低山なれどスリルがあった岩殿山
- GPS
- 04:00
- 距離
- 7.7km
- 登り
- 690m
- 下り
- 696m
コースタイム
10:50 稚児落し 11:30⇒ 11:50 浅利⇒ 12:30 岩殿山駐車場
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
中央自動車道大月インターチェンジを下りて、国道20号線に入り東京方面に向かいました。まもなく中央線大月駅を過ぎて国道139号線に入り、高月橋を渡りすぐ左の乗用車15台ほどのスペースがある岩殿山駐車場に車を置きました。 駐車場から国道139号線の車道を歩き始めて、岩殿城跡入口の石段を登り岩殿山山頂をめざしました。 この付近の地下を中央自動車道のトンネルが通っているようです。少し散り始めていた桜の花越しに富士山が見えて数人のカメラマンが盛んにシャッターを押していました。 ふれあいの館付近は丸山公園として整備され観光スポットになっていました。石段がだんだんと急になりヤマブキの花やミツバツツジが咲いていて、ちょうど見ごろでした。 稚児落しの分岐を過ぎると大きな自然石の揚城戸跡があり、そこをを登りきると登山道は平坦になり標高634mの岩殿山に着きました。 山頂には岩殿城跡の説明版や石碑があり東屋も設置されていました。眼下に見える大月の街の展望を楽しみながら休憩をとり、その後少し奥の烽火台まで登りました。 稚児落しの分岐に戻り築坂峠に下がりクサリ場の登りが続く兜岩に向かいました。急な斜面のなかなかの岩場でしたが、岩に足場が掘ってあり安全に登ることができました。 登り切った岩の上で緊張した体を休め、ミツバツツジが咲いている登山道を下がりいよいよ兜岩の岩場を登りました。 危険な岩場を通過したので一息入れてから、標高592mの天神山を通り稚児落しに向かいました。 稚児落しは切れ断った岩が谷底に落ちていて、上から覗くと足が震えるほどの怖さがありました。それでも怖さを忘れて岩の上で昼食を採りました。 計画では来た道を戻る予定でしたが、リーダーの指示で浅利の集落に下がることになりました。来た道を戻るなんてうんざりします内心ホットしました。 浅利の集落に下がり吊橋を渡り車道を歩いて岩殿山駐車場にもどりました。、 |
写真
感想
登山愛好会の定例山行で再三天候不良などにより中止になり、縁の無い山だと思っていました。標高も低く公園の中を登ると聞かされたので、あまり乗り気ではありませんでした。
三度目の正直で春の好天に恵まれた今回話のタネにと参加しました。大月市内から見ると大きな岩の塊でイメージしていたよりもダイナミックでした。
桜の花越しに見えた富士山は絵に描いたように見えて、思わずカメラで撮りましたが上手くは写りませんでした。あまり写真を撮るのに考えたりしていると、仲間の人達が先に行ってしまい慌てて追いかけることになりました。
岩殿山山頂には戦国時代にお城が築かれていたようで、色々な施設の標示がありました。
なかでも馬屋跡があり、馬は荷物の運搬に使用したのかまさか武士が馬に乗ってこの急な坂を上り下りしたとは考えられないと、いつものように頓珍漢なことを考えました。
このところ単独で気ままにのんびりと山登りを楽しんでいるので、グループ登山はペースが合わないようです。
稚児落しまで進む間には岩場があり計画当初から気になっていました。登って行くと里山の低山とは思えないほどのスリルがあり、今回のメインとなりました。
戦国時代に赤子の泣く声がすると敵に居場所がわかるので、断崖絶壁から子供を落としたと言われる、稚児落しの名称の由来を先輩の同伴者から教えてもらいました。
浅利地区に下山して車道を進むと浅利川で川底をスコップで川底を掘っている人がいました。何をしているのか尋ねますと「鉱物資源採集」と答えが返ってきました。
初めて目にしましたので理解できませんでしたが、掘った砂利をこして砂金掘りをしていました。こんな川の中でましてや今時砂金掘りをしているとは驚きでした。
下山後桂川の渓谷に架かる猿橋に初めて立ち寄りました。ちょうどお祭りが模様されていて賑わっていました。もうひとつ頑張って笹子峠に向かい矢立の杉を見てきました。
大月の里山低山でしたが花の時季に巡り合い、ちょぴりスリルも味わえて楽しい一日を過ごすことができました。
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