記録ID: 3489521
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ハイキング
六甲・摩耶・有馬
丹生山と帝釈山(;´Д`)ヨウヤク…
2021年09月05日(日) [日帰り]
![情報量の目安: A](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_A2.png)
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 04:28
- 距離
- 10.9km
- 登り
- 872m
- 下り
- 843m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:58
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 4:23
12:47
ゴール地点
天候 | 神戸市北区 天候)曇りのち晴れ 気温)28/21 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に問題なし。 登山客が多いせいか、蜘蛛の巣が全く無く、踏み跡もハッキリしている。 案内板、山中に多数あり。 稚児ヶ墓山と同じく、メマトイが多い。 |
その他周辺情報 | 市バス丹生神社前停留所の西に、ローソンあり。ビックリした…普通ないでしょ…。 |
写真
神鉄長田駅にて。
父が西区の精神病院に入院していた時、母と一緒にこの場所でよく電車を待ったものだ…。
その父は既に他界し、母も認知症となって老健でお世話になっている。
時は過ぎ行く……………。
父が西区の精神病院に入院していた時、母と一緒にこの場所でよく電車を待ったものだ…。
その父は既に他界し、母も認知症となって老健でお世話になっている。
時は過ぎ行く……………。
丹生山山頂の丹生神社。
主祭神は瓊瓊杵命、配祀神は丹生津姫命と月弓命。
平清盛が福原にいたとき京都の比叡山になぞらえてここへ日吉山王権現(大山咋命)を祀って月参りをしたと伝えられ、長く山王権現と称してきたが明治2年(1869)に丹生神社と改めた。本殿は春日造。
元丹生山明要寺の鎮守社で明要寺は欽明天皇3年(542)、百済の聖明王の太子、童男行者が創建したと伝える古い寺。
戦国時代、織田家と敵対し羽柴秀吉の焼き討ちに遭う。
明治維新後に祭神が皇室ゆかりの神に変えられたのはよくある話。
主祭神は瓊瓊杵命、配祀神は丹生津姫命と月弓命。
平清盛が福原にいたとき京都の比叡山になぞらえてここへ日吉山王権現(大山咋命)を祀って月参りをしたと伝えられ、長く山王権現と称してきたが明治2年(1869)に丹生神社と改めた。本殿は春日造。
元丹生山明要寺の鎮守社で明要寺は欽明天皇3年(542)、百済の聖明王の太子、童男行者が創建したと伝える古い寺。
戦国時代、織田家と敵対し羽柴秀吉の焼き討ちに遭う。
明治維新後に祭神が皇室ゆかりの神に変えられたのはよくある話。
丹生山系縦走路とシビレ山への分岐。
左がシビレ山、右が帝釈山。
丹生山系はけっこう登山道が錯綜していて、道迷いが発生しやすい山ではないだろうか?
案内板はたくさんあるのだが、登山道と藪の境界が不分明な場所がけっこうある。
左がシビレ山、右が帝釈山。
丹生山系はけっこう登山道が錯綜していて、道迷いが発生しやすい山ではないだろうか?
案内板はたくさんあるのだが、登山道と藪の境界が不分明な場所がけっこうある。
帝釈山山頂にある石祠……なのか墓なのか。
墓だった場合、地面に転がっているように見える石も墓石の可能性があるので(ウチの田舎の墓はそう。自然石がゴロゴロ散乱してる)、迂闊に座れない。
景色だけ堪能させて貰って、すぐにお暇することにする。
墓だった場合、地面に転がっているように見える石も墓石の可能性があるので(ウチの田舎の墓はそう。自然石がゴロゴロ散乱してる)、迂闊に座れない。
景色だけ堪能させて貰って、すぐにお暇することにする。
撮影機器:
感想
今回は丹生山田の歴史云々よりも、羽虫対策に購入した防虫ネットとトラロープの効果が気がかりだった(笑)。
結果は上々!
稚児ヶ墓山ほどではないがメマトイがたくさん寄って来たが、防虫ネットのおかげで全然気にならない!
トラロープも、一瞬アブだかブヨだかが寄って来るが、すぐ離れていくので効果があったのかも知れない。
これで夏の低山ももう恐くない…はず!
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