額井岳《関西百名山》
- GPS
- 03:35
- 距離
- 6.4km
- 登り
- 553m
- 下り
- 766m
コースタイム
天候 | 小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
下山口:天満台三丁目バス停 |
写真
感想
桜井で近鉄大阪線に乗り換え榛原で降りた。雨の中では食事をする場所も無いのでホーム上の暖房の入った待合室で昼食タイムとして次の額井岳登山に備えた。スケジュールは遅れ気味で予定のバスは逃してしまいタクシー2台に分乗し香酔峠(こうずいとうげ・標高555m)を目指した。何度も「香酔峠」といっているのに額井岳に登るのはそこじゃないとか、へったくれとか・・・仕舞に腹が立ってきて「香酔峠知ってますか? 知っているならそこへ行きなさいと」と切り口上になってしまった。峠は国道369号線が越え大型トラックも通る広い切り通しとなっている。登山道がしっかりしている三輪山は傘を差して登ったが額井岳はそうはいかない。しっかり雨具を着て登りだした。登山口には赤テープがあり怪しげな踏み跡を進むと要所にテープがあり導いてくれた。
奈良市・宇陀市界尾根を登るのかと予想していたが少し北にずれているようだ。尾根道から谷を横断して右岸中腹の道は濘みスリップの危険が大きい。慎重に進み左岸にトラバースし市界尾根に回りこんだ。特段変り映えの無い樹林帯の道を行き小ピークに達するとそこは大久保山(758m)だが山頂を示すものは何もなく通過した。地形図では鞍部から少し登ったところでメインの登山道である宇陀市榛原区額井にある十八神社(いそはじんじゃ)からの登山道と合流することになっているがトラバースして南西尾根に回り込んで180°折り返すようにして合流した。立派な指導標があり踏み跡も確かになり額井岳(812m)に達した。
山頂には龍王社の赤い祠と休憩舎があり、南側には若干切り開かれた展望台がテラスのように張り出している。しかし今日は生憎の雨、雲が低くて何も見えない。予定していたミッション2:「龍門岳を山座同定する」は厚い雲の中にいるのでまったく無理。今山行唯一の集合写真を撮って山頂を後にした。額井岳には4等三角点「額井岳」がある。山頂にいるときは三角点のことはすっかり忘れていたので確認できなかったが、祠のすぐ後にあったようだ。
戒場山への縦走路は東に続いている。悪路の急坂には固定ロープもありスリップに気を付けながら鞍部へと下った。登り返すとサガヒラ山(743m)の山頂、ここにも山頂を示すものは何も無く少し先に反射板が設置されていた。山頂からは地形図の登山道どおりで戒場峠へと下った。山部赤人墓への道が右手に下って行き登山道は、戒場山への最後の登りになった。
戒場山(737m)は3等三角点「戒場」が置かれた樹林帯の中で静かな山頂だった。ミッション3は「戒場山からの下山ルート書き込み」でポイントは縦走路との分岐点だ。縦走路が東に続き小ピークを越えて下りだした頃、戒長寺への分岐が中々現れず不安になった。その直後先頭のN田リーダーが戒長寺への指導標を発見、ひと安心した。怪しげな踏み跡が先に続いているようだったがメインの登山道は戒長寺に向けて南へと下る。すぐにお寺に達し車道となった。好奇心旺盛なH中さんがお寺の見学に寄り道、Y本TCも後に付いて行った。
案内板によると薬王院戒場山戒長寺と称する真言宗御室派の寺院で本尊の薬師如来坐像は平安時代の作で奈良県指定文化財に指定されている。境内の「お葉つきイチョウの巨樹」、「ホウノキの巨樹」も奈良県指定文化財、鐘楼門に吊り下がる銅鐘は正応4年(1291)の銘があり国の重要文化財となっている。かつては相当な広大な寺域を持っていたらしい。
石段を降りた車道は東海自然歩道で山襞を縫って南西へと進むと山部赤人墓と伝承の石塔があった。山部赤人は百人一首の「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」の歌で知られる。天満台三丁目からのバス時刻に合わせ休憩舎で暫し休憩を取った。再び山道で坂を下り桐頭の集落から車道となりバス停に達した。整然と切り開かれた住宅地の終点で16:47のバスに滑り込み榛原駅へと向かった。近鉄の接続も良く伏見区在住のI坂さんの便を考えて桃山御陵前で途中下車し5人で反省会を行ない20時30分解散した。
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