愛宕山千日参り
- GPS
- 04:11
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 704m
- 下り
- 1,048m
コースタイム
天候 | 晴れのち曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
樒原登山道は大半神社ジープ道 |
写真
感想
JR八木駅で列車を降りると古いちんけな駅舎が立派な橋上駅に変わっていた。参加者が揃い駅前から原行の京阪京都交通バスに乗った。登山者が大勢載っていたが殆どが地蔵山に登るようで越畑で降りた。終点の原まで乗ったのは数人だった。バス停から車道を水尾方面に進み、谷を回り込むと愛宕神社の立派な鳥居があり愛宕山への登山道が始まった。愛宕山北西尾根に取付き30分弱登ると愛宕神社関係車が通るジープ道と合流した。この後は山頂までジープ道が続く。
谷の源頭部分で展望が開け、三郎ヶ岳(613m)や千歳山(630m')が望めた。軈て神明峠からの道が南から合流し、P900の先端まで来るとジープ道は南側の斜面をトラバースするように行ってしまった。P900を踏むべく斜面に取付くと踏み跡があったが倒木で途切れ乗り越えてピークに達した。何もなく北側の地蔵岳への道に降り立った。愛宕スキー場跡に立ち寄ろうと北に進んだがどうも違うようで引き返してジープ道の分岐付近まで来ると「旧愛宕スキー場跡 190m→」の標識が立っていた。昭和19年2月にケーブルカーが廃止され、足を奪われて営業を終えた。樹木の斑な緩斜面が如何にもスキー場跡と云う雰囲気を醸し出していた。スキー場を開発した旧京都二中の校長であった中山再次郎の銅像があったが廃止時の金属供出で持って行かれ台座だけが残っていると云うことだったが、見つけられなかった。
愛宕三角点(3等890m)に立ち寄り展望を期待したが比叡山や横高・水井山も霞んでいた。上空は怪しげな雲が出だし天気予報の通り大気の乱れが起こっているようだ。分岐に戻らず、稜線道を通って首なし地蔵からの道に出た。再びジープ道に戻り霞んだ京都市内の展望を見て白髭神社から愛宕神社の石段に達した。「これよりマスク着用」看板があり、マスクを着けて「千日参り」の看板が置かれた神社に入った。茅の輪があり8の字にくぐり夏越しの祓で半年の穢れを落とした。作法を調べてみると、\橘未任辞儀、左足で跨ぎ左回りで戻る。∈討喟橘未任辞儀、右足で跨ぎ右回りで戻る。正面でお辞儀、左足で跨ぎ左回りで戻る。だ橘未任辞儀左足で跨ぎ本殿へ、心の中で「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸(さきは)え給へ」と唱えるそうだ。お札売り場では千日参りのお札を買う人の列が長く伸びていた。本殿に詣で奥宮、若宮にも参拝して、お札は諦め石段を下り社務所前の休憩舎で昼食タイムとした。
下りは表参道を歩く。次から次に千日参りの人が登ってくる。千日参りの日には下る人は、登る人に「おのぼりやす」、登る人は下る人に「おくだりやす」と挨拶を交わすのが習わしで、コロナで変則参りの今年もこの習わしが活きていたのが嬉しかった。見知らぬ人と言葉を交わすと参拝の一体感が生まれたようで清々しい。今日は水尾分れの手前にある花売り場が開いていた。樒は売られていなかったが飲み物などが売られていたようだ。此処は水尾の村人が店を出していたと聞くが今もそうなのだろうか。
久しぶりに歩く表参道は長い、下りながら疲れる。五合目を通過し、25丁目など嘗て茶屋があった地点もあり沿道にはお地蔵さんが安置されていた。ケーブル跡の軌道が近づいてくると清滝の登山口で愛宕神社の鳥居をくぐり清滝の集落に入った。バス停への登り坂を歩いているとポツポツと雨が降り出し急いでバス停の屋根に入ると途端に激しく降り出した。間一髪のタイミングだった。嵐山行のバスは登山者で満員、JRで帰るべく嵯峨小学校前で下車した。嵯峨嵐山駅で列車を待っていると雨は止み晴れ間さえ出て来た。
それにしても、暑かったですね〜。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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