デナリ 敗退 2018
- GPS
- 584:00
- 距離
- 54.5km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
アンカレッジからタクシーでタルキートナへ
5月18日 AMSで装備チェック、クレバスからの脱出訓練
国立公園事務所でブリーフィング
5月19日 悪天候により飛行機が飛ばずタルキートナで待機
5月20日 飛行機でカイヒルトナ氷河のランディングポイントへ
その後C1へ(C1泊)
5月21日 C2へ荷揚げしキャッシュ(デポ)ののちC1へ(C1泊)
5月22日 C3へ(C3泊)
5月23日 C2にキャッシュした荷を回収(C3泊)
5月24日 レスト(C3泊)
5月25日 ウインディーコーナー手前に荷揚げしキャッシュ後C3へ(C3泊)
5月26日 C4へ(C4泊)
5月27日 ウインディーコーナー手前のキャッシュした荷を回収(C4泊)
5月28日 高所順応を兼ねてC5手前にアタック用食料を荷揚げしキャッシュ(C4泊)
5月29日 レスト アタックメンバーの発表でC4残留を宣告される(C4泊)
5月30日 レスト(C4泊)
5月31日 アタック組が出発C6に向け出発(C6泊)
我々残留組はレスト(C4泊)
6月 1日 アタック組デナリ登頂後C6へ(C6泊)
我々残留組はレスト(C4泊)
6月 2日 アタック組帰還(C4泊)
6月 3日 C4からC3へ キャッシュした荷を回収後、C1へ(C1で仮眠)
6月 4日 C1からランディングポイントへ
飛行機でタルキートナへ
6月 5日 タルキートナ滞在
6月 6日 タルキートナからタクシーでアンカレッジへ
6月 7日 アラスカ鉄道でsewardへ
船でkenaiフィヨルドをクルーズ
6月 8日〜10日 アンカッレジからポートランド、バンクーバー経由成田へ
天候 | 全日程 晴れまたは曇り、時に小雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
飛行機
タルキートナからBCまで飛行機(タルキートナ エア タクシー) |
コース状況/ 危険箇所等 |
デナリの登山シーズン序盤のため、口を開けたクレバスは少なく、全般的に歩きやすかった。 ハイキャンプのある稜線に出るまで300mくらいフィックスロープがあり、アッセンダーを使用して登ることになるが、アイスバーによる支点が雪の中に埋まっており、アッセンダーの掛け替えに苦労した。 気温は低く、C4でも朝方、氷点下30度以下まで下がる日が続いた。 我がチームの登頂メンバーによるサミットプッシュ時には、好天に恵まれたものの上部キャンプで氷点下35℃くらいになった見込み。 登山期間中で、C4とC5付近でそれぞれ1名ずつ、低体温症で死亡者が出たとのことでした。 |
写真
感想
このレコをアップするか否か、正直迷いました。
しかし、この先デナリを目指す人に少しでも参考になればとの思いから恥を忍んでアップすることにしました。
40年も前に卒業旅行でヨーロッパへ向かう途中、アンカレッジ上空からみたデナリ(当時はマッキンリー)に一目ぼれ。
その想いが抑えきれず、公募隊に申し込みをしました。
ただ、申込者が少なかったため日本人のみの隊の編成ができず、欧米人との混成チームで挑戦することとなりました。
公募隊のガイドはAMS(アラスカ マウンテン スクール)の3名。
隊員は事前に「登山期間中、不適格な隊員はいつでも下山させることができる」旨の念書にサインすることになります。
メンバー構成は、アメリカ人ガイド3名、20~30代の屈強な欧米人3名、日本人は20代の若者1名に最年長の私を含め60代が3名にコーディネーター役の日本人ガイド1名の計11名。
5月20日、飛行機で氷河上のランディングポイントに到着。
ここから本格的な登山が始まりました。
約30圓硫拱を背負い、約20圓龍ζ荏備を載せたスレッドをひき、欧米人のペースで氷河を歩き続けました。
5月26日 C4到着。
翌日27日、C5手前のコルにアタック用の食料を荷揚げをしてC4に戻りました。
山頂のイメージと登頂への自信が湧いた矢先、その翌日の28日、メインガイドから我々60代日本人3名はC4にとどまるよう指示を受けました。
我々のペースではチームが崩壊する恐れがあるとの理由。
欧米人の若者たちに少し遅れはしたものの、自分でギブアップしたわけでもなく、その日の行程もきっちりこなしていたのに…屈辱的な敗退、ショックでした。
なかなか納得できませんでしたが、私自身20~30代の屈強な欧米人と同等の体力とスピードを身に着けて臨まなかったのが敗因と諦めました。
もし、今後デナリに公募隊で挑戦してみようという方は、できれば日本人のみの隊の方が登頂できる可能性が大きいと思います。
コメント
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sumiさん、こんにちは
最近ヤマレコにお見えにならないので、
腰を痛められたのか、もしかしたら海外遠征かな?
って思ってましたら後者の方でしたか
しかも、デナリってマッキンリーのことですか
大変お疲れさまでした。
撤退にもいろいろあるんですね。
20〜30代の屈強な欧米人と同等な体力って
どんなんですか、
想像を絶する世界です。
貴重なレコありがとうございました。
higurasiさん こんにちは
なんともほろ苦い遠征になりました。
アメリカ人ガイドの元、強い者に合わせるってことはある程度予想していましたが、まさかまさかの展開でした。
もう国際公募隊は懲り懲り。
資金も底を尽いたし、これからは身の丈に合った山行を続けていこうと思います。
sumi8848さま
お帰りなさい!
見応えのあるレコ、じっくりと拝見させて頂きました😊
-30℃以下、同じ山域で命を落とされた方がいる程の過酷な状況、想像も出来ませんが、ご無事での帰還なによりです。
登頂を果たせなかった気持ちは、どれ程の悔しさか計り知れませんが、私からすれば、ランディングポイントからの15日間の全てが夢のようです♪
神々が宿りそうな神々しい山々に囲まれる生活って、どれだけテンション上がるんですかね!羨ましい限りです!!
欧米の屈強な若手と対等な体力⁈
さすがにそれは厳しそうですね(>_<)
リーダーの決定は絶対なんだとは思いますが、メンバー構成を考えてなるべく皆んなが頂上を踏めるよう工夫して欲しい所です…(なんて私が言う資格は無いんですが。)
また、日本の山々をsumiさんらしく登って下さいませ!どこかでお会いしたら、デナリのお話、聞かせてくださいね!
kiyohisaさん ただいま!
遠征中は、ほんとに悔しくて怒りのやり場が探せないほどでした。
でも残留組の一人で、一緒にマナスルやエベレストに登った友人と悔しさを共有できたおかげで、なんとか高ぶる気持ちを抑えることができました。
気のおけない友人の存在は、ありがたいものですね。
そんな日々が続く中、自分の気持ちの中で時間とともに嫌なことはフェードアウトし、下山後は打ち上げの会食やその後の飲み会、アラスカ観光もメンバーと楽しく過ごすことができました。
もう、海外遠征はこれが最後となりそうです。
これからは kiyohisaさんの番、楽しく見届けさせていただきます(笑)
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