記録ID: 21369
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
日高山脈
中ノ岳ペテガリ岳
1989年03月16日(木) ~
1989年03月21日(火)


- GPS
- 128:00
- 距離
- 20.3km
- 登り
- 2,191m
- 下り
- 2,186m
コースタイム
3月16日曇り後小雪:静内(6:00)→東の沢ダム(7:50)→ペテガリ山荘(9:40ー10:10)ベッピリガイ尾根末端(13:15)C1焚火
3月17日晴れ無風:C1(6:10)→スキー棄てる1070→標高1300イグルーC2(10:40)
3月18日曇り後晴れ:C2イグルー(6:30)→1445(7:10)→中の岳(9:10ー30)→1469、C3イグルー(12:40)
3月19日曇り:C3イグルー(8:00)→東尾根分岐(10:40)→ペテガリ岳(12:20)C4イグルー
3月20日晴れ後小雪後小雨:C4イグルー(6:45)→コル(7:10)→ペテガリ山荘C5(13:00)
3月21日晴れ:ペテガリ山荘C5(9:15)→東の沢ダム(11:15)ヒッチ
3月17日晴れ無風:C1(6:10)→スキー棄てる1070→標高1300イグルーC2(10:40)
3月18日曇り後晴れ:C2イグルー(6:30)→1445(7:10)→中の岳(9:10ー30)→1469、C3イグルー(12:40)
3月19日曇り:C3イグルー(8:00)→東尾根分岐(10:40)→ペテガリ岳(12:20)C4イグルー
3月20日晴れ後小雪後小雨:C4イグルー(6:45)→コル(7:10)→ペテガリ山荘C5(13:00)
3月21日晴れ:ペテガリ山荘C5(9:15)→東の沢ダム(11:15)ヒッチ
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
積雪季の日高はこれが最後になった。積雪季日高の主脈を長期山行の度に延々と伸ばして、最後に残った難所がこの中の岳〜ペテガリ間の、山脈中最も細い稜線だ。山岳部の記録も最近ではほとんど無い。87年、88年の積雪季を日高山脈ばかりにかけてきた。この春からはいよいよ地質学教室の卒論の研究に没頭しなければならない。長期山行には行かない覚悟だ。そして、岩瀬はこの春一足先に卒業する。普通の会社の就職なので、もう日高の長期山行も無いだろう。ディックはこの春いよいよ大学を放校。とうとう教養部を脱出できなかった。なにはともあれ3人区切りの春に、この山行はふさわしかった。日高最細の稜線に行こうと決まった。 ペテガリ林道からベッピリガイ沢へは、ナダレなど心配のなさそうなコンデションで取り付きの尾根末端へ。ベッピリガイ沢の奥深くには隠れて開けた盆地がある。急舜なメナシベツ川に林道も無かった50年前には、きっとここも原始林だったのだろう。今や植林の林だ。夏テンを張って、焚火する。 翌日はピリガイ山に至る尾根を登る。樹林限界を越え、カンバの枯れ木がちらほらするあたりを天場とする。さっそくイグルーをこしらえ、焚火をする。ここからは神威岳の北西面が丸見えだ。いつも見慣れているソエマツ、あるいはペテガリ方面からの姿と違う。北西面シュオマナイ沢の切れ込みがなんとも凄い。焚火でソーセージをあぶって食べているうち、夕陽が神威を染め始めた。山岳部にはいって5年間、山登りのスタイルも僕自身の中で定着した。夕陽の山脈が見えるイグルーの天場、焚火、少しの酒。小道具は十分だ。やりかたの同じ仲間がいるのが何より満足だ。 翌日ピリガイまで登ると、にわかにペテガリの南面と対面。ペテガリの最も優れた姿はこの南面だ。左右対象に襞をつけて落とす稜線のラインは本当に美しい。松本平から見る常念岳にどこかにていると思う。そしてこれを見上げる高さがこの場所はちょうどいい。ペテガリ沢を隔てて怪物の様に聳えている。ピリガイからは稜線の緊張感が一変する。硬く急な雪面の上端は、長い雪庇となって斜上している。その境は不明だ。しかし中ノ岳手前の南斜面は山スキーが快適そうな斜面だ。中ノ岳へは程なくついた。ペテガリの西尾根から見る中の岳は鋭い三角の山だが、その他の場所からみると、どうも低いせいもあって地味な山だ。だが頂上の雰囲気はよいところだ。小高く狭く、何より北のペテガリの眺めが凄い。そしてこのピークからいきなりバックステップでペテガリへの稜線へ降りていくのである。 日高最悪の稜線を目の前に雪洞を掘った。中の岳とペテガリのちょうど真ん中、そこから鋭い稜線が始まる。午後、気温があがりアイゼンに雪がくっつく様になったので、危険地帯を明日の早朝に抜けようという寸法だ。青空の下これまで見たことのない角度からのペテガリを眺めて穴に潜る。 翌朝、曇天のため暫く出発を待ったが、視界は十分と判断し、いよいよ卒業製作の稜線に足を踏み入れた。斜上した雪面の延長は雪庇となって空に伸び、スリップしても、雪庇を踏み抜いても、奈落の底まで止らない。地雷原のような稜線だ。僕と岩瀬が交替でトップを行く。絶え間ない緊張が生きている実感を生む。危険地帯はそう長くは続かず、意外とすぐに終わった。ペテガリの東尾根に登りついて腰を降ろす。延々と続く東尾根の迫力は凄い。新雪を踏み締め、山頂に登りきると、3ケ月前に僕らが作ったイグルーがまだそこにあった。これにはびっくりした。確かに正月はがんじょうにこしらえたが、イグルーがこんなに丈夫なものとは思っていなかった。このまま下るのはもったいないし、岩瀬が桃色の39が見たいと言うので、ここで一泊することにした。この数日あとに西尾根を登ってきて、コイカクへののっこしを計画していた沢柿パーティーも低気圧のため出発できず、このイグルーで1週間粘ったらしい。そのあいだも悪天の中びくともせずに建っていたという。 翌日は西尾根を下ってペテガリ山荘でもう一泊。もう当分、北海道の山には登れない岩瀬と、サラリーマンになるディックとの感無量のヒュッテンレーベンだ。そして僕にとっても、積雪季の日高の山登りはこれが最後になった。日高が好きな3人の卒業山行だ。 |
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