富士山吉田口ルート往復
- GPS
- 104:00
- 距離
- 14.7km
- 登り
- 2,446m
- 下り
- 1,580m
コースタイム
4/15佐藤小屋天気待ち 強風
4/16佐藤小屋天気待ち 強風
4/17佐藤小屋9:00→撮影込み→東洋館脇2910mC1(13:00)天場完成は15:00時
つるし雲あり。午前暴風夕方収まる
4/18C1(5:30)→久須志奥宮山頂(8:45-9:30)→剣が峰(10:00-50)→久須志奥宮山頂11:40→C1(13:00-30)→佐藤小屋(14:30-15:30)→スバルライン終点(16:10)
天候 | 晴れ 風強し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
佐藤小屋〜スバルライン間はデブリあって硬い |
コース状況/ 危険箇所等 |
6合目までアイゼン要らず 7合目は朝カチカチ午後はシャビシャビ 8合目以上はコチコチ。風で叩かれてかなり硬い。アイゼン爪十分入らないところも多い 本8合目富士山ホテルの北西斜面、9合目鳥居下の長い急斜面は高度感もある危険地帯 剣が峰北側の岩稜の下トラバースは3mほど凄く硬い急斜面のトラバースあり |
予約できる山小屋 |
里見平★星観荘
|
写真
感想
富士山頂測候所冬期おつとめ10年のキヒロさん、その現在の山頂小屋つながりのクライマー、トタカ、キツネ両氏の助っ人と、名古屋のラユキと富士山積雪期4k山頂撮影。降雪を撮りに行ったが期間中は全く無し。風強く上部幕営には無理あり、天気待ちで二日佐藤小屋で費やす。イグルー作るには硬すぎる4月の富士山だった。
前日、富士吉田のスーパーで買い出しして河口湖駅前の70年代風宿で泊。大食いメンバーの、食料4泊5日分がっつり。
初日、馬返しを出発。五合目までの遺跡群を映像コーナー用にみっちり撮る。通い慣れているけど、女人禁制の碑などまだ知らない石碑もあった。
佐藤小屋につくと、首都圏の山岳会の訓練できていた団体に病人が出たそうで、ヘリが来て搬出していた。ラユキの知り合いのガイド、マイクが外人せいたか女を山頂に連れて行って帰ってきた。くたびれていた。あの氷急斜面、ガイドと言えどコンテで人を止められるもんだろうか。日曜の夜、客は皆帰った。
二日目、三日目は風が強く小屋から進めず。佐藤さんとこれまでのことや山の人の話をしたり。メンバーの遍歴など話したり。トタカくんの昨年ギリギリボイズでアピ南稜アタックの記事をヒマラヤ協会会報で先週読んだばかり。クライマー二人はヒマさえあればボルダリングや、石垣登りに出かけてご飯の時間も忘れて子供みたいに帰って来ない。体力満々、登りたい盛り。就労を止めてクライミングに打ち込むのは、就労していては駄目だからなのだ。ヒマあれば筋トレとストレッチだ。キツネはその上よく食べる。佐藤さんが山番組ビデオをちょいちょいかけてくれる。白い魔境でキヒロさんが出ているじゃん。佐藤さんの若い頃のビデオもあるじゃん。
滞在中、無謀ドイツ人青年の滑落真夜中駆け込みや、ほか山頂から帰らないとの家族の連絡などいろいろあり。
ヤマテンと頻繁にやりとりして上に行かず、結局アタック日前日に7合目入り。東洋館の東側に吹きだまりがあり、はじめイグルーをと思ったが、雪が硬く、まともなブロックをとれず、スペース分を砕いて切り出してテント張る。風速20m超えの風と目つぶしザラメの中、テントにビレイとりながら設営する。さすが富士山。テントスペースも無ければこの状況は他ではないワ。夕方から予報通り無風になり星空。辛辛のタイカレーを泣きながら食べて早寝する。
朝二時半起き。白鳥座が真上だ。
マルタイ棒ラーメン食べて、日の出を納めて出発。日は長くなった。硬いのでスタスタ登る。太子館を越え、白雲を超え、全部小屋の左(東)側の急斜面を直登する。小屋はどれも屋根まで埋まっているが、硬い。イグルーを作れる硬さじゃない。やはり富士山は特殊だ。富士山ホテルの右下(北西)の大斜面は硬く高度感あり爪の先だけで行く感じ。風が強いと下りで怖いだろう。風の弱いうちに戻りたいところだ。
山頂直下鳥居の下100mほども。
久須志の大宮で天気判断。10時半までにここを下れば午後強くなる風に捕まらずにすむというメドだった。時間も余裕なので山頂を目指す。ここでも留守番に促されてヤマテンに見込みを聞く。ヤマテンに頻繁に情報をもらうと、過剰に依存してしまい、数時間単位で予定通りに変わるかのような錯覚を起こしてしまうのが危ういと思う。今回は前日の予報より当日の方が、悪化が遅れ気味と言う風に変わってきた。前の日のうちから聞いていた細かな時間にこだわらない方が良い。依存は危うい。GPSと一緒だ。山で通じる電話は、おつとめとはいえ全く野暮。
山頂を反時計回りで目指す。キヒロさんに金名水、小内院、以前の気象庁のポンプ小屋、気象庁の元小屋(更に以前は陸軍の小屋)など、説明を聞けるのが歴史好きには凄くありがたい。剣が峰の手前の岩稜の大沢崩れ側の水平トラバース数mがビビる高度感で硬かった。あそこは構成メンバーの信頼がなければ行きたくないところ。
山頂では風速悪化の兆しも無く一時間近く撮影する。この場所で冬も過ごしていた測候所時代ってなかなか良いものだよなあ。
国土地理院のGPSとか、アメダス装置なんかが、そこかしこにある。アンテナの霧氷はそれほどは大きくない。ここずっと雪降っていないし、気温が上がった日もあったから。風だけが強くて、それで氷もあんなに硬くなる。
馬の背を下り、虎岩の上あたりでまた大内院を撮る。富士宮の浅間奥宮にお参りして一周するのにあっという間だった。
久須志からの下りを済ませるまでは緊張は融けない。ここからは一歩一歩各自で間違いなく降りるしか無い。他の人のミスを誰も助けられない。ザイルをつなぐガイドはどういう風にするのか想像もつかない。クライマーの二人はまったく慣れていてスタスタ重荷で降りて行く。さすがである。
8合目を越え下り、朝より若干柔らかくなった気がしたと思ったら、天場についた。ひとまず安心。昨日はここまでもカキンカキンで怖いところがあったが、もうだいぶ柔らかい。それに風が強まる気配もなく、助かった。荷物をたたんでシリセード込みで6合目まで下ると、じゃりじゃりの富士山礫。ガイド登山組とすれ違った。
無人になった佐藤小屋前できょうスバルラインが開通したことを知り、カナタさんに上まで来てもらった。その間ひなたぼっこして乾かす。クライマーどもは懸垂なんかしている。車道終点まではデブリの上も歩く。ズックのキツネくんが苦戦している。
吉田の糸力http://itoriki.com/
でダブル定食三昧。キツネ君はオムライスをさわやかにオカワリする。馬返しのデポ車に皆を届けて解散。このあと新型カメラを他クルーが泊まるホテルに置きに行くと、洞窟撮影班やほかの班がぞろぞろ居た。大作戦なのだなあ。山頂撮影班は一番小規模だ。懐かしい山主さんにも会った。ラユキとともに甲府に帰る。家では玄関でまーとカメがお迎えしてくれた。
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