富士山
- GPS
- 28:35
- 距離
- 15.9km
- 登り
- 1,611m
- 下り
- 1,602m
コースタイム
- 山行
- 2:55
- 休憩
- 1:40
- 合計
- 4:35
- 山行
- 3:55
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 5:00
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
予約できる山小屋 |
八合目池田館
|
写真
感想
国内最高峰は息子と登ると決めていた父。しかも富士講の習わしに従い、江戸の行者と同じように表(富士宮口)から登攀しなければならぬという強い信念がありました。
なにしろ経験したことのない高さで、しかも前日には落雷による犠牲者も出ていました。また、今年は大気が不安定で、午後からは毎日必ず雨が降るという悪条件。さらに小学5年生の息子だけでなく、父も高山病が心配で少し不安でした。
新富士駅発の始発バス(8:30)に乗り込み、途中富士山の伏流水が湧き出る「湧玉池」に寄り、「富士山本宮浅間大社」に拝礼してから「富士山スカイライン」を通って「五合目」に到着しました(10:45)。標高はすでに2400mもあり、体を慣らすためにレストセンターで早目の昼食を取って休憩しました。ちょうど下山してきたばかりの登山者や観光客で混み合っていましたが、ガスガスで視界不良のうえに気温が低く(21℃)、これからの登山がさらに心配になりました。
金剛杖を購入し、意を決して登り始めました。「宝永火口」見物の観光客たちが六合目まで行き交うので、中にはハイヒール履きの人もいます。まずは観光地気分で楽に「六合目(雲海荘)」着。焼印を押してもらって「新七合目(御来光山荘)」に向かいました。焼印は各合目で推してくれる(200円)ので、案外張り合いにもなるのです。上を見ても山頂どころか山小屋さえ見えない状況に変わりはなく、本当に運がなかったとすっかり諦めムードでした。
そんな父の心境をよそに、息子の足は快調で父を置いてどんどん登って行きました。「新七合目」まではこのコース中もっとも長いのですが、あっさりクリア。しかも、思いもよらぬことに「新七合目(山口山荘)」からは雲が取れ始め青空が出始めました。
このあたりから高山病の人たちが横たわるようになります。よほど気持ち悪いのか、小屋前でも登山道でもお構いなしに倒れこみ、携帯酸素缶のお世話になっていました。「八合目(池田館)」でようやく雲海の上に出て、青空が広がり上の小屋や山頂が見えだしました。200円を払ってトイレを借り、1本400円のコーラを飲み干しました。ちなみに富士山は道中も山頂もすべてチップ制のトイレです。また、ここには「衛生センター(夏期臨時診療所)」があり、ドクターが常駐しています。 「九合目(万年雪山荘)」も無事に通過し、残雪が残る「九合五勺(胸突山荘)」へ。父的にはここからの最後のひと登りが一番キツかった印象です。山頂に着いてすぐに今晩の宿である「頂上富士館」にチェックイン。従業員に隙間なく並べられた布団を事務的に割り当てられ、早い夕食(18:00)後はすぐに消灯になりました(19:00)。夜中も高山病の人たちは具合が悪くて眠れないようで、寝返りばかりしていたようです。
4時に起床し従業員の指示に従ってすぐに食堂で朝食を取りました。外を見たらご来光を目当てに下の小屋からぞくぞくと登ってきた登山客で山頂広場は大賑わい。小屋は4時30分にならないと開けてくれないので朝食後もすぐには外に出られませんでした(おそらく宿泊者以外の入館を防ぐため)。数分待って一番乗りで真っ暗な外に飛び出たらまだ満天の星がキラキラと輝いていました。火口を一周する「お鉢巡り」は4劼1時間はかかるので、少し先の「朝日ヶ岳」まで進んでご来光を待つことに。今か今かと待ちわびる大勢の登山者たちと一緒に、次第に赤らむ東の空を眺めていました。真夏とはいえ外気温は5℃を切っている中、待望のご来光が上ると大きな歓声に包まれました。眼下には蟻のように列を成して山頂を目指して登ってくる人たちや「山中湖」が見えます。さすがに日本一の高度感は「スゴイ」の一言です。さっそく上ったばかりの太陽に照らされながら、「お鉢巡り」に挑戦。富士山の山頂は火口の外輪全てをそれと見なして良いのですが、その最高峰は「剣ヶ峰」です。一般的に、「富士宮口」、「御殿場口」からの山頂と「河口湖口」、
「吉田口」、「須走口」からの山頂の二つが山小屋や神社があって富士山頂とされています。特に後者は東京から近いので人気があり、その山頂部には山小屋、土産物屋などが立ち並んで「富士銀座」とも言われ、今回もその「富士銀座」は登山客でごった返し息子が迷子になる始末。改めて観光登山としての人気のすごさにビックリしました。中でもツアー登山大手の「Y旅行」、「Cツーリズム」などは何十人もの添乗員たちが必死に旗を振って誘導していました。
万年雪が残る最大火口の「大内院」に驚き、眼下の絶景を拝しながら至福のハイキング。青空に「南アルプス」、「北アルプス」、昨年登った「中央アルプス」、「八ヶ岳」、遠くは「男体山」まで見えました。最高峰の「剣ヶ峰」では30分も並んで記念撮影。誘導する係員がいるくらいですから、その混み具合は凄まじいものでした。息子とその「3775.6m」に立って、今、この時に1億2000万人の国民で最高点に立つ数少ない人間だという感激に胸が熱くなりました。宿に戻り「お鉢巡り」を達成。「浅間大社奥宮」に改めて拝礼し、金剛杖に最後の刻印「富士山頂」を記してもらいました。また、ここには郵便局まであって、息子は同級生たちに富士山頂の消印ハガキを送りました。
名残り惜しかったのですが、バス時間もあるので仕方なく下山を始めました(7:20)。道中はまったく快適でしたが、八合目で歩けなくなった人がレスキューに搬送されていました。2回ほど足を休めて無事登山口着(9:40)。この日も前日同様六合目から下はガスっていました。
今までは眺めるだけだった日本一の山に登れたことは、父子にとっては大きな意義があります。「小学5年生で」というのが父の願いであり、それをやっつけた息子の足を誉めてあげなければならないと思いました。心配していた高山病は、登山道だけでなく、山小屋をはじめいた るところでダウンしていたように、程度の差こそあれねおそらく半数以上の人はかかるのかもしれません。幸いにも父子揃って元気でまったく問題はありませんでした。とにかく「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」と言われる富士の高嶺を登破できたことは、父子にとっても大切な思い出になると思います。下山後、息子はガスに隠れるまでその頂きを見つめていました。これからは富士山を眺めた時に、「あのテッペンに立ったことがある」と威張ることができます。
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