行市山(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 6.2km
- 登り
- 505m
- 下り
- 501m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
柴田勝家陣の佐久間盛政が陣を構えていた行市山はどんな所か、興味が湧き、賤ヶ岳に登った2週後に登ることにした。2011年12月4日、東海地方は曇り時々晴れの予報で、まず雨になることは無いだろう。北陸道を木之本ICで降り、余呉を抜けて今市に至る。登山口の「毛受(めんじゅ)の森」に車を停め、仕度をしているとパラパラと雨音がする。ここは滋賀県と福井県の境、「弁当忘れても傘忘れるな」、という北陸だ。カッパの上下を着込んで外に出る。古びた木製の説明板には、「毛受兄弟は愛知県春日井郡稲葉村の人で、共に柴田勝家に仕えた。賤ヶ岳合戦では勝家に従い狐塚に出陣していたが、味方の戦線離脱もあり戦は不利に傾き、急遽撤退するにことになった。主君を北の庄に返すため、勝家の馬標を受け取った兄弟は、手兵三百余人で怒涛の秀吉軍を食いとめ此処で討死した。秀吉は兄弟の武勲を感じ、遺体を丁寧に葬り遺族を捜して厚く保護したという」、と記されている。敵ではあるが、主君に忠誠を誓った兄弟の最後を、家来の鏡として秀吉の部下達に見せたかったのに違いない。これから登る山には、勝家の幾万という軍勢が陣取った砦がいくつもあり、それぞれ名だたる武将が指揮をとっていた。毛受兄弟の墓に手を合わせ、芳名帳に記入する。8時43分、シシ囲いの扉を開け、「頂上まで3,300M」の標識が立つ登山道に入る。しばらく急坂が続き、ゆっくり登って行くと、雨で濡れた落ち葉のふかふか尾根道となる。100mごとに立てられている標識を見る度、まだまだ頂上は先だと思うが、時間はたっぷりある。雨も止み、晩秋の静かな山をたのしみ味わいながら15分程登ると稜線に出る。「行市山・別所山・林谷山 史跡案内図」に、簡単な地図が描かれて、「金森長近砦跡 この下→」、「林谷山砦跡 300M→」という標識が木の幹に付けられている。金森長近は大野城主で、柴田勝家に従ってこの地に砦を構えた。林谷山砦には勝家の配下、徳山秀現が陣取っていた。戦国の世に思いを馳せ、稜線を先に進む。雑木林の中のふかふか落ち葉の稜線、15分程で、「頂上まで2,300M」の標識が現れ、その先が明るく開ける。「中之谷山 原彦次郎長頼の砦」と書かれた柱が立っているが、この狭い場所では大した砦ではなかったと思われる。少し下ってまた登ると、林道に出る。これを横切って林の中に入り、数分登ると別所山砦跡に着く。掘が巡らされ、土塁に囲まれた広い所で、さぞ立派な砦があったものと想像される。「七尾の城主であった前田利家と府中の城主であった前田利長父子が僅か2ヶ月余りで砦を構築したところである。柴田勝家の玄蕃尾城の本陣より、行市山頂を経て別所山・中谷山・大池山・林谷山の各陣地は、尾根を人馬によって駆け抜けられる道によって結ばれた強力な陣地として構築された。しかし柴田方はこれら強固な陣に依って戦うことは一度もなく、余呉湖畔で敗北する結果となった」、と説明書きがある。土塁を下って尾根道を進む。平らな尾根道は徐々に勾配を増し、とても馬が駆け抜けられるような道ではなくなる。時雨が積もった落ち葉を打ち、冷たい風が吹く中、急坂を木の枝や笹に掴まり登る。「頂上まであと200M」の標識が現れると、道は緩やかとなり、行市山砦に着く。土塁につけられた階段を上がり、これまたしっかりした砦であったろうと思われる跡を横切ると山頂に到着。10時16分、標準コースタイム2時間40分のところを1時間33分で登ったのだが、そんなに頑張ったわけでもなく、このコースタイムが間違っているものと思われる。頂上から南は展望が開け、黒雲の下、光る余呉湖、その横に岩崎山・大岩山、それから続く賤ヶ岳と、秀吉軍が砦を構えた山々が見え、その向こうには琵琶湖が光っている。敵陣に居る人の姿は見えないし、声も届かないが、夜中に移動する大軍の明かりは充分見えるだろう。この地でおよそ1ヶ月、秀吉軍と睨みあった後、秀吉軍が手薄になったのを見計らい、佐久間盛政がここを発って大岩山砦を奇襲し勝利を収めた。勝利の報を聞いた勝家は、大岩山から撤退するよう指示するが、盛政はそのまま居続け、大美濃返しで戻って来た秀吉の大軍との戦いに敗れる結果となった。この賤ヶ岳の戦いで、この地に砦を構えていた勝家方の武将達はどういう行動を取ったか。小谷山砦の不破勝光は秀吉方に通じ戦場を離脱。別所山砦の前田利家も戦線離脱。中之谷山の原彦次郎長頼は、前田利家と行動を共にした。豫谷山砦の金森長近も戦場離脱。林谷山砦の徳山秀現は戦い半ば、高野山に逃れた。腰を降ろし、コーヒーを飲みながら思う。みんな逃げてしまい、只一人攻め入った盛政は命令を聞かず、これでは勝てる訳が無い。武将どもが秀吉の大軍を見て勝ち目は無いと判断したのか、はたまた勝家という武将は余程人望が薄かったのか、どれもこれも情けない奴らだ。そんな中での毛受兄弟の主君に対する忠誠心、これが無ければ如何に名将と云えども体制を維持する事は出来ない、勝家哀れ。再び時雨が落ちてきたのを期に行市山を下りる。落ち葉の急坂は登りより物騒。足場を選んで恐る恐る下る。急坂が終われば、ふかふか落ち葉に靴は濡れるも、物耽る晩秋の尾根歩き。1時間10分の下りで、毛受の森に帰り着き、車の中でオムスビとお味噌汁。北近江リゾートの温泉でゆっくり汗を流し、気分よく帰途に着いた。
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