屋久島縦走(過去レコです)。


- GPS
- 56:00
- 距離
- 21.6km
- 登り
- 1,828m
- 下り
- 1,045m
天候 | 雨のち晴れ。 |
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過去天気図(気象庁) | 2007年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー
船 飛行機
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コース状況/ 危険箇所等 |
左程の危険個所はありません。 |
写真
感想
前日は中部国際空港のホテルセントレアに宿泊し、2007年5月12日、朝8時15分発の全日空351便鹿児島行きに搭乗。連休開けとは言え土曜の朝の飛行機、客席は全てうまっていた。鹿児島空港で東京、大阪、広島、福岡の人達と合流し、添乗員を含めて11名、バスで鹿児島本港に行き、高速船ロケットに乗船。波の穏やかな錦江湾を滑るように走り、形の良い開聞岳を右手に見て、左手の佐多岬を過ぎて東シナ海に出ると波も荒くなる。鹿児島港からおよそ2時間で屋久島の宮之浦港に到着。港から歩いて10分ほどのところにある、その日の宿「たけすぎ荘」に入った。近くのマーケットでガスボンベを購入し、ついでに缶ビールも二本。これを持って港の芝生のある公園へ行き、夕食までの時間を過ごした。夕食の屋久島名物トビウオの唐揚げは、翼から骨までパリパリと美味しく、島の芋焼酎「三岳」はこれまた大層旨かった。
翌日朝4時半に起床し、朝飯の弁当を食べ、5時半にタクシーで「たけすぎ荘」を出発。安房(あんぼう)から林道に入ると、急カーブの連続で、わたしは酔わないように目をつぶったままだが、どんどん高度を増して行くのがわかる。途中でガイドの山岳太郎さんが合流する。林道には南国らしくガシュマルの木もあり、ブーゲンビリアが真っ赤な花を咲かせている。およそ1時間で、標高600mの荒川ダム登山口に着く。登山口の駐車場は満杯で、溢れた車が道路脇に並べられ、広場には大勢の人が登山姿でたむろしている。広場の奥にはトロッコを入れた小屋があり、そこから山の中にレールが延びている。杉を運搬するための森林軌道で、現在も使われており、これが登山道を兼ねている。安房川に沿った小杉谷にレールは続き、なだらかな登りを枕木に気をつけながら、太郎さんのすぐ後ろについて歩く。太郎さんは中田英寿似の30歳の好男子で、聞くと、東京出身で屋久島に移住して7年経つという。時折り、パラパラと小雨が降るが、雨具を着込む程では無い。自然に生えて、千年以上経った杉を屋久杉と云い、それ以下のものを小杉と呼ぶそうだが、早くも最初の屋久杉にお目にかかる。こんな立派な杉なのに名前は付けられていない。谷には角の取れた大きな石がごろごろしており、これを見下ろしながら吊り橋を渡ると、「小杉谷小・中学校跡」と記され、昔の白黒写真が並んだ案内板が立てられている。昔、国有林事業として杉を切り出すための集落があり、昭和40年頃まで多くの人が住んでいたという。近くの「小杉谷休憩舎」の屋根には「平板」という瓦代わりの杉板が並んでいる。屋久杉は成長が遅く、そのため年輪が細かく、油が多いので腐りにくく雨に強い。江戸時代、島津藩主の年貢代わりに、農作物の無い屋久島ではこの杉の板を薩摩へ運んだと太郎さんが説明してくれる。その為、屋久島のほとんどの杉は途中からばっさりと切られてしまっている。切られた株の上に苔が生え、そこに落ちた杉の種が成長し、今では一人前の杉として成長している。小杉谷集落跡からしばらく行ったところに三代杉と名付けられた大きな屋久杉がある。真ん中に穴があり、この穴は一代目の杉の倒木が腐ってなくなった跡で、その倒木の上に二代目が生えたのだが、江戸時代に平板製造のため切り倒されてしまった。その切り株上に切り株更新で三代目が生えたという。しばらく休んでいると、営林署のパトロールがやってきたので避難小屋の様子を尋ねると、「ゴールデンウイークの時は入りきれない程の人で、トイレは盛り上がっているような状態と聞いている」と云う。バイオトイレか?と聞くと、ただのトイレで誰が面倒をみるわけでもなく、放りっぱなしらしい。山盛りの○ん○を想像し、小屋で泊まるのは止そうかなと考える。小杉谷集落からはトロッコのレールの間に杉板の木道が整備され、歩きやすくなっている。目ぼしい杉はほとんどが地上2〜3mの所で切り取られ、切り株に生えた苔の上に二代目の杉や照葉樹が伸び、ヤマグルマの太い幹がからみついている。杉から生えている植物どもは、寄生して杉の栄養を吸っているのではなく、ただ着生しているだけで、雨の多い屋久島でこそ出来るわざである。苔むした緑の森に小鳥のさえずりが行き交い、シカが草を食み、サルが道を横切る。それぞれ、ヤクシカ、ヤクザルという屋久島の固有種である。立派な大人のシカであるが、小型で可愛く、人を恐れる様子もない。サルも小型で、お腹にしがみ付いた赤ちゃんザルはさらに小さく、微笑ましい。一日に1000mm以上の雨が降り、土砂崩れが起きた跡に、砂防ダムが作られている。本州ならコンクリートの味も素っ気もないダムなのだが、ここ屋久島では杉の丸太を組んで作られた砂防ダムである。その崩壊地跡で一服。谷には流されてきた大きな杉の木がごろごろと横たわっている。延々と続くトロッコ道にウンザリする頃、崩壊地から間もなくトロッコ軌道終点の大株歩道入り口に到着。荒川登山口からおよそ3時間経っていた。こんな山奥に、わたしの家よりも立派なバイオトイレが建てられている。この先の道は(大株)歩道とは云え、本格的な登山道となり、トロッコ道でなまった脚を叱咤激励しながら翁杉に至る。ヤマグルマのからみついた太い杉をバックに記念撮影。翁杉から少し登ってウイルソン株に至る。ウイルソン株は「平板」を作るため切り倒された巨杉の残骸で、株だけしかない。株の中は空洞になっていて、その中に入ると大きさを実感することが出来る。見上げれば空が広がっている。中にある祠に参拝して無事を祈る。杉に混じってヒメシャラが目立ち始める。屋久島のヒメシャラは、以前見た天城山のそれとは比較にならないほど大きく、つるつる肌に頬をあてるとヒンヤリとして気持ちが良い。林の切れ間から、目指す宮之浦岳と翁岳が見えるがまだまだ高く、遠い。階段状に整備された木道に腰をおろし、名も無い屋久杉の巨木の下で、宿の作ってくれた昼弁当を広げる。この道には至るところに水が流れており、2Lのペットボトルは無用の長物であった。大王杉は太い幹がすくっと伸び、その名の通りの立派なものである。夫婦杉は二本並んだ屋久杉が一本の枝で結ばれ、その枝は両方の幹に食い込んでいてどちらから伸びてきたものか分からない。どちらが男でどちらが女か? 多分太い方が奥さんだろうと想像する。間もなく展望台が現われ、そこに上ると目の前に縄文杉がどーんと構えている。世界一長寿の杉で、樹齢7200年とも云われ、幹の太さは直径が5m以上あり、太いしめ縄を並べたような木肌のため、「縄文杉」と呼ばれている。モンスターの如きその存在感に圧倒される。縄文杉から少し登ると異様な臭いが漂い始め、何の臭いかと考えるまでもなく、糞尿臭である。何でこんな所で?と思っていると、高塚小屋に到着。小屋の向こうのトイレを覗いてみると、山のガイドさんが只今トイレ掃除の真っ最中で、聞くと新高塚小屋のトイレも掃除して来たと云う。ボランテイアなのか環境省から頼まれたか知らないが、誠に有難いことで、お礼を言って休憩は取らずその場を去る。今晩泊まる新高塚小屋はまだ先で、山の向こうにある。これから先は屋久杉見物の一般客は来ないところであるが、まだまだ立派な屋久杉がいっぱいある。風が強いため、枝は上に伸びることができず、傘のように下に向かって枝を広げている。岩に根っ子を張り巡らしただけであるが、立派な屋久杉に育っている。シャクナゲが目立つようになるが、花の時期には少し早いようである。高塚小屋から1時間半ほどで、今晩お世話になる新高塚小屋に到着。登山口からおよそ8時間の行程であった。まだまだ陽は高く、取り合えずザックを置いて寝る場所だけを確保し、外へ出る。水場で顔を洗い、口を濯ぐ。ブランデーをチビチビやりながら飲む屋久島の水は、まろやかな旨さがあった。夕食は、お湯をかけると出来上がる五目御飯、野菜のスープ、ウインナーソーセージ、カップ焼酎でいっぱいやりながら、何より旨いのは屋久島の空気であった。定員60名ほどの避難小屋に50名ほどが余裕で入ることが出来たが、その夜はいびきの大合唱、寝袋にくるまりうつらうつらと夜を明かした。
暗いうちからゴソゴソ、ペチャクチャと騒々しくなってきたので、仕方なくわたしも起床。ヘッドランプのあかりで、寝袋、シュラーフカバー、マットをたたみ、ザックに詰め込む。かわりに野菜雑炊とお味噌汁と缶詰のお魚を取り出し、うす暗い外に出て朝食を摂る。空を見上げると薄明るく、今日は雨の心配はなさそうだ。ほとんどの人は淀川登山口から縦走してきた人たちで、わたし達が昨日登ってきた荒川登山口に向かって出発していった。周囲が明るくなってきたのでわたし達も出発。ウオーミングアップ無しのいきなりの急登である。蕾をふくらませたシャクナゲが群生し、つるつるしたヒメシャラが林立している。振り返れば頂上に雲がかかった愛子岳が見える。最近この愛子岳に登る人が増えていると太郎さんが云う。第1展望台と書かれた大石の上に登ると、目指す宮之浦岳が眼前に聳え、その左手に栗生岳、翁岳と稜線が続いている。右手を覗いてみると、今まで見ることが無かった永田岳も見える。しばらく登ると第2展望台に至り、宮之浦岳と翁岳がだんだん大きくなってくる。デジカメを取り出して写真を撮ろうとすると、全て撮り切って残存枚数はゼロ。この先は写真を撮ることは出来ず、しっかりと網膜に焼き付けるしかない。稜線にでると森林限界となり、ヤクシマダケ(ヤクザサ)の緑の絨緞が広がっている。ササ原には花崗岩の大岩が点々と露出し、目指す宮之浦岳に向かって一本の道が続いている。島とは思えぬ山また山の素晴らしい別世界を、おいしい空気をたっぷり吸いながら歩く。坊主岩をかすめ、アップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げ、平石岩屋に到着。大きな石が割れ、落ちかかった石の下に入れば少々の雨ならしのぐことが出来そうだが、ここで泊まるのはちょっと無理。岩屋から下り、花崗岩が風化した平らな広場「平石」で、永田岳、宮之浦岳を眺めながら小休止をとる。さらにアップダウンを繰り返し、焼野三叉路に登りつき再び小休止。ここで永田岳への道を分ける。ここからの急登を頑張って、ついに宮之浦岳山頂1935mに到着。大きな岩の上に立って眺めると、晴れた空のもと、永田岳、栗生(クリオ)岳、翁岳、黒味岳など、屋久島の1800mを越える山々が連なっているのが見える。宮之浦岳は九州一の標高を誇る山であることは良く知られているが、二番目から七番目までも屋久島にあり、八番目がやっと九重山である。阿蘇山など、屋久島の山々に比べれば足元にも及ばない。充分に景色を堪能してから頂上を出発し、栗生岳に至る。大きな花崗岩が割れたような隙間に入ると祠があり、その前に坐って参拝する。宮之浦岳の山頂直下にも祠があったが、島の人が年一回、これらの山々に岳参りをすると云う。宮之浦集落の人は宮之浦岳へ、栗生集落の人は栗生岳へ、永田集落の人は永田岳へ、という事で、山の名前は集落の名前から付いたものである。栗生岳は頂上といった趣きは無く、縦走路の通過地点といったところである。翁岳の山頂は、直立する三っつの岩峰からなり、今にも落ちそうである。屋久島の山々の頂上には、人差し指でちょっと押せば、ごろごろと転がり落ちるのではないかと思われる、こんな大岩が沢山あり、実際落ちてしまった岩もある。翁岳をかすめて登る際、小さな流れがあり、ここでペットボトルに水を補給する。安房岳、投石岳をかすめ、急な道を下ると投石平に至り、ここで昼食とする。水をかけると餅が出来、これにきな粉をつけ、缶詰のうなぎの肝をおかずに美味しくいただく。再び森の中に入り、黒味岳への道を分けてさらに下ると、日本最南の高層湿原である花之江河に降り立つ。初夏になるとコケスミレやヒメウマノシガタなど小さくて可憐な花が咲くそうだが、今は何も咲いていない。湿原にオタマジャクシが泳いでいるのみである。木道の脇にザックを下ろして小休止をとる。ここは、今下りてきた道のほか、ヤクスギランド、栗生、湯泊、淀川からの道が集まる交差点でもあるが、宮之浦岳と淀川からの道以外は誰も通って来ない。ここからしばらく歩き、小花之江河を過ぎて少し登り、あとは杉ばかりでなくモミやツガの巨木の森の中をどんどん下って淀川小屋に到着。小屋の前には大勢の人が休んでおり、今晩ここに泊まる人も多そうだ。ザックを下ろして水場で顔を洗い、すっきりしてゆっくり休憩する。ここから下って淀川登山口にポッと出たのは4時半、新高塚小屋を発ってから9時間経っていた。
タクシーで宿に帰り、風呂で汗を流して夕食。夕食後は焼酎「三岳」を飲みながら、山談義に花を咲かせ、早めに就寝した。
翌朝は貸切りバスで島内巡り。大川(おおこ)の滝は素敵な滝、中間ガジュマルは沖縄のものに比べれば大したことは無く、平内海中温泉は足湯のみ浸かり、千尋の滝は大川の滝を先に見たので余り感動せず。昼食後、安房港から高速船「トッピー」に乗船。行きの「ロケット」は後発会社で片道運賃5000円、「トッピー」は7000円であった。どちらもボーイング社製の同じ船であったが、宮之浦から出るロケットが欠航したため、トッピーは満員状態であった。
毎年、屋久島に通っています。縄文杉の次の写真の屋久杉の写真、杉の名前が隠れていますがなんという杉でしょうか?縄文杉より上部に名前の付いた杉があった記憶がないので教えてください。
おはようございます。
誠に失礼致しました。順番が間違っていました。
時間的に見るとウイルソン株より手前の杉でした。
ご指摘頂き有難うございました。こんなことの無いよう、以後気を付けます。
この写真は翁杉ではないですか?だとすればすごく貴重な写真です。なぜならこの屋久杉は2010年に枯れて倒れています。このようにまだ元気に立っている写真はなかなか見られません。ぜひ、そのことも紹介してください。
追記、いまヤマレコの過去の『翁杉』の写真と比べてみましたがたぶん翁杉です。お宝写真ですよ、この写真は。
こんばんは。
屋久杉もいつかは倒れるんですね。名前も翁ですから、無理からぬことです。
ご指摘頂き有難うございました。
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