船岡山(鷹峯〜錦小路)
- GPS
- 06:41
- 距離
- 16.7km
- 登り
- 44m
- 下り
- 153m
コースタイム
- 山行
- 5:49
- 休憩
- 0:52
- 合計
- 6:41
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
終点 阪急河原町 |
コース状況/ 危険箇所等 |
市内なので、危険なところはありません。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
サブザック
飲料
コンパス
予備電池
GPS
携帯
時計
タオル
カメラ
|
---|
感想
京の街散策
お天気は、曇り、昨夜の雨で傘を持参。
JR二条駅前のバス停から鷹峰に向かい、六角堂まで千本通りを下ります。
※京都は南に行くことを”下る”と云います、北行きは”上る”ですね。
東西方向に行くには、南北の通りを基準に東方向は”東入る”、西方
向は”西入る”となります。(慣れてしまえば判り易いのですが)
終点のひとつ手前のバス停、源光庵バス停で下車、源光庵に向かいま
す。
・鷹峯山源光庵
源光庵山門のは江戸中期に建立され、三間一戸で両側には金剛像や仁
王像も置かれず空間になっています。(珍しい山門です)
二層目は、上っていませんが、釈迦牟尼仏と十六体の羅漢像が安置さ
れていて丸窓様の輪が特徴的です。
本堂に上がってみると、本堂の庭に向かった壁面には丸い窓と四角い
窓が開けられ、四角と丸に縁取られた絵のような光景は禅の教えを表
現しているのだそうです。
丸い窓は「悟りの窓」、何事にもとらわれない大らかなの気持ちを表
し、「禅と円通」の心で表現してあります。
四角い窓は「迷いの窓」、生きることや病、そして死ぬことなど日々
の様々な苦しみの「人間の生涯」を表し、いずれも仏の教えを象徴し
ています。
源光庵 源光庵は鷹峯山(ようほうさん)と号する曹洞宗の寺院で、
当初は臨済宗のお寺で、後に曹洞宗に改宗されています。
・光悦寺
本阿弥光悦が徳川家康より約9万坪もの鷹峯の地と176石の支配権と与
えられ、多くの芸術家、工芸家や一族とともにここに移り住み、今で
言う芸術村を築き、偉大な足跡を残しています。
後に光悦一族の位碑所が現在の光悦寺となっています。
境内は、光悦垣と言われる上部に太い竹を水平に置き、その下に竹を
矢来(やらい)状に組んで締める独特の工法の垣で臥牛(ねうし)垣
とも言われています。
光悦寺を少し下がると、史跡御土居があります。
・御土居
御土居は、豊臣秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環と
して外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防とし
て、天正19年に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
形状は、台形の土塁で堀の一部を川、池、沼を利用していて、その延
長は、22.5キロメートルに及び東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、
南は九条あたりに沿って築かれいます。
土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外と
の出入口としました。
鞍馬口,丹波口、粟田口などの地名はその名残です。
江戸時代になると、外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在とな
り、また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたもの
などを除いて次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめる
のみとなっています。
市内に残る御土居のうち、私が卒業した北野中学、北野天満宮、大宮
交通公園内とこの鷹峯に遺構として残されています。
現在「史跡」として、9箇所が指定地となっています。
京都駅の0番ホームは、御土居の上に造られています。
京都駅の0番ホームは、昔は1番ホームでしたが、改称されています。
なので、京都駅には1番ホームがないのです、謎ですね。
千本通りから少し外れて、今宮神社に向かいます。
・今宮神社とあぶり餅
今宮神社は、紫野の疫社で、古来疫病除けの神として崇められていま
す。
京の三奇祭の一つで、京都の春の祭りの先駆けとなる祭、「やすらい
祭」が行われる所です。
この日が好天に恵まれるとその年の京の祭はすべて晴れると言われて
います。
花の精にあおられて陽気の中に飛散するという悪疫を、囃子や歌舞に
よって追い立てて、花を欺く風流傘に宿らせ、紫野疫社に送り込む祭
りです。
あぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)で、
今宮神社でやすらい祭の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があるのを
たとえとし、食べることで病気・厄除けの御利益があるとされ親しま
れています。
縁道を挟んで古くから一軒づつ店があります。
今日の目的のひとつです(笑)。
今日は、あぶり餅一和で頂くことにしました。
大きさは、と云うと一口大より小さなもので「おけそくさん」ひとつ
分でしょうか。(京都では丸餅のこと、「華足」に「御」がついたもの)
暫し休憩後、大徳寺を抜け、船岡公園へ。
・船岡公園は,大徳寺の南にある高さ112メートル余の小丘にある公園で
で,その地形が船に似ていることから古来船岡と呼ばれ,眺望が極め
てよく,多くの史跡があります。
船岡山は,大内裏の北にあり、御苑に近かったことから,王候貴人の
散策の地でとされ,先の戦の陣地となったこともあります。
(京都の人にとっては、先の戦と言えば応仁の乱こと)
織田信長をまつる建勲神社が山頂にあります。
五山送り火には、混雑する所ですね。
しかし、訪れたのは小学校の遠足以来です。
再び千本通りを下り千本釈迦堂に向かいます。
・千本釈迦堂
千本釈迦堂は、正式には大報恩寺です。
鎌倉時代に開かれた真言宗智山派の仏教寺院で、千本釈迦堂とも称さ
れる長い歴史を持つお寺で、幾多の戦火を免れ、800年近く経った今
も当時のまま残る京都市内の最古の木造建造物で国宝に指定されてい
ます。
境内にある「おかめ」の像は、本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛
騨守高次」の奥さんで高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎ
た際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家で
もない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」
と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の物語が伝っています。
全国のおかめ信仰の発祥となっています。
悲話の主人公「おかめ」の“助け合う円満な夫婦であり続けたい”と
いう強い思いがお参りする人を応援してくれるのかも知れません。
(大報恩寺見どころから)
新旧の京都西陣織会館を訪ねて、清明神社に向かいます。
・旧の京都西陣織会館
今は京都市考古資料館になっています。
埋蔵文化財が展示されています。
・京都西陣織会館
この日は、西陣織の展示と着物のショーが催されていましたが、杼も
展示されてあり、スクリュウとゴムひもで船を作って池で遊んだ記憶
が、しかし後で叱られましたが。
杼はシャトルとも呼ばれ、横糸を織り込むときに使います、西陣織に
欠かせないものです。
・清明神社と一条戻橋
晴明神社は、平安時代中期の天文学者で、陰陽師でもある安倍晴明公
をお祀りした神社です。
晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられています。
最近は、スケートの羽生君が訪れたことで人気が上がっていますね。
境内に一条戻橋も移築されてあり面白い逸話が残っています。
お腹も減りましたので、本家尾張屋で少し遅い昼食、錦小路を散策し
無事帰路につきました、たまには街中歩きも良いものと思います。
Nさん、Tさんお疲れ様でした。
次回は、山の辺の道でしょうか。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
京都駅には何度か行ったことがあるのに、1番ホームがないこと。0番ホームがあること 自分が乗る電車のホームだけしか気にしていないからかもしれませんが^^; 不思議ですね〜。行く機会があれば探してみます。友達にも教えてあげようかな〜
「堀川」で「京の七夕」思い出しました。京友禅の流しや灯籠、行灯・・・川の道を歩いて楽しみました。懐かしいです♪雨水管が埋められていたんですね。
京都はどこを歩いても楽しそう〜
お疲れさまでした
大通りを少し外れると面白いです。
違う町並みに出会います。
今回は千本通りを下って見ましたが、もう一本道を外れて
ろーじ(路地)、どんづき(行き止まり)を歩いて見ると小さ
な町家を目に出来ます。
最近は町家を利用したお店があって(え、こんなとこに)
と不思議な出会いがあります。
私も知らない店があるので、次回は路地裏をあるいて見よ
うと思っています。
色んな観察会です。
行かれてみては、きっと楽しい出会いがあると思います。
光悦寺から見た鷹峰三山
改めて訪れたいと思っています。
鷹峰三山は行ったことがありませんね。
登って見たいです。
光悦寺は、人も少なく、良いところですね。
小さな庭園ですが、趣きがありますね。
秋に訪れたいです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する