canadianrocky Robson 3954m kain face (1913first acsent)rout

- GPS
- 176:00
- 距離
- 29.7km
- 登り
- 3,183m
- 下り
- 175m
コースタイム
22日:ホワイトホルンキャンプ場→バーグレイクキャンプ場
23日:バーグレイクキャンプ場→ロブソン氷河末端→エクスティングイッシャタワー麓のキャンプ(ex camp)co.2100
24日:(ex camp)から上部往復
25日:(ex camp)から上部往復
26日:ex camp→アイスフォール突破→ドームキャンプ(dome camp)Co.3000
27日:dome campより山頂アタック
28日:dome campより下山
過去天気図(気象庁) | 2011年08月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
例年より雪が多い夏という話だった。天気がずっと悪く8月下旬しか晴れないのはいつも通りとのこと。 アイスフォールの状態はまあまあ難。 ケインフェイスの雪の状態は良。 山頂下の雪斜面のガーゴイルは発達著しい。 雪庇は大きいが、判断に困るものではない。 今年の登頂は我々と、マニトバ州から来た二人組(同日登頂)の6人のみ。昨年は登頂記録無し。 |
写真
感想
<Robsonのこと、パーティーのこと>
Robsonはカナディアンロッキー最高峰。カナダ最高峰でもロッキー山脈最高峰でもないので知名度は関脇級かも。しかし山脈と言っても周りの山はかなり低く、大きな独立峰のようなその風格は横綱級。天候が悪く、地形的弱点の無い山容なので登頂率は10パーセントと言われている。北、西、南側はコンタ差三千米の岩塊で難。東側の氷河から近づく1913年の初登ルートを行く。アイスフォール帯と、ケインフェイス(コンタ差500m傾斜60度の雪壁)と山頂下の平均傾斜45度のガーゴイル帯(大きなシュカブラの塊が三つある)の三つの核心を超えて行く。楽には行けない山。約4000m峰だけど緯度は52度。極東では間宮海峡あたりだ。2000mで氷河が出る。北海道に5000m峰があればこんな感じか。
今年の夏のRobsonは異常な降雪だったそうで通常8月中旬に晴れるところ、この期間以外はずっと雲の中だったらしい。幸運に恵まれた。現地ガイドは雪の状態も悪かろうと、アイスフォールまで行くのも嫌がった。
森のトレッキングをして氷河途中のモレーンまで三日、そこから二日で山頂の行程。撮影の仕事なので晴れるまで粘るつもりで、一週間分の食糧と撮影機材をヘリで荷揚げする。ヘリは一時間1200ドルほどで、高額なポーターを何人も雇うより、かなり安い。
一行は4人。70年代谷川岳以来岩壁登攀叩き上げのスーパーガイド、ノブ。三代続く国体長距離選手のテツ、「雪は消えねど〜」大山岳部出身のクリ。それにバンクーバー在の元水泳国体選手の動物写真家ヒロさんが山麓でバックアップ。
<タワーキャンプまで>
二泊目のバーグレイクまではトレッキングコースなので、たくさんのバックパッカーが歩いている。上高地の梓川沿いのようなところ。レインジャーもいてホワイトホルンキャンプのアンさんは陽気に話しかけて来てくれた。高山植物は日本に似ている。ヤナギランやニリンソウに似たものなど。動物はうろうろしている。熊も鹿もリスもナキウサギも。子供と来たら楽しかろうね。バーグレイクから先は樹林がなくなり、氷河になる。クランポンを付けてひたすら登る。この辺は隠れクレバスも崩壊セラックもなく、気楽なもの。標高2100mの、氷河の脇、一枚岩が露出しているところにタワーキャンプを張る。この隣にあるエクスティングイッシャタワーはロウソクの火を消すカップの形に似ているのでこの名だそうだ。始めは消防見張り塔のことかと思った。
ここには合計4パーティーが張っていた。バンクーバーから来たという、息子と親父の陽気な二人組。オヤジは雪山初めてっぽいので氷河歩き目的だろうか。初心者二人を連れたカザフスタンのガイド(コリア系)の三人組。二人はエストニアとアゼルバイジャン出身のカナダ人夫婦だった。それから単独リトアニア人、それにマニトバ州から来た若い二人組。カナダは、移民の国。まったくいろんな先祖の人たちが来ている。僕は興味津々でみんなの先祖を聞いて回った。
ここまで荷物を運んでくれた三人のポーターは帰って行った。オヤジギャクを連発するボブ、いつも笑顔のニール、何にでも興味津々のマインツのドイツ人娘イザベルのおかげで楽しい道中だった。ガイドで来たはずのマークも雪の状態が悪くて行けないというので、ここで別れた。ここまでの技術や兵站の手際を見ても明らかに経験不足の上、クラい人なので、お別れする事に。行けないっていうんなら仕方ない。カザフのソン・ガンホ似のガイド氏は「君たちなら行けると思う。日本人は強いのわかっている」と予言してくれた。
<ドームキャンプまで/アイスフォール帯突破>
アイスフォール帯は、氷河が急な段差でばきばきに割れているところ。ドームの上に抜けるにはこのアイスフォール帯のましな所を阿弥陀くじのように縫って行く。昼間は気温が高く、崩れる可能性が高いので早起きして行く。寝込みを襲うわけだ。ここでは日の出は7時、日の入りは21時過ぎ(アルバータ時間)。午前3時発。気温4度。朔月で、真っ暗。ああこれが満月ならあらまほし。足元の硬い雪が柔らかくなる頃アンザイレンする。落とし穴の地雷原をヘッドランプで照らしながらアイスフォール期部までたどり着く。この暗闇の中どう行くんだ?と言う感じだが、前日の偵察で、ノブさんの脳内にはイメージが出来上がっていたそうだ。そうは言ってもこの暗黒の中、前日出ていたマニトバの二人組のトレースを発見、大いに助かった。体がデカイせいか、足跡がやけに深い。通過時間も真っ昼間だったようで、雪も潜ったろう。二ヶ所ほど、結構緊張の崩落気味スノウブリッジを綱渡りして、核心を超えた頃日の出。ドームに続く緩い斜面を登ると、ケインフェイスと山頂付近が見えた。マークは、セッピがナダレがと嘆いていたが、どう見ても行ける状態だ。天気が持てば、明日決行だ。
ドーム上で、先行パーティーの二人に挨拶する。昨日ここまで来て、きょうは疲れたので寝ていたそうだ。ごくろうさん。ケインフェイスにトレースが無いので、はじめクレバスに落ちたかもとノブが思った。二人はトールとマイク。山登り2年目ながら、あっちこっちの雪山に登って今が楽しい27歳。何事にも研究熱心でケインの評伝、「Where clouds can go」も読んでいる。ノブや僕が登ったヒマラヤの山の事、日本の歴史や文化の事、なんでも興味を持って聞く。礼儀も正しい。凄く素敵な若者たちだ。
午後、このドームの上に、一週間粘れるだけのメシと燃料とがヘリで飛んで来た。凄腕パイロットのグレッグが、フツーの格好で降りて来た。このへんの山の訛りでオーケーを「ユ・ベッチャ」とかいうのだ。親指立てて飛んで行った。明日のアタックで天気が良ければ、カナダの登山家兼キャメラマン、パット・モロウさんを乗っけて空撮に来てくれる。
メシはあるけど、勝負は明日だ。好きなだけ食べて眠る。マイクはどん兵衛きつねそばが気に入った模様。
<山頂アタック>
3時40分発。ケインフェイスの下の方に幅1mほどのベルクシュルンドが走っている。これの一番狭いあたりから乗り越える。ノブのルート取りはフェイス左端、岩に近いあたりから直上して稜線の大雪庇の左側に出るかんじ。暗いのによくまあ進んで行く。壁取り付きから延々アンザイレンする。二人一組で60mを8ピッチ。雪の状態は最良で、つま先蹴り込めば7センチ程入って安定するし、アックスも首根っこ掴んで振るのが最適な雪の堅さだ。傾斜60度ながら真っ暗なので高度感無し。タンタンと遠くのヘッテンの灯りを見ながら登る。トールとマイクはやや右寄りの雪壁を登ってくるが、ザイル扱いに慣れていないのかスピードは速くない。ピッチの度大きな足場を切っているようだ。
稜線に上がる頃朝焼けに壁が深紅色になった。遠い空の際が緑色に光っている。ロッキーの幅広い山並みは褶曲堆積岩の模様を見せて、薄茶色だ。
コンタ3000米の稜線にあがり、傾斜が緩んで一息つく7時。雪庇の根元をトラバースする斜面は結構急だ。このままコンテで行く。山頂下の急傾斜は45度ほど。ここからの標高差500米は意外と時間がかかった。大きなエビの尻尾で覆われた雪の塊が結構登行を阻むので、その左脇を巻く様に上がって行く。この数十メートルの瘤をあっちの本では「ガーゴイル(鬼瓦gargoil)」と書いていた。三つめのガーゴイルを超えるとクレバスが塞がったような溝状テラスがあって、帰りのビバークはここか、ケインフェイスの上にイグルーのどっちかだと、メドを付ける。登り始めてもう10時時間以上だ。撮影の仕事もあるし、明るいうちには帰れない。ビバーク候補地を超えると、山頂東のニセピークに出た。ここから西へ500米ほど。雪庇の基部をトラバースして行くと、どこよりも高い山頂14時半。天気もメンバーにも恵まれちょうど軽自動車一台分の広さの山頂だ。快晴。風もない。
トールとマイクも20分ほどすると登って来た。グレッグとパットさんのヘリが飛んで来て空撮。すべて成功。ここで、天候がいいので、ヘリを山頂に着けて、ドームキャンプまで皆を降ろす事に変更する。トールとマイクも誘ったら喜んだ。「Robsonにはもっかい来るかもしれないけど山頂からヘリで降りるチャンスはもうないだろう」だって。グレッグは山頂の、まさにヘリの足が載るだけの場所にぴたりと降りて、あっというまにドームキャンプへ。ビバークするつもりでいろいろ算段していたのでなんだか拍子抜け。でもまあ仕事の山なんだから、仕事が終わったらできる限り安全な方法で引き揚げるのが最良なのでしょう。すべて懸念を片付けてドームテントで、最高の気分で飲食する。
翌日、ドームキャンプに迎えに来たヘリに荷物を積んで、一気に下山。標高900のトレイルヘッドは猛暑に感じた。
初登者コンラッド・ケインはオーストリアから1909年カナディアンロッキーに来てガイドをした。横断鉄道がジャスパーまで来て、一帯の探検が行われていた時代。未知未踏の山域を歩き回った羨ましき人。日本のアルピニズム黎明期とほぼ同じ時代だ。ケインの足跡を辿り、クランポンの無かった時代に、ナーゲル靴でカッティングして登った様を幾度も空想しながら登った。ちょうど百年前のことだ。
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