セブンイレブン渋川吹屋店から見た小野子山(左)と子持山。
このあたりから獅子岩を望むことは(たぶん)できない。
両山塊の間の地下(中山トンネル)を、上越新幹線が走っている。
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10/26 5:44
セブンイレブン渋川吹屋店から見た小野子山(左)と子持山。
このあたりから獅子岩を望むことは(たぶん)できない。
両山塊の間の地下(中山トンネル)を、上越新幹線が走っている。
この記事は上州ビギナーの下野男が書かせていただく。
ここは子持神社一ノ鳥居になるのかな?
扁額には「子持神社 宮司 牧久利謹書」とある。
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10/26 5:56
この記事は上州ビギナーの下野男が書かせていただく。
ここは子持神社一ノ鳥居になるのかな?
扁額には「子持神社 宮司 牧久利謹書」とある。
一ノ鳥居の先に分岐があるのだが、そこに掛けてある立看板が一見さん殺しで、意味が分かるまでにしばし逡巡した。
右の道は"林道天神支線"。
道なりに進むと"天神線""奥子持線"と名前を変えていくのだが、2号橋と3号橋の間で合流する"林道二本木線"との交差点から先は、バリケードを設けて通行禁止措置が取られている。
ここに書かれている"若人のみち駐車場"へは、この分岐を左へ進めばよろしい。
いずれにせよ、この2本の道は子持神社で合流する。
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10/26 5:57
一ノ鳥居の先に分岐があるのだが、そこに掛けてある立看板が一見さん殺しで、意味が分かるまでにしばし逡巡した。
右の道は"林道天神支線"。
道なりに進むと"天神線""奥子持線"と名前を変えていくのだが、2号橋と3号橋の間で合流する"林道二本木線"との交差点から先は、バリケードを設けて通行禁止措置が取られている。
ここに書かれている"若人のみち駐車場"へは、この分岐を左へ進めばよろしい。
いずれにせよ、この2本の道は子持神社で合流する。
左を道なりに進めば"子持山若人のみち駐車場"がある。
余談だが、ここは今回の下山時に使った尾根の、末端にあたる。
1
10/26 6:00
左を道なりに進めば"子持山若人のみち駐車場"がある。
余談だが、ここは今回の下山時に使った尾根の、末端にあたる。
子持神社の駐車場からスタートしてみた。
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10/26 6:15
子持神社の駐車場からスタートしてみた。
境内を拝観していく。
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10/26 6:19
境内を拝観していく。
子持神社。
"本山講"と大書された2基の石灯篭には"廿六世牧楽麿"の奉納銘とともに、単位に銭を用いた奉加銘が並んでいた。
残念ながら紀年銘を見つけることができなかったが、優品。
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10/26 6:20
子持神社。
"本山講"と大書された2基の石灯篭には"廿六世牧楽麿"の奉納銘とともに、単位に銭を用いた奉加銘が並んでいた。
残念ながら紀年銘を見つけることができなかったが、優品。
万葉歌碑。
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10/26 6:21
万葉歌碑。
境内一隅にあった、立派な木の祠。
その左に石塔があり、入山口と思しい踏跡がある。
今日の山行で最後に下山したのは、この道からであった。
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10/26 14:45
境内一隅にあった、立派な木の祠。
その左に石塔があり、入山口と思しい踏跡がある。
今日の山行で最後に下山したのは、この道からであった。
さて、その石塔は庚申塔に似た形状をしていた。
帰宅後調べたが、瑞雲に乗る梵字は右にアーンク(胎蔵界大日如来)、左にアク(釈迦如来)。
大書されているのはおそらくウーンとベイで、青面金剛と薬師如来を表しているのかもしれない。
その下にもう一字あるようにも見えるが、埋もれて読めない。
紀年銘の確認を怠ったことも残念。
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10/26 14:45
さて、その石塔は庚申塔に似た形状をしていた。
帰宅後調べたが、瑞雲に乗る梵字は右にアーンク(胎蔵界大日如来)、左にアク(釈迦如来)。
大書されているのはおそらくウーンとベイで、青面金剛と薬師如来を表しているのかもしれない。
その下にもう一字あるようにも見えるが、埋もれて読めない。
紀年銘の確認を怠ったことも残念。
境内の社殿と神楽殿。
神楽殿の存在感がすごい。
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10/26 6:25
境内の社殿と神楽殿。
神楽殿の存在感がすごい。
神楽殿の天井絵。
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10/26 6:26
神楽殿の天井絵。
「奉納電氣掃除機一式」
社務所に人の気配がなく、閑散とした雰囲気が漂う。
1
10/26 6:30
「奉納電氣掃除機一式」
社務所に人の気配がなく、閑散とした雰囲気が漂う。
"御足形"石の横にあった、石の扁額。
"正一位子持大明神"とあった。
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10/26 6:32
"御足形"石の横にあった、石の扁額。
"正一位子持大明神"とあった。
本殿の千木は内削ぎ。
女神を祀る形で、現在の主祭神は木花咲耶姫命。
『明治神社誌料』では磐筒之女命との合坐と記されているらしく、時代によって変遷はあったらしい。
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10/26 6:35
本殿の千木は内削ぎ。
女神を祀る形で、現在の主祭神は木花咲耶姫命。
『明治神社誌料』では磐筒之女命との合坐と記されているらしく、時代によって変遷はあったらしい。
参道の階段に"元禄6年の石段を昭和59年に改修"と書かれていたが、この石畳はオリジナルのままだろうか?
石鳥居の部材のような石が埋め込まれている。
2
10/26 6:36
参道の階段に"元禄6年の石段を昭和59年に改修"と書かれていたが、この石畳はオリジナルのままだろうか?
石鳥居の部材のような石が埋め込まれている。
この境内から奥宮まで、モミの古木を幾本か見かけた。
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10/26 6:39
この境内から奥宮まで、モミの古木を幾本か見かけた。
唐沢川沿いに続く林道を北上し、登山口をめざす。
三差路に立てられた古いみちしるべには「向 右 本山奥之院 後 双林寺渋川 左 横堀北牧」と記されていた。
造立昭和2年。
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10/26 15:27
唐沢川沿いに続く林道を北上し、登山口をめざす。
三差路に立てられた古いみちしるべには「向 右 本山奥之院 後 双林寺渋川 左 横堀北牧」と記されていた。
造立昭和2年。
1号橋と2号橋を通過。
欄干に埋め込まれた銘板は薄れかけていて、読みにくかった。
橋を渡って初めて気づいたが、唐沢川に水は流れていない。
河床を見るに、上流で伏流しているらしい。
2018年10月30日 19:38撮影
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10/30 19:38
1号橋と2号橋を通過。
欄干に埋め込まれた銘板は薄れかけていて、読みにくかった。
橋を渡って初めて気づいたが、唐沢川に水は流れていない。
河床を見るに、上流で伏流しているらしい。
2号橋を過ぎ、この奇妙な道路標識を横目に見ながら通り過ぎると__
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10/26 6:54
2号橋を過ぎ、この奇妙な道路標識を横目に見ながら通り過ぎると__
ゲートが道を塞いでいる。
一ノ鳥居付近で見た立看板が告げていたのは、この封鎖だった。
画像左に見えているのが林道二本木線(ここが終点)で、そちらは通行可能の模様。
ここから200mほどで3号橋。
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10/26 6:54
ゲートが道を塞いでいる。
一ノ鳥居付近で見た立看板が告げていたのは、この封鎖だった。
画像左に見えているのが林道二本木線(ここが終点)で、そちらは通行可能の模様。
ここから200mほどで3号橋。
3号橋と4号橋の間で、古い道型が残されていた。
こういうのが残されていると、本当にうれしい。
1
10/26 7:00
3号橋と4号橋の間で、古い道型が残されていた。
こういうのが残されていると、本当にうれしい。
歩いてみる。
現況道路のカーブの内側に直線状に残っているだけなので、10mほどで終わってしまう。
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10/26 7:01
歩いてみる。
現況道路のカーブの内側に直線状に残っているだけなので、10mほどで終わってしまう。
4号橋を通過。
4号橋を過ぎると川水が流れていた。
このあたりから伏流してしまっているようだ。
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10/26 7:04
4号橋を通過。
4号橋を過ぎると川水が流れていた。
このあたりから伏流してしまっているようだ。
林道歩きのさなかに見つけた、岩屋状になった大岩。
凝灰角礫岩であることが見て取れるが、スケールが大きい。
この穴の入り口で、高さは180cm以上ある。
歩いているとこうした風景がいくつも目に入ってきたが、「子持」という地名は、こうした集塊岩の成す風景に由来していると感じた。
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10/26 7:04
林道歩きのさなかに見つけた、岩屋状になった大岩。
凝灰角礫岩であることが見て取れるが、スケールが大きい。
この穴の入り口で、高さは180cm以上ある。
歩いているとこうした風景がいくつも目に入ってきたが、「子持」という地名は、こうした集塊岩の成す風景に由来していると感じた。
働くぐんまちゃんの姿を、初めて目にした。
工事現場となっているが__
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10/26 7:09
働くぐんまちゃんの姿を、初めて目にした。
工事現場となっているが__
そこは標高点652mの分岐だった。
左の施工中の道が、炭釜分岐へと続く破線道。
奥ノ院へは右の道を行く。
画像中央、指導標の傍らに登山ポストがある。
今回3か所で登山ポストに出合ったが、これはその1つ目にあたる。
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10/26 7:09
そこは標高点652mの分岐だった。
左の施工中の道が、炭釜分岐へと続く破線道。
奥ノ院へは右の道を行く。
画像中央、指導標の傍らに登山ポストがある。
今回3か所で登山ポストに出合ったが、これはその1つ目にあたる。
分岐のすぐ先にある5号橋。
その上流側に__
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10/26 7:15
分岐のすぐ先にある5号橋。
その上流側に__
飲料水の取水施設があった。
注意喚起の看板は渋川保健所・子持村役場・子持簡易水道組合の連名による。
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10/26 7:15
飲料水の取水施設があった。
注意喚起の看板は渋川保健所・子持村役場・子持簡易水道組合の連名による。
6号橋の傍らに、1002pに向かう道との分岐あり。
この分岐に2つ目の登山ポストがある。
6号橋を渡ると広い路肩があり、駐車場の立札が添えられていた。
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10/26 7:20
6号橋の傍らに、1002pに向かう道との分岐あり。
この分岐に2つ目の登山ポストがある。
6号橋を渡ると広い路肩があり、駐車場の立札が添えられていた。
唐沢川の水は澄んでいる。
ヤマメが撮れた。
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10/26 7:24
唐沢川の水は澄んでいる。
ヤマメが撮れた。
露頭の表情はとても複雑。
成層の為せる景色だろうか。
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10/26 7:25
露頭の表情はとても複雑。
成層の為せる景色だろうか。
こちらは節理か。
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10/26 7:28
こちらは節理か。
7号橋を目前にして、屏風岩と獅子岩が見えてきた。
見にくい画像だが、画像中央あたりに写っている切り立った岩場が屏風岩。
本当に屏風のような、薄く切り立った姿に驚く。
その左奥に、肉眼では獅子岩も見えている。
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10/26 7:29
7号橋を目前にして、屏風岩と獅子岩が見えてきた。
見にくい画像だが、画像中央あたりに写っている切り立った岩場が屏風岩。
本当に屏風のような、薄く切り立った姿に驚く。
その左奥に、肉眼では獅子岩も見えている。
7号橋と駐車場。
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10/26 7:30
7号橋と駐車場。
そのすぐ先に奥ノ院はあった。
奥を覗いてみる。
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10/26 7:33
そのすぐ先に奥ノ院はあった。
奥を覗いてみる。
"子持本山講社 開祖巍源霊神"と書かれた霊神碑。
本山講とは、御嶽講だったのかな。
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10/26 7:33
"子持本山講社 開祖巍源霊神"と書かれた霊神碑。
本山講とは、御嶽講だったのかな。
2か所の焚火痕あり。
子持神社の本体を見た思いがする。
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10/26 7:36
2か所の焚火痕あり。
子持神社の本体を見た思いがする。
ここは集塊岩だ。
まさに子持の名にふさわしい。
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10/26 7:37
ここは集塊岩だ。
まさに子持の名にふさわしい。
さて、登山口に入る前に8号橋まで確認してみた。
少し戻って__
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10/26 7:41
さて、登山口に入る前に8号橋まで確認してみた。
少し戻って__
獅子岩へ向かう登山口に立つ。
画像左手に東屋あり。
この登山口に3つ目の登山ポストがある。
登山道は唐沢川の枝沢(涸れ沢)を遡る形で伸びているのだが、屏風岩までの登山道には床板が敷き詰められていて、木道となっている。
木道は湿気を含み、とても滑りやすい。
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10/26 7:43
獅子岩へ向かう登山口に立つ。
画像左手に東屋あり。
この登山口に3つ目の登山ポストがある。
登山道は唐沢川の枝沢(涸れ沢)を遡る形で伸びているのだが、屏風岩までの登山道には床板が敷き詰められていて、木道となっている。
木道は湿気を含み、とても滑りやすい。
木道を登れば、屏風岩の足元にたどり着く。
涸れ沢を渡す形で、木製の太鼓橋が架かる。
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10/26 7:46
木道を登れば、屏風岩の足元にたどり着く。
涸れ沢を渡す形で、木製の太鼓橋が架かる。
昔の鳥類図鑑って、こういう絵だったよなあ。
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10/26 7:47
昔の鳥類図鑑って、こういう絵だったよなあ。
屏風岩を見上げる。
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10/26 7:47
屏風岩を見上げる。
屏風岩の足元は岩屋になっていた。
古めかしい信仰の形態が残る。
2基の石祠はいずれも新しく、見るべきものはないのだが__
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10/26 7:48
屏風岩の足元は岩屋になっていた。
古めかしい信仰の形態が残る。
2基の石祠はいずれも新しく、見るべきものはないのだが__
役行者像と仔細の分らない石仏があった。
"神變大菩薩"は寛政11年に光格天皇が役行者に贈った諡。
この経緯には聖護院が関わっている。
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10/26 7:49
役行者像と仔細の分らない石仏があった。
"神變大菩薩"は寛政11年に光格天皇が役行者に贈った諡。
この経緯には聖護院が関わっている。
役行者像。
ここで獅子岩を登りに行くという2人組のクライマーと出合う。
話しているうちに、この像の銘を調べ忘れてしまった…。
小さい石仏は無銘。
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10/26 7:49
役行者像。
ここで獅子岩を登りに行くという2人組のクライマーと出合う。
話しているうちに、この像の銘を調べ忘れてしまった…。
小さい石仏は無銘。
僕らも獅子岩への登山道を進む。
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10/26 7:52
僕らも獅子岩への登山道を進む。
屏風岩の分岐に立つ圓珠尼歌碑。
"御神霊石登り口 本山講社建立""本山廿七世 牧隼人"の文字あり。
建立年は分らず。
"隼人"という言葉が古峯神社の前鬼を連想させた。
講の世話役という意味で使っているとしたら面白いと思う。
先ほどの2人組はこの分岐を沢沿いに直進して、獅子岩に向かった。
僕らはここを左に折れ、屏風岩に立ち寄る。
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10/26 7:55
屏風岩の分岐に立つ圓珠尼歌碑。
"御神霊石登り口 本山講社建立""本山廿七世 牧隼人"の文字あり。
建立年は分らず。
"隼人"という言葉が古峯神社の前鬼を連想させた。
講の世話役という意味で使っているとしたら面白いと思う。
先ほどの2人組はこの分岐を沢沿いに直進して、獅子岩に向かった。
僕らはここを左に折れ、屏風岩に立ち寄る。
回り込むように稜線に登っていくが、一度岩場を巻かなければならない。
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10/26 8:02
回り込むように稜線に登っていくが、一度岩場を巻かなければならない。
滑りやすい岩にロープが設置されているが、急斜面をトラバースするので要注意。画面右側滑ったら止まりません。
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10/26 8:03
滑りやすい岩にロープが設置されているが、急斜面をトラバースするので要注意。画面右側滑ったら止まりません。
稜線の小さな鞍部に乗ったら視界が開けた。
これが獅子岩か、本当に獅子だなあ。
しかも腰のあたりに__
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10/26 8:08
稜線の小さな鞍部に乗ったら視界が開けた。
これが獅子岩か、本当に獅子だなあ。
しかも腰のあたりに__
小獅子がいる。
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10/26 8:08
小獅子がいる。
屏風岩ピークへ進む。
最後はクサリ場とハシゴを越え__
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10/26 8:10
屏風岩ピークへ進む。
最後はクサリ場とハシゴを越え__
この厄介な大岩を越えれば__
(両側は断崖)
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10/26 8:26
この厄介な大岩を越えれば__
(両側は断崖)
屏風岩の頂点にだいたい辿り着く。
まだ先があるのだ。
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10/26 8:12
屏風岩の頂点にだいたい辿り着く。
まだ先があるのだ。
先端の碑を隔てる最後の岩は、両脇足場がほとんどなくて、落ちたら墜落か。
1
10/26 8:14
先端の碑を隔てる最後の岩は、両脇足場がほとんどなくて、落ちたら墜落か。
自分が高所恐怖症であることを実感せずにいられない。
腰が引けたまま危なっかしく前進し、なんとか屏風岩先端に到着。
碑文を見たら__裏面じゃん(泣)
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10/26 8:14
自分が高所恐怖症であることを実感せずにいられない。
腰が引けたまま危なっかしく前進し、なんとか屏風岩先端に到着。
碑文を見たら__裏面じゃん(泣)
屏風岩の先端にある碑を読むthoughtmay氏
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10/26 8:16
屏風岩の先端にある碑を読むthoughtmay氏
なんとか手を伸ばして南面する表側を撮影。
僕の読みたいものがそこに書いてある__が
怖くてこれ以上の撮影はムリだった。
もう一度ここに来る機会があるのなら、自撮り棒か一脚を持参したい。
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10/26 8:16
なんとか手を伸ばして南面する表側を撮影。
僕の読みたいものがそこに書いてある__が
怖くてこれ以上の撮影はムリだった。
もう一度ここに来る機会があるのなら、自撮り棒か一脚を持参したい。
ソロソロ歩み寄るけれど、怖くて斜面際まで近づけない。
すごい高度感。
2
10/26 8:19
ソロソロ歩み寄るけれど、怖くて斜面際まで近づけない。
すごい高度感。
退却じゃ、獅子岩に行こう。
小さな鞍部まで戻ると、その先には大きな岩塊が尾根筋を塞いでいる。
尾根筋東側の巻道にいったん下り、再び尾根筋に乗る。
1
10/26 8:21
退却じゃ、獅子岩に行こう。
小さな鞍部まで戻ると、その先には大きな岩塊が尾根筋を塞いでいる。
尾根筋東側の巻道にいったん下り、再び尾根筋に乗る。
巻いて稜線に戻ってから、道を塞いでいた大岩を返り見る。
スキルと度胸のある人は越えて来れると思う。
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10/26 8:30
巻いて稜線に戻ってから、道を塞いでいた大岩を返り見る。
スキルと度胸のある人は越えて来れると思う。
獅子岩まで気持ちのいい細尾根を進む。
今日の山行ルート、テープマークは煩雑なくらい豊富だった。
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10/26 8:30
獅子岩まで気持ちのいい細尾根を進む。
今日の山行ルート、テープマークは煩雑なくらい豊富だった。
近づくにつれ、表情がどんどん豊かになっていく獅子岩。
4
10/26 8:34
近づくにつれ、表情がどんどん豊かになっていく獅子岩。
稜線から南を望む。
画像左奥のピークは昭和初期までの地形図には標高点の打ってあった939峰。右の小さな尖りは926峰。
画像中央には、天気が良ければスカイツリーが見えるはず。
武甲山や川乗山もギリギリ見えるのかな?
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10/26 8:37
稜線から南を望む。
画像左奥のピークは昭和初期までの地形図には標高点の打ってあった939峰。右の小さな尖りは926峰。
画像中央には、天気が良ければスカイツリーが見えるはず。
武甲山や川乗山もギリギリ見えるのかな?
標高860mあたりにて。
プラスチック製の見出標ばかりだった中、古いタイプの金属製見出標を発見。
「中郷共有林」とある。
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10/26 8:38
標高860mあたりにて。
プラスチック製の見出標ばかりだった中、古いタイプの金属製見出標を発見。
「中郷共有林」とある。
この尾根筋を登っている間、稜線の左手に見えていた岩場の横を通過。
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10/26 8:39
この尾根筋を登っている間、稜線の左手に見えていた岩場の横を通過。
すわ「石組か!?」と色めき立ったが自然石だった。
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10/26 8:43
すわ「石組か!?」と色めき立ったが自然石だった。
稜線上に立っている大岩を時おり見かける。
周囲は風化して崩れ、残った部分なのだろう。
0
10/26 8:55
稜線上に立っている大岩を時おり見かける。
周囲は風化して崩れ、残った部分なのだろう。
見晴らしの良い標高950m級の小ピークから獅子岩を望む。
さっきの2人組が岸壁に取付いていることに気付いた。
2
10/26 9:02
見晴らしの良い標高950m級の小ピークから獅子岩を望む。
さっきの2人組が岸壁に取付いていることに気付いた。
思わず大声を上げて手を振ってしまった。
ごめんなさい。
以後、二人のクライムにしばらく見入る。
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10/26 9:01
思わず大声を上げて手を振ってしまった。
ごめんなさい。
以後、二人のクライムにしばらく見入る。
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10/26 9:05
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10/26 9:06
おぉ…
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10/26 9:07
おぉ…
ここでしばし逡巡されていた。
手に汗握るギャラリー2名。
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10/26 9:09
ここでしばし逡巡されていた。
手に汗握るギャラリー2名。
そう行ったか…
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10/26 9:11
そう行ったか…
すげえ…
1
10/26 9:11
すげえ…
いい仕事を見せてもらった。
後で獅子岩ピークで彼らと再会するが、二人は"谷川岳警備隊"の刺繍の入ったシャツを着ているのだった。
2
10/26 9:12
いい仕事を見せてもらった。
後で獅子岩ピークで彼らと再会するが、二人は"谷川岳警備隊"の刺繍の入ったシャツを着ているのだった。
僕らも獅子岩を目指そう。
ハウチワカエデが目立つ森だったように思う。
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10/26 9:17
僕らも獅子岩を目指そう。
ハウチワカエデが目立つ森だったように思う。
獅子岩基部に到着。
踏跡通りに右に巻いて__
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10/26 9:20
獅子岩基部に到着。
踏跡通りに右に巻いて__
獅子の背中に取付く。
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10/26 9:22
獅子の背中に取付く。
稜線にて。
「お一人様テラス (裏側)危険 自己責任で」と書いてあったので取付いてみたが__
2
10/26 9:26
稜線にて。
「お一人様テラス (裏側)危険 自己責任で」と書いてあったので取付いてみたが__
やはりメチャクチャ怖い。
これがそのテラスか?
撮影だけで一杯々々、すぐ退却。
0
10/26 9:27
やはりメチャクチャ怖い。
これがそのテラスか?
撮影だけで一杯々々、すぐ退却。
獅子の背中を行く。
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10/26 9:28
獅子の背中を行く。
見にくい写真だが__小獅子です。
1
10/26 9:33
見にくい写真だが__小獅子です。
獅子岩は、ピーク寸前までわりと難なく登り詰められる。
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10/26 9:36
獅子岩は、ピーク寸前までわりと難なく登り詰められる。
頂上に至るワンステップがある。
標木のあたりは岩屋になっていた。
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10/26 9:38
頂上に至るワンステップがある。
標木のあたりは岩屋になっていた。
南に回り込むと残留支点が。
この上が獅子岩ピーク。
2
10/26 9:39
南に回り込むと残留支点が。
この上が獅子岩ピーク。
南南東に反射板が見えるのだが__向かい合わせに立ってるのかな?
あそこが1002pだろうか。
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10/26 9:42
南南東に反射板が見えるのだが__向かい合わせに立ってるのかな?
あそこが1002pだろうか。
"獅子岩"標木のあたりで寛永通宝を見つけた。
岩屋の中に投げ込んであげました。
2
10/26 9:44
"獅子岩"標木のあたりで寛永通宝を見つけた。
岩屋の中に投げ込んであげました。
獅子岩ピークに至るクサリ場は昭和53年の設営らしい。
登った先に張り出した大岩を、クサリを頼りにトラバースして(この過程も、クサリを頼らないとけっこう厄介)__
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10/26 9:38
獅子岩ピークに至るクサリ場は昭和53年の設営らしい。
登った先に張り出した大岩を、クサリを頼りにトラバースして(この過程も、クサリを頼らないとけっこう厄介)__
足元に気を付けながら攀じ登れば、獅子岩ピークに到着。
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10/26 9:48
足元に気を付けながら攀じ登れば、獅子岩ピークに到着。
御嶽講碑あり。
紀年銘は読み取れなかった。
「御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社」とあるので明治以降の建立かと思われる。
「社」の字体を三社とも変えていることに注意。
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10/26 9:51
御嶽講碑あり。
紀年銘は読み取れなかった。
「御嶽山神社・八海山神社・三笠山神社」とあるので明治以降の建立かと思われる。
「社」の字体を三社とも変えていることに注意。
獅子岩の上でしばらく天候の回復を待った。
対岸の山腹に筋状に走る岩壁が何本か見える。
これも岩脈というのだろうか。
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10/26 9:49
獅子岩の上でしばらく天候の回復を待った。
対岸の山腹に筋状に走る岩壁が何本か見える。
これも岩脈というのだろうか。
ここで一服。アラブの偉いお坊さんですか。コーヒ飲んだら不思議と活気が出ました。ごちそうさまでした(U
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10/26 10:02
ここで一服。アラブの偉いお坊さんですか。コーヒ飲んだら不思議と活気が出ました。ごちそうさまでした(U
待てども天候の回復は叶わない様子。
小野子山すら見えない。
画像は1088p(一番右のピーク)の稜線で、今日はこれを歩いて帰る。
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10/26 10:11
待てども天候の回復は叶わない様子。
小野子山すら見えない。
画像は1088p(一番右のピーク)の稜線で、今日はこれを歩いて帰る。
子持山に向かおう。
画像左のピークの奥(雲の中)に、子持山ピークがあるはず。
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10/26 10:12
子持山に向かおう。
画像左のピークの奥(雲の中)に、子持山ピークがあるはず。
子持山への稜線を進んでいたら、固着岩石型の御料局境界を見つけた。
「界キ 二一〇 群馬郡 利根郡」
郡境界を示しているようで、右(西)に群馬郡、左(東)に利根郡と彫られている。
群馬郡の成立は明治29年、利根郡は11年。
画像後方に見えているのは獅子岩。
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10/26 10:49
子持山への稜線を進んでいたら、固着岩石型の御料局境界を見つけた。
「界キ 二一〇 群馬郡 利根郡」
郡境界を示しているようで、右(西)に群馬郡、左(東)に利根郡と彫られている。
群馬郡の成立は明治29年、利根郡は11年。
画像後方に見えているのは獅子岩。
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10/26 11:02
獅子岩に長居しているうちにご一緒した年輩のグループさんと、並ぶようにして子持山へ。
みなさんのザックには、足利・天狗山の札が幾つもブラ下がっていらした☺
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10/26 11:04
獅子岩に長居しているうちにご一緒した年輩のグループさんと、並ぶようにして子持山へ。
みなさんのザックには、足利・天狗山の札が幾つもブラ下がっていらした☺
柳木ヶ峰に到着。
ここから南西に伸びる尾根が、旧小野上村と旧白郷井村との境界になっていた。
現在はいずれも渋川市に属する。
祠の前に気になるものが立っている__
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10/26 11:07
柳木ヶ峰に到着。
ここから南西に伸びる尾根が、旧小野上村と旧白郷井村との境界になっていた。
現在はいずれも渋川市に属する。
祠の前に気になるものが立っている__
熱心に撮影しているのは…
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10/26 11:07
熱心に撮影しているのは…
御料局境界標石「界キ 一一七」
1
10/26 11:07
御料局境界標石「界キ 一一七」
村境を示していた。
「白郷井村」
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10/26 11:07
村境を示していた。
「白郷井村」
「小野上村」
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10/26 11:07
「小野上村」
もちろん宮標石だ。
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10/26 11:07
もちろん宮標石だ。
向拝柱型の石祠はほぼ南向き、子持山を拝している。
左面に「十八代目 別当栄冨 元文二(1737) 九月吉日」
右面に「奉造拾二宮 施主山中」とある。
別当は子持山別当寺院だった大乗院(明治に廃寺したらしい)を指すと思われる。
十二様というのは山神のことなのだが、修験の匂いは薄い祠のような気がする。
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10/26 11:08
向拝柱型の石祠はほぼ南向き、子持山を拝している。
左面に「十八代目 別当栄冨 元文二(1737) 九月吉日」
右面に「奉造拾二宮 施主山中」とある。
別当は子持山別当寺院だった大乗院(明治に廃寺したらしい)を指すと思われる。
十二様というのは山神のことなのだが、修験の匂いは薄い祠のような気がする。
ここにあった山名板の裏側に「すかいさん」の文字を確認。
日光の白檜岳で見かけた山名板と同一の作者だ。
掛けるピークの好みが、渋いなあ。
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10/26 11:09
ここにあった山名板の裏側に「すかいさん」の文字を確認。
日光の白檜岳で見かけた山名板と同一の作者だ。
掛けるピークの好みが、渋いなあ。
子持山へのハイキング道。
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10/26 11:14
子持山へのハイキング道。
子持山ピークに近づくと、このようなスの入った岩が目立ってきた。
珪石とか長石とか、たぶんそのへん。
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10/26 11:15
子持山ピークに近づくと、このようなスの入った岩が目立ってきた。
珪石とか長石とか、たぶんそのへん。
霧中の子持山に到着。
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10/26 11:21
霧中の子持山に到着。
一等三角点「子持山」の6寸角標石。
選点は明治26年。
2
10/26 11:22
一等三角点「子持山」の6寸角標石。
選点は明治26年。
子持造愛林組合による昭和52年建立の十二山神碑。
山神をジュウニサマと呼ぶのは越後を中心とした地域に多いそうだ。
以下余談となる。
僕の祖母は八溝山上南方で炭焼の元締めをしていたのだが、祖母は「十二月十二日」と自ら墨書きした札を、火伏の御守として家中に張り出していた。
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10/26 11:22
子持造愛林組合による昭和52年建立の十二山神碑。
山神をジュウニサマと呼ぶのは越後を中心とした地域に多いそうだ。
以下余談となる。
僕の祖母は八溝山上南方で炭焼の元締めをしていたのだが、祖母は「十二月十二日」と自ら墨書きした札を、火伏の御守として家中に張り出していた。
山頂にあった同定板。
晴れていれば__最高だったね!
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10/26 11:23
山頂にあった同定板。
晴れていれば__最高だったね!
見てて楽ヒー
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10/26 11:37
見てて楽ヒー
振る舞い珈琲☕
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10/26 11:39
振る舞い珈琲☕
子持山を下る。
柳木ヶ峰から南西に進路をとり、寛やかな尾根を標高160mほど下れば、日光ではタァーと呼ばれる弛んだ地形に出る。
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10/26 12:20
子持山を下る。
柳木ヶ峰から南西に進路をとり、寛やかな尾根を標高160mほど下れば、日光ではタァーと呼ばれる弛んだ地形に出る。
やはり鳥屋跡のような棚部があった。
オオタルミとはこのあたりの鞍部地形全体を指す言葉だろう。
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10/26 12:21
やはり鳥屋跡のような棚部があった。
オオタルミとはこのあたりの鞍部地形全体を指す言葉だろう。
オオタルミ標識のある分岐にて。
ここから唐沢川の源頭伝いに8号橋まで下れるようだ。
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10/26 12:22
オオタルミ標識のある分岐にて。
ここから唐沢川の源頭伝いに8号橋まで下れるようだ。
牛十二に到着、巨大な石祠に驚かされる。
ざっと手測りだが、幅80奥行60高105ほどあった。
「牛十二」という言葉だけれど、山神にまつわる話で二股の木に関する話は多いので、牛の連想は可能かなと思う。
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10/26 12:33
牛十二に到着、巨大な石祠に驚かされる。
ざっと手測りだが、幅80奥行60高105ほどあった。
「牛十二」という言葉だけれど、山神にまつわる話で二股の木に関する話は多いので、牛の連想は可能かなと思う。
1088p(浅間山)への登り返し中に見た溶岩。
「ガスが通った痕かなあ」とはUltreiaさんの談。
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10/26 12:54
1088p(浅間山)への登り返し中に見た溶岩。
「ガスが通った痕かなあ」とはUltreiaさんの談。
風穴をアップで。
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10/26 12:55
風穴をアップで。
浅間山に登る。
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10/26 13:00
浅間山に登る。
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10/26 13:01
浅間山1088pに到着。
山頂には3基の石祠があった。
画像左の祠の石室にうっすら銘があったのみで、他は無銘。
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10/26 13:02
浅間山1088pに到着。
山頂には3基の石祠があった。
画像左の祠の石室にうっすら銘があったのみで、他は無銘。
もう1基はちょっと変わった形状の石祠。
他に「富士浅間皇大神」とある、紀年銘のない石碑があった。
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10/26 13:02
もう1基はちょっと変わった形状の石祠。
他に「富士浅間皇大神」とある、紀年銘のない石碑があった。
浅間山にあった渋川市の図根点。
浅間山から仏岩926pまでの尾根区間は、かつて白郷井村と長尾村との境だった。
2村は昭和29年に合併して子持村となる。
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10/26 13:10
浅間山にあった渋川市の図根点。
浅間山から仏岩926pまでの尾根区間は、かつて白郷井村と長尾村との境だった。
2村は昭和29年に合併して子持村となる。
浅間山から炭釜に向けて下り始めた尾根筋に、御料局境界標石があった。
「界□白一四支三二」とある。
2字目の文字がどうしても読めない。
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10/26 13:11
浅間山から炭釜に向けて下り始めた尾根筋に、御料局境界標石があった。
「界□白一四支三二」とある。
2字目の文字がどうしても読めない。
炭釜手前の鞍部から見た獅子岩と__
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10/26 13:19
炭釜手前の鞍部から見た獅子岩と__
1088p浅間山。
秀麗な山容だ。
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10/26 13:19
1088p浅間山。
秀麗な山容だ。
炭釜に到着。
ここは5号橋へ下る分岐となる。
斜面を見下ろしたが、炭窯の跡が見つけられない。
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10/26 13:21
炭釜に到着。
ここは5号橋へ下る分岐となる。
斜面を見下ろしたが、炭窯の跡が見つけられない。
"炭釜"という地名に未練があり、あたりをうろつく。
このあたりの尾根筋は、火山らしくザレていた。
この岩…窖窯っぽいなあ。分炎柱みたいに見えるなあ。これが"炭釜"かなあ(笑)
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10/26 13:27
"炭釜"という地名に未練があり、あたりをうろつく。
このあたりの尾根筋は、火山らしくザレていた。
この岩…窖窯っぽいなあ。分炎柱みたいに見えるなあ。これが"炭釜"かなあ(笑)
炭釜の先の尾根別れには、たくさんの石造物があった。
3基の石祠と頭部を欠いた人物像と石碑1枚。
一番右の祠基部には明治10年の銘が見えた。
他は無銘のように見える。
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10/26 13:31
炭釜の先の尾根別れには、たくさんの石造物があった。
3基の石祠と頭部を欠いた人物像と石碑1枚。
一番右の祠基部には明治10年の銘が見えた。
他は無銘のように見える。
石碑に書かれていたのは「八海山大神」と「三笠山大神」。
おそらくここは御嶽講の拝所だったのだと思う。
すると頭のない人物像は御嶽山国常立大神なのかもしれない。
さて、画像右に見える指導標に「大日」とあるので立ち寄ってみた。
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10/26 13:31
石碑に書かれていたのは「八海山大神」と「三笠山大神」。
おそらくここは御嶽講の拝所だったのだと思う。
すると頭のない人物像は御嶽山国常立大神なのかもしれない。
さて、画像右に見える指導標に「大日」とあるので立ち寄ってみた。
踏跡をたどると、突き当りは見晴らしの良い場所になっており__
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10/26 13:36
踏跡をたどると、突き当りは見晴らしの良い場所になっており__
アーンク(胎蔵界大日如来)の石板があった。
ほぼ真東を向いている。
2
10/26 13:37
アーンク(胎蔵界大日如来)の石板があった。
ほぼ真東を向いている。
大日から。
残念ながら今日の眺めはこんな感じ。
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10/26 13:38
大日から。
残念ながら今日の眺めはこんな感じ。
登山道に戻り、仏岩に向かって下り始めると再び図根点を目にする。
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10/26 13:40
登山道に戻り、仏岩に向かって下り始めると再び図根点を目にする。
火道にあたる獅子岩を中心として岩脈が放射状に広がっている、というコースガイドの説明が思い出される。
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10/26 13:40
火道にあたる獅子岩を中心として岩脈が放射状に広がっている、というコースガイドの説明が思い出される。
標高990mあたりで4つ目の御料局境界標石を見つける。
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10/26 13:41
標高990mあたりで4つ目の御料局境界標石を見つける。
「界□白一二」。
2字目の文字は先ほどの「界□白一四支三二」と同一。
この日見つけた御料局境界標石はこの標石が最後だった。
旧村境を考えると、中途半端な地点で見失ったことになる。
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10/26 13:43
「界□白一二」。
2字目の文字は先ほどの「界□白一四支三二」と同一。
この日見つけた御料局境界標石はこの標石が最後だった。
旧村境を考えると、中途半端な地点で見失ったことになる。
さて、仏岩(926p)に到着。
その名の由来となるような事物は見つからず。
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10/26 14:00
さて、仏岩(926p)に到着。
その名の由来となるような事物は見つからず。
古びた銘板が一枚あった。
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10/26 14:01
古びた銘板が一枚あった。
仏岩からやや下ると「二本木」と書かれた標識がある。
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10/26 14:06
仏岩からやや下ると「二本木」と書かれた標識がある。
目立つ樹木は3本のアカマツか。
うち1本はこんな樹相だった。
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10/26 14:07
目立つ樹木は3本のアカマツか。
うち1本はこんな樹相だった。
794.1pに到着。
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10/26 14:14
794.1pに到着。
3等三角点「大野」である。
選点は明治34年。
古い点の記を閲覧すると、ここの所有者は「御料局」とされている。
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10/26 14:15
3等三角点「大野」である。
選点は明治34年。
古い点の記を閲覧すると、ここの所有者は「御料局」とされている。
「大野」の先の尾根肩が特徴的な露岩となっていた。
階段状の斜面を登ると__
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10/26 14:16
「大野」の先の尾根肩が特徴的な露岩となっていた。
階段状の斜面を登ると__
石を積み重ねたような壁がある。
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10/26 14:17
石を積み重ねたような壁がある。
その上には「ソゲ石」との標識が立っていた。
1
10/26 14:17
その上には「ソゲ石」との標識が立っていた。
ソゲ石からの下りで見つけた金属製の見出標。
本日2枚目にして、これが最後だった。
こちらは子持村と書かれている。
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10/26 14:23
ソゲ石からの下りで見つけた金属製の見出標。
本日2枚目にして、これが最後だった。
こちらは子持村と書かれている。
ソゲ石を過ぎると、山行はもう終盤となる。
歩きやすい尾根道をサクサク下る。
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10/26 14:24
ソゲ石を過ぎると、山行はもう終盤となる。
歩きやすい尾根道をサクサク下る。
__が、最後まで尾根を歩かせてはくれないのであった。
谷へ下って林道二本木線に出る。
ちなみに、そのまま尾根を歩いても歩きやすそうだった。
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10/26 14:25
__が、最後まで尾根を歩かせてはくれないのであった。
谷へ下って林道二本木線に出る。
ちなみに、そのまま尾根を歩いても歩きやすそうだった。
この辺りからthoughtmay氏さらに下りのスピードアップ。斜面につけられた九折の坂道をトレランのように駆け下っていった…
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10/26 14:25
この辺りからthoughtmay氏さらに下りのスピードアップ。斜面につけられた九折の坂道をトレランのように駆け下っていった…
林道際で山は少し荒れる。
登山道は明瞭なのでそれを辿り__
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10/26 14:29
林道際で山は少し荒れる。
登山道は明瞭なのでそれを辿り__
林道二本木線へ下りたつ。
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10/26 14:30
林道二本木線へ下りたつ。
林道を少し南東に歩いて__
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10/26 14:31
林道を少し南東に歩いて__
ここから再び入山。
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10/26 14:33
ここから再び入山。
ちょっとの間は尾根と並走して下るが、途中で子持神社に向けて道は屈曲する。
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10/26 14:34
ちょっとの間は尾根と並走して下るが、途中で子持神社に向けて道は屈曲する。
子持神社に到着__
と思いきや、子持神社への出口に庚申塚があった。
朝は見逃していた。
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10/26 14:37
子持神社に到着__
と思いきや、子持神社への出口に庚申塚があった。
朝は見逃していた。
リンガ・首を欠いた地蔵尊立像・庚申供養塔・青面金剛を取り囲むように並ぶ小さな庚申塔をよく見てみると__
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10/26 14:40
リンガ・首を欠いた地蔵尊立像・庚申供養塔・青面金剛を取り囲むように並ぶ小さな庚申塔をよく見てみると__
字体を全て変えている。
詳細に観察していないので断定はできないのだけれど、そう見えた。
意図的に字体を変え続けて造立したとしか思えない。
管見から言うけれど、もしかして上州人って異体字が好きなの?
2018年10月29日 18:14撮影
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10/29 18:14
字体を全て変えている。
詳細に観察していないので断定はできないのだけれど、そう見えた。
意図的に字体を変え続けて造立したとしか思えない。
管見から言うけれど、もしかして上州人って異体字が好きなの?
そしてこれらの庚申塔は全て無銘なのだった。
清々しいほどの仕事ぶりである。
中央の大きな庚申供養塔には、宝暦12年(1762)の銘があった。
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10/26 14:41
そしてこれらの庚申塔は全て無銘なのだった。
清々しいほどの仕事ぶりである。
中央の大きな庚申供養塔には、宝暦12年(1762)の銘があった。
庚申供養塔の横に立つ青面金剛は、左手にショケラ(女人)を下げた形。
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10/26 14:38
庚申供養塔の横に立つ青面金剛は、左手にショケラ(女人)を下げた形。
その裏面には「十五代目別当大乗院」とあった。
紀年銘は無い。
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10/26 14:43
その裏面には「十五代目別当大乗院」とあった。
紀年銘は無い。
再び子持神社をお参りした。
子持神社から始まり、子持神社に終わった山行だった。
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10/26 14:47
再び子持神社をお参りした。
子持神社から始まり、子持神社に終わった山行だった。
駐車場に到着。
画像左の手水舎には、元禄8年(1695)の銘がある。
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10/26 14:54
駐車場に到着。
画像左の手水舎には、元禄8年(1695)の銘がある。
山行後、一里が岩に立ち寄る。
2基の石祠と猿田彦石塔はあったけれど、毒水よけの不動尊は見つからず。
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10/26 15:42
山行後、一里が岩に立ち寄る。
2基の石祠と猿田彦石塔はあったけれど、毒水よけの不動尊は見つからず。
宝暦天明の石仏を車の中から眺めながら、子持山を後にしたのでありました。
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10/26 15:49
宝暦天明の石仏を車の中から眺めながら、子持山を後にしたのでありました。
ふれあいの家の休憩所の一角にあった色紙。温泉を堀当てたおじいさんが、これを見ろと教えてくれました。770m掘ったら46〜48度のお湯が2〜3m吹き上がったそうです。嬉しそうに話していらっしゃいました。下山後の楽しい一時でした。
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10/26 16:57
ふれあいの家の休憩所の一角にあった色紙。温泉を堀当てたおじいさんが、これを見ろと教えてくれました。770m掘ったら46〜48度のお湯が2〜3m吹き上がったそうです。嬉しそうに話していらっしゃいました。下山後の楽しい一時でした。
獅子岩は、昨年、マルチピッチで登攀しましたが、岩の上からの子持山は素晴らしい景色でした
榛名山とか子持山は、どちらかというと、クライミングで行くことが多いと思うので、山頂はあまり踏まないとは思うのですが、尾根の周回も楽しそうなので、歩いてみたい気はします
ニャーさん、こんばんは。
お久しぶりです。
獅子岩レコ、開いてみたら、見覚えが…
僕、拍手も入れてますね、これがどこの山かも分らずに拍手していたようです。
再読したらまた興奮を新たにしてしまったもんで、今度は"お気に入り"に登録しておきました。
ニャーさんのレコを見ると、今回僕らが眺めていたのは"3Pのフレーク"から上の区間のようです。クライマー目線の画像に、ちょっと身に染みるような臨場感を感じてしまいました。
今回屏風岩も獅子岩も、めちゃくちゃおっかなかったけど、魅力的ですよね、クライミングって。
子持山は山行としてもいいルートだと思いますよ。
火口岩經だとか集塊岩という言葉は、僕は奥久慈の山で知っていました。
奥久慈の場合は海底火山のようですが、長福山が火口岩經なんですよね。
篭岩や久慈男体山・生瀬富士の凝灰角礫岩は言わずもがなかと思います。
この日は、自分の知っている風景とどこかで見比べながら歩いていたような気がします。
コメントありがとうございました。
今年はスノーシュー、買いたいかも
子持山にも興味深い標石があるんですね
宮標石があるとは知りませんでした
文字の解読も難しいですね
ぼくもわかりません
子持山も登ったことはありますが、標石に興味がないころだったので、もう一度登ってきたいと思いました
貴重な情報ありがとうございました。
熊鷹さん、こんにちは。
これはもう、擦り込みといっていいと思うのですが、
宮標石といえば日光にあるものだと思い込んでいる節がありました、僕には(笑)
田沼の唐沢山城を歩いていたときにそれを見つけたときの驚きは__今でも思い起こすことができます
あまり下調べをせずに臨んだ今回の山行ですが、点の記だけは目を通してきました。
古い点の記を閲覧する裏技を覚えてからは、努めてそちらを開くようにしているのですが、
古い点の記では3等「大野」の所在地に御料地と記入されていたので、期待して出かけてきました。
今回見つけた4本の御料局境界は2系統に分類できるかもしれません。
ひとつは獅子岩と柳木ヶ峰を結ぶ郡界ラインで、ひとつは浅間山と炭焼を結ぶ村界ラインです。
柳木ヶ峰にあった標石も不思議といえば不思議で、ここは利根郡川田村と群馬郡白郷井村と群馬郡小野上村との2郡3村境界にあたると思うのですが、利根郡についてはなにも刻まれておりません。御料局境界自体が市町村界とは別の目的で立てられていますので、その辺は詳細に調べないと分らないことになりそうです。
浅間山と炭焼付近にあった2標石は、白郷井村と長尾村との村界に立っています。
(2村は後に合併して子持村になりました)
この2標石の文字が読み取れないことが悔やまれます。
「界□白」、□は"村"や"対"に似ています。
しかしこれまで"界"に続く文字は十干やカタカナや"町"しか見たことが無く(ネット上の情報も含めてですが)、"界町"もあるので"界村"にも期待したいところではあるのですが、界の下に漢字が2文字続いている標石の情報は、まだ見つけられていません。
ネット上で見かける宮標石を見ていると、けっこうローカルで個別な造りのものも見かけるので、今後腑に落ちるような情報に接することがあるかもしれません。
考えてみれば宮標石に書いてある"四"や"宮"という文字には、字体というよりデザイン性を有しているように感じますし、この2文字目もそうした作為が加味されているかもしれませんね。
コメントありがとうございました。
熊鷹さん、今改めて確認したら、
唐沢山城付近に「界町田」「界町ロ」という2文字入りの宮標石がありました。
"町田"はイモリ山で、"町ロ"は栃本山の南稜で、僕も実見していました。
その点訂正いたします。
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