男体山
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- GPS
- 07:50
- 距離
- 8.3km
- 登り
- 1,190m
- 下り
- 1,182m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年12月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
10月下旬の表登山道閉鎖後は、要注意。 |
写真
感想
グレートサミッツ国内編NO3
日光火山群 男体山 2011・12
かつて日光中禅寺湖周辺で遊んだことは一体何度あっただろうか。金精峠を抜けて群馬へ車を走らせたし、光徳牧場でスキーもしたし、いや最初に華厳の滝に行ったのは小学校の遠足だったかも。そのときに何度脇目で見上げた男体山を、まさか登ることになろうとは思わなかった。というのも足元から頂上まで、素通しで見通せる地方産の○○富士の一つである。麓から頂上が見えるというのは、逆に言えば頂上に出ても麓が見えるだけ。他に予想外のことが期待できるだろうか。
古い仲間のクラブが、日光で忘年会をすることになった。だったら手ぶらで参加するよりも、当日山に登って夕方から合流すればいい。「男体山に登るよ」と声をかけると、仲間が増えて4人になった。誰もが中年を超えると老い先の登山年齢を計算して、チャンスをミスミス逃すことはないと思いだす。手際がいいことに、前日に降雪があった。冠雪の男体山に登れるというのも嬉しい。早朝に二荒山神社付近に集まる。
冬は登山禁止だと、神社は言っているそうだ。本気でそんなこというなら、山に対する神社の越権行為である。せいぜい神社などは創立百年ほど。中禅寺湖も男体山も万年の歴史を誇る。登山者の登山行為とは何事にも邪魔されないとは、アルピニズムの発祥原点の考えなのだがね。
通称の冬用登山口とは、県営駐車場奥から斜めに笹林を横切って、登山道に合流する踏み跡らしい。まさにその通りの道があった。さて最初から昨日の積雪が残る。サクサクと雪を踏みしめて、久しぶりの仲間と登りだす。
鳥居を見降ろした少し上で登山道に合流し、あとは歩くたびに二合目、三合目の標識を過ぎていく。登り出しは寒かった。中禅寺湖畔は標高1270m、マイナス6度と表示されている。無風なのが有難い。
富士山のすそ野と同じように、右見ても左でも、裾野は綺麗に後ろになびいている。広葉疎林のようで、後ろの景色がよく見える。中禅寺湖を挟んで向こうに、半月山だとか、社(やしろ)山だとか入沢君が指摘するのだが、地元山は不明なものだ。自分の高度が上がると遠くの山も見えてきて、そのうちに皇海(すかい)山がそれらしく指摘できる。雪はあまり付いていない。「足尾辺りから見ると、ド迫力で迫ってくる」という山らしい。形はよい。
三合目で一旦林道を歩いて、四合目からまた登山道になる。この辺りから溶岩ガラ場を歩くようになる。浅間の鬼押し出しのようで、火山岩が流れた跡を登山道が縫うように、そこに積雪が10センチ、ふわふわした感じで心地いい。
上の方に行くと、昨日の降雪で樹氷が白く輝いている。さらに快晴の直射だけが温かい。小春日和というのは冬の季語だったか、まさに今日がそうだ。それに溶岩流跡は、樹木が流れて皆無で、ああ解放感。
相当上の方に出ると傾斜が落ちてきた。そうなると頂上が近い。だんだん傾斜が落ちて、最後に例の二荒山神社の奥宮が、この頂上にあった。大神の銅像もある。少し離れた向こうが三角点の頂上だった。積雪が増えなかったのが幸いした。
頂上に出てようやく向こう側の山が見えた。男体山と対をなすのが女峰山、双耳峰の格好のいい山だ。左に長男坊の太郎山、その間に大真名子山、小真名子山は、家族構成の山だと、それは火山群のことである。
そして少し遠くには、さっきまで雪雲の中にあった日光白根が晴れてきた。そう遠い山ではないのに、向こうは雪の中で、こちらは快晴だった。上越方面と太平洋側は、冬型天気図の日には、線を引いたように綺麗に天候が分かれる。でも見えたのはそこまでで、尾瀬の燧ケ岳にしても、谷川岳方面にしても、雪雲の中に判別がつかない。2千mにも満たない谷川岳の連峰も、目線のずっと低い位置なのにすでに真っ白くなっている。
そして南の方に目をやれば、なんと筑波山が関東平野の海側の末端に、これも双耳峰が綺麗に特定できるのだ。こうなるとさらに遠くには富士山が見えるのは当然のことになる。今日も天候に恵まれた。奥宮の崩れた木枠に腰掛けて昼食を取ってから下山した。
下山方向を眺めながら改めて分かるのは、眼下の中禅寺湖が実に大きかったことだ。日光の気温がどこまでも下がっても、この湖は決して凍らないことは子供の頃にバスガイドさんに教えてもらった。水深がある。最もそんなV字の渓谷を溶岩が埋め尽くしてできたのが、中禅寺湖と華厳の滝で、男体山はその造形美の生みの親になる。中禅寺湖を「海だ」といった人はいないが、しかし下山目前まで迫ると、視野の左右いっぱいにこの湖が入って、それは知床からのオホーツク海であり、根室海峡であろうと、僕には思えた。
男体山には反対側からの易しい登山ルートもあるのだが、表山道はやはりこちら側、中禅寺湖という湖があってこその、男体山だった。
ps 翌日市内の二荒山神社で、来年の安全登山の祈願をした。登拝講というのは、この神社のボランティアである。正月の大しめ縄を境内で結っていた。やはり雰囲気は男体山の登山はシーズン期間中に限るようで、冬は「禁止」の趣だ。男体山は神社のご神体である。ならば私たちの行為は「末代まで罰が当たるということ」と、昨日の仲間はシャレて言う。登山者とはいつまでも自由であり、悪がきの性分は治らない。
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