晩秋の四阿山 根子岳 菅平牧場から周回
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 991m
- 下り
- 980m
コースタイム
天候 | 曇り後晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
牧場から根子岳までは、一直線に2.6kmの道のり。 根子岳と四阿山の間は一度下って登り返しの道を2.5km 一方、小四阿、中四阿を経由するコースは尾根道を約5.2km まず四阿山を目指して登る反時計回りの人のほうが多いと思います。 今回は根子岳から時計回りで登りました。登りは短く、下りは長く感じました。 |
写真
感想
四阿山(あずまやさん)は、昨年、浅間山を登った時に、続けて登頂する予定の山でした。浅間山からみる四阿山は眺めて美しい、品格のある山でした。
ところが、この時は浅間山の山行が思いのほか大変で、足に来てしまったのと、日ごろの寝不足がたたり、朝起きる自信がなくなり、行先を「美ヶ原」へ変更したのでした。それ以来、一日も早く、あの美しい「四阿山」に登ってみたいという思いが募りました。また古の物語に由来するその山名にも、どことなく惹かれるものがりました。
「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰り、鳥居峠の上に立って東を振り返り、弟橘姫(オトタチバナヒメ)を偲んで「吾妻はや」と歎かれた。そこで峠のすぐ北にそびえる山を吾妻山と名付けた、と言われる。その山から上州の方へ流れる山は吾妻川であり、東側は吾妻群であり、嬬恋というロマンティックな名前を持った村もある。上州の吾妻山は信州では四阿山(あずまやさん)と呼ばれる」深田久弥 日本百名山より
三浦半島から房総半島へ渡る際に遭難した船を助けるために自ら身を投げた弟橘姫。日本武尊は東征の帰り鳥居峠に至り東を振り返り、姫を偲び「吾妻はや」と三度歎かれた。そのためこの地より東の地を「あづま」と呼び、その傍らにそびえるこの山が吾妻山と呼ばれるようになった。どことなく切ない話ですね・・。
天気予報は曇り。
前々回の日光白根山以来、すっかり信用している「てんきとくらす」の登山指数は登山日和の判定で朝からA判定でした。
しかし、行きの圏央道は結構激しい雨で、関越も雨。
判定に疑念を持ちつつも、とりあえず菅平へ向かいました。
到着すると、雨というほどではないけれど、ガスガスの天気。
「視界の無い山を登っても(楽しくない)なぁ・・」と取りやめも考えたのですが、回復傾向の天気予報に賭けて、ひとまず登ることにしました。
根子岳の山頂まではガスで視界が悪く、また吹き付ける風と雨も冷たかったのですが、根子岳を過ぎて岩場を下り始めたところから晴れ間が差し、米子瀑布のあたりに綺麗な虹がかかる天気となりました。
根子岳と四阿山の鞍部では、登山道と緑の草原が美しく、青空も広がっていました。
ただ、四阿山の山頂部は相変わらずガスに包まれ、視界が悪いようでした。
山頂に着くころにはガスが晴れることを期待し、一縷の望みを持って登りましたが、残念ながら、山頂での展望は望めませんでした。
「もう少し待てば、もう少し、もう少し・・」と粘る気持ちになりましたが、風が吹くと肌に冷たく、体温も低下するこになるので、未練は残りましたが下山することにしました。
下山を開始し、中四阿に至ると青空が広がって、四阿山の山頂はまだガスがかかっていたものの、根子岳の綺麗な山容を眺めることができました。中四阿から下にみる紅葉が美しく、今回はこの眺めをもって満足することにしたのでした。
下山して菅平の牧場に着いたときには、空はすっかり青い空となって、根子岳だけではなく四阿山もその山容を見せるようになっていました。
またいつか、よく晴れた晴天の日に四阿山からの眺望を楽しみに登ってみようと思います。
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