26年ぶりの大雪!雪山デビュー、谷川岳の洗礼。
- GPS
- 56:00
- 距離
- 1.3km
- 登り
- 99m
- 下り
- 99m
コースタイム
谷川岳ロープウェイ-スキーリフト-天神尾根-雪洞
6日
雪洞-天神尾根-ビバーク
7日
天神尾根-谷川岳スキー場-ロープウェイ
天候 | 5日、晴れのち雪・6日大雪から曇り、そしてブリザード・7日雪のち曇り。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポストは、ロープウェイ乗り場に。 上に上がってしまうと、ありません。 |
写真
感想
(2012年3月31日現在記入)
この登山の後日談なのだが。
登山を始め、エスカレートしていく山行に、師匠が心配をしていたという。
素人の浅知恵で、実力に見合わない計画を立てていたのは、今となって振り返ればよくわかる。
初登山での富士山で、風速30m超える暴風雨でケロッとしている俺が、馬鹿なのもあるが・・・。
お灸をすえる意味や、山の怖さを知らしめる意味も含めて。
西高東低の気圧配置が近づく、谷川岳への雪洞訓練に俺を連れ出してくれた。
ある意味、スキー競技をしていただけに、雪山に対する親近感はあった。
装備品に、スキーウェアを持ち込んだのは、大きな荷物だったが。
競技用のスキーブーツに、スキー板。
総重量は26kgにもなった。
俺のほうがスキー上手いですよとばかりに、オフピステが楽しくて。
天神尾根を上がってすぐに、雪洞予定も・・・先に進んでしまった。
真っ白に続く、始めてみる尾根の姿。
神々しく、魂が震えた。
天気もよく、初の雪洞作り。
雪遊びの感覚。
天気予報なんて見る習慣もなく。
夕刻から降り始めた雪も、パウダースノウだと喜んだ。
大雪になり、深夜何度か交代で、入り口の雪を除去。
夏用のホームセンターで買ったシュラフしかなかったが、スキーウェアが寝袋代わりになったのは、嬉しい誤算だった。
翌朝までの積雪は、1m以上。
腰までもぐるラッセルも、新しい体験に苦にはならなかった。
1時間で100mも進んだのか、進んでいないのか。
朝の好天も、嘘のように急変。
雪が降り始め、風が強くなってくる。
あっというまに、視界を奪われ。
平衡感覚がなくなり、上下がわからない白だけの世界。
下だけはスキーウェアのままだったのが、いけなかった。
防水性は無く、湿った水分が靴下を伝わり、靴の中を湿らせていた。
空荷でラッセルをして、交代。
その間に、自分の荷物を取に行く。
その僅かな間にも、トレースは埋まっていく。
もう・・・スキー場が近いはずなんだが・・・。
何も、見えない。
かざす手は見えてみ、どこに雪面があるかもわからない。
「これが、ホワイトアウトですか?」と聞くと、師匠は「まぁ、そうだね。まだ、ましな方だよ」と涼しい顔に、安心する。
テルモスのお湯も、なくなった。
休憩らしい休憩も、暴風雪の中では、取れなかった。
交代しようと、声を掛けられ、ラッセルを交代。
ふう・・・と気が緩む。
その瞬間だった。
全身が、攣る。
特に下半身全体が、痙攣をおこす。
動けなくなっている俺に、師匠が戻ってくる。
「だいじょうかぁ!」と言われ、「だいじょうぶです!」と叫ぶが、身体は動かなかった。
雪の中に四つんばい状態で、雪にまみれ。
あぁ・・・なるほど・・・こうやって、人は死んでいくんだなと納得した。
吹きさらしの稜線上、なんとか尾根からの移動を試みるが、身体は思うように動かない。
しかたなくその場で、幕営の設営に踏み切る。
飛ばされないように、なんとかテントだけは押さえた。
その間に、師匠が1人で設営。
テントポールが立てば、「中に入ってろ」といわれ倒れこんだ。
随分と長い間、師匠は1人外でテントを固定していた。
長く寒い夜だった。
温かい食事と、飲み物。
濡れたウェアの下を着替え、靴をバーナーで乾かす。
着られる物を全て着込み、シュラフに入る。
そして携帯が通じるので、無事を伝える。
おそらくスキー場は目の前だと言われ、天候が回復すれば下山は容易と。
逆に天候が回復しない場合、救助を要請しても来られない。
ガスを温存すれば、普通にあと2日は食料もある。
天候次第だから、ゆっくり休めと言われた。
時折、全身が震え、寒さで起きる。
シュラフ越しだったが、隣の師匠の体温を感じた。
翌朝、雪はさらに1m以上積もった。
雪は止み、外へ出てみると、眼下にスキー場。
やはり、ロープウェイ乗り場は近かった。
テントポールは1本折れ、スキーストックとピッケル1本は雪の中から見つけられず。
尾根から見えていた、ロープウェイ乗り場も、4時間以上かけてやっと降りた。
スキー場は閉鎖されており、ロープウェイも運行されていなかった。
心底、乗り場の職員にびっくりされたが・・・。
従業員が降りるというので、1時間ほど待って、乗せてもらえた。
恐怖心というものは感じなかったが、ヒーターの効いたトイレに入った時、無意識だったが涙がこぼれ落ちたことにビックリした。
麓に降り家路の途中、雲が切れ。
日光を浴びた時に、えもいわれぬ感動に包まれた。
「どうだ?懲りただろう」と師匠に言われたが・・・。
「いや・・・すげぇ感動しました。」と答えた。
その後、顔と足の指が軽い凍傷だったようで。
特に、足指の激痛には、1ヶ月程悩まされた。
26年ぶりの豪雪という瞬間に、山にいた事は「愛されてるんじゃないっすかね?」と答える俺に、師匠は呆れ顔だった。
無事に帰れば、笑い話でしょ?
馬鹿は死ななきゃ、治らないのか、死んでも治らないのか。
同じ馬鹿なら、登らにゃ損、損ってね。
ご清聴、ありがとうございました。
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