(過去レコ)餓鬼岳⇔唐沢岳⇒燕岳
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 23.5km
- 登り
- 3,309m
- 下り
- 2,850m
コースタイム
- 山行
- 4:55
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 5:30
- 山行
- 9:10
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 10:25
- 山行
- 2:50
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 3:45
しゃくなげ荘→白沢登山口=タクシー(6,400円)
翌日10日は毛勝三山縦走のため、高速道にて魚津市へ移動
天候 | 7日=晴れ後曇り 8日=快晴 9日=快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス タクシー 自家用車
|
写真
感想
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【山行記録投稿=2018年1月22日】
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当初の予定は黒部ダムから裏剱へ入り、池ノ平山から赤谷山へ縦走し、馬場島で泊まって、翌日は早月尾根を登り、室堂から扇沢へ戻る3泊4日または4泊5日の予定だった。
6日夜遅く家を出て、ずっと一般道で扇沢へ。午前3〜4時頃に着く。トロリーバスの始発は7時半なので車中で仮眠する。夜が明けてびっくり!小雨が降っている。取り敢えず、途中の牛丼店で買って来た牛丼で朝食を済ませる。
裏剱の仙人池ヒュッテへ、天候や登山道の状況を確認するため電話すると、「立山は雪が降っています。剱の登山は無理です」との事。予報では長野は曇りのち晴れだったのに…
餓鬼岳小屋に電話すると、上空は晴れていますとのこと。甲高い女性の声だった。
この時点で裏剱は諦め、餓鬼岳&唐沢岳から燕岳を縦走することにした。北アの主脈全区間と主脈西側の北方稜線〜立山〜薬師〜笠ヶ岳は縦走済みだったが、東側の唐沢〜燕〜常念〜霞沢間は、唐沢〜燕間が未踏だった。裏剱をやめたことで日程に余裕が出来、毛勝三山縦走も出来そうだった。
7時45分、白沢登山口をスタート。駐車場には多摩ナンバーの軽と地元の普通車有り。
上空はよく晴れている中、2時間ばかり遅いスタートとなったのでピッチを上げる。汗びっしょりとなる。大凪山は展望なし。それを過ぎた上部で女性二人連れを追い抜く。
餓鬼岳小屋には12時28分に着く。9年前(2002年)に白沢登山口から餓鬼岳へピストンした時は登山口を3時20分にスタートし、8時35分登頂。5時間15分だったので、今回が20分ほど早い。
小屋で宿泊手続きは後回しにして、カメラだけ持って餓鬼岳へ行く。上空は雲の多い晴れで、槍には雲が掛かったり消えたりしていた。
唐沢岳へ往復したかったが、展望はすっきりしないし、往復5時間20分のマップタイムでは夕食の5時までに戻って来るのは厳しいように思え、明日の午前中に行くことにする。
餓鬼岳頂上には13時12分まで32分間いたが、単独行が一人来ただけ。小屋に戻り、宿泊手続きをしてしばらく経つと、単独行の男性二人と女性一人が来た。さらに、途中で抜いた女性の二人連れも。今夜はこの六人だけ。
部屋はとても寒く、ストーブを点けていても少しも暖かくならない。女性二人連れの食事は自前、他の四人は小屋食で、出たものは前もって知っていた ちらし寿司だった。
スタッフは一人だけらしかったが、よく作ってくれると思う。食事までの長い時間は350ミリのビールを飲んでいたので、夕食の量として不足は感じなかった。食後はスタッフが食卓を片付けて布団を敷いてくれ、私は奥の隅に寝場所を確保。その後も消灯の8時まで、ストーブを囲んで登山者同士話し込んでいた。夜中はとても寒く、布団を二人分被っていても寒くてよく眠れず。
翌日。朝食は5時半から、普通の御飯だったが、おかずはあまり多くはなかった。
食後、サブザックにカメラ、水、おにぎり二個を入れ、防寒着を着て唐沢岳へ。餓鬼岳では日の出から数分後だった。雲の全くない爽やかな晴れで、特に立山方面の眺望が素晴らしい。険悪な岩肌に昨日の雪がばらまいた白粉のように残っている。
エアリアで展望台とある所には東餓鬼岳の標示があったように思うが、東餓鬼岳は東沢岳の南東にもある。展望台から北側に大きく下ってアップダウンを繰り返し、2483mピークには唐沢東岳の標示があったように思う。唐沢岳には1時間44分、標準コースタイムより1時間早い。
展望は抜群で、立山方面は餓鬼岳より素晴らしい。山頂から50〜60m先の岩場へ行ってみる。七倉ダムが眼下に見下ろせ、大町ダムもよく見える。20分いて、8時10分に唐沢頂上を後にする。途中で昨夜山小屋で一緒だった単独行と会う。
餓鬼のコブへ戻り、そこで写真を撮ろうとした時、地面におにぎりが二個有り。行きにサブザックから出して入れ忘れていたのだ。餓鬼―唐沢間の最低鞍部は2390mで、8時51分通過。餓鬼岳では25分休む。行きはまだモルゲンロートに染まっていたが、帰りは快晴下の絶景パノラマだった。小屋は今夜は70人の予約が入っているという。布団は良くても一人一枚で、寒くて眠れない人が多いのではないだろうか…
小屋で水を補充し、小屋裏の高台みたいな所で展望を楽しんだ後、10時49分燕岳へ向かう。ザックが急に重くなり、肩に食い込む。
前方には険しい剣ズリが見えていて、ルートは果たしてどのようになっているのだろうかと思っていたが、西側を可成り下まで下って大きく巻くルートなっていた。
稜線上は花崗岩の奇岩が連なり、登山道はごつごつした巨岩が多い歩きにくいルート。所によっては<字形に桟道が設置され、なるべくアップダウンを少なくして、鎖場がない割にはとてもよく整備されていた。
2508mピーク、12時25分で5分の小憩。そこは、剣ズリを巻いたルートから尾根へ上がり、展望が良かった。東沢岳は標識はないが、はっきりそれと分かるピーク。
頂上経由と巻き道、二本のルートがあるが、東沢乗越を隔てて燕岳方面がよく見えていた。このピークまでに実に多くの人と行き会い、白沢から上がる人も多いだろうから、餓鬼岳小屋は今夜は相当込み合うだろうと予想された。
東沢岳を境に地質は一変した。それまでの歩きにくい岩石帯から、歩きやすい土の地面となる。乗越まで240mの下りとなり、今度は2723mピークへ470mの上りとなるが、登り一辺倒で下る部分はなく、岩場や急斜面もなく、標高差の割にはとても歩きやすい。2723pへ上がり、燕山荘へ宿泊申し込みをTELする。
北燕岳へは稜線の東側を大きく下って登り返し、少しバックして頂上に立つ形となる。頂上は上がりにくい岩場だが、展望は抜群。燕岳へ登頂した時には誰もいなかったが、山荘へ向かっている間には次々と手ぶらの登山者に会う。
16時20分、やっとの思いで小屋へ着く。今朝の時点では、今日中に中房温泉へ下ることも考えるほど元気だったが、もうとてもそんな余力はない。
山荘内はごった返していた。身動き取れない状況だったが、スタッフが親切に部屋まで案内してくれた。布団が4枚敷かれた上下に分かれた部屋で、まだ誰も入ってなく、隅っこに寝場所を確保。小屋へ入った時の混みようからすれば、凄く意外だった。受付時には布団1枚で2人と聞いたが、最終的には布団4枚で5人だったようだ。
ただ、夕食は8時からと言われ、ちょっと遅すぎるのでキャンセル、食べるものは余るほど持っていた。500ミリの缶ビールを飲み、おにぎりを食ったらそれで十分だった。
食堂で夕食を採らなかったので、赤沼オーナーのホルンは直接は聞けなかったが、食事の回数ごとに部屋へは聞こえていた。
8時までには眠ったが、私の後にも次々と小屋へ到着する人がいたようだ。さすがは人気ナンバーワンの山小屋だと思った。
翌朝は40〜50分朝食の列に並び、食事後は燕岳へ。10人程を追い抜き、登頂した狭い頂上には2〜3人が先行していた。
今日も早朝から雲の全くない快晴で富士山もよく見える。モルゲンロートに染まる山岳展望を十分に楽しんだ後、山荘のテラス風の展望台でもあちこち歩いて写真を撮りまくる。槍ヶ岳には7回登ったが、燕岳は今回が2回目で、燕山荘泊も2回目。
小屋へ戻り、赤沼さんに挨拶して下山開始。その際、昨夜は何人ぐらい泊まられたのですか?と聞くと、それは企業秘密ですと、うまくかわされた。
中房への下りでも次から次へと登山者と行き会い、度々立ち止まって道を譲る。旅行会社のツアーもあり、今夜は昨夜以上の混みようかとも思われた。
下山後、露天風呂に入ろうと思って中房温泉へ行くと、登山口横の露天風呂に入るよう言われる。あまり綺麗ではなく、顔を洗う所もないので入らず。
バス停へ行って、係員に白沢登山口へ戻る方法を相談すると、しゃくなげ荘までバスで行ってそこでタクシーに乗り換えてくださいと言われ、即タクシーの手配もしてくださった。
燕岳登山口周辺の駐車場は混み合うシーズンには停められない車が多く、当日も登山口まで1時間近く歩くことになるのではないかと思われる所にも停められていた。
当日から魚津市のBHで3連泊し、10日は毛勝三山縦走、11日は鍬崎山、12日は僧ヶ岳⇔越中駒ヶ岳へ向かう。7日から12日まで、天候にも恵まれ、レインウェアを着用することのない秋山だった。
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