記録ID: 181361
全員に公開
山滑走
ヨーロッパ
念願のヨーロッパ・オートルート完走、山スキー(後半)
2012年03月22日(木) ~
2012年04月03日(火)

体力度
10
2~3泊以上が適当
- GPS
- 77:48
- 距離
- 60.0km
- 登り
- 3,416m
- 下り
- 4,478m
コースタイム
(前半から続く)
●3/28(水) オートルート5日目
06:50 ディス小屋(2928m)早朝発
トゥナ・レフィアン氷河のカリカリのトラバース
最下点2850mからシール登行(一部クトーも使用)
11:40 ピンダローラの肩(コル)(3730m) ザックデポ
12:00 ピンダローラ頂上(3790m)
12:30 ピンダローラの肩に戻る
快適なスキー滑降
12:50 ヴィニエットのコル(3190m)
13:00 ヴィニエット小屋(3160m)
●3/29(木) オートルート6日目
07:00 ヴィニエット小屋(3160m)発
モンコロン氷河のトラバース
09:30 レ・エベックのコル(3382m)
上部アローラ氷河の滑降
分岐点(2540m)
下部アローラ氷河の滑降
11:15 アローラ村のホテル着
静かなリゾート気分を満喫
●3/30(金) オートルート7日目
07:30 アローラ村のホテル発
下部アローラ氷河をシール登行
09:50 分岐点(2540m)
10:40 プラン・ベルトール(2664m)
ベルトール氷河のシール登行
13:30 ベルトール小屋(3311m)
●3/31(土) オートルート8日目
06:50 ベルトール小屋(3311m)
モミン氷河のトラバース(最下点3200m)
シール登行
09:50 テート・ブランシュ頂上(3710m)
シュトッキ氷河の滑降(3160m)
ティーフマッテン氷河の滑降(2600m)
ツムート氷河の滑降
11:50 シュタフェルのレストラン(2199m)
スキー場内の滑降
12:40 ツェルマット(最初の橋)
バーンホフ通りを下る
13:15 レストランにて昼食
●4/1(日) ルージュ山群での山スキー
後哨戦として別レポート
-
●3/28(水) オートルート5日目
06:50 ディス小屋(2928m)早朝発
トゥナ・レフィアン氷河のカリカリのトラバース
最下点2850mからシール登行(一部クトーも使用)
11:40 ピンダローラの肩(コル)(3730m) ザックデポ
12:00 ピンダローラ頂上(3790m)
12:30 ピンダローラの肩に戻る
快適なスキー滑降
12:50 ヴィニエットのコル(3190m)
13:00 ヴィニエット小屋(3160m)
●3/29(木) オートルート6日目
07:00 ヴィニエット小屋(3160m)発
モンコロン氷河のトラバース
09:30 レ・エベックのコル(3382m)
上部アローラ氷河の滑降
分岐点(2540m)
下部アローラ氷河の滑降
11:15 アローラ村のホテル着
静かなリゾート気分を満喫
●3/30(金) オートルート7日目
07:30 アローラ村のホテル発
下部アローラ氷河をシール登行
09:50 分岐点(2540m)
10:40 プラン・ベルトール(2664m)
ベルトール氷河のシール登行
13:30 ベルトール小屋(3311m)
●3/31(土) オートルート8日目
06:50 ベルトール小屋(3311m)
モミン氷河のトラバース(最下点3200m)
シール登行
09:50 テート・ブランシュ頂上(3710m)
シュトッキ氷河の滑降(3160m)
ティーフマッテン氷河の滑降(2600m)
ツムート氷河の滑降
11:50 シュタフェルのレストラン(2199m)
スキー場内の滑降
12:40 ツェルマット(最初の橋)
バーンホフ通りを下る
13:15 レストランにて昼食
●4/1(日) ルージュ山群での山スキー
後哨戦として別レポート
-
天候 | ずっと快晴。(ただし3/30のみ曇りのち晴れ) 贅沢を言えば、降雪もほしかった。 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト) 飛行機
●復路 4/2〜4/3 (時間は全て現地時間) 07:30 シャモニーをAPJのクルマにて出発 ハイウェイ上のスイス国境にてTAX返還申請 09:30 ジュネーヴ空港着 10:00 フィンエアーチェックイン(東京組みはKLM) 10:50 ヘルシンキ行きAY3746 発 14:40 ヘルシンキ着、シェンゲン協定国からの出国 17:20 関空行きAY077 発 JALとのコードシェア便 4/3 09:00 関空着 (この日、台風並みに発達した低気圧が日本列島を席巻していた。 午後以降なら着陸は無理だったところだった。ラッキー!) - |
コース状況/ 危険箇所等 |
【コース状況】 ●3/28(水) オートルート5日目 夜明け前の神秘的な景色の中、7時にディス小屋を出発する。気温はマイナス8度だがそんなに寒く感じない。少しだけスキーダウンしてシール登行を始める。生活パターンにも慣れて来て、多少の登りは平気になってきた。いい傾向だ。ガイドのクリストフもゆっくりと大股で登ってくれるので助かる。部分的にクトーが必要なカリカリバーンの急な登りがあったが、スキー板を担ぐことなく順調に高度を稼ぎ、ピンダローラの肩3730mに着いた。 しばらく休憩した後、ここ(肩)に荷物をデポして、頂上を目指した。雪質が良くて、頂上までシール登行できた。ピンダローラ頂上3790mはオートルートの最高地点であり、ヨーロッパアルプスのあらゆる山座を見せてくれているかのようであった。最高のお天気にも感謝したい。富士山より高い地点にスキーで立っているのだ。様々な感慨もひとしおだ。 外したシールを腹に巻いてデポ地点まで滑降する。さらに快適な斜面を15分ほど滑降したらヴィニエット小屋3160mが見えてきた。クマの様なデカイ犬が出迎えてくれた。13時前に小屋に着いたので、3人でロシティ2人分を注文し、分けて食べた。そのあと事件発生、ガイド組合の日本人メンバーK氏が干していたシールが、干した場所からなくなってしまった。最終的にBOXに並んでいるのを発見して、本人に誤りであることを確認させて取戻したが、シールの紛失やトラブルは、即、パーティ離脱を意味する。シールにも名前を書いておく必要を感じた。インナーブーツも良く似たものなので、同様である。 ●3/29(木) オートルート6日目 今日はアローラ村までとことん滑降してホテル泊となる。本来のフランスルートではベルトール小屋泊だが、満員でとれなかったらしい。したがって、ルート通り進むシャモニーガイド組合のパーティとは分かれることとなる。とことんスキー滑降できるのはうれしいが、その下った分を、明日登り返してルートに復帰し、ベルトール小屋泊となるので、複雑な心境である。 いつものようにヴィニエット小屋(3160m)を夜明け前に発つ。モンコロン氷河をトラバースし、シールをセットして、レ・エベックのコル(3382m)に登る。登りの途中でクリストフからスイス方式だというキックターンを講習させてもらった。 右回りの場合は、まず左足をフラットに置ける位置に置き、これを軸にして、右足をキックしながら右に回して約160度もしくはフラットに置ける位置まで回転させて置く。その時、右スキーのテールは左スキーの靴先からトップの中間あたりにもってくる。そのあと、右足に体重を移動して、左足を後ろに引くような感覚で浮かせ、すかさずキックを入れてスキートップの頭をあげて、後から前へ滑り込ませるように右足のスキー板に揃わせる。。。と文章にすると何とも長ったらしいが、一瞬の行為である。うまく決まれば、体力も使わないし、格好もいい。クリストフから、急斜面でもこれが出来るように練習しておくように言われた。 レ・エベックのコル(3382m)から上部アローラ氷河の滑降は、スキー板がガタゴトのアイスバーンに叩かれて、面白くなかった。途中で、ここからツェルマットへ行くダイレクトコースのブルーレのコルを右に見ながらしばらく下ると、本来のオートルートのベルトールのコルへの取付き(2540m)があり、シャモニーガイド組合のパーティが登る準備をしていた。彼らと別れて、複雑な心境を抱えて、下部アローラ氷河を滑降していったら、アローラ村が見えてきた。林道のアップダウンの先はスキー場になっていて、そこで雪が無くなっていた。スキー板をザックにセットして10分ほど歩いたところに今宵のホテル(1950m)があった。ホテルに着いたのは11時すぎだった。 ホテルには広いテラスがあり、見上げると絶景が広がっていた。正面右に、昨日登ったピンダローラがでっかく聳えていた。正面には今日巻いて降りて来たモンコロン3637mがその特徴のある山容を表していた。もう心は静かなリゾート気分を満喫している様で、明日のアルバイトはきついけれど、これも正解かな?!っと思い始めていた。このテラスで昼食をとることになり、今日の定食を注文した。鶏肉のピカタとパスタで、身も心もリゾート気分に陥った。 お昼過ぎに散策がてら買い物に行った、アローラセンターには、よろず屋やスポーツ店、ツーリストインフォメーションがあった。りんごやミネラルウォーターを買って戻った。ホテルのディナーは美味しかった記憶だけで、何を食ったのか覚えていない。 ●3/30(金) オートルート7日目 気合を入れてアローラ村のホテルを出発する。今日は標高差1300m以上の登りのみである。天気がイマイチで昨日まで良く見えていたモンコロンやピンダローラはガスに包まれて見えない。今回のツアーでこんな天気は初めてだが、午後から回復するという予報だ。クリストフは1時間おきぐらいに休憩をとりながら、ゆっくりとかつ順調に下部アローラ氷河の高度を稼いでいく。プラン・ベルトール(2664m)への急斜面は板を担いでクランポンで登った。さらに、ベルトール氷河をシール登行していく。すでにかなり慣れていたのに、疲れてきた。ベルトールのコル(3268m)に着いたとき13時前だったが、林道登りを含んだ距離の標高差1300m以上を、5時間半で登れた。自分にとってはナイスパフォーマンスだ。 ベルトールのコルでふと見上げると、何たることか、ずっと上の岩の上に小屋があり、そこまで長いハシゴがかかっている。なんちゅう場所に山小屋を作るんだと度肝を抜かれた。コルには宿泊者のほとんどのスキー板がデポされていた。念のためクリストフが4人をアンザイレンしてくれ、長いハシゴを登ってベルトール小屋3311mに着いた。 小屋は多くのスキーヤーの到着でごったがえしていた。食堂も満杯になっていたが、ロシティを注文してここで昼食をとった。ミネラルウォータは、1.5リットルでとうとう10CHF(900円)となった。今日の宿泊者は平均年齢が若いのか?、かなりうるさい。また、男も女もなんだか品がない。部屋からドーっといった騒音が響いていて、落ち着けない。クリストフもこういった雰囲気が好きではないらしかった。この食堂の群集のなかに日本人が2人いた。いずれの方も、ヨーロッパ現地ツアーに参加されていて、パーティの皆にもみくちゃにされていた。彼らは勇気あるなーと思った。 のどの調子が悪い。少し風邪をひいてしまったのかも知れない。夕食の後、早めに床に就いた。しかし、食堂の窓ごしのマッターホルンは印象的で、夢にも出てきそうだった。 ●3/31(土) オートルート8日目 今日はオートルート最終日となる。名残惜しいが、この山小屋はもういい。クリストフは、恐ろしいハシゴの下りも、念のため、アンザイレンして降ろしてくれた。昨日の夕方まで濃いガスに包まれていた景色は、今日はスカッと晴れていた。気温はマイナス10度で、ツアー中の最低気温となり少し寒い。マッターホルンはツェルマットから見るバランスの良いカタチではなく、右側に大きなカタを持つ、少し変わったカタチだ。今日はこれがどんどん大きくなってくるので楽しみだ。 モミン氷河をトラバースする最下点(3200m)でシールをセットする。ここからテートブランシュ山頂まで標高差500mの登りだが、登りそのものを楽しめる余裕まで出てきた。せっかくの余裕も、どうもがいても今日は最終日なのだ。余裕が出てくるのん、遅い!っちゅうねん。。。とぼやきながら登っていたら、テートブランシュ山頂3710mに着いた。金属の十字架ごしに、マッターホルンとダンデランが仲良く並んで聳えていた。まずこの景色を心に焼き付けた。そして写真を撮った。いっぱい撮った。うれしくてたまらなかった。 山頂には北西の風があり、体感温度も低いはずだったが、山頂では気にならずに、少しスキーダウンしたシュトッキ氷河上で風がなくなったのと同時に、暖かさを感じた。大変滑りやすい雪質で、スキー滑降そのものも楽しめた。クリストフはスキー滑降のときも適当な間隔で休憩してくれるので心の余裕ができてうれしい。その後、青い氷が崩れてきそうなティーフマッテン氷河から逃れるようにスキーダウンした。マッターホルンはどんどん大きくなってきて、そのノースフェイスの威容を誇示していた。”待ってろよ!”と心の中で叫んでいた。ツムート谷に沿って下るようになると、傾斜もどんどん緩くなってきて、気温も上がって暑くなってきた。山頂でマイナス10度以下だった気温が、ほんの1時間ほどの下りで、プラス10度になっていた。 いつのまにか林道の雪が消え、スキー板を担いで10分ほど歩いたら、シュタフェルのレストラン(2199m)に着いた。オープンテラスは多くの(ゲレンデ)スキーヤーでいっぱいだった。ここからは、スキー場のゲレンデを下ってツェルマットの街に降りた。マッターフィスパ川にかかる最初の橋の手前100mぐらいのところで雪は途絶えていた。おしい。スキー板を担いで、バーンホフ通りを駅に向かって下る。ちょうどアルピンセンターの隣にあるレストランで昼食とし、打ち上げとした。ツェルマットはもう完全に春だった。 【雪山登山手段の傾向】 驚いたことに、山スキーが圧倒的であった。ヨーロッパアルプスでの雪山登山は、山スキーが80%、その他、テレマークやスノーシュー、ノルディックあわせて20%といった感じであろう。(アイス)クライミングをする連中も、アプローチは山スキーであり、山スキー板をデポして岩に取り付いていた。レースのやつらも山スキーで、妙なバネひものコンテで登っていた。考えてみれば、この広大なフィールドの中では、山スキーが最も合理的なのだろう。また、ヒドンクレバスのことを考えれば、ツボ足は考えられない選択のようだ。 山スキーでは、TLTビンディングが躍進して40%、ディアミールが30%、その他のマーカーなどのビンディングが30%といった感じであった。セーフティよりもライトネスを選ぶ傾向にあるということであり、スピードイコール安全の精神が表れたものだと考えられる。靴は様々であったが、”スカルパ マエストラーレ”を履いている人が多かった。この靴は登行時の足首の可動域が大きく、かつ軽いらしい。板も様々であったが、トラーブなどの山板専業のものも多かった。ここでもライトネスの追求だ。 【今回レポートしたルートについて】 今回のAT社のオートルートツアーコースは、本来のフランスルートをすべて踏んだ上で、さらに里村のリゾートへの往復が加わったボリューム満点のコースとなった。理由は単に予定通りの山小屋がとれなかったにすぎないが、結果論として我々は、山小屋の混み合った雰囲気と、里村の静かなリゾートの雰囲気の両方が味わえた。ある意味、非常に贅沢なもので、個人的には大変満足いくものとなった。他の参加メンバーも同様の感想を漏らしていた。大変ハードなツアーではあったが、そういった意味で、AT社やAPJ社には感謝したい。 モンブラン登頂のためのグーテ小屋が半年前から予約でいっぱいだと聞く。山スキーによるオートルートも近年どんどん人気が上昇していて、ルート上の各小屋も、今回うまくとれなかったように今後どんどん難しくなっていくかもしれない。今後もし、一般の民間ツアーではダメだったら、一度、シャモニーガイド組合に問合せてみよう。直前でなかったら、多分大丈夫だろう。覚えていて損はない。但し、要体力である。 なお、シャモニーガイド組合のツアー参加もAT社でアセンブルしてくれるそうだ。 - |
写真
感想
今回のオートルートは、具体的に計画を開始してから2年越しのものとなります。昨年の4月に行く予定でしたが、運悪く、直前に風邪をこじらせてしまい、その結果、体力を落としてしまったので断念しました。なかなか要件が揃わず、難しいものだと思いました。さて、その要件ですが、オートルートに行くには、主として3つの要件を満たさなくてはなりません。
1.お金 (これが先立ちます)
2.時間 (休暇や、そのための根回し)
3.体力 (前半で記述した生命力を前提として)
学生や若い社会人は、時間や体力はありますが、先立つものが不足しがちです。社会に入って中堅的な役割を果たす年代になると、お金はあっても、とにかく時間がありません。その後、どんどん体力が下降していきます。この3つの要件が揃うのは、ほとんどの人にとってそう長い期間ではありません。行けると思ったら、1年ぐらい体力を整えて、即、実行するしかないと思います。オートルートはなかなか厳しいものがあり、私もラッキーだったと考えています。行こうと考えられておられる方は、この3つの要件をクリアして、是非挑戦してください。その際、私のこの拙いレポートが参考になれば幸いです。 (2012.04.09記)
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kuma-sanさん、こんばんわ。
オートルート完走されていたんですね!
おめでとうございます。
私の山の会の方(アラ還)も2005年に長年の夢で
完走されて、報告会がありましたので
建物とか景色とか地名に見覚え・聞き覚えがあります。
(雪景色はどこも同じ様に見えますけどね
やっぱり、こういう遠征をするには
年齢(体力)とお金と時間の計画的鍛錬・温存が大事ですね。
さくちゃん、写真でか!
会の方、アラ還で完走されたんですか・・・
それは、ある意味すごい生命力ですよ!
毎日、標高差1000m以上のシール登行があるし、
標高3000m前後の山小屋での寝食で4泊ぐらいあるし、
おまけに、生活環境や食生活が全く違うし、
意思疎通すら、ままならないのに・・・
ごりっぱとしか言いようがありませぬ
クマ
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