木曽駒ケ岳
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 1,565m
- 下り
- 1,565m
天候 | 曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
感想
木曽駒ケ岳へ行ってきた。山の恐ろしさを骨身にしみて感じた一日だった。まだたった一週間しか経っていないとは信じられないほど、遠い過去のことに感じる。それどころか、心身共に衰弱しきってようやく下山した瞬間に、山で起きたこと全てを忘れるほど、あまりに下界と山とは乖離しきった夢の中のような出来事だった。
朝4:30、自宅を出発。既に小雨が降っていた。夏山のシーズンは7月・8月の2ヶ月、この日を逃しては山には行けないと、雨天決行する。高速道路の車の数は少なかった。駒ケ岳へは自家用車での乗り入れができないので、ふもとで車を停めバスを待つ。7:30を過ぎていたが、バスを待っているお客さんは10人程度。これが好天に恵まれるとこの時間でも大行列になるらしい。このバス会社、確か伊那バスだったか、ここの運転手さんたちの研修はきっと相当なもんだと思う。ロープウェイの駅に行くまでの道中は、職人技としか言いようの無い超絶ドライビングテクニック。右へ左へとあるいは絶壁、あるいは断崖へ突っ込むかのようなハンドルさばきに生きた心地もしなかった。小一時間ほどでロープウェイしらび平駅に到着、フラフラしながらロープウェイに乗り込み、真っ白な山中へ吸い込まれるように進んでいく。人いきれで曇ったかに思えたガラスは、外の濃厚な霧によるもので、いくらこすっても景色は見えず、それどころかほんの数メートルの視界すらない。終点千畳敷駅にはものの数分で到着。降り立つと何しろ寒い。バス停には山頂の気温7度と書いてあったっけ。窓から見遣ると、見渡せるはずの絶景は全て雲に飲み込まれ、小ぶりの雨が降っていた。嗚呼、これが諦めの付くほどの大雨であったなら、その後の悲劇は回避されたかもしれない。
登山初心者2人によるパーティの私たちはここまで来たのに勿体無いと、天候が悪ければ引き返す、の鉄則も無視しレインウェアを着込み山頂を目指す。ここまでは気軽に乗り物で運ばれて来れたものの、そこは高山、元々体力に自信のない私はすぐに息が上がる。足元は滑りやすく、視界も悪く、時折強まる雨に何度も不安を感じたものの、下山パーティと何度もすれ違うと、まだこの上には行けるのだと、ひたすら足元だけを見て登り続けた。そして突然、乗越浄土という広い稜線に出た。写真によると晴れていれば絶景ポイントなはずだが、見渡す限り真っ白な壁。初めて訪れる高山の稜線の、しかもこんな悪天候の、台風中継か?という強風に恐怖がじわじわこみ上げる。もう絶対無理、この先に行くなんて無理無理、と諦めかけると風が収まり、じゃあもう少し進むか・・・と進み始めるとまたも身体がふらつくほどの強風、そして四方八方から叩きつけられる霧というか雨というか。乗越浄土の宝剣山荘(後に命を救われる!)をスルーし、さらに山頂を目指す。時に手をつかいよじ登り、中岳山頂を命からがら通過、一旦そこから少し下り、最後の登りで駒ケ岳山頂についに到達!!ここでやめときゃ良かった!
木曽駒に登ると決めてから、木曽駒について色々と調べていたとき、山岳小説の雄、新田次郎著「聖職の碑」について知った。それは大正時代に木曽駒で起きた実際の遭難死亡事故を題材とした小説で、私の登った8月下旬と同じ時期に木曽駒へ修学登山した引率教師と生徒計13名(くらいだったか・・・)が遭難のうえ凍死するという、山素人の私にはショッキングな内容で、8月に凍死するという状況がはてさっぱり理解できなかった。しかし読むうちに状況を理解し山の厳しさへの教訓をちょっぴり得て、山に対する心積もりが数段シビアなものに変わり、実際今も木曽駒山中に立つというその遭難を記念する碑、すなわち聖職の碑を見ることこそが登山の目的に、なんというかなってしまった。読んで良かったのだけど、結果悪かったとも言えるというか。
木曽駒山頂は恐ろしい強風と濃霧(というか雲の真っ只中です)で、すぐ近くにあるはずの山小屋の存在も気づかなかった。一旦そこで休んで地図を広げてみるべきだったが、「→聖職の碑」なんて書いた看板が立っているので、すぐ近くにあるものと勝手に判断し、強風の中地図を広げることも不可能だったため、元来た道を戻ることなく更に進んで行った。目的は登頂ではなく碑だったために、どうしても諦めが付かなかったのだ。事前に碑の場所を確認すれば良かったが、本を読んだイメージで山頂から程近い場所だと勝手に思い込んでいた。帰ってから地図をよく見たところ、山頂からはかなり反対側へ下った8合目くらい?にその碑はあるようだった。晴れていても初心者では躊躇する、雨で滑りやすくなった岩場をぐんぐん降り、この距離を戻ることはもう不可能だな…と頭の片隅に思うが、碑を見るまではそのことは考えまいとする。時に息すら止まるような暴風が横殴りに吹きつけ、風がやんだ瞬間に歩きだし、もう抜き差しならないところまで到達したときに見たものは、2本に枝分かれした道。一本は碑に続く道、もう一本は山頂へ戻る道。すでに8合目くらいまで下り、周りは樹林帯に変わっていた。暴風と濃霧に替わって雨が身体を濡らす。
この機を逃しては何か良くないことが起こりそうだと、既にここまでで相当良くないことが起こっていたわけだが、改めて気づいた。私は登山用の雨具を持ってきたのだが、普通のカッパ(一応セパレート)で無謀にも臨んだ同行の友人は水がしみ込み、下着まで濡れていた。岩陰で雨をしのぎながら地図をようやく広げる。防水ではない地図は、おそらく今見ておかなければ次に開くとき、紙が溶け出し役には立たないだろう。そこに見たものは、碑まで40分の文字。この地点まで往復するだけで80分。そしてさらに、下山するためにはもう一度山頂まで上り、尾根道を伝って下山しなければならないのだ。既に相当下ってきている。そしてずぶ濡れで顔色が悪くなってきている友人。山頂の気温は7度…もう迷ってはいられない。十分すぎるほど遅すぎたが、ここで戻ることを決断する。(続く)
その後(2009.6.6)
(続く)より後が消えちゃいました、ごめん。
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