六甲・シェール槍・新穂高


- GPS
- 06:07
- 距離
- 16.6km
- 登り
- 1,294m
- 下り
- 1,030m
コースタイム
- 山行
- 5:17
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 6:06
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
神戸電鉄花山駅まで徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
ケーブル虹の駅東尾根は蜘蛛の巣だらけ 新穂高南東尾根は笹が被る 双子山北尾根は滑りやすい土でロープが掛かる |
写真
感想
JR摩耶駅から歩き出し、都賀川の河原を歩いた。河原と云ってもコンクリートで固められた水路だが道路とは交わらないので信号がなくてストレスがない。地元の人も散歩やジョギングに訪れている。六甲山から一気に海へと流れる川で平成20年7月には急激な増水で5人が流される死亡事故があった。都賀川が六甲川と杣谷川とに分かれる所で河原の道が途切れた。飛び石で渡涉し左岸から道路に上がった。
杣谷川右岸の道路を進み灘丸山公園の先の堰堤の処から登山道が始まった。登山口には山寺尾根と杣谷峠への道が案内されていたが、地形図では左岸に渡り霊園横から登山道が始まる筈だったので混乱してしまった。右岸を進むと軈て左手に柵があり崩れていたが登山道が続いているので山寺尾根と思い登って行った。送電線も地形図どおり3本越えたので何の疑いもなくコンパスも合わせることなく進んだ。笹が被り、蜘蛛の巣が多く暫く歩いた人がいないのは明白だった。
登山道に掲示があり、「この先通行止めの表示があるが建物への侵入を禁止しているだけで通行することはできる」と書かれていた。大きな建物の廃墟が現れ脇を回り込むようにして進むが気味が悪い。この廃墟は摩耶観光ホテルの残骸で昭和4年(1929)に建てられ、摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設からホテル、学生サークル専用宿泊所となり平成5年(1993)に廃止された。外見から軍艦ホテルとも云われていたそうだ。
建物上部に出ると摩耶ケーブルの虹の駅が現れた。ここに来て漸く山寺尾根を登っていなかったことに気付くと云うお粗末な結果だった。時刻は8:30、ケーブルの始発は10時で駅は未だシャッターで閉ざされていた。登山道は観光客の歩く遊歩道となりロープウェイ駅前を通り摩耶山方面へと進んだ。“摩耶花壇”跡、昭和元年(1926)に開業したレストランや宿泊施設だったが昭和35年(1960)には解体され、2代目の”摩耶花壇“が建造されたが昭和43年には廃墟化したらしい。今、摩耶観光ホテルと摩耶花壇などの廃墟を巡るツアーが実施されていて、人気が高いとか。
摩耶山への道は標高500m程の小ピークの北を巻いているのでピークを取ろうと踏み跡を辿るとピークから南の方に下ってしまうので強引に北斜面を下った。鞍部から登り返すと嘗ての忉利天上寺(とうりてんじょうじ)のエリアで空っぽの仁王門から長い石段が続いている。その様子は地形図にも描かれ一目瞭然。石段が途切れると尾根の張り出しの平坦地が嘗て堂塔伽藍のあったエリアで礎石などが残っている。背後には摩耶山が聳え山を背負った本堂は絵になっただろう。この大寺は昭和51年1月30日火災により堂塔伽藍の全てが焼失してしまった。道路のない此の地での再建は難しく開祖の地とされる摩耶別山の直下に移転再建された。
本堂跡の背後に“親子杉”と名付けられた幹回り4.45mの巨木があったが平成30年9月の台風21号で倒れ横たわっていた。登山道は奥之院道と観音道の2途に分かれた。奥之院道は以前に歩いたので今回は観音道を歩いた。途中に観音様なのだろうかカーリングのストーンのような石の上に胸から上の仏様が載っていた。山頂域に達し摩耶山三角点(699m)に到ると大きな山頂標識が掲げられていた。三角点は厳密には摩耶山頂ではなく電波塔の辺りが最高所で「702m」の標識が掲げられていた。
摩耶ロープウェイ山頂駅の広場は“掬星台(きくせいだい)”と呼ばれ、神戸の街、神戸空港島、六甲アイランド等が一望できる。「星を掬う」と云う程だから夜景はさぞ素晴らしいことだろう。道を北に取り摩耶別山に向かう途中、「摩耶の石舞台」と名付けられた展望台があった。平成24年に清水の舞台に似ているからと命名されそうだが木造建築の清水の舞台と似る筈はないだろう。オテル・ド摩耶の前を通り摩耶別山への道が分岐するが現在の忉利天上寺の伽藍が見えた。旧寺域を通って来たので敬意を表して裏から入り参拝した。忉利天上寺本堂の舞台からは摩耶山や六甲山脈西端の鍋蓋山や明石大橋が望めた。
摩耶別山(717m)山頂は、摩耶減圧槽の施設があるだけで展望はなく山頂標識も掲げられていなかった。西側の縦走路を下ると一旦車道歩きになり穂高湖へと下った。生田川の源流部を堰止めたダム湖で営業用のカヌーが浮かべられていた。湖の向こう側にシェール槍が尖った姿を見せていた。東側の湖岸を歩き流れ込む谷を遡って槍の稜線に取り付いた。道はなく岩場で大岩を躱し、蜘蛛の巣を払い稜線に取りつくと踏み跡があった。踏み跡を辿るとロープも掛かり問題もなくシェール槍(640m’)に達した。狭い山頂に山名のプレートが掲げられ岩の上からは展望が良く穂高湖や摩耶別山等を見ることができた。
下山路は岩場の急斜面で湖畔の道に降り立つと「↑シェール槍」の標識が掛かっていた。西から来た男性が入れ違いに登って行った。次は新穂高に登る。取付きがややこしそうだ。藪の濃い道で四差路に到ると案内図があり現地と照らし合わせる摩耶山への道が途中で途切れ「徳川道」の表示に混乱してしまった。方向的には徳川道と書かれた方だが別の標識には摩耶山への道に徳川道と書かれていた。谷道を進むとどうやら正解だったようで峠に新穂高への取付きがあった。新穂高への道は笹が被り余り歩かれていないようだ。小さなピークを3つ越え新穂高(648m)山頂に到ると山頂標識ははく、展望もないので一寸がっかりだった。西への稜線は藪もなく歩き易いがP609からの下りは急だった。新穂高の南麓を流れる生田川上流に飛び出した。
生田川沿いの道を下るが桜谷分岐で道を外してしまい強引に川原を歩いた。谷が迫る所では渡渉し反対側に渡ったが堰堤が現れ左岸を高巻くと右岸を歩く人が見えたので渡渉し、笹を漕いで登山道に復した。登山道に復帰するとすぐに黄蓮谷が分岐し、巻き道から稜線道となり黄蓮谷の源頭を回り込むように右に回ると展望櫓が現れた。てっきり石楠花山山頂と思っていたが山頂標識はなく、草原が広がりある筈の三角点も見つからなかったが少し先に進むと東を巻く登山道から稜線道が分岐したので踏み跡を辿ると2等三角点「上谷上」があった。此処が石楠花山(652m)山頂だが、山頂標識もないつまらない山頂だった。
北西方向に進むと登山道から少し外れたところに烏帽子岩(640m’)があった。東側に下ると炭ヶ谷からの道と獺池方面からの道が交差した。双子山へは「熟練者向き」と付記されていた。しかし何の問題もなく双子山(616m)に達したが此処にも山頂標識はなかった。今日の山域は殆ど山頂標識がなく寂しい。NHKの標石が埋められていたが展望もなく物足りなく北峰を目指すが下りに長いロープが張られていた。急斜面で滑り易いので助かる。双子山北峰(590m’)はNHKの放送設備があるだけだった。
阪神高速の通る麓への下山は急斜面、土の斜面で滑り易くまたロープに助けられた。「熟練者向き」の意味が理解できた。送電線を潜る辺りに静かな池があり、1m余りの水深のようだが水は青々として透明度が高く底まで透き通っていた。菖蒲沢橋で阪神高速を渡り花山東町の住宅地に下りてきた。志染川を渡り神戸電鉄花山駅に到着し登山を終えた。
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