【秩父歳末の祭】観音山・小鹿野鉄砲まつり
- GPS
- 07:20
- 距離
- 17.6km
- 登り
- 598m
- 下り
- 554m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
鎖場が一箇所あるが、全体的に危険は無い。 敢えて言えば、落ち葉が積もった下り道に注意。 |
写真
感想
埼玉県秩父(小鹿野町も含む)。この地では年中何かしらの祭りが何処かで催されている。特に有名な祭りは秩父神社の祭礼である秩父夜祭、手製ロケットを終日打ち上げる龍勢まつり、そして秩父地方において年の最後を飾る鉄砲まつりである。
鉄砲まつりは今年は12月11日〜12日にかけて催されたが、昔は12月15日と日が決まっていた。土日の方が観光客を呼びやすいというのもあるだろうが、やはり昔ながらの農業、林業、畜産業、養蚕業を主として営む家が少なくなり、勤め人が大勢を占めるようになったのが大きいのだろう。
祭は元来祖先に係る祭祀であり、また、自然と共にある農業等の営みに係る祈りと感謝から始まっているものと思われるが、個人主義の隆盛及び第一次産業の衰退とともに個人内省的或いは現世利益的な信仰が流行り、自然を畏れる気持ちが失われ、祭は形だけのものとなりつつあるように感ぜられる。
閑話休題
というわけで、静岡ガンダムの性能とやらを見せてもらった翌日、小鹿野町へ出かけた。
祭のクライマックスは午後4時の「お立ち神事」であるので、それまでの間は今まで二子山や両神山の行き帰りに車窓から眺めるのみだった町中を歩いて見て回ることとした。「鉄砲まつり」というと鉄砲がメインのように見えるけれども、私はこの名称は正確ではないように思う。小鹿野町は歌舞伎の町であり、祭の最中は歌舞伎の演目が次々と催される。また、神社では神楽が延々と舞われる。鉄砲が狩猟や硝石等、小鹿野町の生活と密接結び付いていることは明白であるが、祭の名称を「鉄砲まつり」としたのは多分に客寄せの意図があったのではなかろうか。
ともあれ、朝早く秩父ヘ向かったわけだが、晴れ渡るなかでも所々朝霧が街を覆いワクワク感が高まる。
この日の出発点は、いつも二子山・両神山方面へ向かう際のバス乗換地点である小鹿野役場だ。小鹿野は昔ながらの町並みが残っていることでも有名であり、その街並みは小鹿野役場から西方に歩いてすぐである。
昔ながらの軒並みを見るにつけ、往時を偲び秩父事件のことなどを考えてしまったのだが、川越などに比べるとアピールが弱いような気がするのは規模の小ささゆえか。
街を通り過ぎて次は今までバスを通るたびに気になっていた合角ダムを目指す。読みにくさでは屈指のダムで、「かっかく」と読む。それがまた、ここまでが想定よりも時間がかかる。まだかまだかと歩いているうちに高台に薬師堂があるのを見つけ、そこに登ってようやくダムのもうすぐであることを把握した。
合角ダムによってできた湖は西秩父桃湖という微妙な名前である。それほど大きくはない。それでも展望台や橋を備えてそれなりの体裁を整えている。展望台から湖を眺めながら、祭の行われている八幡神社までどう行けばいいのか考える。家で地図をさらっと眺めただけだったので、案内図を参考にすると、舗装した道を行くとかなりの迂回になってしまうようだった。そこで、山を越えれば一直線ではないかと考え、観音山を越えて行くことにした。さほど高い山でもない。それがベストだ。
その前に、山の手前に子ノ権現と毘沙門水という湧水場があるので、そちらに寄ることにした。子ノ権現というと飯能の天竜寺が有名だが、結構あちこちにあるらしい。我が戯れも健脚あってこそなので挨拶は忘れない。
毘沙門水は平成の名水百選に選ばれたとかで、どっかの業者らしき面々がたくさんのポリタンクに延々と水を詰めて独占状態である。しょうがないので山に取り付くことにした。
山への入口は用水路みたいな感じで、足場はややぐちょぐちょである。その後森の中をゆるゆると上ることになるが、次第に奥秩父らしく大きな岩が続々と姿を現す。山頂の方に何か建物があるなあと思っていたら巨岩が聳え立っていたのだった。岩の上にもよじ登れそうだ。次回来る時は上ってみよう。
尾根に上ったからには歩きは楽になる。古の山城址から先ほどまでいた湖を見下ろしたり、落ち葉に埋もれる道をサクサク音を立てながら歩いたりする。紅葉の時期に歩くのは一つには色づく街や山を愛でるためであるが、同時に足音を楽しむためでもある。
今日は楽勝だなと思っていたら、今まで登りが無かった分、観音山本体に登りが集中、グネグネと曲がりくねった上り道が延々と続く。何とか上りきったところは、見晴しがよく風も通る。ダム湖や奥秩父の山々を山頂から眺め、感慨に耽る。
そしていよいよ小鹿野の町へ。日のよく当たる坂道を降りていくと、鷲窟山観音院に至る。ここがまた、最初はさらっと通過する程度に考えていたのだが、絶壁の岩肌で霊場巡りができるようになっていたようだ。今は落石の危険があるため立入禁止なのが残念だ。そのような絶壁の直下に堂宇はある。垂直の壁に彫られた磨崖仏、滝、歌碑と落ち着いていながらも、見所が満載である。
私は、裏手の方から寺院に来たので、表の方に降りて行くと、老夫婦が急なのぼりに苦戦しつつ登って来た。挨拶に「非常に素晴らしいですよ」と添えて、二人の奮起を促す。この山は素晴らしい。一つ難を言えば、秩父霊場巡りのデモキャラクターか何かわからないが、小僧の看板は景観を著しく害している。
もう、あとは神社まで一直線と思っていたのだが、もう一箇所見せ場があった。
道を歩いていると、何やら物悲しい感じでお経が聞こえてくる。祭りの一環かしらと思ってトンネルを抜けると山一面の水子地蔵。そう、そこは地蔵寺。山を覆う一万数千の地蔵を全て覆うように読経しているのだ。ちょっとショッキングで写真を撮る気にはならなかった。最後に読んだ掲示板の文章が興醒めだったが、雰囲気のある所である。
そして、銃の試射と予告花火の音が近づく中、祭りの中心となる神社に到達。参拝の後、沿道に待機。十万石格式の大名行列を再現し、その一隊が数組ごとに神社まで駆け上がって、神社の周りを三周する。そして最後に神馬が2頭、同様に駆け上がる。そして、各組が駆け上がるごとに発砲する。埼玉県下各地の警察署から応援が来ていたようだが、音頭をとるのはやはり地元の警察官。「お墓にのぼらないでくださいね〜」、「今日は楽しんでいってください」ときめ細かい丁寧な注意をして
拍手を受けていた。
祭りは夜まであるので、警官隊も日曜の夜までずっといる。夜の神事では、すぐ後ろをゾロゾロ歩いているのに気づいた中年女性が「気味悪い」と言ったり、子供に「お巡りさんて偉いの?」と聞かれたのであろう父親が、「お父さんより高い給料にボーナスももらってるんだから偉いに決まってるじゃないか」と聞こえよがしに、当てこするように何度も言っていたりする横で黙々と任務に就く警察の方々には本当に頭が下がる。
何十年にも渡る公務員バッシングともいえるマスコミの報道、自民党も民主党も掲げる公務員改革(と言っても、その実、人員と給料を減らすことしか表立った話題にならない)を受けて、国民の公務員に対する視線なり感情なりといったものは大いに歪められたのではないかとも思うが、それはあくまでも一面であって、根底にいやらしい嫉妬や僻み根性があることは明らかだ。
何しろ、先行き不透明なこの世の中で、身分保障があって給料も大失態をしなければ下がることはないと思われるのだから羨ましい限りだろう。公務員バッシングが吹き荒れながらも公務員志望者が増えている理由はここにある。
公務員叩きをして一時的に気は済むんだろうが、あまり生産的ではない。悪態をついている暇があったら、自分に何ができるか考えるべきだろう。少なくとも、制度なり法律なりの壁に阻まれても成功した人というのは、自分で活路を見出す努力をしているのである。国・自治体・公務員等に罵詈雑言を浴びせることしか知らない人は、そのまま吹き溜まりに留まるだけで、何の進歩もしない。むしろジリ貧だ。
「公務員は我々の税金で食っている」という人は、自分も「公務員を含む国民・住民の税金で」生活を送れていることを認識すべきだろう。
閑話休題。
私は、妬み嫉み僻みが大嫌いなので、つい脱線してしまったが、そんなこんなで花火の打ち上げが始まった。田舎の花火なので、ボカボカ打ち上げることをしないが、冬の澄んだ夜空に、しかも余計な明かりが無いので、よく映えて綺麗に見える。あまりに見とれすぎていたのと、祭日につき、バスが増便されていたことから油断して当日の最終バスを逃してしまった。祭りが夜遅くまであるのにバスの最終が早すぎる。
やむを得ないので、じっくり花火鑑賞に精を出す。屋台の食べ物も追加で注文。
最後は花火に見送られつつ、小鹿野町役場さらには秩父・小鹿野を隔てる峠の麓まで歩いて行って、本日の長い歩きを終えた。
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