廃棄寸前の白菜を増量して。午前中は母の通院へ。午後はカロリー消費をメイン目的で観音山周回へ。ところが…
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廃棄寸前の白菜を増量して。午前中は母の通院へ。午後はカロリー消費をメイン目的で観音山周回へ。ところが…
駐車場をスタートです。先日、すぐ近くで土砂崩れがあったと「女形も生まれ」さんのレコがありました。
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5/16 13:32
駐車場をスタートです。先日、すぐ近くで土砂崩れがあったと「女形も生まれ」さんのレコがありました。
倉尾橋と合角ダム、その間にあるのが土砂崩れ(左側)のあった御高金山の尾根
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5/16 13:42
倉尾橋と合角ダム、その間にあるのが土砂崩れ(左側)のあった御高金山の尾根
合角漣大橋と観音山、これからあの稜線を歩く予定
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5/16 13:43
合角漣大橋と観音山、これからあの稜線を歩く予定
天狗岩橋を渡ります。天狗岩は残念ながら水没したそうです。
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5/16 13:45
天狗岩橋を渡ります。天狗岩は残念ながら水没したそうです。
大橋のたもとにある周辺案内図
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5/16 13:47
大橋のたもとにある周辺案内図
同じく「坂東大五郎翁之碑」、合角出身の役者で引退後は当地で歌舞伎の指導を行ったそうです。関係ない話ですが“大五郎”なくなっちゃうみたいですね。
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5/16 13:47
同じく「坂東大五郎翁之碑」、合角出身の役者で引退後は当地で歌舞伎の指導を行ったそうです。関係ない話ですが“大五郎”なくなっちゃうみたいですね。
まだ新しそうな大日如来像は天狗岩に祀られていたそうです。隣に石燈籠もあり、適期になったら詳しく見に来ましょう。
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5/16 13:48
まだ新しそうな大日如来像は天狗岩に祀られていたそうです。隣に石燈籠もあり、適期になったら詳しく見に来ましょう。
水没したお寺跡地の碑が此処に移設されたようです。大橋の反対側にも移設された石造物が並んでいます。こちらもまた後日に。
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5/16 13:48
水没したお寺跡地の碑が此処に移設されたようです。大橋の反対側にも移設された石造物が並んでいます。こちらもまた後日に。
取り付き点、落葉松峠ルートの手前の道のようで、未踏です。
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5/16 13:53
取り付き点、落葉松峠ルートの手前の道のようで、未踏です。
作業道がありました。尾根を巻いて乗っこした切通しの上に、
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5/16 14:03
作業道がありました。尾根を巻いて乗っこした切通しの上に、
倒れた石分がありました、十中八九あの方だと思います。
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5/16 14:06
倒れた石分がありました、十中八九あの方だと思います。
起こしてみると「馬頭尊 明治四十五年六月(1912) 字合角 島田近吉建之」うれしいことに“合角”入りです!
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5/16 14:05
起こしてみると「馬頭尊 明治四十五年六月(1912) 字合角 島田近吉建之」うれしいことに“合角”入りです!
さらに尾根筋を登って行くと、なかなかの石祠(無銘)がありました!
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5/16 14:10
さらに尾根筋を登って行くと、なかなかの石祠(無銘)がありました!
観音山への近道は右ですが、レーダーが旧道というのでそちらに向かうと、
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5/16 14:18
観音山への近道は右ですが、レーダーが旧道というのでそちらに向かうと、
何と馬頭観音様がいらっしゃいました。「享和三亥年七月吉日(1803) 當所講中右」
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5/16 14:19
何と馬頭観音様がいらっしゃいました。「享和三亥年七月吉日(1803) 當所講中右」
お山で出会う馬頭尊はほとんど皆優しいお顔をしていますね。お馬さんも一寸ナナメになっていてかわいいです!
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5/16 14:19
お山で出会う馬頭尊はほとんど皆優しいお顔をしていますね。お馬さんも一寸ナナメになっていてかわいいです!
何度目かの落葉松峠コースですが、藪道が歩き安くなったようです。
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5/16 14:30
何度目かの落葉松峠コースですが、藪道が歩き安くなったようです。
飯田方面からの尾根と合流する所に謎の石分、何かの石塔でも彫る予定だったのでしょうか。
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5/16 14:38
飯田方面からの尾根と合流する所に謎の石分、何かの石塔でも彫る予定だったのでしょうか。
清々しい山道です。
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5/16 14:43
清々しい山道です。
ダム湖を見下ろします。今の段階では知る由もありませんでしたが、大橋が串刺しした岬状の尾根筋、けっこう面白ポイントでした。
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5/16 14:44
ダム湖を見下ろします。今の段階では知る由もありませんでしたが、大橋が串刺しした岬状の尾根筋、けっこう面白ポイントでした。
せっかくですので大石山も踏んでいきましょう。山名板も展望もありませんが、
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5/16 15:05
せっかくですので大石山も踏んでいきましょう。山名板も展望もありませんが、
さらに少し下った所に、
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5/16 15:08
さらに少し下った所に、
両神、毘沙門、小鹿野二子山の展望所があります。
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5/16 15:10
両神、毘沙門、小鹿野二子山の展望所があります。
主要道に戻ると、すぐに観音院からのルートと合流します。
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5/16 15:24
主要道に戻ると、すぐに観音院からのルートと合流します。
仁王尊採石場跡、観音院入口にある石造では日本一大きな仁王様です。
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5/16 15:25
仁王尊採石場跡、観音院入口にある石造では日本一大きな仁王様です。
「観音山」698 m二等三角点
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5/16 15:27
「観音山」698 m二等三角点
山頂とうちゃこ! ♪グリーン、グリーン〜ですね!
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5/16 15:28
山頂とうちゃこ! ♪グリーン、グリーン〜ですね!
山頂にはベンチがありましたが、休憩はその先で。
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5/16 15:28
山頂にはベンチがありましたが、休憩はその先で。
定点観測の木祠、
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5/16 15:28
定点観測の木祠、
御無事で何よりです。
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5/16 15:29
御無事で何よりです。
いつもの休憩ポイント、トーフ岩のテラス。本日はタケレレ無し、眺望もこの時季は葉っぱだらけ、
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5/16 15:33
いつもの休憩ポイント、トーフ岩のテラス。本日はタケレレ無し、眺望もこの時季は葉っぱだらけ、
それはそれで癒されます。ウエストバックに飴玉が残っていました。
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5/16 15:35
それはそれで癒されます。ウエストバックに飴玉が残っていました。
日尾集落、
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5/16 15:44
日尾集落、
下山途中に仁王尊細工場所、此処で吉弥&三重郎も鑿をふるったのかな?
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5/16 15:55
下山途中に仁王尊細工場所、此処で吉弥&三重郎も鑿をふるったのかな?
ここは牛首峠方面へ
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5/16 15:58
ここは牛首峠方面へ
小尾根を乗越す所にお馴染みの馬頭観音様「文久二壬戌天六月日(1862)」
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5/16 16:02
小尾根を乗越す所にお馴染みの馬頭観音様「文久二壬戌天六月日(1862)」
ホント優しい微笑みです。残念ながらお馬さんは削れています。
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5/16 16:03
ホント優しい微笑みです。残念ながらお馬さんは削れています。
さらにその先には石祠「明治四十年三月吉日(1907)/和田磯吉建之」
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5/16 16:09
さらにその先には石祠「明治四十年三月吉日(1907)/和田磯吉建之」
そして中央湖畔ルート「湖畔・展望休憩舎」方面へ行きます。
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5/16 16:11
そして中央湖畔ルート「湖畔・展望休憩舎」方面へ行きます。
往時は周遊路として整備されていた感じですが、廃道化しています。こんな感じのトラバースが数カ所ありました。
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5/16 16:20
往時は周遊路として整備されていた感じですが、廃道化しています。こんな感じのトラバースが数カ所ありました。
開けた所に出ました。
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5/16 16:28
開けた所に出ました。
日尾峠かな
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5/16 16:38
日尾峠かな
無銘の大きめの石祠
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5/16 16:41
無銘の大きめの石祠
かつての木段があるアップダウン
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5/16 16:54
かつての木段があるアップダウン
休憩舎が見えました。展望があったのは何年前ぐらいかな。
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5/16 17:01
休憩舎が見えました。展望があったのは何年前ぐらいかな。
尾根先は水没するので、左に降りてみると、
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5/16 17:01
尾根先は水没するので、左に降りてみると、
新しそうな作業道に降りました。
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5/16 17:09
新しそうな作業道に降りました。
想定内の車道に出ました。
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5/16 17:16
想定内の車道に出ました。
橋に向かって歩いていると、擬木階段と石燈籠が見えたので昇ってみます。
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5/16 17:18
橋に向かって歩いていると、擬木階段と石燈籠が見えたので昇ってみます。
右「安永八己亥歳九月吉祥日(1779)/柳平氏子中」
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5/16 17:23
右「安永八己亥歳九月吉祥日(1779)/柳平氏子中」
左「 天下泰平 國土安穏 □奉造立石燈(呂)爲… 高根権現…享保第十乙巳五月吉日(1725) (寶蔵寺)」
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5/16 17:25
左「 天下泰平 國土安穏 □奉造立石燈(呂)爲… 高根権現…享保第十乙巳五月吉日(1725) (寶蔵寺)」
中段の階段の石燈籠「文化七庚午載十二月吉祥日(1810)當所産子中」
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5/16 17:30
中段の階段の石燈籠「文化七庚午載十二月吉祥日(1810)當所産子中」
岩壁前に石積が組まれその上に八棟の石祠が並んでいます。
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5/16 17:30
岩壁前に石積が組まれその上に八棟の石祠が並んでいます。
右側は新しめの四石祠、
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5/16 17:33
右側は新しめの四石祠、
その下段に「諏訪神社 八坂神社 岩殿権現神社 遷宮」碑(昭和六十二年九月建之)があります。
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5/16 17:31
その下段に「諏訪神社 八坂神社 岩殿権現神社 遷宮」碑(昭和六十二年九月建之)があります。
左側には古い石祠と新しい三石祠、そして手前下段には、
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5/16 17:33
左側には古い石祠と新しい三石祠、そして手前下段には、
柳平の守護神として日尾峠に鎮座していた高根、秋葉、稲荷三社を遷座したという「遷宮の記」があります。
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5/16 17:31
柳平の守護神として日尾峠に鎮座していた高根、秋葉、稲荷三社を遷座したという「遷宮の記」があります。
その古い石祠には「豈嘉永五壬子三月吉日(1852) 願主 下平氏子中」、こちらが案内図にある弁天様を祀る石宮でしょうか。
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5/16 17:34
その古い石祠には「豈嘉永五壬子三月吉日(1852) 願主 下平氏子中」、こちらが案内図にある弁天様を祀る石宮でしょうか。
車道に戻って橋を渡ると、「平成十年九月吉日」「下平氏子中」銘のある旗立石両基がありました。
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5/16 17:41
車道に戻って橋を渡ると、「平成十年九月吉日」「下平氏子中」銘のある旗立石両基がありました。
吉田川と観音山
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5/16 17:42
吉田川と観音山
乙女淵
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5/16 17:45
乙女淵
石祠群のあった弁天岩
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5/16 17:45
石祠群のあった弁天岩
東屋のある園地にある案内図、なかなか興味深い記載がありますね。
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5/16 17:48
東屋のある園地にある案内図、なかなか興味深い記載がありますね。
女形集落の入口は通行止め、対岸の道路は通行可だそうです。お隣がゴールです。VANさんが見えます。トレーニング目的が結局いつもの石分補給になってしまいました(笑)
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5/16 18:00
女形集落の入口は通行止め、対岸の道路は通行可だそうです。お隣がゴールです。VANさんが見えます。トレーニング目的が結局いつもの石分補給になってしまいました(笑)
和風スープカレー? 帰宅して調べると昨日歩いた付近に城郭遺構があるということで再訪、ただしばらくは雨で待ちぼうけになりました。
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和風スープカレー? 帰宅して調べると昨日歩いた付近に城郭遺構があるということで再訪、ただしばらくは雨で待ちぼうけになりました。
けっこうな降りです。弁天岩を眺めながら居眠りしたり、タケレレを弾きながら気長に待ちました。
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5/17 12:12
けっこうな降りです。弁天岩を眺めながら居眠りしたり、タケレレを弾きながら気長に待ちました。
雨もピークを過ぎたようなのでスタートします。
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5/17 13:19
雨もピークを過ぎたようなのでスタートします。
左が本日辿る尾根筋、向こうに見えるのは合角漣大橋、尾根はその先で水没します。
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5/17 13:23
左が本日辿る尾根筋、向こうに見えるのは合角漣大橋、尾根はその先で水没します。
対面は昨日歩いた観音山の稜線
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5/17 13:24
対面は昨日歩いた観音山の稜線
昭和トンネルの右側から取り付きます。
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5/17 13:25
昭和トンネルの右側から取り付きます。
左(北)は取付きが極上に整備されています。巡視路関連かな?以前この尾根伝いに父不見山方面まで歩きました。今回は切通から右(南)に行きます。
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5/17 13:31
左(北)は取付きが極上に整備されています。巡視路関連かな?以前この尾根伝いに父不見山方面まで歩きました。今回は切通から右(南)に行きます。
田坂峠の「馬頭尊/明治四十三年庚戌年四月吉日(1910) 雪洞庵幸麿書」
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5/17 13:33
田坂峠の「馬頭尊/明治四十三年庚戌年四月吉日(1910) 雪洞庵幸麿書」
取り付きは悪かったですが、尾根に乗ると快適
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5/17 13:42
取り付きは悪かったですが、尾根に乗ると快適
ダム湖側は急斜面です。
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5/17 13:46
ダム湖側は急斜面です。
この辺りが合角城の遺構のようです。尾根道が土塁になっているようです。
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5/17 14:01
この辺りが合角城の遺構のようです。尾根道が土塁になっているようです。
その内側が広く平面状に掘られています。
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5/17 14:01
その内側が広く平面状に掘られています。
ダム湖側にもう一段平場がありさらに土塁があります。
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5/17 14:02
ダム湖側にもう一段平場がありさらに土塁があります。
その斜面には、土砂崩れ防止?のネットが張られていました。
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5/17 14:03
その斜面には、土砂崩れ防止?のネットが張られていました。
城跡?というか、ただの窪地に見えますが、やはり村民の逃散、避難場所的な所だったのでしょうか。『埼玉の城』には「日尾城攻略の敵陣か」とあります。
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5/17 14:04
城跡?というか、ただの窪地に見えますが、やはり村民の逃散、避難場所的な所だったのでしょうか。『埼玉の城』には「日尾城攻略の敵陣か」とあります。
攻城?を終えて尾根伝いに先に進むと、鋭い岩場が立ちふさがりました。
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5/17 14:09
攻城?を終えて尾根伝いに先に進むと、鋭い岩場が立ちふさがりました。
右に巻きながら見上げます。
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5/17 14:10
右に巻きながら見上げます。
ちょっと慎重に岩に登ります。
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5/17 14:10
ちょっと慎重に岩に登ります。
岩の上は苔々でした。
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5/17 14:13
岩の上は苔々でした。
一寸した庭園風のピークでした!下って行くと、
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5/17 14:13
一寸した庭園風のピークでした!下って行くと、
一寸危険な所もありました。
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5/17 14:17
一寸危険な所もありました。
さらに歩いて行くと、何か人工物がありました。最初はダム工事関連のものかと思いましたが、
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5/17 14:19
さらに歩いて行くと、何か人工物がありました。最初はダム工事関連のものかと思いましたが、
よく見ると倒れた鳥居でした!しかも大きめです。踏み跡に従って支尾根を行くと、
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5/17 14:19
よく見ると倒れた鳥居でした!しかも大きめです。踏み跡に従って支尾根を行くと、
何と神社がありました。昨日に続くサプライズです。
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5/17 14:23
何と神社がありました。昨日に続くサプライズです。
この神社も全然知りませんでした。奉納額には消えかかっていますが「大天狗 小天狗」とあります。
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5/17 14:24
この神社も全然知りませんでした。奉納額には消えかかっていますが「大天狗 小天狗」とあります。
大天狗の御面も、修理寄附者を記した額には「天狗神社」とありました。
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5/17 14:26
大天狗の御面も、修理寄附者を記した額には「天狗神社」とありました。
石燈籠には「維 寛政四壬子歳四月吉祥日(1792) 奉納 諸願成就処 」そして、願主銘は
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5/17 14:32
石燈籠には「維 寛政四壬子歳四月吉祥日(1792) 奉納 諸願成就処 」そして、願主銘は
「村萬屋新助」、何と江戸時代、こんな山奥の小村にもよろづ屋さんがあったんですね!
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5/17 14:31
「村萬屋新助」、何と江戸時代、こんな山奥の小村にもよろづ屋さんがあったんですね!
いかにも天狗さんが好みそうな怖い岩壁の上に建っています。ダムが見えます。
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5/17 14:33
いかにも天狗さんが好みそうな怖い岩壁の上に建っています。ダムが見えます。
漣大橋もよく見えます。
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5/17 14:34
漣大橋もよく見えます。
霧煙る観音山
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5/17 14:34
霧煙る観音山
三叉鉾もたくさん奉納されたようですね。
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5/17 14:37
三叉鉾もたくさん奉納されたようですね。
主尾根に戻って下って行くと、木祠跡と石燈籠
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5/17 14:47
主尾根に戻って下って行くと、木祠跡と石燈籠
新しく整備された墓地の隣に二棟の祠
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5/17 14:49
新しく整備された墓地の隣に二棟の祠
橋の中間地点?の日立に合角神社と望郷の碑、突然脳内BGMに山ハコさんの♪望郷が流れてきました!
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5/17 14:57
橋の中間地点?の日立に合角神社と望郷の碑、突然脳内BGMに山ハコさんの♪望郷が流れてきました!
漣大橋の道を横断して、
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5/17 14:57
漣大橋の道を横断して、
さらに、その先に行ってみたら、
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5/17 14:58
さらに、その先に行ってみたら、
大きめの覆屋中に大小のお宮が数社ありました。水没避難したものでしょうか。稲荷社が多いようで、
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5/17 15:00
大きめの覆屋中に大小のお宮が数社ありました。水没避難したものでしょうか。稲荷社が多いようで、
神狐が散乱していましたが、その中にこちらのお方、一見仏様だと思いましたが、よく見ると天神様のようです。
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5/17 15:01
神狐が散乱していましたが、その中にこちらのお方、一見仏様だと思いましたが、よく見ると天神様のようです。
覆屋の手前には石造物群もありました。石燈籠「文政六未年六月吉日(1823)」、杉の隣の石祠「寛政二年八月吉日(1790)」
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5/17 15:03
覆屋の手前には石造物群もありました。石燈籠「文政六未年六月吉日(1823)」、杉の隣の石祠「寛政二年八月吉日(1790)」
小さい方は無銘、大きい石祠は「寛政八丙申年九月吉日(1796)」
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5/17 15:10
小さい方は無銘、大きい石祠は「寛政八丙申年九月吉日(1796)」
倒壊した石燈籠には
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5/17 15:14
倒壊した石燈籠には
「享保三年…(1718)當村 奉造立岩殿宝前石燈呂」とありました。昨日の弁天岩に遷座した岩殿権現神社のもののようですね。ちなみに今回最古の紀年銘です。
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5/17 15:15
「享保三年…(1718)當村 奉造立岩殿宝前石燈呂」とありました。昨日の弁天岩に遷座した岩殿権現神社のもののようですね。ちなみに今回最古の紀年銘です。
その他にも。この辺りが案内板にある「湖畔公園」なのでしょうか?適期になったらまた詳しく見にきましょう。
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5/17 15:16
その他にも。この辺りが案内板にある「湖畔公園」なのでしょうか?適期になったらまた詳しく見にきましょう。
岬の最先端からガスの取れた観音山、対岸には釣り?のお方がいます。
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5/17 15:22
岬の最先端からガスの取れた観音山、対岸には釣り?のお方がいます。
戻って、先程の石燈籠群
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5/17 15:26
戻って、先程の石燈籠群
覆屋、というには大きめですね。
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5/17 15:26
覆屋、というには大きめですね。
漣大橋上から、今歩いてきた岬越しに観音山
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漣大橋上から、今歩いてきた岬越しに観音山
橋の反対側は天狗神社がある辺りと合角ダム
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5/17 15:32
橋の反対側は天狗神社がある辺りと合角ダム
湖岸の車道を歩いてゴールしました。予想外に見所満載でした。
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5/17 15:50
湖岸の車道を歩いてゴールしました。予想外に見所満載でした。
カレーおじやにしてみました。
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カレーおじやにしてみました。
いつもありがとうございます。御荷鉾中腹の入沢の滝に息子さんの不動尊像があるみたいですがまだ未見です。またよろしくお願いします。 godohan
享和三年の馬頭尊、やさしいお顔ですね。なんだか個性的です。足指があるから立っているのだけれど、私には、ひざまずいて祈っているように見えました。シンバルみたいに大きな手。お馬さんもかわいいです。ちょっと馬頭尊の頭をカプっと噛んで甘えているようにも見えます。いいですね。
飯田方面からの尾根との合流にある謎の石分、これだけのものを運んだのに、頓挫、または、何かあったのがなくなってしまったのは残念ですね。
定点観測の木祠、頑張ってますね💧こに祀ろうとした人すごいです。
乙女淵、なにか、怖いいわれがありそうな気がしちゃうのは、考えすぎでしょうか💧
弁天岩の石祠、いきなり沢山ありましたね。階段と燈籠に気づいてよかったです。歩きは、色々気づいていいですね。
大橋が串刺しした岬状の尾根というのは、とってもわかりやすい表現で、方向音痴の私にもよくわかります。
倒れた鳥居のところ、めっちゃワクワクしました!岬みたいなところ、神様を祀りたくなりますよね。弁天岩の石祠もですが、しめ縄に紙垂もあって、今も大事にされていていてよかったです。三叉鉾も沢山。信仰を集めてたんですね。
湖畔公園、昔は賑わってたんでしょうか。水没した村の石造物も考えちゃいますね。なんだか、まだまだ何かありそうで、わくわくしますね。
興味深いレコ。ありがとうございました。
追伸
三重郎の息子さんの作品もわかってるものがあるんですね。
ほんとあの馬頭尊はお馬さん含めていい味だしていました。本来の馬頭尊は憤怒顔ですが、お山の馬頭尊は何れもお優しいお顔をしています。今も昔も疲れた足取りで峠にたどり着いた時、あのお顔を見たらやっぱ癒されますよねぇ。
ホームコースなので初めは時間つぶし的な山行のつもりでしたが、途中からどんどん興味を惹かれていきました、乙女渕の謂れや神社名などまだまだ調べてみたいと思います。
息子さんの不動尊もそのうちに確認に行きたいと思っています。
二拠点生活、のんびりできるのかなと思っていたら、山行&レコ書きで、逆に忙しくなっちゃった?感じですぅ。特に帰宅するとほぼ缶詰状態です(笑)それでは。 godohan
昔の伝説とかならけっこう好みなんですが、実際の話となると一寸怖いですねぇ。
宿題一つ片付きました!ありがとうございます。またお願いしますね。それでは。 godohan
乙女淵情報をありがとうございます。
私のつまらぬひっかかりに回答していただき、ありがたいです。
乙女淵と名付けるような悲しい謂れは容易に想像出来るのですが、それではイカンと思い、悲しくない謂れを想像してみてました。淵にきれいな乙女があらわれたら、弁天淵とか天女淵、天人淵とかになってしまいそうなので、見た目にしたらどうだろうかと思い、淵を覗くと淵の深さの違いで色が変わって見え、濃く見えるところが乙女の姿に見えるとか、淵の形とか、淵にある岩が乙女に見えるとか、乙女と見間違えたとか。もしくは、その淵の水で顔を洗ったら美人になったとか、お婆さんが若返ったとか。
でも、やはり悲しいことがあったのですね (;_;)
昭和になってのお話しは、びびってしまいますね ( °ω° ;)
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