ピコデオリサバ
- GPS
- 09:30
- 距離
- 6.7km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
天候 | 快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2013年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
麓の町の「Canchola」というトレッキング会社兼民宿で、ガイドや装備を揃えてもらいました。全て込みで、約55,000円でした。 天気が安定する11月まで待って、登りました。 |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ 1
予備電池 6
筆記具 1
飲料 1
ティッシュ 1
バンドエイド 2
タオル 1
携帯電話 1
雨具 1
防寒着 1
スパッツ 1
手袋 2
ストック 1
ビニール袋 1
シュラフ 1
ザックカバー 1
水筒 2
時計 1
日焼け止め 1
非常食 1
アイゼン 1
ピッケル 1
オーバー手袋 1
インナー手袋 1
ゴーグル 1
サングラス 1
ハーネス 1
クライミングシューズ 1
環付きカラビナ 1
ヘルメット 1
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感想
2013年11月24日 午前8:00、私は、朝日の輝くピコデオリサバ山(5,700m)の頂上に立ちました。 メキシコではここより高いところはありません。 そしてここが、私の人生でも、自分の足で到達した記念すべき最高地点になりました。
登山口の山小屋を1時20分に出発し、暗い中を凍えながら岩と雪を踏みしめて、6時間40分ののちに到達した頂上は、言葉にならない深い感動を私に与えてくれました・・・・・Gracias, Pico de Orizaba!
通常、私の山歩きは、いわゆる「夏山登山」です。もっぱら雪のない山を歩くだけですので、アイゼンやピッケルとは無縁でした。
日本では北海道から九州まで色々な山を歩きました。 また海外では、ヨーロッパ・アルプス、ネパール・ヒマラヤ、カナディアン・ロッキー、ニュージーランド、と世界の山々を家内と一緒に訪ね、楽しんで来ました。 でもその国内外の山行の殆どが雪とは無縁で、アイゼン(それも4本爪の簡易アイゼン)を着けたのは、記憶にある限り、夏の白馬雪渓を下りた時くらいでした。
ただ一方で、青い空に聳える雪の山々には強い憧れを抱いていたのも事実で、アルプスのロープウェイを降りて、雪山へ向かう人たちを眩しい思いで眺め、また、私の敬愛する植村直巳さんや、名だたる登山家が世界の有名な雪と岩の難しいルートへ挑戦する様子をひたすら本の世界で追体験をしていました。
いつか、自分も雪を頂く高い山へ登りたい!そのためには日本でキチンと基礎から雪山の勉強と練習をしたい!と思っていましたが、仕事のために海外駐在の連続でもあり、そのような時間も機会もなく、雪山とは無縁の時間が過ぎて行きました。
そしてメキシコです・・・・ここに駐在してからほぼ1年になります。 この間、メキシコ郊外の低山や、少し足を伸ばして、雪のないネバド・デ・トルーカ山(4,704m)やマリンチェ山(4,460m)を登りながら、頂上が雪で覆われている、メキシコでも1−3位の高峰たち、すなわちピコデオリサバ、ポポカテペトル、イスタシワトルを遠くから眺め、種々の登山のブロクを読むにつれ、自分でもあそこに登りたいという強烈な欲求が、徐々に徐々に蓄積されていきました。
そして その気持ちが溢れ出したある日、「よし、ピコデオリサバに登ろう」と決めました。決めてから、行動に移すまでには、それほど長い時間はかかりませんでした。
すぐに日本の旅行社にメールで問い合わせたり、現地の山専門の業者のWeb Siteを調べたりしましたが、決定的だったのは、「とにかく行って見よう!」と、ピコデオリサバ山のふもとのTlachichucaという町へ二つのバスを乗り継いで行き、ガイド兼民宿をやっている、Canchola社とServimont社を訪ねたことでした。 2社は時間と費用の違いはありましたが、私の山の経歴と持っている装備(殆どない!)を告げて相談したところ、予想に反して2社とも「No」とは言わず、「装備は全てレンタル可能、体力さえあれば登れる」と言います。
そう言われては、もう登るしかありません。
幸い、6月からメキシコシティの自宅のアパートの階段を毎朝10回昇降して足は鍛えていましたし、高度馴化も海抜2,200mのメキシコシティに1年近く住んでいて、おそらく問題ないだろうと勝手に判断をしました。
思い立ったが吉日! すぐに登ろうと思ったのですが、あいにくと雨期の終わりで、10月は天気が安定しません。 仕事の都合もあって、一旦11月末へ一ヶ月ほど延期しながら、体力作りのために階段昇降を少し増やし、また土日にはメキシコシティ郊外の山々をせっせと歩きまわり、一週間前には更なる高度馴化のため、メキシコ5位のマリンチェ山(4,460m)へ、頂上まで3時間5分の高速登山をしたりという準備を続けました。
さてこれで準備万端!かと言えば、いかんせん経験不足の悲しさで、実際はかなりの不安を抱えながらいよいよ出発地点の山小屋へ向かう11月23日を迎えました。
借り物の重登山靴は靴ずれをしないか? ピッケルや12本爪のアイゼンはどう使うのか? ガイドとのハーネスの繋ぎ方は? 5,000m以上での高度の影響や寒さ対策は? などなど、頭の中は初めての経験への疑問が、グルグルと渦巻いていましたが、一方では、「何とかなるだろう」という開き直りもありました。
ただ、もし何らかの理由で、途中でダメになって引き返した場合、気力や体力も含めて、この年令で果してやり直すことができるのか、との懸念もあり、何としても初回で成功させたい、今の自分の力が通用して欲しい、と祈るような気持ちでもありました。
本番は夜中からの登山になります。 そのため3日前から夜は早く寝て、早朝に起きる生活へ徐々に切り替えました。 そして23日、朝3時過ぎに起きて身づくろいをして、メキシコシティの東地区のバスターミナルへ行き、始発のプエブラ市行きのバスに乗りました。2時間弱、うとうとしているうちにプエブラ市に到着、寝ぼけたまま、更にローカルバスへ乗り換え、そして、ふもとのTlachichucaの町の山宿「Canchola」へは、約束の朝10時前に着きました。
山宿で、まず会ったのが、Luisでした。食堂に入ると彼がPCを見ながら「Maribelに用か?」と私に訊きます。
Maribelは山宿の女将で、下見の時から「No Problem!」を連発し、私をその気にさせた張本人で、なかなかの商売上手です。
そのLuisは、山関係の雰囲気を持っていて近寄りがたかったのですが、あとで聞くと、何と彼はエベレストの登頂経験者でした。 アコンカグアを始め、南米の名だたる山も登っていました。 現在の仕事はVeracruz市の近郊で、ラフティングやカヌーの川遊びの会社をやっているそうですが、今日は仕事ではなく、休暇で久し振りに山に登りに来たと言います。 彼は山小屋への4輪駆動車にも一緒に乗り込み、この時から2日間、着かず離れず、私とずーっと行動を共にすることになります。
何でもメキシコでは30数人、既にエベレストに登った人がいて、彼は23番目の登頂者、だそうです。
さて、Maribelから、これからの2日間の行動の概略を聞いたり、色々準備を始めたのですが、前から連絡をしてあったため、彼女はスムースにレンタルの品々を取りそろえてくれ、また、手際良く昼食の用意をしてくれました。
そうこうするうちに、今回の私のガイドのJuanが到着。 彼は50回以上ピコデオリサバに登っているそうですが、歳はまだ26才。 私の年令は彼の数字を逆にした62才で、親子以上の歳の差でした。
その他、前夜からの山宿の客として、2人のインド人の青年がいて、彼らはガイドなしで登頂に挑戦するとのこと。 結局Luis, Juan, そしてインド人2人を併せ、合計5人で4輪駆動車に装備を積んで、標高4,200mの山小屋に上がることになりました。
肝心のピコデオリサバ山は、雲に覆われて見えず、車は樹林帯を縫いながら、未舗装のわだちの跡が深くなった道をクネクネと登って行き、約2時間後 Piedra Grandeと言う場所にある山小屋に着きました。
山小屋は、内部の寝床が3階建てになった石作りの大きな小屋で、30人以上が宿泊できそうでした。私たちが着いた2時頃は、未だ前日の人たちやその荷物でごった返していました。
夕方までは未だ時間があります。Juanにアイゼンの装着の仕方を教えてもらい、自分でも納得のいくまで何度も結んではほどいて、手順を繰り返し、夜中でも操作ができるようコツを掴む作業をしました。 その後、高度馴化を兼ねて、夜中に登る道を小一時間ほどJuanと登りました。 どうやらレンタルの重登山靴も問題なさそう、とホッと安堵を覚えつつ、山小屋に戻りましたが、途中から小雨になり、明朝の天候が少し心配でした。
夕方、Juan とLuisが山宿のCancholaから持って来た調理済みの「マカロニスープ」と「鶏肉とジャガイモの煮込み」を温めた夕食を作ってくれ、とても美味しくて全て平らげましたが、見ているとLuisとJuanは私の倍くらい食べています。若さゆえか、それとも、登山用の腹ごしらえか?
そして「6時ごろ就寝」の予定でしたが、ほぼ満員の山小屋は、若者を中心にまだまだ話し声や笑い声が絶えず、いつまでも騒がしく、私としては、明日は大きな挑戦の時でもあり、持参した耳栓をして、無理矢理 仮眠の状態に入るしかありません。 眠れない時は、決して起きてはならず、ジッとしているだけでも体が安まるという話を聞いたことがあり、それの実践です。長い間、ウトウトと眠りと覚醒の間を彷徨いながら深夜12時、誰かの目覚ましの音を合図に、山小屋の中の全員が一斉に起き出して、朝食と登山の準備を始めました。
未だ深夜でもあり、食欲はありませんが、Juanが、これも調理済みの朝食を温めてくれたので、持参したお菓子とともに何とかお腹へ納め、昨夕から準備をしていた装備を身に着けて、いざ、暗闇の中へ出発です。 星がいくつか見え、天気はほぼ良いようです。そして、先に出発した人達のヘッドランプが、もうすでに高いところで、揺らめいていました。
昨日下見で登った道を、まずは呼吸を整えながら淡々と登り始めました。 何組かのパーティと前後しつつ登るうち、道は徐々に急になり、ところどころ積もった雪が現われて足元が滑り易くなり、出発して約1時間経った頃に Juanからやっと「クランポン(アイゼン)を着けよう」との指示があり、昨日の練習の成果を遺憾なく発揮して完璧に装着!? ただ昨日Juanから「問題ない」と言われて練習をしてなかったハーネスは、ややまごつきつつも、これも何とかYou Tubeを見ながら独学したことを思い出しながら装着できました。 片やJuanはロープを手際良く結んでアンザイレンの形を作り私のハーネスとドッキング、そして雪山装備を整えたJuanと私は更に歩みを開始しました。
Juanは高齢で、かつ雪山初心者の私を気遣って、何度となく「このスピードで良いか?」と訊いてくれます。 登り始めは気負いもあって、内心は「遅いなあ!」と思いつつも、少し自重して「これでOK」と伝えていたのですが、あとで苦しくなったのを考えると、早めてもらわずに正解でした・・・・それほど、深夜の雪山は寒く、凍える厳しさでした。
永遠に明けることがないと思えるほど長い夜、そしてヘッドランプに照らされた目の前のステップを一歩づつ刻むだけの単調な時間が過ぎて行きます。 やがていつしか高度は5,000mを越え、手足の指先が凍え、少し停まると体全体も芯から震えるほどの寒気が襲って来ました。 それを克服するには唯一つ、ただただ黙々と登り続けるしかありません。呼吸は苦しいのですが、大きな救いは足と体が確実に動いていることです。階段昇降で鍛えておいたことに、あらためて感謝!です。やはり努力は人を裏切らない!?
昔、富士山登山の途中で会った老齢の女性が「少しでも前に進んでいれば、いつかは登れますよ」と言っていましたが、まさしく今の私はその心境で、足が順調に動くことに感謝すると同時に、「この調子なら登頂も夢ではないかも」と歩きながら考えていました。
支峰であるSargofagoの頂きを右に見て、5時過ぎに、いよいよ核心のJamapa氷河の登りに取りかかりました。Juanは、前のパーティの踏み跡を辿ることもあれば、独自のあたらしい道を作ることもあり、変幻自在に登ります。徐々に傾斜がきつくなり、直線からジグザグに道を切って行きます。下を見ると一旦滑ったら停まりそうもない傾斜が左の奥の谷間に消えていました。 思わずYou Tubeで見た、ピッケルを使った傾斜での滑落の停まり方を反芻していました。
苦しい時に登りを続けるには、機械的な自分のリズムを作ることが一番です。 深く吐く呼吸法とともに、まずリズムを作ることを心がけて登って来ましたが、ここに来て、寒さと高度でますます厳しくなり、途中で60歩が50歩へと、息継ぎ休憩のための間隔が短くなり、いまや20歩あるいて息継ぎ休憩をするまでになりました。それもかなり意識的に体全体を使ってハアハア呼吸をしていたので、はたで見ていたJuanは、随分心配をしたかもしれません。
6時過ぎ、氷河の傾斜は、40度くらいになり、そして待望の夜明けが近づいて来ました。東の空がほのかに赤くなり、それが徐々に暗闇を押しのけていくようになりました。
ふと振り返ると、誰か故障者が出たのか、先ほど追い抜いた3人組のパーティーが引き返して行くところでした。
そして「あそこにLuisがいる」と言うJuanの声で上を見上げると、いくつかのパーティーとは距離を置いて、エベレスト登頂者のLuisが単独で、左の急な稜線を登っているのが見えました。 早速、から元気をだして「追い抜こう!」とJuanに言ったのですが、さすがに最後まで追い抜くことは出来ませんでした。
徐々にあたりが明るくなり、今までの町の明かりに代わって、はるか地上の色々な景色が見え始めて来ます。 幸い、風もなく、天気は上々です。思わず「Bonito Dia(素晴らしい日だ)!」と叫びました。 やはり「山は逃げない」との格言通り、1ヶ月、天候の安定を待ったのは大正解だったようです。
Juanは「明け方の5時から7時が一番寒い」と言っていましたが、実際は太陽が昇って周囲の景色が見え始めると同時に、実感する気温とは別に気持ちはかなり楽になり、また、引き続き体調も良かったことから、この辺りから「登頂できる!」と、ほぼ確信するまでになりました。
そして、約1時間後、上のパーティーが騒がしくなっているのが聞こえて、頂上が近いのを感じましたが、いざ夢の実現が近付くと、色々な思いがこみ上げ、少し気を許すと感激の涙が出そうになりました。ただ、それじゃマズイ、一世一代の晴れ舞台!?なので、頂上での記念写真はやはり笑って撮りたい、と気を引き締めて最後のステップを刻んで行きました。
先人のブログでは「まず、噴火口に辿り着き、そこから右に20分ほど回り込んだところが頂上」とありましたが、Juanの取ったコースは、最初から右寄りで、直接頂上付近への到達を狙ったものだったようです。 登っていた壁がなくなって向こう側が見えたところから右へ約50mの地点が、正真正銘の頂上でした。 メキシコではもうこれ以上、高いところはありません。 山小屋を出てから、6時間40分の登りでした。
Juanと抱き合い、また先に登頂していたLuisとも抱き合い、二人からの祝福を受けた時、思わずまた涙腺が緩みそうになったので、日射しの強いのを理由に、慌ててサングラスを取り出さなくてはなりませんでした。
記念写真を撮り、周囲の写真や動画も撮りました。 ただ後で見ると、半分以上が逆光のため、被写体が真っ黒でした。 それほど太陽の光は強く、そして気温も暖かくなっていました。
頂上では、先に到着した人達、10人ほどがやはり感激の会話を交わし、記念写真を撮り合っていましたが、私は景色を楽しむより、登れたことの事実だけで満足していましたので、頂上には、約20分滞在しただけで、下山することとしました。
下山は、当然ですが呼吸が楽です。 そして登る時には壁のように思えた氷河も、その傾斜を真っ直ぐに富士山の砂走りのように靴をすべらせながら、ピッケルでバランスを取り、飛ぶように下りました。
途中、安全と思える地点で、Juanとのザイレンを外し、更に30分ほど下って雪もまばらになったところで、アイゼンも外して雪山装備を完全に解除しました。 あとは普通の山と同じようにひたすら下るだけです。気が緩んで踏み外したりしないように気を付けて下りました。
山小屋に近いところで、昨日一緒に4輪駆動車で登った、2人のインド人が登って来るのに出会いました。 彼らは高所に慣れるため、安全を見て、今日一日は近くを散歩して過ごすと言っていました。彼らにザッと今日の経過を教えてあげ、「Congratulation!」との祝福を受けたあと、最後のひと下りをして、10時50分 山小屋に帰着です。
頂上を出発してから、山小屋までは、約2時間半でしたが、登りの6時間40分と併せて、「Muy Rapido y Fuerte(とても速くて、強い)」とJuanからお褒めの言葉が何度もありました。 彼が過去にガイドした最高齢は70歳でしたが、登頂だけで9時間以上かかったそうです。
こうして、私のピコデオリサバは、成功裏に幕を閉じました。 気力、体力は日頃の訓練の成果かもしれませんが、やはり良い天候とガイドに恵まれたのも大きな要因でした。
今回の登頂については、月並みですが「望めば、夢はいつか叶う」と思うと同時に、折角 開くことができた雪山への扉ですので、これに慢心することなく、再度 鍛錬と勉強をしつつ、更なる高みへの挑戦をして行きたいと思っています。
メキシコ最高峰は、私にとって生涯忘れ得ぬ山となりました。
Viva!Pico de Orizaba!
【あとがき】
自分の記念に書いたメモですが、折角ですので、投稿させて頂きました。
長文ですみません!
このあと、12月15日にメキシコ第3のイスタシワトル(5,300m)にも登り
ました。 メキシコでの山情報が必要な方は haratrek@yahoo.co.jpへ
どうぞ。
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