雨乞岳(1238m)・(愛知川・神崎川)
- GPS
- 32:00
- 距離
- 24.9km
- 登り
- 1,674m
- 下り
- 1,478m
コースタイム
- 山行
- 1:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:00
- 山行
- 11:10
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 12:00
6月16日CI(5:20) →小さな峠(6:15) →炭焼き跡(6:30) →杉峠(7:40) →雨乞岳(8:10〜9:00) →愛知側源流雨乞岳南南東沢標高830でフェル地下を履く →標高600天狗滝(15:00) →セト峠(16:10) →林道(16:30) →杠葉尾(17:20) →バスで八日市 →青海鉄道で米原 →国鉄で名古屋(9:00)
アクセス | |
---|---|
コース状況/ 危険箇所等 |
湯ノ山→裏道 →国見峠→愛知川源流→夏道経由雨乞岳→のっこし南南東面沢→愛知川→杠葉尾 鈴鹿第一の沢、愛知(えち)は川里に近い印象の三重県側と違い、鈴鹿の滋賀側を山脈と平行して北へ流れる。沢に平行して夏道が付いていて人臭いのかと思ったが、沢から道はほとんど見えない。しかも沢は函、瀞、滝、釜と勢揃いで、広い河原には楓の梢が気持ちよくさしかかっていた。これと鈴鹿南部の最高峰、雨乞山アタックをドッキングさせて計画を作った。 梅雨の晴れ間の高気圧と休みが重なった。あちこちに誘いをかけるが平日なので皆都合が悪い。仕方なく単独なので、愛知川は下りにとることにする。愛知川の源流へは、御在所岳登山道の国見峠からはいる。近鉄湯の山列車で名古屋から簡単に行けるからだ。 名古屋をゆっくり昼前に出たのに、国見峠ではまだ午後の日がギラギラ。そういえばもうすぐ夏至だ。国見峠からいよいよ愛知川源流へ入る。あちこちに炭焼き窯のあとがある。この山域は相当古くから山仕事の人が入っていたようで、全体に下草の藪が無く、炭をとるのに良さそうな広葉樹が適当な間隔で生えているさわやかな森が多い。中央ヨーロッパあたりの、歩きやすい森を連想する。どこでも快適な天場が望める。せせらぎのほとりの花盛りの灌木の下で、薪を集めて焚き火。酒に酔いまどろみ、眠る。 シュラフカバーだけで寝たが明け方は結構冷え込んだ。今日も快晴。雨乞山を夏道で登って、愛知川を源流から下る。夏道のある小さな峠を越え沢に降りると、ここも炭焼き窯団地のあとだ。新緑の緑と鳥の鳴き声ばかりのこんな場所で来る日も来る日も炭を焼いていた男の事を想像してみる。途中には結構立派な石垣の、御殿跡のようなものもあった。建物は燃えてしまったのか不思議と石垣、石段しか残っていない。古伊万里の茶碗のかけらがあちこちに。骨董市で見つかりそうな、明治から昭和初期の図柄だ。 ピーク手前の杉峠には大きな半分枯れかけた杉の大木、アカゲラがカタカタ叩いていた。山頂間近になると、視界の利く笹原で、シカがキョーンと鳴いて逃げていった。野生動物たちはこちらをじっと見ている。こちらから見られるのは揺れる小枝か、走り去る後ろ姿数秒のみだ。山頂は視界絶望の笹藪の中の小さく濁った沼を越えたところに、見晴らしよく刈り込んだ広場があった。西や東の山を見る。冬のスキーの可能性など思いめぐらす。 東雨乞山経由の夏道から南南東面の沢に降りる。相変わらず、藪のない気持ちのいい沢だ。雨乞山の周りをくるりと回り込みながら本流は北を目指す。広くてよく日の当たる河原をひたひたと歩く。遠くの山の若い緑に直射日光が当たり、青い空がまぶしい。間もなく緑の水を溜めた瀞や釜持ちの滝が現れる。小さな魚が、ぴゅんぴゅんと逃げてゆく。見つからないように気をつけてはいるが、20センチ近い奴もいるいる。 カンカン照りの上によく日の当たる明るい沢だから、淵とみれば飛び込んで突破する。足の届かぬ淵を、浮かぶザックに乗っかって流れ下るうちはいいが、流れの渦にはまり、またまた滝の方に戻ってきてしまい、永遠に回転を繰り返す一幕もあり。遊びに遊んで天狗の滝5m。上からライダージャンプで飛び込もうかと思ったが、15時で時間切れ。ここからが実は愛知川の核心部なのだが、雨乞岳からではやはり長すぎた。切り上げて右岸の夏道を下る。いつでも切り上げられるのがこの沢のいいところ。 ジュルミチ沢二股からセト峠への夏道を登って帰る途中、やかましい林道工事の先端と鉢合わせした。地図よりも1キロ以上延びている。セト峠を越えた先の小さな谷には巨大な堰堤が8つも。最終人家の杠葉尾(ゆずりお)集落ではちょうど畑仕事の最中、住民は年寄りばかり。誰に話しかけても気さくに応えてくれるが、バスの時刻は誰も知らなかった。巨木が少なく、切り株の多い神社の横にバス停あり。 午後のバスは3時半と5時41分のみ。バス待ちの間、神社の境内の切り株の年輪を数えた。246年だった。僕一人を乗せたバスを二度乗り継ぎ近江鉄道八日市に出て、米原へ。名古屋駅には午後9時になった。 |
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感想
湯ノ山→裏道 →国見峠→愛知川源流→夏道経由雨乞岳→のっこし南南東面沢→愛知川→杠葉尾
鈴鹿第一の沢、愛知(えち)は川里に近い印象の三重県側と違い、鈴鹿の滋賀側を山脈と平行して北へ流れる。沢に平行して夏道が付いていて人臭いのかと思ったが、沢から道はほとんど見えない。しかも沢は函、瀞、滝、釜と勢揃いで、広い河原には楓の梢が気持ちよくさしかかっていた。これと鈴鹿南部の最高峰、雨乞山アタックをドッキングさせて計画を作った。
梅雨の晴れ間の高気圧と休みが重なった。あちこちに誘いをかけるが平日なので皆都合が悪い。仕方なく単独なので、愛知川は下りにとることにする。愛知川の源流へは、御在所岳登山道の国見峠からはいる。近鉄湯の山列車で名古屋から簡単に行けるからだ。
名古屋をゆっくり昼前に出たのに、国見峠ではまだ午後の日がギラギラ。そういえばもうすぐ夏至だ。国見峠からいよいよ愛知川源流へ入る。あちこちに炭焼き窯のあとがある。この山域は相当古くから山仕事の人が入っていたようで、全体に下草の藪が無く、炭をとるのに良さそうな広葉樹が適当な間隔で生えているさわやかな森が多い。中央ヨーロッパあたりの、歩きやすい森を連想する。どこでも快適な天場が望める。せせらぎのほとりの花盛りの灌木の下で、薪を集めて焚き火。酒に酔いまどろみ、眠る。
シュラフカバーだけで寝たが明け方は結構冷え込んだ。今日も快晴。雨乞山を夏道で登って、愛知川を源流から下る。夏道のある小さな峠を越え沢に降りると、ここも炭焼き窯団地のあとだ。新緑の緑と鳥の鳴き声ばかりのこんな場所で来る日も来る日も炭を焼いていた男の事を想像してみる。途中には結構立派な石垣の、御殿跡のようなものもあった。建物は燃えてしまったのか不思議と石垣、石段しか残っていない。古伊万里の茶碗のかけらがあちこちに。骨董市で見つかりそうな、明治から昭和初期の図柄だ。
ピーク手前の杉峠には大きな半分枯れかけた杉の大木、アカゲラがカタカタ叩いていた。山頂間近になると、視界の利く笹原で、シカがキョーンと鳴いて逃げていった。野生動物たちはこちらをじっと見ている。こちらから見られるのは揺れる小枝か、走り去る後ろ姿数秒のみだ。山頂は視界絶望の笹藪の中の小さく濁った沼を越えたところに、見晴らしよく刈り込んだ広場があった。西や東の山を見る。冬のスキーの可能性など思いめぐらす。
東雨乞山経由の夏道から南南東面の沢に降りる。相変わらず、藪のない気持ちのいい沢だ。雨乞山の周りをくるりと回り込みながら本流は北を目指す。広くてよく日の当たる河原をひたひたと歩く。遠くの山の若い緑に直射日光が当たり、青い空がまぶしい。間もなく緑の水を溜めた瀞や釜持ちの滝が現れる。小さな魚が、ぴゅんぴゅんと逃げてゆく。見つからないように気をつけてはいるが、20センチ近い奴もいるいる。
カンカン照りの上によく日の当たる明るい沢だから、淵とみれば飛び込んで突破する。足の届かぬ淵を、浮かぶザックに乗っかって流れ下るうちはいいが、流れの渦にはまり、またまた滝の方に戻ってきてしまい、永遠に回転を繰り返す一幕もあり。遊びに遊んで天狗の滝5m。上からライダージャンプで飛び込もうかと思ったが、15時で時間切れ。ここからが実は愛知川の核心部なのだが、雨乞岳からではやはり長すぎた。切り上げて右岸の夏道を下る。いつでも切り上げられるのがこの沢のいいところ。
ジュルミチ沢二股からセト峠への夏道を登って帰る途中、やかましい林道工事の先端と鉢合わせした。地図よりも1キロ以上延びている。セト峠を越えた先の小さな谷には巨大な堰堤が8つも。最終人家の杠葉尾(ゆずりお)集落ではちょうど畑仕事の最中、住民は年寄りばかり。誰に話しかけても気さくに応えてくれるが、バスの時刻は誰も知らなかった。巨木が少なく、切り株の多い神社の横にバス停あり。
午後のバスは3時半と5時41分のみ。バス待ちの間、神社の境内の切り株の年輪を数えた。246年だった。僕一人を乗せたバスを二度乗り継ぎ近江鉄道八日市に出て、米原へ。名古屋駅には午後9時になった。
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