今日も歌ヶ浜から出発。
濃い霧のため、男体山も社山も見えない。
まずは八丁出島の付け根の拝所を目指す。
1
5/14 4:32
今日も歌ヶ浜から出発。
濃い霧のため、男体山も社山も見えない。
まずは八丁出島の付け根の拝所を目指す。
イギリス大使館別荘への遊歩道の整備工事が今日は終わっていた。
かつてアーネスト・サトウの別荘だった場所。
4
5/14 4:44
イギリス大使館別荘への遊歩道の整備工事が今日は終わっていた。
かつてアーネスト・サトウの別荘だった場所。
イギリス大使館別荘から。
霧の中禅寺湖。
2
5/14 4:46
イギリス大使館別荘から。
霧の中禅寺湖。
ムシカリ、咲き始めました。
3
5/14 4:55
ムシカリ、咲き始めました。
狸窪分岐を通過すると__
1
5/14 5:04
狸窪分岐を通過すると__
八丁出島付け根の、小さな鞍部に到着。
1
5/14 5:07
八丁出島付け根の、小さな鞍部に到着。
ここには御料局宮境界標石"界ハ六"がある。
この標石にも(シリーズせ仮)"字松立山"と"字スリバチ久保"と刻んである。
ここは中禅寺山の尾根先にあたる。
八丁出島の突端に円仁が薬師寺を草創したとの伝承があるのだが、夏峯一行は寺(跡?)には立ち寄らず、ここで錫杖経を読誦しただけで通過している。
次は夕暮ノ宿跡を探しに、阿世潟沢を目指す。
3
5/14 5:08
ここには御料局宮境界標石"界ハ六"がある。
この標石にも(シリーズせ仮)"字松立山"と"字スリバチ久保"と刻んである。
ここは中禅寺山の尾根先にあたる。
八丁出島の突端に円仁が薬師寺を草創したとの伝承があるのだが、夏峯一行は寺(跡?)には立ち寄らず、ここで錫杖経を読誦しただけで通過している。
次は夕暮ノ宿跡を探しに、阿世潟沢を目指す。
うっすらと上野島が見えて来た。
2
5/14 5:19
うっすらと上野島が見えて来た。
阿世潟分岐に到着。
右に折れて、湖畔を行く。
1
5/14 5:23
阿世潟分岐に到着。
右に折れて、湖畔を行く。
阿世潟分岐。
赤い杭を目印にして進み、阿世潟沢の氾濫原に入っていく。
0
5/14 5:32
阿世潟分岐。
赤い杭を目印にして進み、阿世潟沢の氾濫原に入っていく。
阿世潟分岐に掲げてあった地図。
沢の書かれた地図は手に入りにくくなっているので、小さなことでもこうした地図はありがたい。
3
5/14 5:31
阿世潟分岐に掲げてあった地図。
沢の書かれた地図は手に入りにくくなっているので、小さなことでもこうした地図はありがたい。
阿世潟沢の氾濫原に入ったが、沢水の音は聞こえない。
湖畔では伏流しているようだ。
涸沢に掛かる1本目の橋を通過し__
1
5/14 5:35
阿世潟沢の氾濫原に入ったが、沢水の音は聞こえない。
湖畔では伏流しているようだ。
涸沢に掛かる1本目の橋を通過し__
2本目の橋に差し掛かる。
地図を見るとこの涸沢が阿世潟沢らしい。
1
5/14 6:17
2本目の橋に差し掛かる。
地図を見るとこの涸沢が阿世潟沢らしい。
登山道を離れて西へ進み、氾濫原を遡った。
地表に現れている阿世潟沢はあるのか?
1
5/14 5:40
登山道を離れて西へ進み、氾濫原を遡った。
地表に現れている阿世潟沢はあるのか?
氾濫原を遡ること400m足らずで__
1
5/14 6:12
氾濫原を遡ること400m足らずで__
水音が聞こえて来た。
伏流し始める地点を発見。
2
5/14 5:54
水音が聞こえて来た。
伏流し始める地点を発見。
水流を遡ると、沢が2筋になった。
左の流れを遡ってきたので、右の流れを少し下ってみると__
1
5/14 6:02
水流を遡ると、沢が2筋になった。
左の流れを遡ってきたので、右の流れを少し下ってみると__
これもすぐに伏流した。
0
5/14 5:59
これもすぐに伏流した。
2筋の沢の間から南側を望む。
「水場の源頭部は宿の北側から下っており、すぐ伏流して湖岸まで流れ下っていない。水場二か所を有するこの小平地こそ夕暮ノ宿の推定地である(p.214)」
池田さんが比定されたのはこのあたりなんだろうと思う。
めぼしい目印が無く、これ以上の特定は困難な感じだった。
夏峯一行はここには宿泊することなく、後夜の勤を行うためだけに立ち寄っている。
4
5/14 6:05
2筋の沢の間から南側を望む。
「水場の源頭部は宿の北側から下っており、すぐ伏流して湖岸まで流れ下っていない。水場二か所を有するこの小平地こそ夕暮ノ宿の推定地である(p.214)」
池田さんが比定されたのはこのあたりなんだろうと思う。
めぼしい目印が無く、これ以上の特定は困難な感じだった。
夏峯一行はここには宿泊することなく、後夜の勤を行うためだけに立ち寄っている。
湖畔のハイキングコースまで戻った。
次は多和ノ宿跡を探すため、大和田沢を目指す。
上野島に近づいてきた。
4
5/14 6:25
湖畔のハイキングコースまで戻った。
次は多和ノ宿跡を探すため、大和田沢を目指す。
上野島に近づいてきた。
トンボロ現象というのかな。
島の近くまでは歩けるが、繋がってはいない。
たくさんの釣り師がおいでだった。
3
5/14 6:37
トンボロ現象というのかな。
島の近くまでは歩けるが、繋がってはいない。
たくさんの釣り師がおいでだった。
上野島。
勝道上人の分骨が納められているとされ島には墓標もあるが、三峯五禅頂では上人に所縁のある場所にほとんど訪れない。
とても不思議なのだが、ここも三峯五禅頂の拝所ではないのだ。
5
5/14 6:32
上野島。
勝道上人の分骨が納められているとされ島には墓標もあるが、三峯五禅頂では上人に所縁のある場所にほとんど訪れない。
とても不思議なのだが、ここも三峯五禅頂の拝所ではないのだ。
上野島側から湖畔を望む。
3
5/14 6:33
上野島側から湖畔を望む。
釣果を撮らせていただいた。
レイクトラウト。
日本で釣れるのは中禅寺湖だけらしい。
日本の生物のデザインじゃないなあ。
7
5/14 6:39
釣果を撮らせていただいた。
レイクトラウト。
日本で釣れるのは中禅寺湖だけらしい。
日本の生物のデザインじゃないなあ。
上野島のオシドリ夫婦。
3
5/14 6:35
上野島のオシドリ夫婦。
湖畔に戻り登山道を歩き始めた。
オシドリは中禅寺湖では通年観察できるらしい。
バチェラーなオシドリが、オスだけの群れを作っていた。
3
5/14 6:46
湖畔に戻り登山道を歩き始めた。
オシドリは中禅寺湖では通年観察できるらしい。
バチェラーなオシドリが、オスだけの群れを作っていた。
その群れに交じる一羽のオオバンが場を乱していて、いい味出してた。
2
5/14 6:47
その群れに交じる一羽のオオバンが場を乱していて、いい味出してた。
大日崎に到着。
0
5/14 6:57
大日崎に到着。
大日崎の大日如来。
4
5/14 6:58
大日崎の大日如来。
智拳印を結んでいる。
これも名品だなあ。
4
5/14 6:59
智拳印を結んでいる。
これも名品だなあ。
大日如来はほぼ北を向いていて、菖蒲ヶ浜とほぼ正対していた。
2
5/14 7:01
大日如来はほぼ北を向いていて、菖蒲ヶ浜とほぼ正対していた。
ヒメマスのトローリング漁。
通称ヒメトロ。
2
5/14 7:05
ヒメマスのトローリング漁。
通称ヒメトロ。
湖畔ではアズマシャクナゲが咲きかけていた。
初夏の日光が近づいている。
3
5/14 7:08
湖畔ではアズマシャクナゲが咲きかけていた。
初夏の日光が近づいている。
松ヶ崎へ向かう。
途中、水場がある。
1
5/14 7:18
松ヶ崎へ向かう。
途中、水場がある。
松ヶ崎と岸ヶ淵を結ぶ線から西側は禁漁区となっている。
中禅寺湖は西側から川が注ぎ込んでいるためで、産卵場を守るための処置だと思う。
禁漁区は9月から東へ移動し、松ヶ崎から13番岬までとなるようだ。
0
5/14 7:26
松ヶ崎と岸ヶ淵を結ぶ線から西側は禁漁区となっている。
中禅寺湖は西側から川が注ぎ込んでいるためで、産卵場を守るための処置だと思う。
禁漁区は9月から東へ移動し、松ヶ崎から13番岬までとなるようだ。
少しガスが取れた。
松ヶ崎から菖蒲ヶ浜を望む。
3
5/14 7:31
少しガスが取れた。
松ヶ崎から菖蒲ヶ浜を望む。
松が崎の突端に立つ、禁漁区境界柱。
すごく滑りやすい場所だった。
ここ以降、千住ヶ浜までひとけが消える。
1
5/14 7:31
松が崎の突端に立つ、禁漁区境界柱。
すごく滑りやすい場所だった。
ここ以降、千住ヶ浜までひとけが消える。
松ヶ崎の西の入り江の何本かの沢は、水が流れていた。
0
5/14 7:53
松ヶ崎の西の入り江の何本かの沢は、水が流れていた。
松ヶ崎と白岩の間の岬を通過。
白岩が近づくにつれ、大きな岩が目につくようになってくる。
0
5/14 8:03
松ヶ崎と白岩の間の岬を通過。
白岩が近づくにつれ、大きな岩が目につくようになってくる。
白岩へのみち。
1
5/14 8:10
白岩へのみち。
白岩に到着。
白岩の突端は展望台になっている。
0
5/14 8:25
白岩に到着。
白岩の突端は展望台になっている。
白岩からガスに隠れた男体山を望む。
2
5/14 8:28
白岩からガスに隠れた男体山を望む。
白岩から湖面を見下ろしてみた。
帰宅後、この小さな樹木の右側に金剛堂が隠れていたことを知る。
まことに惜しいことをした。
7
5/14 8:28
白岩から湖面を見下ろしてみた。
帰宅後、この小さな樹木の右側に金剛堂が隠れていたことを知る。
まことに惜しいことをした。
白岩から千住ヶ浜を望む。
1
5/14 8:29
白岩から千住ヶ浜を望む。
千住ヶ浜の船着き場で、何かを建造している様子が見えた。
2
5/14 8:29
千住ヶ浜の船着き場で、何かを建造している様子が見えた。
梵字岩が見えてきた。
0
5/14 8:33
梵字岩が見えてきた。
白岩西側の入り江の沢も水が流れている。
0
5/14 8:35
白岩西側の入り江の沢も水が流れている。
「梵字岩」の標識がある地点に到着。
0
5/14 8:45
「梵字岩」の標識がある地点に到着。
汀に下りてみた。
梵字岩から、高山・赤岩方面を望む。
男体山のガスは取れないなあ。
3
5/14 8:48
汀に下りてみた。
梵字岩から、高山・赤岩方面を望む。
男体山のガスは取れないなあ。
梵字岩と俵石の間の入り江にやってきた。
このあたりが大和田になる。
大和田沢の氾濫原だ。
阿世潟沢のものに比べてかなり広い。
0
5/14 9:05
梵字岩と俵石の間の入り江にやってきた。
このあたりが大和田になる。
大和田沢の氾濫原だ。
阿世潟沢のものに比べてかなり広い。
キビタキくん。
5
5/14 9:09
キビタキくん。
まずは大和田沢を探して、大和田を横断してみる。
木橋が5本掛かっていた。
1つ目の橋。
0
5/14 9:07
まずは大和田沢を探して、大和田を横断してみる。
木橋が5本掛かっていた。
1つ目の橋。
2つ目の長い橋。
0
5/14 9:09
2つ目の長い橋。
3つ目の橋。
0
5/14 9:12
3つ目の橋。
4つ目の橋。
0
5/14 9:13
4つ目の橋。
5つ目の橋。
あとは俵石の丘陵に入ってしまう。
いずれの橋にも水は流れていなかった。
大和田沢はどれだろう。
0
5/14 9:16
5つ目の橋。
あとは俵石の丘陵に入ってしまう。
いずれの橋にも水は流れていなかった。
大和田沢はどれだろう。
5つ目の橋にて。
中禅寺湖に短い晴れ間が差し込んだ。
3
5/14 9:17
5つ目の橋にて。
中禅寺湖に短い晴れ間が差し込んだ。
男体山。
太郎山神社下の大岩が、ここからだとよく見える。
2
5/14 9:30
男体山。
太郎山神社下の大岩が、ここからだとよく見える。
『全踏査』213頁の地図と、今朝ハイキングコース入口でみた地図の海岸線を頼りに大和田沢を探してみたが、そこには何もないので__
1
5/14 9:37
『全踏査』213頁の地図と、今朝ハイキングコース入口でみた地図の海岸線を頼りに大和田沢を探してみたが、そこには何もないので__
一番東側にあった「1番目の橋」から遡上してみた。
0
5/14 9:40
一番東側にあった「1番目の橋」から遡上してみた。
氾濫原をしばらく進むと__
1
5/14 9:43
氾濫原をしばらく進むと__
大きな水音が聞こえてきた。
1
5/14 9:45
大きな水音が聞こえてきた。
音のする方に進むと、沢水があった。
3
5/14 9:48
音のする方に進むと、沢水があった。
どこで伏流してしまうのか確かめてみると__
0
5/14 9:48
どこで伏流してしまうのか確かめてみると__
嘘のように、あっという間に伏流してしまった。
2
5/14 9:50
嘘のように、あっという間に伏流してしまった。
改めて沢を遡れば堂々たる沢の流れが確認できる。
これが大和田沢だ。
4
5/14 10:31
改めて沢を遡れば堂々たる沢の流れが確認できる。
これが大和田沢だ。
流れの左岸を彷徨って、"多和"の名にふさわしい広場を見つけた。
「多和と呼ばれるところは、山間の平坦になっている小さな窪地を指していう(p.215)」
2
5/14 10:08
流れの左岸を彷徨って、"多和"の名にふさわしい広場を見つけた。
「多和と呼ばれるところは、山間の平坦になっている小さな窪地を指していう(p.215)」
広場を見渡す。
「かつて営林署の飯場があった(p.215)」との記述があったので、建屋の骨組みや礎石ぐらい残っていないかと期待していたが、それは残っていなかった。
2
5/14 10:10
広場を見渡す。
「かつて営林署の飯場があった(p.215)」との記述があったので、建屋の骨組みや礎石ぐらい残っていないかと期待していたが、それは残っていなかった。
だがこの広場の一隅で、通い徳利を見つける。
高台径13cm。
3
5/14 14:59
だがこの広場の一隅で、通い徳利を見つける。
高台径13cm。
飯場跡と呼べるような気配は濃厚だった。
3
5/14 10:12
飯場跡と呼べるような気配は濃厚だった。
広場のすぐ西側に明瞭な踏跡あり。
確証は持てないけれど、ここが営林署の飯場跡ではないだろうか。
3
5/14 10:12
広場のすぐ西側に明瞭な踏跡あり。
確証は持てないけれど、ここが営林署の飯場跡ではないだろうか。
広場に立つ、シンボリックなカツラの木。
このほかにも、周囲には何本かカツラの木があった。
5
5/14 10:22
広場に立つ、シンボリックなカツラの木。
このほかにも、周囲には何本かカツラの木があった。
さらに、この広場の西(踏跡を越えたさらに西)に豊かな湧水を見つける。
「(私記の)記述通り水流は二筋存在する。宿跡の西側からの湧水である(p.215)」
2
5/14 14:48
さらに、この広場の西(踏跡を越えたさらに西)に豊かな湧水を見つける。
「(私記の)記述通り水流は二筋存在する。宿跡の西側からの湧水である(p.215)」
湧水を飲んでみた。
いい水だった。
6
5/14 14:51
湧水を飲んでみた。
いい水だった。
この流れもどこで伏流するのか調べてみた。
0
5/14 14:49
この流れもどこで伏流するのか調べてみた。
北東へ流れ、距離にして100mほどで伏流してしまう。
大和田沢が伏流した地点とほぼ同じ標高である。
1
5/14 15:03
北東へ流れ、距離にして100mほどで伏流してしまう。
大和田沢が伏流した地点とほぼ同じ標高である。
さて、広場のすぐ南側に一段高い平場があった。
「その上の棚に多和ノ宿推定地がある(p.215)」
1
5/14 10:23
さて、広場のすぐ南側に一段高い平場があった。
「その上の棚に多和ノ宿推定地がある(p.215)」
平場の上に乗ったのだが__
『全踏査』の214頁に多和ノ宿推定地とされる写真が載っているのだが、写真と同じポイントを見つけることは叶わなかった。
また「宿跡からは木の間越しに湖面が見え隠れする距離にある(p.215)」とあるが、この日のこの位置から湖面は見えない。
湖面を見るにはここから50mほど湖に近づかなければならなかった(大多和沢が伏流したあたり)。
僕の力量では、これが精いっぱいだ。
ここを多和ノ宿比定地と考える。
4
5/14 10:20
平場の上に乗ったのだが__
『全踏査』の214頁に多和ノ宿推定地とされる写真が載っているのだが、写真と同じポイントを見つけることは叶わなかった。
また「宿跡からは木の間越しに湖面が見え隠れする距離にある(p.215)」とあるが、この日のこの位置から湖面は見えない。
湖面を見るにはここから50mほど湖に近づかなければならなかった(大多和沢が伏流したあたり)。
僕の力量では、これが精いっぱいだ。
ここを多和ノ宿比定地と考える。
多和ノ宿探索に小一時間を費やした。
次に黒檜岳に登るが、これは行き先よりもルートそのものが探索対象になる。
大和田沢左岸を遡る。
1
5/14 10:43
多和ノ宿探索に小一時間を費やした。
次に黒檜岳に登るが、これは行き先よりもルートそのものが探索対象になる。
大和田沢左岸を遡る。
「"私記"の記述から、2つのことが分かる。ひとつは"黒檜の御タケ"へは往復登頂であったこと。(中略)二つ目は、登頂ルートが二つあったこと。(中略)多和ノ宿を基地として、大和田沢の左岸の緩やかな落葉樹林帯を辿るコースと宿跡から右手の稜線に取り付くコースの二つである(p.216)」
shige-ponさんは"右手の稜線"を湖畔の末端部から登り、この沢筋は下りのルートとされていた。
僕は記述通りこの沢筋を遡ってみる。
草鞋の時代じゃ、大変だったんじゃないかなあ。
5
5/14 10:53
「"私記"の記述から、2つのことが分かる。ひとつは"黒檜の御タケ"へは往復登頂であったこと。(中略)二つ目は、登頂ルートが二つあったこと。(中略)多和ノ宿を基地として、大和田沢の左岸の緩やかな落葉樹林帯を辿るコースと宿跡から右手の稜線に取り付くコースの二つである(p.216)」
shige-ponさんは"右手の稜線"を湖畔の末端部から登り、この沢筋は下りのルートとされていた。
僕は記述通りこの沢筋を遡ってみる。
草鞋の時代じゃ、大変だったんじゃないかなあ。
ヤマネコノメさんかな?
互生だった。
3
5/14 10:58
ヤマネコノメさんかな?
互生だった。
雪渓の残るところが小さな滝になっていて、そこで大和田沢は右折する。
「落葉樹を右折するように超えると尾根は狭まり沢水が出現する(p.216)」
『全踏査』の記述とは異なり、この日の沢水は宿推定地から一貫して豊富だった。
1
5/14 11:01
雪渓の残るところが小さな滝になっていて、そこで大和田沢は右折する。
「落葉樹を右折するように超えると尾根は狭まり沢水が出現する(p.216)」
『全踏査』の記述とは異なり、この日の沢水は宿推定地から一貫して豊富だった。
右折直後の風景。
だんだんと水量は減るが、しっかり流れている。
「登る程に水量は豊富になり谷間はその沢音に充満される(p.216)」と美文調で描かれていて惑わされる。
現状ははちょっと様子が違った。
0
5/14 11:03
右折直後の風景。
だんだんと水量は減るが、しっかり流れている。
「登る程に水量は豊富になり谷間はその沢音に充満される(p.216)」と美文調で描かれていて惑わされる。
現状ははちょっと様子が違った。
ミソサザイくん。
安定して水の流れている沢なのだろう。
2
5/14 11:07
ミソサザイくん。
安定して水の流れている沢なのだろう。
「沢を詰めると、二股となり視界が開ける。水流はその左股から勢いよく流れ、右股は涸れた沢である。(p.216)」
ここがその二股だろうか。
あまり二股っぽくないが、ここから上流は涸沢となっている。
1
5/14 11:09
「沢を詰めると、二股となり視界が開ける。水流はその左股から勢いよく流れ、右股は涸れた沢である。(p.216)」
ここがその二股だろうか。
あまり二股っぽくないが、ここから上流は涸沢となっている。
左俣から流れ落ちる水。
p.216にある写真と同じ地点か、判別できない。
1
5/14 11:11
左俣から流れ落ちる水。
p.216にある写真と同じ地点か、判別できない。
地形図を見るとこの先に大きな二股があるので、念のため確かめに行った。
両股とも涸れ沢であった。
0
5/14 11:13
地形図を見るとこの先に大きな二股があるので、念のため確かめに行った。
両股とも涸れ沢であった。
戻って、先ほどの出合から取付くことにした。
「登るのはこの涸れた沢ではなく、沢に沿った左岸稜線のコメツガ林を急登することになる(p.216)」とあるが、コメツガが見当たらない。
文章をどう解釈するかが問題となる。
最終的に登るべき尾根は見当がついているので、ここから1528P目指して直登することにした。
ザレた斜面を登っていく。
1
5/14 11:24
戻って、先ほどの出合から取付くことにした。
「登るのはこの涸れた沢ではなく、沢に沿った左岸稜線のコメツガ林を急登することになる(p.216)」とあるが、コメツガが見当たらない。
文章をどう解釈するかが問題となる。
最終的に登るべき尾根は見当がついているので、ここから1528P目指して直登することにした。
ザレた斜面を登っていく。
1528P。
平坦ではあるが、かなり複雑な地形だった。
黒檜岳の緩やかな東斜面が雨水で幾筋も浸食されていて、それらが1528Pあたりの平場で合わさっている。
浸食痕が入り組んでいて、目指す尾根がよく分からない。
3
5/14 11:38
1528P。
平坦ではあるが、かなり複雑な地形だった。
黒檜岳の緩やかな東斜面が雨水で幾筋も浸食されていて、それらが1528Pあたりの平場で合わさっている。
浸食痕が入り組んでいて、目指す尾根がよく分からない。
取付くべき尾根がなかなか分らなかった。
1
5/14 11:54
取付くべき尾根がなかなか分らなかった。
上の方から滔々と水音が聞こえだし、あせる。
先ほどの涸沢もまた、伏流していたのかもしれない。
始め、画像中央の尾根に取付いたが__
1
5/14 11:58
上の方から滔々と水音が聞こえだし、あせる。
先ほどの涸沢もまた、伏流していたのかもしれない。
始め、画像中央の尾根に取付いたが__
その右にある笹尾根だった。
こう見えてけっこう笹が深い。
1
5/14 12:01
その右にある笹尾根だった。
こう見えてけっこう笹が深い。
登りはじめこそ鹿道があったが、すぐ消えた。
登りながら取付を見下ろす。
1
5/14 12:03
登りはじめこそ鹿道があったが、すぐ消えた。
登りながら取付を見下ろす。
カメラを水平にして撮影。
胸高の笹斜面だった。
2
5/14 12:20
カメラを水平にして撮影。
胸高の笹斜面だった。
標高1750mあたりからコメツガ林に入った。
0
5/14 12:24
標高1750mあたりからコメツガ林に入った。
コメツガ林の末端で一休み。
尾根と直交するようにシカ道があった。
データを見ると、shige-ponさんはここを南に下って大和田沢に下りたようだ。
『全踏査』にあった「沢に沿った左岸稜線のコメツガ林」とはこの地点を指すのかもしれない。
つまりshige-ponさんのルートが正解。
4
5/14 12:27
コメツガ林の末端で一休み。
尾根と直交するようにシカ道があった。
データを見ると、shige-ponさんはここを南に下って大和田沢に下りたようだ。
『全踏査』にあった「沢に沿った左岸稜線のコメツガ林」とはこの地点を指すのかもしれない。
つまりshige-ponさんのルートが正解。
同じ地点から。
シカ道は北へ延びていた。
0
5/14 12:29
同じ地点から。
シカ道は北へ延びていた。
さて、ここからコメツガ林を抜けて黒檜稜線上の登山道を目指す。
踏跡はないが、下草もない。
0
5/14 12:27
さて、ここからコメツガ林を抜けて黒檜稜線上の登山道を目指す。
踏跡はないが、下草もない。
頂上稜線が見えてきた。
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5/14 12:55
頂上稜線が見えてきた。
登山道と合流。
"山頂部北の花崗岩ピーク(p.216)"をめざして南西へ進む。
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5/14 12:57
登山道と合流。
"山頂部北の花崗岩ピーク(p.216)"をめざして南西へ進む。
山頂北東側の積雪状況。
最近踏まれた形跡がなかった。
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5/14 13:38
山頂北東側の積雪状況。
最近踏まれた形跡がなかった。
そして花崗岩ピークを発見する。
『私記』には「黒檜ノ御タケヘ參」としか書かれておらず、法楽の記録はない。
大和久震平『古代山岳信仰遺跡の研究』67頁によれば、「"晃嶺古記集"には"白根禅頂黒檜嶽禅頂とは、六七月両月の間、信心の道俗参詣す、特に険難の霊場なり"とあって、男体山・奥白根と並んで黒檜岳も禅頂行の山であったことが分かる」とある。大和久氏は続けて「もしこの山に古い信仰の遺跡があるとすれば、これは山頂点ではなく、やや下った位置にある巨岩の場所と考える。この場所も中世を遡る遺物は出土しないと思う(p.67)」としている。
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5/14 13:06
そして花崗岩ピークを発見する。
『私記』には「黒檜ノ御タケヘ參」としか書かれておらず、法楽の記録はない。
大和久震平『古代山岳信仰遺跡の研究』67頁によれば、「"晃嶺古記集"には"白根禅頂黒檜嶽禅頂とは、六七月両月の間、信心の道俗参詣す、特に険難の霊場なり"とあって、男体山・奥白根と並んで黒檜岳も禅頂行の山であったことが分かる」とある。大和久氏は続けて「もしこの山に古い信仰の遺跡があるとすれば、これは山頂点ではなく、やや下った位置にある巨岩の場所と考える。この場所も中世を遡る遺物は出土しないと思う(p.67)」としている。
『全踏査』216頁の写真と同じ角度で撮影できた。
大和久氏のいう「やや下った位置にある巨岩」もおそらくこの磐座なのだろう。
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5/14 13:09
『全踏査』216頁の写真と同じ角度で撮影できた。
大和久氏のいう「やや下った位置にある巨岩」もおそらくこの磐座なのだろう。
失礼ながら、花崗岩ピークに登ってみた。
景色は霧の中である。
「"日光山堂舎建立記"に"絶頂ニ軍荼利明王ヲ勧請ス"とある(p.216)」と『全踏査』にある。
軍荼利明王は五大明王の一として、不動明王を中心において南方を護る仏なのだが、黒檜岳の位置を考えると「ずいぶん南西に軍荼利を置いたな」と感じていた。教王護国寺(東寺)講堂の伽藍配置を見たら、南西に配置されていることを知った。
奥日光のどこかに降三世明王・ 大威徳明王・ 金剛夜叉明王も勧請されていたのかもしれないが、今もってその記録が見つけられないでいる。
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5/14 13:14
失礼ながら、花崗岩ピークに登ってみた。
景色は霧の中である。
「"日光山堂舎建立記"に"絶頂ニ軍荼利明王ヲ勧請ス"とある(p.216)」と『全踏査』にある。
軍荼利明王は五大明王の一として、不動明王を中心において南方を護る仏なのだが、黒檜岳の位置を考えると「ずいぶん南西に軍荼利を置いたな」と感じていた。教王護国寺(東寺)講堂の伽藍配置を見たら、南西に配置されていることを知った。
奥日光のどこかに降三世明王・ 大威徳明王・ 金剛夜叉明王も勧請されていたのかもしれないが、今もってその記録が見つけられないでいる。
黒檜岳がなぜ特別な山だったのかは分からない。
基本的に円環状に歩く三峯五禅頂において、円環を飛び出して参るのは二宮と三枚石・男体山・奥白根とここぐらいである。
ここが今日の目的地と言っていいのだが、せっかくなので黒檜岳山頂に立ち寄る。
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5/14 13:14
黒檜岳がなぜ特別な山だったのかは分からない。
基本的に円環状に歩く三峯五禅頂において、円環を飛び出して参るのは二宮と三枚石・男体山・奥白根とここぐらいである。
ここが今日の目的地と言っていいのだが、せっかくなので黒檜岳山頂に立ち寄る。
黒檜岳山頂への分岐。
ここにある御料局境界標石がすばらしい。
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5/14 13:17
黒檜岳山頂への分岐。
ここにある御料局境界標石がすばらしい。
界甲一三七。
「字クロビ嶽」とある。
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5/14 13:18
界甲一三七。
「字クロビ嶽」とある。
反対面には「字ケサマルガ嶽」との文字。
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5/14 13:18
反対面には「字ケサマルガ嶽」との文字。
黒檜岳には2ヶ所のピークに山名板がある。
まずは1976pにかかる山名板。
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5/14 13:29
黒檜岳には2ヶ所のピークに山名板がある。
まずは1976pにかかる山名板。
こちらの山名板には百名山と書かれてある。
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5/14 13:36
こちらの山名板には百名山と書かれてある。
さらに進むともう一つのピークに__
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5/14 13:32
さらに進むともう一つのピークに__
2枚の山名板。
木製の山名板は、山部藪人さんのやつだ。
さて『全踏査』に「二手ニ参也(p.216)」とあるので、今度は尾根道を下って多和ノ宿を目指す。
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5/14 13:33
2枚の山名板。
木製の山名板は、山部藪人さんのやつだ。
さて『全踏査』に「二手ニ参也(p.216)」とあるので、今度は尾根道を下って多和ノ宿を目指す。
1802Pを通過。
千住ヶ浜から上ってくる黒檜岳登山道とはここで分かれ、北東側に下っていく。
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5/14 14:02
1802Pを通過。
千住ヶ浜から上ってくる黒檜岳登山道とはここで分かれ、北東側に下っていく。
尾根は広やかで、下りで使うと尾根筋の読みにくい尾根だった。
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5/14 14:16
尾根は広やかで、下りで使うと尾根筋の読みにくい尾根だった。
尾根肩に来た。
午前中に見つけた多和ノ宿比定地に向かって直接下る。
「宿跡から右尾根の東斜面に取り付き、針葉樹林を登ることになる(p.216)」
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5/14 14:19
尾根肩に来た。
午前中に見つけた多和ノ宿比定地に向かって直接下る。
「宿跡から右尾根の東斜面に取り付き、針葉樹林を登ることになる(p.216)」
尾根筋はシャクナゲが繁茂していたので__
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5/14 14:36
尾根筋はシャクナゲが繁茂していたので__
巻きながら下降。
中禅寺湖が見えてきた。
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5/14 14:31
巻きながら下降。
中禅寺湖が見えてきた。
いよいよ多和ノ宿推定地の直上。
広場に向かってまっすぐ下りた。
ここのシャクナゲは数メートルしか続かない。
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5/14 14:38
いよいよ多和ノ宿推定地の直上。
広場に向かってまっすぐ下りた。
ここのシャクナゲは数メートルしか続かない。
見えてきた広場めがけて下る。
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5/14 14:41
見えてきた広場めがけて下る。
下りながら、下り始めた地点を確認。
白岩の左側の藪から出てきた。
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5/14 14:43
下りながら、下り始めた地点を確認。
白岩の左側の藪から出てきた。
広場から振り返ったら、どこを下りたか分らなかった(笑)
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5/14 14:46
広場から振り返ったら、どこを下りたか分らなかった(笑)
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5/14 15:06
千住ヶ浜へは、広場の湧水をたどって涸沢を下った。
ここで湧水由来の涸沢は、大和田沢(の涸沢)と出合う。
これを下れば__
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5/14 15:09
千住ヶ浜へは、広場の湧水をたどって涸沢を下った。
ここで湧水由来の涸沢は、大和田沢(の涸沢)と出合う。
これを下れば__
大多和沢氾濫原で一番長い "2番目の橋" に出た。
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5/14 15:10
大多和沢氾濫原で一番長い "2番目の橋" に出た。
ハイキングコースに復帰する。
次は千住堂を目指す。
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5/14 15:10
ハイキングコースに復帰する。
次は千住堂を目指す。
中禅寺湖は霧の中。
もう何も見えなかった。
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5/14 15:13
中禅寺湖は霧の中。
もう何も見えなかった。
俵石のすぐ手前にあった遭難慰霊碑。
昭和53年銘。
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5/14 15:24
俵石のすぐ手前にあった遭難慰霊碑。
昭和53年銘。
俵石標識。
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5/14 15:25
俵石標識。
俵石にて。
崩落したハイキングコースを復旧中だった。
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5/14 15:25
俵石にて。
崩落したハイキングコースを復旧中だった。
黒檜岳登山口の100mほど東にある「関係者以外立入禁止」の標識。
三等三角点「久呂美岳」への取付にもなる地点だが、詳細は分らない。
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5/14 15:32
黒檜岳登山口の100mほど東にある「関係者以外立入禁止」の標識。
三等三角点「久呂美岳」への取付にもなる地点だが、詳細は分らない。
中禅寺湖西岸にたどり着いた。
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5/14 15:36
中禅寺湖西岸にたどり着いた。
千住堂がほぼ完成していた。
船禅頂の時以外は施錠してある模様。
地形に比して堂宇が大きすぎるように感じた。
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5/14 15:36
千住堂がほぼ完成していた。
船禅頂の時以外は施錠してある模様。
地形に比して堂宇が大きすぎるように感じた。
千住堂にて。
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5/14 15:43
千住堂にて。
もう5月中旬だというのに、ヒドリガモがまだ残っていた。
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5/14 15:47
もう5月中旬だというのに、ヒドリガモがまだ残っていた。
千住堂と同時に作られたと思しき小さなお堂があった。
千住ヶ浜にあった元禄14年銘の不動明王立像(p.217)はこちらに安置されていて、船禅頂の時に開帳される。
夏峯とは関係のない像ではあるが、下嶋甚右衛門というものが日光奉行屋敷と二荒山神社中宮祠本殿の普請成功の願をかけて奉納したものだと思う。
余談だが鴎外の短編が基になっている新作歌舞伎「ぢいさんばあさん」に下嶋甚右衛門という敵役が登場するが、関連はないようだ。
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5/14 15:48
千住堂と同時に作られたと思しき小さなお堂があった。
千住ヶ浜にあった元禄14年銘の不動明王立像(p.217)はこちらに安置されていて、船禅頂の時に開帳される。
夏峯とは関係のない像ではあるが、下嶋甚右衛門というものが日光奉行屋敷と二荒山神社中宮祠本殿の普請成功の願をかけて奉納したものだと思う。
余談だが鴎外の短編が基になっている新作歌舞伎「ぢいさんばあさん」に下嶋甚右衛門という敵役が登場するが、関連はないようだ。
ハルトラノオかな?
群生していた。
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5/14 15:56
ハルトラノオかな?
群生していた。
2基の石祠は道端にあった。
整地したとき動かされた感は強い。
入母屋の祠の、寛政11年(1799)銘ははっきり読めた。
「二基とも日光修験夏峯の拝所とはなっていない。(中略) かつて、ここに千手原の木材等の運搬のための船着き場があって、これに従事した人たちの奉納であるといわれている(p.217)」
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5/14 15:57
2基の石祠は道端にあった。
整地したとき動かされた感は強い。
入母屋の祠の、寛政11年(1799)銘ははっきり読めた。
「二基とも日光修験夏峯の拝所とはなっていない。(中略) かつて、ここに千手原の木材等の運搬のための船着き場があって、これに従事した人たちの奉納であるといわれている(p.217)」
斜面に纏わって流れる雲。
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5/14 16:00
斜面に纏わって流れる雲。
千住ヶ浜の船着き場での工事。
待合室でも作っているのかと思ったら__
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5/14 16:04
千住ヶ浜の船着き場での工事。
待合室でも作っているのかと思ったら__
造船中だった!!!
125総トン型鋼製双胴旅客船、隅田川造船蠅砲茲訐澤廖
こういうのって、現場で造るんだなあ。
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5/14 16:05
造船中だった!!!
125総トン型鋼製双胴旅客船、隅田川造船蠅砲茲訐澤廖
こういうのって、現場で造るんだなあ。
興味津々だが__
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5/14 16:06
興味津々だが__
疲れたのでバスを乗り継いで歌ヶ浜に帰った。
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5/14 16:12
疲れたのでバスを乗り継いで歌ヶ浜に帰った。
凄いルートだねぇ…(>人<;)
感心しました。
県境尾根にとうとうきたって感じですか!!調べ物しながらだと、テン泊装備で回るのでしょうか?
このシリーズ楽しみにしてます(^^)
コメントありがとう!
(&初八おめでとう🎊)
歩き終わってこういうのも何なんですが、多和ノ宿から黒檜へのみちはぜんぶシゲポンさんのルートで良かったんじゃないかという気がしないでもないです(笑)
6月半ばに5日間のフレックス休暇が取れたので、その時に歩けるだけ歩いちゃおうと思ってます。
梅雨になんか負けないじょ(^з^)-☆
いつも興味深い記録を配信してくださり、
ありがとうございます。
ボリューミーなので、覚悟して拝見しています(苦笑)
>五来重 編『修験道史料集・東日本編(山岳宗教史研究叢書17)』名著出版
参考資料にしびれました。
なんておもしろそうな本でしょうか!!!
今から山川出版社から発行している日本史リブレット
小澤浩著『民衆宗教と国家神道』を斜め読みしながら晩酌です(呆)
仕事帰りに本屋さんで買ってきました。
こんばんは〜、お元気でしょうか?
苦笑に関しては申し訳ありません。
(笑)
日本史リブレットシリーズは面白そうな本がいっぱいあるんですよねぇ。アマゾンのカートに何冊か放り込んだまま放置しちゃってるんですが(笑)
名著出版のあの本は通常1万超の高〜い本で、僕なんかだと手元に置いておけないような本なんですが、ある日アマゾンで「アウトレット」と称して2千5百円で売っていたという、曰く付きの本です。
もちろん新刊でした。たぶん神さまが僕に安く譲ってくれたんだと思います(=´∀`)
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