《弓張山地》嵩山【坊が峰、平尾山、吉祥山】野田城


- GPS
- 08:14
- 距離
- 19.6km
- 登り
- 1,079m
- 下り
- 1,111m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
国鉄飯田線 野田城17:29 豊橋18:05 320円 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
感想
以前下山した嵩山から北上の続きを行った。快晴温暖気候。
自宅から3分のバス停から日に一本だけ、嵩山の終点までいける。一つ手前の藤藪で降り、江戸時代、姫街道宿場だった通りを歩く。
一里塚もあり茶屋跡もあり。こうした控えめな説明は助かる。もっと控えめでも良いと思う。このぐらいの峠道、歩き慣れた昔の人なら大したこともなかろう。
坊が峰山頂の祠は居心地の良いところだ。ランナーにあった。中山峠少し前の皆伐斜面まで、展望は全くなし。中山峠は本坂峠のさらに裏街道ということになる。送電塔が尾根上に立つところで、南アの白い峰、富士山が見渡せる。恵那山も見える。平尾山から西には、地形図では道がないが、稜線上にまあまあついている。北側の未舗装林道が近づくところでは、自転車のりのふたりがこいで行くのを見た。土曜日だというのに石灰採掘場からはドカドカ音が聞こえる。ご苦労様。△338から北へ伸びる尾根場の道を辿る。標高180あたりで送電線が交差し、林道が出たあたりで西側の谷へ藪の中降りる。すぐ四谷の集落に降りる。東名高速の下を抜け、ほぼ直線に吉祥山に取り付く。南面の長い尾根を緩やかに辿る。道は始めはなかったが、そのうち出来始める。人は古来、だいたい同じところを歩くものだ。放置杉植林が濃く、谷の奥は深海のようにコズんで見えない。踏み跡をほぼ尾根線で登って行くと、大きな反射塔の脇を通り、山頂へ。木が刈ってあり展望申し分なし。本宮山から、鳳来寺山から、また豊橋市内からどこからも目立ちそびえていた吉祥山の上にようやくきた。地域集中登山の面白いところ。
山頂にいた男に、武田信玄がこの麓の寺を焼いた時、住民がその本尊の吉祥天女を避難させ山頂下に祀ったという話を聞いた。信玄の覇権、ここまで来てる。山頂からは、甲斐の山から続く南アルプス、富士山、伊奈山地、奥三河の山並みが地平線まで見渡せる。この山々の広大な「海」を漕いで、武田軍団はここまできたのか。
祠は北の肩にあった。大木の下の神聖な岩の前。ナムナムする。
吉祥山は、地形図を見ても使い捨てになってちょん切れている林道が多数あるのみで登山道はほとんど書いていないが、豊橋市域では随分整備しているようだ。どこかに案内板もあるのだろうが、案内板というのは略図が多く、却って意味がわからない。整備しすぎて道が三本あり、それを繋ぐ支線がまたたくさんあって、却って複雑なようだ。少し豊橋側の道を行ったり来たりして、予定通り北面の新城側に降りることにする。豊橋側に降りても、バスがほとんど無いのだ。吉祥天女のところから北へ北へと踏み跡があり、林道を交差して、またどんどん降りる。これも地図には無い道。土合の集落に降り、海倉橋まで。立派な自動車道は車が速くて怖い。
海倉橋は、大きな堰になっていて、袂には河川整備公団の事務所もある。
地図をよく見ると、ここは牟呂用水の取水点だった。これは発見。
橋を渡る時、ちょうど夕日が三河湾の向こうに沈んで行くところだった。右岸の土手は車も通らず、川の向こうに登った吉祥山が存分に眺められて気持ちの良いところだ。地下足袋を舗装路用のズックに履き替える。横浜ゴムの門前を通ると、土曜だというのに仕事帰りの工員たちが出てきた。一緒になって野田城駅のホームで飯田線を待つ。野田城址を訪ねるにはちょっと暗くなりそうで、今日のところは引き上げる。豊橋には旧友が秋田から訪ねてきて、これから一杯飲む約束。
追記:調べると、信玄に焼かれた可能性のある寺は、今水寺という、空海起源の真言宗の古刹で、頼朝、今川義元の庇護を受けていた結構な御寺で、山中には宿坊がズラリ並んで多くの僧が合宿していたらしい。信玄の野田城攻めの際に焼き払われたと言われ、御本尊が山頂に移ったのではなく山頂下の吉祥天は奥の院のようだ。今水寺の位置は、北尾根の途中にちょっと寄り道していけるところだった。知っていれば。残念。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,21818,149,722,html
コメント
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いいとこ歩かれましたね!豊橋大好きおやじです!確か豊橋最標高だったと思います
おまけに吉祥山まで
吉祥山は4方から登り道があるそうで、とりあえず、yoneちゃんルート(そこはたぶんパンフには載ってないとおもいますが)西の本ルートと砂防からと、北のルートは、あるいてますね。もう少し新城寄りたぶんyoneちゃんのもう少し東かな?林道があるって聞いたことあります。
牟呂松原頭首工ができてから、アユが激減し、(日本でも有数のアユの遡上する川だったそうです。)特に江島橋の下流に松原用水の堰を取り壊してから、顕著その傾向が出たそうです。
生活のためですからしょうがないんですが、漁協さんとはいまだにもめ事おおいそうです。
昨年、暮れにそれでも、遡上が確認できたって記事もありましたが、”後世に大事にしたい、豊川と、本宮山”って言ってました
ちなみに、どこ飲みに行った
イトーさんもお疲れ様。すごく歩きましたね。
平尾山、地形図に名もなく、語源は人名か何かかな。市最高峰ですか。気付かなかった。
吉祥山は古墳も多く、古刹跡も、歴史秘話もあり、形良く、本宮山に次ぐ名山ですね。送電塔とゴルフ場で傷だらけ。日当たりの良い南側山麓の牧歌的地形は東名高速でちょん切られてかわいそう。
牟呂松原頭首工は、1995年作なんですね。もう20年ですか。
この辺りは地形的に、顕著な山と顕著な川が隣接する、特異点に思えます。だから弘法大師由来の古刹ができたのでしょうか。今は消えた(新城市に合併)郡名で「八名郡」というのがありますが、多分鮎をとった「簗」由来でしょうね。八名の地名は、宇利の盆地の小学校名に残っているだけでしょうか。
8年前に豊橋にいた後輩同僚が、昔行った店に連れて行ってくれました。日本酒に詳しく愛嬌のある若い娘がいる店です。8年経ってもいて、若いままだったので驚いていました。
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