岩手山
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 1,413m
- 下り
- 1,412m
過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
3:00起床・馬返しCP場4:15-5:00(1合目)-5:13(休)5:20-5:39(2合目)-5:55(3合目)-6:13裸地・休憩6:20-6:28(5合目)-7:03(休)7:15-7:58八合目避難小屋8:00-8:17不動平避難小屋-8:37(9合目)-8:56登頂9:20-10:00八合目避難小屋10:08-11:28(3合目付近・休)11:33-11:58登山口 |
写真
感想
岩手山馬返しルート・頂上ピストン
3時起床。他の2人が起きてくるのを待って4:15出発。広いキャンプ場の芝の斜面をゆっくり登るともう一つ上にふんだんに水が流れる水場と炊事棟,トイレがある。ここが登山口で、先ほどから登山者がセンサーを横切る度に流れる『登山届けを出して下さい』と言うアナウンスが頻繁に聞こえている。
長丁場を覚悟してなだらかなブナやミズナラの樹林帯の道をゆっくり登る。5:00,1合目広場を通過。5:13見通しのきく場所で休憩。少しだけ高度を稼いで振り返る麓は雲海に沈んでいる。
5:20発,同39,2合目通過。すぐに2合半と言う標識があり、5:55にようやく3合目に到達する。ここから旧道と新道が分かれるが、意図無く新道を選ぶ。樹林帯の中は蒸し暑くて汗が滴り落ちる。けしかけてもなお気持ちが登山モードに切り替わらず、荷物が無いのにペースは一向に上がらない。
6:13,キャンプ場から見えている裸地帯で休む間に下から来た2人の屈強そうな登山者が追い越して行き、しばらくおいてもう1人を見送る。裸地は裸地で強い陽射しが照りつけ始める。暑くなるのを予想して水をペットボトル5本分持参。すでにここまでに2本のペットボトルを空け、頭や首筋にも水をかける。
6:20発,殆んど同じような道を折り返して登るが、傾斜が幾分きつくなり、折り返しの距離がやや短くなる。樹高が次第に低くなってダケカンバやハンノキが現れるが、先はまだ長く樹林帯が続く。
4合目の標識を見ないまま6:28に5合目を通過。単調な道はさらに続くが、富士のそれとはくらべものにならず、時折振り返って下界の雲海のを見おろし、それなりの高度を得ているのを確認する。
7:03樹林の丈も身長ほどに低くなる頃,右に進んで突き当たって折り返す部分のちょっとした風通しのいい広場で休憩する。その間にまた1人とてもついていけないペースで上がって来る人があり道を譲る。標識はなかったがその辺りが6合目と思われた。再び首筋に水をかけて冷やす。
7:15発。身長ほどの高さになったハイマツの間を分けて左に伸びる道を辿る。相変わらずペースが上がらないので2人に先を行ってもらう。7:30頃,ようやく体の中を風が吹き始めるのを感じ、道もやや平坦を得て幾分楽になる。
7:38,突然樹林が切れて目の前が一気に明るくなり、少し先に休憩場所のような鉾立の7合目の標識が現れる。歩いてきたままの方向で前方を望めば隣の御神坂コースや松川への縦走コースを見るが、目を右に転じるとどっしりした山容の岩手山頂上部が立ちはだかるように現れる。それは麓から浅間山を見るような感じだ。 ここから先はハイマツ帯の緩やかな道となり、行く手に八合目の避難小屋を見ながら進む。7:58避難小屋着。冷たい御成清水の水を詰め替え、たっぷりかぶって火照った頭を冷やす。
8:00発。初めての自分にとっては山頂に思えたが、八合目から見えているのはお鉢と呼ばれる外輪火口で九合目に相当する。先行する2人はすでに外輪への道を半ばまで登っているのが見える。
8:17不動平避難小屋の横を通って外輪への急登に入る。登るほどに雲海上に顔を出す山は南東方向に早池峰,北西方向に岩木山,その東に八甲田山等々。
20分弱で九合目。火口の縁を左まわりでゆっくり登って廻り込むように薬師岳に迫るにつれて南西の秋田駒から乳頭山に続き、葛根田渓谷を挟んで険阻森,諸桧岳,畚岳,八幡平へと続く緩やかな平原状の山々が広がる。8:56登頂。
秋田駒〜乳頭山まで,険阻森〜八幡平は歩いたことがあるが、秋田駒から八幡平に至る長大なコースを通しで歩いてみたいものだ。
展望は360度を欲しいままだが、雲海が下界を覆っているために名のある高山だけが見えている。鳥海山は周りの山に溶け込んで分らなかったのを地元の登山者に教わる。
学生と思われる元気な一団が登って来て俄かに賑やかになったのを汐に9:20,下山開始。(先行の2人の登頂は8:40)
前日,焼走りCP場で、山から降りて来た若いカップルに山の様子を聞いた時,『暑くて参ったでしょう』と言うと、女性の方が『でも、とってもよかったです』と言った。どう言う風によかったのかは聞かなかったが、登ってみてその意味が分ったような気がした。
岩手山が富士山を小型にしたような山で、ただ登って降りて来るだけの山であれば2度と登る気にはならない。それは確かだ。けれど、幸いなことに岩手山は東側が二重式,西側が三重式火山と言う、東と西で山容を異にする片富士の山だ。山頂から駒ケ岳や八幡平方面に連なる山々は美しく魅力に満ちている。
山頂に立って初めて裏岩手の縦走に気持ちが動くのを感じた。いや,すでにその気になっている自分がいて、八幡平までの縦走の出発点とするなら、焼走りからの登りも苦にならないだろう等と思っている。
多分自分はたじろいだのではなく、頂上ピストンと言う登り方に喜びを見出せなかったのだ。縦走なら20kgを担いであの長い裾野を登ることも全然苦にならない。縦走こそが自分にとっての登山なのだと改めて思った。
9:20発,山頂を後にして元来た道を下る。お鉢の途中から不動平の登り道に斜めにつながるショートカットの道があり、そちらを下る。この道は富士山の砂走りと同じ砂礫の道で下り専用である。なぜかと言うと、一歩ごとの足が砂礫に深く埋まってそのまま礫と一緒にズズズッと滑りながら、即ち礫を崩しながら歩くので大またにズンズンと降りることができ、アッという間に下れる道だからだ。富士山の砂走りでは勢いがついて走り出してしまうので時々飛び上がって飛び蹴りのような格好で体を水平にして勢いを止めながら下る。それと同じ火山特有の斜面なのだ。
逆に、登りでは踏んでも踏んでもズルズルと足が後ろに流れて踏ん張れないから誰も登らない。
10:00,八合目着。頭から水を被って冷やす。10:08発,先に降りる。すでに猛暑の兆しがあり、できるだけ直射を避けて樹林帯を駆け降りる。途中,三合目辺りで11:28から5分の小休止。11:58上の登山口へ帰着。猛烈な暑さの中,春河夫人の出迎えを受ける。
溢れかえるほどふんだんに流れている水場で頭から水をかぶり、シャツを洗ってぬれたまま着ると20分でそのシャツが乾く。十数分後に全員帰着。下の炊事棟に移動し、春河さん達が手配してくれたスイカを頂く。
昼までに下山できたことで午後の三陸行きが可能になった。
附 三陸へ
14:00馬返しCP場発,R282から県道16で盛岡市を迂回して14:50頃,R106に入る。この道は閉伊街道と呼ばれ、並走するJR山田線とともに早池峰山の北を通ってまっすぐに宮古に向かう。岩手県内の道はどこも広くて立派な道ばかりで交通量も少なく走りやすい。15:50川井村の道の駅・やまびこ館で15分の休憩。
16:50浄土ヶ浜に着き、浜を散策しながらキャンプ場の情報を収集。17:50発,釜石市に近い浪板海岸か釜石市の根浜のキャンプ場に狙いを定めてR45を南下する。
浪板海岸のCP場は国道から見えたがあまりにもテントの数が多いので敬遠してテン場にふさわしい海岸を探しながらゆっくり走っていると、同乗のTさんが海岸に張られたテント群を発見。そこに入り口があったのでそのまま入ると『進入禁止』の立看板があり『これはダメかな』と思ってUターンするつもりで進入したついでに『キャンプしたいんだけどダメかな?』と聞くと『いいよ,何人だい?』『6人だけど』『管理費として1人500円でOK。今すぐならシャワーもあるよ』とあっさりOKが出たので、後の車とも相談して幕営することに決める。
『キャンプ場の情報にはなかったけど、何というキャンプ場?』と聞くと『ここは吉里吉里海水浴場』だと言う。『吉里吉里って、あの吉里吉里共和国の?』『うん,そう。今,村長を紹介すっから受け付け済ませて!』と言う。
『村長って、ここは村かよ・・?』と思っていると、人のよさそうなおじいさんみたいな人がニコニコしながら名簿を出して『ここに名前と人数書いて!』と言う。はじめに応対してくれた人は警備員だそうで『進入禁止』と書いてあるのは暴走族などを入らせないための看板なのだそうだ。要するにここは町民や近隣の人達が昼は海水浴を楽しみ、夜は安心してキャンプできるように町中あげて管理しているということらしかった。
キャンプ場にはかなりの数のテントが張られていたが、子ども連れの家族が多く数の割には静かで、大きな花火の音や嬌声もなく、節度をもって控えめにキャンプを楽しもうとする空気が感じ取れた。(18:00着)
このキャンプ場が大いに気に入り、すぐにテントを張って遅い夕食の準備にかかる。何と言っても炊事棟に電灯があるのがあり難かった。飯盒飯,挽肉を使ったマーボーナス,ゆでたジャガイモと赤タマネギのスライス,納豆。コンビニへビールを買いに走って19:30から夕食。
後は潮騒と海の香を枕に、テントで,車で,あるいは砂の上で眠るだけ。
吉里吉里共和国にて
ここは岩手県大槌町吉里吉里。井上ひさし氏の小説 『吉里吉里人』の舞台にもなった町の海水浴場のある海岸。町の人達が 思い思いに海岸にテントをはりキャンプを楽しんでいる。炊事棟やトイレもあり、1人500円の協力金を払えば自由に使うことができる
海水浴場なのでシャワーもあり、頼めば無料で気楽に使わせてもらえる。村長さんがニコニコと対応して下さる。暴走族が入って来ないように常時監視され、トラブルが起こればすぐに警察に連絡が行くようになっているそうだ。
要するに町の人達や外来者が安心してキャンプを楽しめるように取り組んでいるようで、警備の人が詰め所につめているが、『○○警備保障』と言うようなシャクシジョウギな警備員と違ってそこいら辺に住んでいる普通のおじさんで、いかにも地元の人と言う感じなのだ。
村長さんも警備のおじさんも9時頃には帰って行ったが、帰り際に『地震があったら防災放送を流すのですぐに避難して下さい』と言った。夜中に目が覚めて外に出ると、別のおじさんが近寄って来て『泊まりの方ですか』と聞かれた。こうして一晩中警備している人にも守られて朝を迎えることができるのだ。
8月13日
3時には目が覚めて食事の用意にかかるのが常だが、今朝は釜石の市場で食材を仕入れてから遠野の道の駅で朝食を摂ればいいと考えて朝食をつくらず、昨夜聞いた近くの港で朝市があると言う情報を頼って大槌漁港に行ってみたが『市は日曜日だよ』と言われてスゴスゴと引き返す。
テントを撤収し、5:20に出発。釜石に向かい、同50に釜石駅前着。
釜石にはかつて、イタリアのフィレンツと並んで世界に2つしかないと言う珍しい『橋上市場』があり、旅行者や近隣から来る人々で賑わっていたが、橋の老朽化に伴って惜しまれつつ廃止となり、2003年に『サン・フィッシュ釜石』としてリニューアルオープンしたとのこと。
5年前に来た時には、元の橋上市場のすぐ近くの仮設小屋のような建物で営業しており、新しい建物を訪れるのは今回が初めて。
6時からの開場を待って入ると、以前の市場の半分かそれより短い奥行きスペースの中に20店舗ほどの店が並んでいたが、半分はまだ開店していなかった。かつての賑わいに比べれば店の数は半数以下となり、客足も少なくて寂しいかぎりだ。
ここでの目当てはイクラとウニ。街には『海鮮丼』を売り物にしている店があるが、高い金を払って食べるより、ここでイクラを買って熱々のご飯に乗せ、しょうゆをぶっかけて食べる方がはるかにいい。3000円分も買えば6人がたらふく食べられる。仮に2000円のイクラ丼を6人で食べるとすると12000円かかるところが3000円ですむ。ついでに奮発して生ウニ3000円分を上乗せしても半値。こう言うところが幕営の旅の利点と言うものだ。
イクラには醤油漬けと塩漬けがあり、塩漬けにも塩加減の弱いのと強いのがある。ご飯に乗せるには醤油漬けがベスト。
生ウニはお盆の値段で通常の6〜8割。生なので土産にはできないが当日使うには問題なく、これもその日のうちに食べる切るからこそ買える。
鮮魚店で、ポン焼き用に黒光りするスルメイカ3杯を買い求める。お土産用に買ったものはその場で宅配便に。
釜石の橋上市場4
佐々木貴範氏のHP・・・Special
http://www.ipm.jp/ipmj/gallery96/sp/index.html より
日本唯一、最初で最後の橋の上にあるマーケット、それが岩手県釜石市の橋上市場だった。2003年1月5日、45年の歴史に幕を降ろし、いまでは完全にその姿も消している・・・。
橋上市場は甲子川に架かる大渡橋に並行する形で1958年に完成。全長110m、全幅13mの場内には鮮魚、野菜からお土産品、日用雑貨、食堂など約50店舗が営業をしていた。ここは釜石の戦後復興の象徴であり、市民の台所として、また観光名所として栄えた。
始まりは戦後、甲子川沿いの市道に集まった露天朝市。最盛期には300店を超えた。そこでは交通混雑や衛生上の問題が生じたため、河川法の特例許可を受けて河川上に市場を建設したのだ。
しかし『営利目的の河川占有は認めない』とする65年の河川法改正により、橋上市場は違法占拠のテッレルを貼られた。岩手県は老朽化した大渡橋の架け替えに絡み、移転・撤去を迫った。この問題は市民の関心も高く、存続を求める署名は釜石市人口の80%を超えた。組合はそれを持って陳情したが結果は変わらなかった。
河川法の特例措置で建設が許可された橋上市場は、同じ法律によって撤去を迫られる形となった。組合が正式に移転・撤去を決定したのは1996年に入ってからだ。その後は移転先や補償問題が難航し、完全決着したときは2002年になっていた。
『鉄と魚のまち』で知られる釜石。しかし鉄は冷え、魚は減り、橋上市場は消えた。あとに残るのは橋上市場建設を後押しした市民の情熱と存続を求め続けた力、その精神だ。釜石に内在するその熱き精神が、釜石再生への原動力となる。釜石と盛衰を共にしてきた橋上市場は、その物理的な建物は消えたが、それを支えた精神は消えることはない。
須川温泉へ
当夜の食材を確保し、各自もそれぞれに土産を買って送ったり車に積み込んだりして6:45発,R283を北上に向かう。途中から道が2つに分かれていて直進すると高速道路のような道となってすぐに長いトンネルに入る。これは新しくできた仙人トンネルで、続く2つのトンネルを抜けるとJR釜石線の平倉駅の近くで一旦R340に入り、5分ほど走ると元のR283に合流してほどなく遠野市に着く。
この高速バイパスは将来の高速道路化を意図した規格になっていた。他にもそういう規格の準高速道路のような道があちこちに見られる。
7:30頃,道の駅風の里に着く。ここで朝食を摂るつもりだったが、早すぎてまだ食堂の準備ができておらず、特産品売り場のおにぎりで済ませて北上へ向かう。
9:31北上・江釣子ICin。30分で一関IC。そのままR342に入って須川高原着11:00。須川高原CP場のサイトにテント2基を張り、炊事棟に炊事道具と食材を置いて、12:00出発を目標に栗駒山登山の準備にかかる。
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