エルブルス ロシア
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
高度以外は特に問題はないと思います。 |
写真
装備
個人装備 |
通常の冬山装備で!
|
---|---|
共同装備 |
食事はツアーで準備されました。
|
感想
今回は、前週のキリマンジャロから“転戦”してのエルブルス山への登山でした。
以下、当時のメモを清書しつつ、記録をして行きます。
うまく書けないかもしれませんが、何かご質問があれば、haratrek@yahoo.co.jpへどうぞ!
7月16日早朝01:30、ペガサス航空にて、イスタンブールからMineralnye-Vodyに到着。
空港タクシーで、予約していた、Versal Hotelへ。 予想外にキレイなホテルだったのと、
あとで、深夜到着は、何とChargeなし(無料)と判明! この日は市内をのんびりと歩いて過ごす。
17日(金)この日が、登山ツアー初日。 予定通り14:00丁度に、ツアー会社=Pigrim
のminiバスが到着。
バスには、既に空港で乗り込んでいた、4名の先客がいた。 4人とも屈強な白人の若者
だったので、私が場違いな参加者のようで、やや気おくれを感じた。(のちに払拭!)
バスは山間の道を快調に飛ばして、約2時間半で、登山基地の町であるChegetに到着。
途中、奇妙な幽霊アパート群の建ち並ぶ町を通過したが、Mineralnyeの名前の由来らしく、
昔はモリブデンの採掘で賑わった町らしい。
町に到着後、白人のリクエストで、バスは2か所のATM機に立ち寄ってくれたが、
いずれも稼働してなく、まずはホテルにCheck-In。
冬はスキー宿のようで、全体も部屋もしっかりした作りで、かつキレイだったので一安心。
私の部屋は104号室で、フロントにも近く、Wifiも良く入った。
夕食は、バスで一緒だった4人とホテルで簡単なコース料理。 ここで初めて、自己紹介
をして言葉を交わした。2人のリトアニア人(TadasとLinas)ノルウェー人(Lars)
そしてアメリカ人(Benjamin)の4名だった。
18日(土) この日は、昨夜遅れて着いた5名が加わり、合計10名での朝食。内訳は、
インドネシア人カップル(Barda とVera)、エジプト人夫婦(AmrとNorthan)そして
イラン系アメリカ人(Nader)。 特に2組のカップルは、見るからに私より弱そうなので、
ここで少し安堵!
朝食後、スキーリフトを2基、乗り継いで近くのCheget山(3450m)へ高度馴化のハイ
キング。 予想通り2組のカップルが遅かったのと、意外にもアメリカ人のBenjaminの足運びが素人であったのに、安心するやら心配するやら!
ホテルに戻ってから、ガイドから、個人装備の点検を受け、足りないものをレンタルして
翌日のBC行きへ備えた。 ステッキポールの使用を勧められたが、日頃から使ってない
ので断り、アイスアックスだけでの登攀とした。
19日(日)朝から、2つのロープウェイと1つのチェアリフトを乗り継いで、標高3,800m
のBase Campへ上がる。 写真で見ていたBarrel(樽)型ではなく、海上コンテナを改造したものだったが、8人分の2段ベッドを5人で使うこととなり、快適であった。
ここには3泊の予定だが、食事もふもとのホテルよりオイシイくらい! ただ当然ながら、
シャワーはなく、トイレも貧弱だった。
昼食後、クランポンはつけないまま、約4,500mまでの柔らかい雪の斜面を登り高度馴化。
ノルウェイ人のLarsは頭痛を訴えていたが、私は特に問題なく快調。先週のキリマンジャ
ロの登頂時もごく軽い吐き気程度だったし、おそらく自分は高度に強い体質だと思う(と
言い聞かせる!?) この日のトレーニングでもインドネシア人のカップルは、かなり
遅れていたので、正直、登頂は難しいのではと感じた。
20日(月)この日は、BCで停滞しての高度馴化日。 昼にピッケルを使った滑落防止
の訓練があった。良い練習にはなったが、私としては、無駄な一日で、この高度馴化の
停滞は不要に感じられた。
昼食後、明日の登頂時の「雪上車の使用」について、参加者全員の希望を聞かれ、結局
全員一致で、5,000mまで運んでもらうこととなった。 雪上車の代金は到達高度によっ
て値段が分かれており、5,000mまでだと、US$110・・・・地獄の沙汰も金次第!!
高いと思うが、“独占事業”なので異議は唱えられない。
昼食後、深夜の登頂に備えて、全員が仮眠モードだが、外が明るいこともあり、実際には
皆、眠りの浅いまま、深夜の登頂に出発する。
21日(火)01:30 みんなゴソゴソ起きだし、装備を整えて、02:00朝食。
そして、いよいよ03:00過ぎに満天の星の下、登頂に向けて雪上車で出発!
途中、何人も徒歩での登頂組を追い越す。
03:50 雪上車を降り、装備を再度点検したのち、ガイドを先頭に一列になって、登攀
開始。我々10人の客にガイド3名という布陣。 私は、最高齢でもあり、自由に休みたい、
とも思っていたので、とりあえず最後尾を歩く。
登り始めてしばらく経って、早くも東の空が白み始めた。やや急な登りだったが、クラン
ポンがしっかり効いて、全く問題ない。例によって、何十歩かの合間に行き継ぎを入
れた、「尺取虫歩行」をしたいので、ラストの位置をキープする。
ただ、やはり先頭のガイドの次にいる、エジプト女性が遅く、全体が遅いのが気になった。
装備は、ダウン2着の上に防風用としてレインジャケットを羽織ったが、モンベルのアン
ダー(ジオライン)効果か、体全体の寒さは全く感じない。 ただ指先の保温は必要なの
で、現地で借りたミトン手袋は大正解であった。 “サドル地点”に着く前に白々と夜が明け
たので、ヘッドランプをしまった。
朝6:00頃、“サドル地点”に到着。目の前の大きな西峰の斜面に、すでに20名くらいが
登って行くのが見える。壁自体が大きいため、張り付いている人間がなかなか進まない!
斜面の半分には、既に太陽が射していたので、暑くなるのを見越して、中に着ていたダじ
ウンのベストを脱ぐ。
しばしの休憩後、一列になって西壁の登攀を開始。 この時点でエジプト女性がすでに
半泣きになって「もうダメ」とか言っているのを、ガイドが叱咤しつつ引っ張り上げて
いる。 あとに続く全員は、当然ながらガイドとエジプト女性のペースに合わせざるを
得ない。 私はツアーでのグループ登山は、ほぼ初めての経験であり、ガイドにも、また
遅いことへの不満を言わない他の客に対しても、違和感を感じたが、かと言って、一人で
先に行くわけにもいかず、とにかく付いて行くしかない。
斜面の途中から、Fixed Ropeが出て来たので、カラビナをかける。
左側が斜面だが、あえて右手にピッケルを持ち、左手でFixed Ropeを掴みながら登る。
私以外は、全員ピッケルかポールを両手に持っての登攀だったが、私の感想では、少なぼ
くとも片手はFixed Ropeを掴む方が、安全性でも登攀しやすさでも数段上と思われた。
ゆっくりと長い斜面を登り、多少の岩場を越えると、やがて傾斜の緩い高原に出て小休止。
ただし、この地点で見えるトンガリはPeakではなく、本当のPeakは、さらに右の奥の
方と言われる。 ただし核心部は既に通過しており、晴天下、緩斜面の歩行を開始した。
体調も良く、この時点ですでにエルブルースへの登頂を確信でした。
しばらく緩斜面を登っていくと、かなた前方に、かなり多くの人が立っている頂上が見え
て来た。 ガイドは頂上が空くのを待っているのか、さらに歩を緩めたようで、私もノン
ビリ気分で、あたりの風景を写真に収めながら歩いた。
そして、08:50 ついにエルブルース登頂!
メキシコ最高峰のPico de Orizabaに登った時ほどの感動はなかったが、やはり欧州の
最高地点に立てたことは嬉しかった。
同行の仲間たちは、各自の国旗やら所属クラブの旗と一緒に記念写真を撮っていた。
全員の集合写真も撮って、いざ下山、となった時に、なんとエジプトとインドネシアの
男性2人が、あたかも腰が抜けたように動けなくなっていた・・・前後をロープでガイド
に守られながらの下山となった。
私は、ガイドの目もなくなったので、比較的自由に、自分のスピードでとっとと下山した。
途中、雪上車の待機もあったが、下りは体調も良いし、お金ももったいないので、ひた
すら自分の足で、BCまで下った。 下りで雪上車を使わなかったのは、私とイラン系の
アメリカ人の2人のみであった。
そして・・・・この日、無理を言って、5名の男性陣は午後にふもとのホテルまで下山。
1日分は、ホテル代金は自前だったが、久しぶりの、かつ登頂の満足感のもとシャワーを
浴びて、近所のレストランでビールでの祝杯を上げた。
こうして、この7月は、キリマンジャロとエルブルースの登頂を果たし、7月26日以降は、
日本から来る家内とイスタンブールで落ち合って、バルカン半島のドライブ旅行へと、
さらに旅を続けることとなります。
バルカン半島では、ブルガリアの世界遺産のピリン山脈や、ギリシャのオリュンポス山を、
家内と登りますが、その様子は、時間があれば、またヤマレコに投稿させて頂きます。 (完)
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する