兵庫県川西市&宝塚市 満願寺〜石切山〜前山〜釣鐘山+初日の出
- GPS
- 03:15
- 距離
- 7.6km
- 登り
- 401m
- 下り
- 398m
コースタイム
- 山行
- 3:09
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 3:16
歩行距離7.5km、歩行時間3時間10分、歩行数14,100歩、消費カロリー880Kcal
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
満願寺参道入口<写真05>すぐ手前の寺の駐車場は11時過ぎには3割程空いていました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所やヤブコギはありません。この時期は落ち葉が積もっていますが、道が濡れているときの下り以外は運動靴でも気を付ければ大丈夫でしょう。 満願寺境内の四国八十八ヶ所巡拝路<写真24〜37>はきれいな細道で、分岐に道標はありませんが、石仏の札所番号を確認しながら歩けば間違えません。 満願寺参拝後、源家の七塔<写真19>から多田丘陵ハイキングコースに入りました。土道からすぐに舗装道路に出て北上し宝塚市に入り、愛宕原(あたごはら)ゴルフ倶楽部の東を通って分岐を直進してしまい、引き返しました。そのまま進んでもよかったようですが、予定通り墓地の入口にある石切山登山口から土の細道に入りました。 縦走路は基本は木の間の細道で一部、岩盤にはロープがありましたが、上りは運動靴でも滑りません。石切山頂上<写真41>を過ぎると溝状に掘れた滑りやすい土道に落ち葉が積もっており、運動靴だと下りは気を付けなければ滑ります。 石切山<写真41>&釣鐘山<写真49〜52>分岐から前山<写真46>方面へは緩やかな落ち葉道で、標高165m辺りからコンクリート道、テニスコートが見えると舗装道路に出合います。「北雲雀きずきの森」花屋敷荘園入口<写真44>から中に入ると、やはり舗装道路が延びており、前山<写真46>は8分で一周できるようになっていますが、周回路の道標があるのは北側の入口だけでした。遊歩道のような緩やかな土の細道です。 石切山<写真41>&釣鐘山<写真49〜52>分岐から釣鐘山に向かう道は石が埋まって滑りやすい落ち葉道ですが、比較的緩やかです。釣鐘山頂上<写真49〜52>を過ぎると、石段が「釣鐘山慈光林」碑<写真62>のある釣鐘山感謝道登山口まで続き、そこからはゴールまで舗装道路です。 |
その他周辺情報 | 満願寺から猪名川沿いを車で15分程南下するとイオンモール伊丹があります。14時半頃には立体駐車場5階から上には空きがありましたが出る渋滞が始まっていました。のんびり食事などを楽しみ、18時に車に戻りましたが、駐車場を出るのに1時間かかりました。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
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感想
【令和7年の幕開けは百間川越しに小豆島背後から昇る初日の出】
大晦日の天気予報では、令和7年元日の早朝は曇り時々晴れとなっていました。元日の日の出前の午前6時頃は星が見えなかったので、初日の出は半ばあきらめていました。ところが、岡山市の日の出時刻である7時11分が近づくにつれ、雲がハケていきました。これはチャンスと思い、初日の出を迎えるスポットとして選んだのは、百間川畔です。
さすがに土手から見る人はいないだろうと思っていましたが、百間川畔の沖田神社周辺には大勢の人が集まっていました。沖田神社は臨時駐車場も満車で、神社前には初詣客の大行列😅これはまずいとさらに河口方面に進み、桜並木沿いの広い路肩に自動車を停め、なんとか日の出前に初日の出を迎える準備が整いました。しばらくすると、百間川越しに小豆島(しょうどしま)背後から昇る初日の出を拝むことができました。
令和7年の干支は巳(み)です。巳(蛇)は、古くから復活と再生の象徴として信仰されている動物です。また、財運や繁栄を象徴するともいわれ、蛇の脱皮殻を財布に入れておくと金運が上昇するという言い伝えもあります。しかし、金運は特に求めず、家族全員の健康を祈願しました。
【初詣は兵庫県川西市の神秀山満願寺】
今年の初詣は、兵庫県川西市満願寺町にある真言宗の寺院・神秀山(しんしゅうざん)満願寺にしました。昔、母方の祖母が満願寺近くの川西市栄町に住んでいたこともあり、半世紀以上前に何度も訪れたことがある思い出深い寺院です。ちなみに、満願寺は川西市満願寺町に位置しますが、ここは周囲を宝塚市に囲まれた飛び地です。明治に周辺の土地の所有権を巡ってモメた結果、こうなったということ以外は公表されていません。詳しい理由はさておき、この日は初詣は川西市、登山は宝塚市と、両市にまたがって行動することになりました。
満願寺は神亀年間(724〜729年)に、聖武天皇の勅命により勝道上人が創建した寺院です。安和元年(968年)、多田源氏(清和源氏の本流)の祖・源満仲が帰依し、源氏一門の祈願所になりました。正中2年(1325年)には、後醍醐天皇の勅許により勅願寺(時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺)となりました。室町幕府成立後は将軍家の祈願所として保護を受けて栄え、四十九の院坊があったと伝えられています。その後、兵火により消失するなどし明治元年には円覚院一坊のみとなり、明治31年より円覚院を満願寺と改称、本坊<写真10>として現在に至っています。
金堂の本尊は、古来より「開眼阿弥陀如来」(めあきのあみだにょらい)と呼ばれてきました。それは以下の伝説に基づいています。
多田源氏(清和源氏の本流)の祖・源満仲は、素行の悪い我が子美女丸に激怒し、家臣である藤原仲光に美女丸の首をはねるよう命じました。しかし、仲光の子・幸寿丸(こうじゅまる)が身代わりを申し出、美女丸を密かに逃がしました。幸寿丸がこの世を去ったことを知った美女丸は比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)という高僧になりました。
そんなある日、師であった源信僧都(げんしんそうず)に伴われて満願寺を訪れた源賢阿闇梨は、年老いた父母に再会しました。亡くなったのは身代わりとなった幸寿丸で、源賢阿闇梨が美女丸であることを知った源満仲は涙を流し、主君の子を救うため我が子に手をかけた藤原仲光に深く詫び、仲光・幸寿丸親子の忠義心をほめたたえました。
一方、驚き喜ぶ母の両目はすでに見えなくなっていました。それを知った源賢阿闇梨が満願寺で阿弥陀如来に母君の眼病平癒を祈ると、全快するという奇跡が起こりました。このときから金堂の本尊は「開眼阿弥陀如来」(めあきのあみだにょらい)と呼ばれるようになり、眼病平癒のご利益で有名になりました。
そろそろ目の老化や病気が気になる年頃の自分も目の健康を祈願しました。なお、満願寺境内には、三廟(美女丸・幸寿丸・藤原仲光の供養塔)<写真18>があります。
さて、満願寺には四国八十八ヶ所巡拝路<写真24>が設けられています。本場四国の霊場巡りは、毎日8〜10時間、1日平均20卍歩いても約60日程かかると言われています。そこで、四国に行けない人々のために短期間でお遍路に行ったのと同等の功徳が得られる「ミニ四国八十八ヶ所霊場」というものが全国各地に設置されました。「ミニ四国八十八ヶ所霊場」では各札所がお堂や石仏<写真27〜37>として配置され、各札所からいただいてきた“お砂”を埋めてあります。この砂の上を踏んでお参りすることで、四国の札所を参拝したのと同じ意味があるといわれています。
満願寺を起点とする霊場巡りの距離は約1劼靴なく、約30分程度で回れます。帰ってから一応、八十八ヶ所すべて巡ったのを確認しました。これで今年一年間、平穏無事に過ごせると信じています😊
【登山初めは石切山&前山&釣鐘山】
源家の七塔<写真19>まで戻り、多田丘陵ハイキングコースに入りました。土道からすぐに舗装道路に出て北上し宝塚市に入り、愛宕原(あたごはら)ゴルフ倶楽部の東を通って分岐を直進してしまい、引き返しました。どうやら、そのまま進んでもよかったようですが、予定通り墓地の入口にある石切山登山口から土の細道に入りました。この登山口から満願寺の北から東にかけて延びている尾根上にある石切山<写真41>、前山<写真46>、釣鐘山<写真49〜52>で今年の登山初めを行いました。
基本は木の間の細道で上りは運動靴でも滑りません。たまにベンチがあり、大阪府方面の展望を楽しめました。
石切山頂上の標高283.5m三角点「長尾山」<写真41>は、細い登山道のど真ん中にあり、これがなければ頂上だと気づかない通過点のようなピークでした。拍子抜けしましたが、すぐ南東に展望地があり、ここでお一人お会いしました。
ここを過ぎると溝状に掘れた滑りやすい土道に落ち葉が積もっており、運動靴だと下りは気を付けなければ滑ります。ここでやはり連れがペースダウン。
石切山<写真41>&釣鐘山<写真49〜52>分岐で左折、北上すると緩やかな落ち葉道になり、標高165m辺りからコンクリート道、テニスコートが見えると左折し舗装道路に入り北上しました。
「北雲雀きずきの森」花屋敷荘園入口<写真44>から中に入ると、やはり舗装道路が延びており、広々としていました。前山から麓一帯に2010年5月にオープンした「北雲雀きずきの森」は、宝塚市と川西市の市境に位置し、面積は約28haと広いですが、無駄に設備を作らず、展望や森林浴、バードウォッチングなど、自然にふれあいながらゆっくりと散策を楽しむことができます。元旦は初日の出、春には桜、夏にはホタルや猪名川の花火大会、秋にはハンノキやミゾソバの紅葉など、四季それぞれの風物詩を楽しめる穴場的なスポットでした。
前山<写真46>は8分で一周できるようになっていますが、周回路の道標があるのは北側の入口だけでした。遊歩道のような緩やかな細道を歩いていると、突然ピーク標が現れました。ここも通過点のようで、うっかりスルーしそうになりました。
下りてくると、みはらし広場<写真47,48>からは釣鐘山<写真49〜52>や石切山<写真41>はもちろん、生駒山などの展望も楽しめました。意外にも、ファミリーが2組くらいおられただけで、静かでした。
引き返し石切山<写真41>&釣鐘山<写真49〜52>分岐で左折、釣鐘山に向かう道は石が埋まって滑りやすい落ち葉道ですが、比較的緩やかです。上りになったと思ったら、不意に釣鐘山頂上<写真49〜52>に到着。あまり展望は効きませんが、下り始めてすぐに六甲山最高峰<写真53>が見えたのでテンションが上がりました。
釣鐘山は全体的に宗教色の強い山のようでした。下り始めるとすぐに石段となり、鳥居や石仏などが次々に登場。不思議な道でした。満願寺は真言宗でしたが、釣鐘山は曹洞宗と関係が深いようです。舗装道路まで下りてくると「釣鐘山慈光林」碑<写真62>がありました。釣鐘山の登山道には西から精進道、感謝道、懺悔道の三道があり、感謝道登山口に出たようです。
調べたところ、釣鐘山は慈光会という宗教団体が管理しているそうです。昭和初期に空覚尼を中心に誕生しましたが、当時弾圧されていた大本教とは無縁であることを示すために曹洞宗の一分派として活動を始めたとのことです。
曹洞宗はおよそ1万4600もの末寺を抱える最大の宗派といわれており、宗祖は道元、総本山は福井県にある永平寺です。この永平寺には何度か初詣で参拝したことがあります。
慈光会の空覚の教えは、この世界の全てのものは大宇宙の「真源」から生み出されたものであるとし、キリスト教信者をも絶賛するなど排他性がないのも特徴です。これは、曹洞宗の「誰一人取り残さない社会の実現」という理念とも一致しています。軍馬・軍用犬・伝書鳩などの供養のために建立された馬頭観音像<写真58>や弁才天の鳥居<写真55>など、複数の宗教が混在しているように見えるわけがやっとわかりました。
この日は訪れる先々でたくさんのパワーをいただきました。幸先よいスタートが切れそうです😊
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