立山 五色ヶ原から黒四ダムへ
- GPS
- 26:40
- 距離
- 21.7km
- 登り
- 1,495m
- 下り
- 2,341m
コースタイム
09:00 室堂⇒ 09:40 浄土山登山口⇒ 10:20 浄土山富山大学立山研究所⇒
10:40 龍王岳⇒ 12:20 獅子岳 12:45⇒ 13:35 ザラ峠⇒ 14:45 五色ヶ原山荘
26日 05:15 五色ヶ原山荘⇒ 06:55 刈安峠⇒ 07:50 平乃小屋⇒ 11:15 ロッジくろよん⇒
11:40 黒部ダム
天候 | 25日 晴れ後ガスが湧く 26日晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
扇沢大町市営無料駐車場は満車でした。36時間1000円の有料駐車場に車を置きました。 関電トンネルトロリーバスに乗り約15分で黒部ダムへ到着、長い階段を下りて黒部ダムの堤を5分程歩き黒部ケーブルカー 黒部駅より一回待ちでケーブルカー(5分)で黒部平駅に到着。立山ロープウェイ(7分)も一回待ちで、だいかんぼうに 到着。立山トンネルトロリーバス(約10分)室堂に到着しました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
25日 遥か南太平洋上を二つの台風が沖縄方面に向かっているためか、暖かい空気が入り山の気温は高めのように感じました。 空は晴れているのにガスが湧いて夏山らしい風景の中、室堂から歩き始めました。 たくさんの登山者や観光客の間をすり抜けて石畳の道を浄土山登山口に向かいました。 室堂山の手前を左手方向に折れてガレの急斜面を登り稜線に出ると、登山道は緩やかになり富山大学立山研究所の施設前に着きました。 ここからですとちょっとした三角のピークにしか見えない標高2872mの龍王岳に登り再度五色ヶ原への縦走路に戻りました。 ガレ場を御山谷へ下がりコルから鬼岳東面に登り返しました。 再度下がり雪が少し残っていた所や木道を進み、標高2741mの獅子岳に登り黒部湖やアルプスの山々を見ながら昼食を採りました。 クサリやステンレス製の梯子が設置された急なガレ場を一気にザラ峠に下がり、もう一度登り返して五色ヶ原へ向かいました。 登りきると草原の台地の中にポツンと五色ヶ原山荘が見えました。 五色ヶ原山荘に着き早速ビールを飲み風呂に浸かり夕食を済ませ、早々と就寝一日目の行程が終わりました。 26日 今日は急がず山荘で朝食を食べて遅めの出発になりました。 チングルマが咲き終えた草原に朝露が光りに輝く中をキャンプ場に下がり、背の低い樹林帯の中を刈安峠に更に下がりました。 刈安峠からは歩きやすい下りで、うっそうとした大きいブナの森を進み平乃小屋に着きました。 ここからは中々きついコースになり気を引き締めて慎重に行動しました。 黒部湖沿いにつけられた登山道は黒部ダム湖へ崩壊している個所があり、その都度崩壊地を高巻したり丸太の梯子を何度となく上り下りして大きな沢の丸太橋も数度渡りロッジくろよんに着きました。 ロッジくろよんからはコンクリート舗装された平坦な遊歩道を進み観光客で賑わう黒部ダムに無事到着しました。 |
写真
感想
8月初めに 剱岳 立山を訪れた時に登山者から教えていただいた五色ヶ原、浄土山から見ると西洋のおとぎ話に登場する花咲く草原の赤い屋根の一軒家を想像しました。
夢はまだ広がり奥にそびえるアルプスの山々を縦走しようと思い、およその計画を組んでみました。
今回は出発地と下山地の下見を兼ねての山行になりました。
浄土山から五色ヶ原への稜線を見てアップダウンがあるが、たいしたことはないとみていました。
実際歩くとキレットが二か所隠れていて、五色ヶ原へ厳しい起伏が続くダイナミックな登山になりました。
こちらから見る雄山や龍王岳はそびえ立ち高山らしく迫力がありました。
五色ヶ原はチングルマが咲き終り花の名前の由来になった昔子供が遊んだ
風車、稚児車のように薄紅色に羽毛が輪状になり広大なお花畑の草原になっていました。
五色ヶ原山荘の部屋は6六畳間に5人と余裕があり、雪解け水を沸かしたお風呂で汗を流す事もでき朝まで爆睡しました。
ほとんどの登山者は薬師岳方面へ縦走する人で黒部ダムに下るのは私一人でした。
翌日黒部ダムに下る途中出合った登山者は2人だけ、平乃小屋付近まで下がると合わせて7人がダム方向から登って来ました。
あまり登山者に合わず静かな下りで寂しくかすかな物音にも緊張しました。
平乃小屋から黒部ダムまでの登山道は来年再び通る予定なので頭の中に入れておきます。
下山後大町温泉郷薬師の湯で手足を伸ばし今年の夏山山行無事終了しました。
ザラ峠
1584年戦国武将佐々成政は織田信長没後勢力をつけた豊臣秀吉に対抗し織田家再興を願い西の前田家 東に上杉家 南に秀吉の勢力に包囲された中、遠州の徳川家康に織田家再興を進言しようと家臣18名とザラ峠を越えたとされる歴史が残る峠
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