尾根に側面から取り付いた。野呂川は深い谷で鷲ノ住山からの下りと同じように急登を強いられる。道はしっかりしているとはいえ、歩く人は殆どなく時々見失いそうになった。池山まで標高差は800m余りあり、汗は滝のように流れ、23圓離競奪は肩に食い込む。2日分の水5リットルが重い。今日の行程は大したことはない。ゆっくり行こう。旧版の地形図では尾根に乗らずにトラバースして池山小屋に達しているが、実際は真っ直ぐ尾根に上がり池山山頂を通っていた。広い山頂に3等三角点「池山」を発見した。山頂標識は無く赤テープに「池山」と記されていた。
ここまで来ればもう登りはない。広い草原に達するとそこは池山御池、地形図には水の色が付いているが水は完全に涸れ草原と化してしまっている。池の北側には今夜の宿、池山小屋が建っていた。確かに建っているのだが、屋根があり、床もある。しかし扉がない。子細に見ると基礎も外れている部分があるが、まあ崩壊することはなさそうだ。置いてあった箒で掃除をして、床の上にツエルトを張り、その中で寝ることにした。水場は東斜面を下り往復1時間かかるので、2日分の水を持ってきたのは正解だった。17時に夕食が終るとすることもなく、このところの疲れから早々と寝に付き翌朝4時前までぐっすり眠った。
2日目(8/21)
5時に出発しようと思っていたのに、もたもたしてしまい5分遅れた。暗く苔むした樹林帯を進み稜線に出た頃、僅かに東の方が開けたところがあり鳳凰山へ続く稜線を見ることができた。300m程の標高差を登ったところで右に飛び出すと城峰(しろみね2,372m)で東側正面には観音岳が見えた。ただ山頂を示す表示はなかった。池山吊尾根はここで向きを西に変える。鳳凰山の尾根越しに陽が昇り、すっかり明るくなって樹林帯にも木漏れ日が射しだした。標高2,500m辺りで展望が開け、鳳凰三山やその尾根上の辻山、北の方を見ると甲斐駒が頭を出している。南方向には富士山、裾野を雲海が埋め尽し浮いている。樹木の背丈が低くなり、差し込む光の量が増えてきた。そして標高2,700mを越えると森林限界を越えた。草原状のピークで荷物を置いてその先端に行く。そこはボーコン沢ノ頭(2,802m)、漢字で書くと「忘魂沢」となる。西側は大樺沢でその向こうに北岳バットレスが圧倒的な迫力で迫ってくる。鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳は益々よく見えるようになった。
高山の稜線歩きで八本歯ノ頭(2,920m)に達すると、直下は八本歯ノコル、大樺沢左俣を通るメジャー登山道が合流している。正面に北岳からの厳しい斜面を下って来る人達が見える。広河原からコースタイム4時間30分の大樺沢ルートもそろそろ登ってくる人達が辿り着こうとしている。暫しこの様子を俯瞰しながら山頂で休憩した。コルに下る道は、此処まで歩いて来た道とは打って変わって馬ノ背の岩稜帯となり慎重に進んだ。
八本歯ノコルは昨年白峰南嶺から縦走した時にも通った。北岳山荘へのトラバース道が分岐すると再び処女ルートで吊尾根分岐に達し主稜線に乗った。この辺りは高山植物が多く、ミヤマシオガマ、イブキジャコウソウ、キタダケトリカブトetcが咲き誇っていた。写真を撮っている間に健脚男性に抜かれた。恐らくこの人が広河原からの一番乗りだろう。北岳まではあと20分、標高が上がり涼しいはずだが歩いていると噴き出す汗は留どもない。体にフィットする衣装を身に着けた山ガールは小父さんの視線を引き付けるに十分、イケメンの男性とペアで身軽に追い越して行った。
9:46、北岳(3,192m)山頂に到着すると、小屋泊まりの人々で山頂は混雑していた。さっき追い抜いて行ったカップルもいた。流石は日本第二の標高を持つだけあって展望は素晴らしい。しかし早くもガスが沸き始め間ノ岳以南は見えなくなってしまった。北に目をやるとアサヨ峰、甲斐駒がどっしり鎮座し、其の手前北岳北尾根上には小太郎山があった。今日は両俣小屋に下りるが先ずはこの小太郎山にピストンしなければならない。何故“ならない”のかと云うと東京在住時代とその後の関東通いで登った山梨百名山が目下99座、最後の一つが小太郎山ということで今回の目的は北岳よりも小太郎山なのだ。
北稜線を下り始めてすぐの両俣分岐は標高3,105mある。後でここまで戻ってくるので荷物をデポしておきたいところだが余りにも人が多いので担いで行くことにした。人でごった返す肩ノ小屋は通過し、右俣コースと白根御池小屋へ下降する所が小太郎山分岐だ。此処から少し入ったところにザックを下ろした。女性が一人休憩しており話し掛けると連れが今小太郎山に行っているとのこと。サブザックに必要なものを入れていると、丁度その彼女が戻ってきて「とっても良かった。でもきつかった。」との感想、この山で山梨百名山完登すると云うと「凄い!」と拍手喝采で感心され「一緒に写真を撮って」ときた。「おっとまだ登ってないよ、途中でこけたら未遂だよ。」 実は彼女たちも山梨百名山を狙っていると云う。
山梨百名山には甘利山のように簡単な山から鶏冠山(とさかやま)や鋸岳のように険しい山、黒河内岳や笊ヶ岳のように日帰りが不可能な山もある。しかし良くぞ選んでくれたと云う素晴らしい山ばかりで登山意欲をそそられる。京都在住で山梨百名山完登すれば異色だろう。関西百名山も完登していないのに・・・
そんなことで前祝をして貰って、いよいよ小太郎山尾根に入った。コースタイムは片道1時間、上から見ていた以上にアップダウンがあり、岩場もあり時間が掛かる。最低鞍部から登り返すと岩稜のピークに取り付く男性の姿が見える。其の岩稜が小太郎山であるかのような存在感だが、これは前衛峰で本峰は其の先だ。前衛峰を越えると男性が下りてきた。ずいぶん早いなと思ったら別の人だった。さっき見た人は小太郎山の山頂で出会った。小太郎山(2,725m)山頂には3等三角点「小太郎岳」があり360°の展望が得られる。小太郎山の裾野を回りこむように野呂川の谷が巡り、仙丈ヶ岳、甲斐駒、アサヨ峰、鳳凰三山が取り囲む北アルプスの雲ノ平のような雰囲気だ。
来た道を戻るしか手がなく最低鞍部(2,646m)に下ると、両俣分岐までの標高差は470mもあり、結構疲れてしまった。両俣小屋まで歩けるだろうか? と悲観的になり、まあだめでも肩ノ小屋までは行くしかない。小太郎山分岐でザックを背負うとこんなに重かったかなと思うくらいの重さを感じた。やはり疲れが出ている。また人の多い登山道をゆっくり登り続けると案外順調に再び肩ノ小屋を通過し両俣分岐に達することができた。
ガスが周りを包み完全に視界は閉ざされた。時間は13:40、両俣小屋までのコースタイムは登山地図には3時間、現地指導標には4時間と示されていた。到着目標を16時半として分岐を踏み出すがこのエリアの登山地図のコースタイムは相当厳しい。普通は休憩込みでコースタイムの8掛けで歩けるが、この山域ではそうはいかない。この後両俣小屋で同宿の人に話すとそれは「山岳写真家の白旗史郎の息の掛った人が執筆し、彼の基準で設定しているからだ」と言っていた。このルートで人と会うことはないだろうと思っていたが何と登って来る人がいた。昨夜仙塩尾根の高望池でテントを張ったと云う大学生3人組だった。彼らの情報では先程、雷注意報が発令されたらしい。左俣大滝まで下ると後は沢沿いの道で増水すると歩けない。夕立が来ないことを祈りながら先に進んだ。
北岳から延びる尾根の先端部に中白根沢ノ頭(2,841m)がある。登山道は南側を巻き左俣への下降が始まるが踏み跡を辿ると山頂に立つことができた。壊れて斜めになった山頂標識があり展望は360°あった。ガスの領域は脱したが北岳は雲に包まれたままだった。ここから左俣沢へ標高差600mの下降が始まり、連続した急斜面をうんざりするほど下った。高度を下げるにつれ上空に青空が復活し、どうやら夕立の危険は脱したようだ。
左俣沢に達するとすぐ上流に左俣大滝があり勇壮な眺めを見せていた。中白根岳から発する枝沢には細い流れだがかなりの落差を有する無名の滝も望めた。沢の流れで顔を洗うとひと心地付いた。この左股の沢沿いに下りは岸辺の道と河原歩きを織り交ぜた登山道で都合9回の本流渡渉は、人為で配置したのであろう飛び石伝いで靴を濡らすことはなかった。今月17日に発生した日高山脈支六ノ沢での東京理科大生の遭難を考え、もし水が出てもここならビバーグできると云うポイントを思いながら沢を下った。
もう人に会うとは思ってもいなかったが前方から歩いてくる男性がいた。こんな時間から何処へ行くのかと不審に思い聞いてみると両俣小屋の宿泊者で明日の行程を考え偵察に来たとのことだった。小屋はもう近く、右俣沢と合流し野呂川となり、太くなった本流を最後の渡渉で左岸に渡り小屋に達した。急いで歩いたこともあり両俣分岐から2時間20分で到着した。受付をお願いすると「4時20分まで待って」とのこと。其の時間に再びお願いすると、小屋番の女性どうも機嫌が悪い。「遅い! この小屋は30年前から3時までに到着しなければいけないことに決まっている。」とやられてしまった。「そんなルール知らない」と思いながらもぐっと堪えた。一緒に受付をしていたグループは、夕食をお願いするのに散々悪態を吐かれていたので、お願いする勇気もなく非常食で凌いだ。
東京から来たというK林ご夫婦と仲良くなり山小屋のひと時を楽しんだ。名前のある山は藪を漕いでも登るという私と同じ嗜好の人で話が良くあった。此の小屋にも何度か泊まったことがあり小屋番の星美智子さんは、いつもは優しくいい人だよと弁護していた。星さんは猫好きで前に来たときは7〜8匹いたそうだが、今日は2、3匹いるだけだった。野呂川の秘境で水は豊富。登山者も余程の物好きが集まるようで百名山の喧騒さは全くない。また岩魚目当ての釣師も数名連泊していた。結構釣れるそうだ。
3日目(8/22)
3時40分起床、見上げると満天の星、何という星の数だろう! 今日も天気は快晴、北岳を目指す神戸の男性と左右泣き別れで夫々の道を目指した。仙塩尾根の最低鞍部野呂川越(2,290m)に登る道は昔の台風で倒れた木が苔むしていた。しかし要所要所はカットされ登山道が確保されているのが有難い。50分ほどで野呂川越に達し、3年振りの仙塩尾根に入った。塩見岳から続くこの尾根の三峰岳と仙丈ヶ岳の間は長いので本当に人が少ない。今日は会う人がいるだろうかと思いながら横川岳(2,478m)に達すると人がいた。高望池でテントを張ったという男性で今日は三峰岳・間ノ岳経由で農鳥小屋まで行くという。山頂の木の間越しに仙丈ヶ岳が望め、まだ遥か先の目指す山にため息が出そうだ。
樹林帯が続き展望のない稜線だがひょっこり顔を出した岩場は独標(2,499m)で360°展望が利く。独標=独立標高点は、元々は普通名詞で今では単に標高点と称している。独標と敢えて記されている所は固有名詞化している存在感のあるところだ。この“独標”も存在感抜群、仙塩尾根に乗って始めての展望地で快晴の元、仙丈ヶ岳や北岳、間ノ岳の姿が申し分ない。西の方には中央アルプスや乗鞍、北アルプスまで望むことができた。
独標の先、無名ピークを越えると高望池、横川岳で出会った男性が幕営したところだ。池とは言えここも完全に干上がり草原と化し、ミヤマアキノキリンソウが群落を為していた。登り返すと伊那荒倉岳(2,619m)で山頂手前に3等三角点「荒倉岳」(2,517m)がありここに山頂標識があった。しかし最高所はこの先にあるが単なる登山道の途中で何の表示もなかった。トレランスタイルの人が下って来たが挨拶もなく行き過ぎた。このマナー知らずめ!
苳ノ平(ふきのだいら2,570m)も展望はなく、その先で這松帯となりP2676は360°の展望が得られた。休憩をしていると仙丈の方から男性が登ってきた。昨日は仙丈小屋が団体のため一杯で泊れず止む無くその下の馬ノ背ヒュッテに泊ったそうだ。その馬ノ背も超混雑だったらしい。今日は熊ノ平まで行くという。
仙塩尾根もいよいよ核心部に近づき大仙丈ヶ岳への登りが始まった。標高差は400m余り、這松帯を抜けると次は岩稜帯となり仙丈ヶ岳の領域に入ったことを実感した。藪沢小屋に泊った人が下りてきた。今日は両俣小屋でテントは張るそうだ必ず15時までに着くようにとアドバイスした。今日仙塩尾根で出会った人はこの人が最後で都合4名だった。大仙丈前衛峰の東斜面をトラバースし奥に鎮座する大仙丈ヶ岳(2,975m)の山頂に立った。立派な山頂標識があり仙丈ヶ岳をズームインすると生け花の剣山の如く人人人!誰も居ない大仙丈との差はどうだろう。
仙丈ヶ岳は900m先、下界の猛暑と違いじっとしていると涼しいが風もなく歩くと汗が吹き出る。 “剣山の歯”の如き人々が動き出し表情まで見えて来た。遂に今日の最高峰、仙丈ヶ岳(3,033m)に達した。2等三角点「前岳」にタッチ。中高年の日本百名山ブームは凄いものだ。マイナールートの歩行でこの被害は最小限度に留めているがここから地蔵尾根分岐までの300m程は我慢しよう。10時前から湧き出した雲がまず甲斐駒ヶ岳を覆いその横の鋸岳は完全に雲の中へ、残念! あの切り立った鋸の歯見たかったが・・・しかも今日あの山に我が山岳会のT田さんが登っているはずだ。今夜は北沢峠に泊り明日この仙丈ヶ岳に登ると言っていた。暑さか疲労か余り食欲はないがパンを一つ食べ、ゼリー飲料を飲み山頂を後にした。
地蔵尾根は仙丈小屋の目前で分岐する旧長谷村(現伊那市)市野瀬に到る16劼傍擇崢垢と根だ。コースタイムは6時間30分、市野瀬は北沢峠への伊那市営バス始発の戸台口から三峰川(みぶがわ)を6卍南に遡ったところにある。この長い尾根は3年前に小河内小屋に泊った時に小屋番から勧められた尾根だ。昨夜両俣小屋で出会ったK林さんからこの小屋番さんが市野瀬の住人であることを聞いた。
ガレ場の急斜面で急激に高度を下げると仙丈ヶ岳の雄姿にも雲が纏わり付き始め大仙丈も怪しくなって来た。樹林帯に入ると展望地は全くなく分岐から1時間、仙塩尾根の西に平行して走る尾根(尾根上に丸山、小瀬戸山を擁するので仮に小瀬戸尾根とする)の結節点に丸山谷ノ頭(2,460m)がある。登山道は北側を巻いてしまうので、勿論藪を漕いでもピークを踏まなければならない。大した問題はなく丸山谷ノ頭の山頂に到ると木に巻かれたテープに山名が表示されていた。展望はなく地形図を見て「?」と思ったのは小瀬戸尾根と仙塩尾根の間を流れる川が三峰川、小瀬戸尾根の西側から市野瀬に流れているのも三峰川、広域の地図を見ると何と丸山谷ノ頭の東に源を発した三峰川が三峰岳の東を通り、塩見岳の北側まで南下し180°向きを変え小瀬戸尾根の東へと流れ進んでいるのだった。最終的には伊那谷で天竜川に注ぐ。これは北岳、間ノ岳の西に源を発する野呂川が小太郎山の北を回り込み広河原、奈良田に流れているのと対を成しているようで興味深い。
次は尾根の名前にもなっている地蔵岳(2,371m)に登る。これは登山道から南に飛び出しておりピストンで登ると道はなく藪漕ぎとなった。3等三角点「塩沢」があり、標識? の残骸があったが文字は全く読めない。展望もなく来た道を引き返すがピンポイントでザックデポ点に下ることはできなかった。此の長い尾根を地蔵岳から下った鞍部には松峰小屋という避難小屋がある。鞍部に辿り着くと小屋は南の谷を更に100m下った標高1,950m程の所に建っていた。古い小屋だが破損はなく十分宿泊に耐える。今日の宿泊地に予定していたが、まだ14時、市野瀬まで10.4辧▲魁璽好織ぅ爐3時間、最終バスは17:05だ。行こう! 下りたらお風呂にも入れる。
休憩もそこそこに歩行を再開し尾根に這い上がりP2087に登り返した。ここへ来て標高差120mの登りは堪える。同じだけ下って次は松峰(2,080m)、時間が心配だが地形図に黒々と書かれたこの山は外す訳には行かない。再び藪を漕いで登った。展望はないが小さなプレートが掲げられやはり登る人はいるみたいだが踏み跡は全く確認できなかった。登山道は100m下の山麓を大きく回りこんで北端の鞍部に到るので稜線を辿り、藪を分けた。次に穴沢ノ頭(1,983m)の三角点峰が続くが、地形図では登山道は山頂を通っているが実態は南麓を巻いている。主義としては必ず山頂を取るのだが、松峰立寄りで時間ロスが大きく、最終バスの時間が気になり断腸の思いでパスした。
足の回転を速め休みなく歩き続けて標高1,780m地点で林道に飛び出した。時刻は15:38まだ距離は6厖召蠅△襦暫く林道を歩き標識に従って登山道に戻るがこの先も何度か林道歩きとなったり、横断したりを繰り返すともう地形図に無い林道に惑わされ、最早地図上何処を歩いているか分らなくなった。水を飲みたいがザックから取り出す時間も惜しみ歩き続けた。漸く登山口に達したのは16:22、まだ3辧標高差は300m、舗装された車道を歩き出すと、足が重い。登山靴はやはり登山道を歩くための靴だ。車道の高速歩行には向かない。道路の先に猿の群れが屯し、おっかない! 山より里の方がデンジャラスだ。彼らが退避してくれたので難なく通過することができた。三峰川の橋を渡ると伊那里BS、最終バスの15分前に到着できひと安心した。
今日は仙流荘で泊まろうと電話を掛けると「満室です」と断られ、仕方がないので伊那市まで戻りビジネスホテルに宿泊した。疲労か暑さかで食欲なく夕食はパスし大浴場で3日分のこてこてを流し、さっぱりした。翌日はホテルでゆっくりし、松本へ向かう。竹田さんからメールが入り、この日予定していた仙丈ヶ岳は朝寝坊で断念し今高遠で温泉(さくらの湯)に入っている。塩尻から大阪行“しなの16号”にjoinするという。さっき買った指定券で残りは1枚、伊那北駅で追加頼むと早満席で、岡谷で乗り換えの際、再チャレンジするとチャンセルの1枚を何とかGET、当然席はバラバラ。これは仕方がない。頼みは車掌だけ、何とか並びの席に変更してもらうことができた。ビールとつまみと南アルプスの話であっと言う間に4時間が過ぎ列車は東山トンネルを抜け京都駅に到着した。
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