01謎の祠越しに
福南山北東斜面
土の細道から石段を上ると、第1パワースポットに辿り着きました。何の手がかりもなく謎のままです。木見稲荷神社<写真19〜24>もここも、戸山城跡主郭にあった祠<写真31>の遥拝所のようなものだったのかもしれません。
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01謎の祠越しに
福南山北東斜面
土の細道から石段を上ると、第1パワースポットに辿り着きました。何の手がかりもなく謎のままです。木見稲荷神社<写真19〜24>もここも、戸山城跡主郭にあった祠<写真31>の遥拝所のようなものだったのかもしれません。
02謎の祠&磐座?
人工的でしょうが、祠は三方を岩に囲まれ、背後にある巨岩は磐座(いわくら)のように思えます。謎ゆえに神秘的でもあります。周辺は少し開けていたので、以前はもう少し大きな祠があったのでしょう。参道はここで行き止まりです。少しヤブコギすれば登れなくもないかもしれませんが、今回は引き返しました。
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02謎の祠&磐座?
人工的でしょうが、祠は三方を岩に囲まれ、背後にある巨岩は磐座(いわくら)のように思えます。謎ゆえに神秘的でもあります。周辺は少し開けていたので、以前はもう少し大きな祠があったのでしょう。参道はここで行き止まりです。少しヤブコギすれば登れなくもないかもしれませんが、今回は引き返しました。
03アオジ♂
メスは目の周辺が黒くありません。オスも冬は黒色が薄くなります。秋冬は低地に移動するので、観察しやすくなります。
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03アオジ♂
メスは目の周辺が黒くありません。オスも冬は黒色が薄くなります。秋冬は低地に移動するので、観察しやすくなります。
04由加参道丁石三十二丁石
&木見小学校跡地
瑜伽大権現に参詣する北参道の森池沿いに三十一丁から三十六丁までの丁石が設置されています。三十一丁から三十四丁まで見ました。
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04由加参道丁石三十二丁石
&木見小学校跡地
瑜伽大権現に参詣する北参道の森池沿いに三十一丁から三十六丁までの丁石が設置されています。三十一丁から三十四丁まで見ました。
05十五夜丹蔵の碑
本名は小原惣右衛門といい、大阪角力の幕下まで出世した郷土出身力士です。身長六尺余り(180冤召蝓砲糧男子だったので、池田の殿様のお六尺を務めていました。お六尺とは、殿様を乗せた駕籠(かご)を差し上げたまま増水した川の中を進む役のことです。この碑は彼が住んでいた地に建てられた墓石だともいわれています。
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05十五夜丹蔵の碑
本名は小原惣右衛門といい、大阪角力の幕下まで出世した郷土出身力士です。身長六尺余り(180冤召蝓砲糧男子だったので、池田の殿様のお六尺を務めていました。お六尺とは、殿様を乗せた駕籠(かご)を差し上げたまま増水した川の中を進む役のことです。この碑は彼が住んでいた地に建てられた墓石だともいわれています。
06ジョウビタキ♀
この日は最後のお楽しみだった見池の畔で草刈り後の野焼き中のためカモの姿はなく、舗装道路も他の野鳥は鳴き声だけで、ジョウビタキだけが何度か見られました。メスはオス<写真44>に比べ地味でわかりにくいですが、ルリビタキとは違い、翼に白い紋があり、尾羽の付け根周辺がオレンジ色です。よく見るとつぶらな瞳が可愛いです。
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06ジョウビタキ♀
この日は最後のお楽しみだった見池の畔で草刈り後の野焼き中のためカモの姿はなく、舗装道路も他の野鳥は鳴き声だけで、ジョウビタキだけが何度か見られました。メスはオス<写真44>に比べ地味でわかりにくいですが、ルリビタキとは違い、翼に白い紋があり、尾羽の付け根周辺がオレンジ色です。よく見るとつぶらな瞳が可愛いです。
07由加大鳥居越しに
福南山北東斜面
由加山へは四方からお参りできるよう参道があり、それぞれに鳥居が建っています。慶応2年(1866年)建立のこの鳥居には、下津井城跡に建設中のお台場(砲台)の基礎に使う予定の石を無断で使ったため、天城様(米子城代であった池田由成を祖とする天城池田家?)が打ち首にすると激怒、村中あげて命乞いの末、助かったと伝えられています。池田のお殿様も血筋が違えばこうも違うのでしょうか😣
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07由加大鳥居越しに
福南山北東斜面
由加山へは四方からお参りできるよう参道があり、それぞれに鳥居が建っています。慶応2年(1866年)建立のこの鳥居には、下津井城跡に建設中のお台場(砲台)の基礎に使う予定の石を無断で使ったため、天城様(米子城代であった池田由成を祖とする天城池田家?)が打ち首にすると激怒、村中あげて命乞いの末、助かったと伝えられています。池田のお殿様も血筋が違えばこうも違うのでしょうか😣
08由加大鳥居扁額
この立派な扁額の龍のデザインは古市金峨によるものです。彼は文化2年(1805年)、ここ尾原村に生まれました。同じく倉敷市出身の京都四条派の大家、岡本豊彦に師事、後に故郷に戻り県内の四条派の発展に貢献しました。気さくで頼まれれば誰にでも絵を描いたので、周辺の民家には彼の作品が多数残っているそうです。
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08由加大鳥居扁額
この立派な扁額の龍のデザインは古市金峨によるものです。彼は文化2年(1805年)、ここ尾原村に生まれました。同じく倉敷市出身の京都四条派の大家、岡本豊彦に師事、後に故郷に戻り県内の四条派の発展に貢献しました。気さくで頼まれれば誰にでも絵を描いたので、周辺の民家には彼の作品が多数残っているそうです。
09森池畔より南方面
森池は毎年冬になると池を干し、外来種のオオクチバス、ブルーギルの駆除がされるようです。ちょうど刈り取った草を燃やしており、煙が上がっていました。元々、金坪池という名前でしたが、木見地区の“木”と林地区の“林”を合成し“森”池と改称しました。
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09森池畔より南方面
森池は毎年冬になると池を干し、外来種のオオクチバス、ブルーギルの駆除がされるようです。ちょうど刈り取った草を燃やしており、煙が上がっていました。元々、金坪池という名前でしたが、木見地区の“木”と林地区の“林”を合成し“森”池と改称しました。
10森池畔の石仏
承応3年(1654年)、備前一帯に豪雨による大水害が発生、藩主池田光政は借金までして被災地に米などを支給、視察後にため池などの改修工事を指示しました。石川善右衛門成一は助手として派遣され、森池などの工事後に新奉行に就任、10年間に300程のため池を改修・造成し木見・林地区の復興と発展に貢献しました。この石仏の年代は不明ですが、被災者の供養や工事の安全祈願のためにつくられたのかもしれません。
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10森池畔の石仏
承応3年(1654年)、備前一帯に豪雨による大水害が発生、藩主池田光政は借金までして被災地に米などを支給、視察後にため池などの改修工事を指示しました。石川善右衛門成一は助手として派遣され、森池などの工事後に新奉行に就任、10年間に300程のため池を改修・造成し木見・林地区の復興と発展に貢献しました。この石仏の年代は不明ですが、被災者の供養や工事の安全祈願のためにつくられたのかもしれません。
11森池畔より岩椿神社ズーム
森池の改修・拡張により規模が小さくなったそうですが、ご神木のクスノキ<写真14>に大きなパワーを感じました。推定樹齢400年余り、江戸時代の初め頃から生育してきたようです。
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11森池畔より岩椿神社ズーム
森池の改修・拡張により規模が小さくなったそうですが、ご神木のクスノキ<写真14>に大きなパワーを感じました。推定樹齢400年余り、江戸時代の初め頃から生育してきたようです。
12岩椿神社鳥居越しに祠
鳥居越しに祠<写真13>の入った社、その背後にご神木のクスノキ<写真14>が見えています。
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12岩椿神社鳥居越しに祠
鳥居越しに祠<写真13>の入った社、その背後にご神木のクスノキ<写真14>が見えています。
13岩椿神社祠
創建年代は不明です。かつては木見の氏神様でした。ご祭神の天手力男命(あめのたぢからおのみこと)は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)のお隠れになった天の岩屋の戸を手で開けた大力の神様で、スポーツの神様とされています。屋根付きの社の中に祠がありました。ちょうど地元の方が掃除に来られたので、今でも大事に祀られているようです。
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13岩椿神社祠
創建年代は不明です。かつては木見の氏神様でした。ご祭神の天手力男命(あめのたぢからおのみこと)は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)のお隠れになった天の岩屋の戸を手で開けた大力の神様で、スポーツの神様とされています。屋根付きの社の中に祠がありました。ちょうど地元の方が掃除に来られたので、今でも大事に祀られているようです。
14岩椿神社のクスノキ
推定樹齢400年余り、樹高約25m、幹周6.72mの大木です。掃除に来られた方は、「ご神木。いつ頃のかわからんけど、200年、300年?まあ、そこら。」とおっしゃっていました。あの、もっとご年配だそうですよ😊見上げて動画も撮りました。
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14岩椿神社のクスノキ
推定樹齢400年余り、樹高約25m、幹周6.72mの大木です。掃除に来られた方は、「ご神木。いつ頃のかわからんけど、200年、300年?まあ、そこら。」とおっしゃっていました。あの、もっとご年配だそうですよ😊見上げて動画も撮りました。
15木見稲荷神社岩場
割れた顔岩⁉
舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。見上げると岩がゴロゴロしていたので、すぐに道から逸れて巨岩ワールドに突入😗これらも磐座(いわくら)だったのかもしれません。失礼しました😔
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15木見稲荷神社岩場
割れた顔岩⁉
舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。見上げると岩がゴロゴロしていたので、すぐに道から逸れて巨岩ワールドに突入😗これらも磐座(いわくら)だったのかもしれません。失礼しました😔
16木見稲荷神社岩場
ここからはさらに落ち葉で滑りやすくなり、左(北)を巻いて巨岩群の脇を上っていきました。もちろん、南側にちゃんと土道はあります。
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16木見稲荷神社岩場
ここからはさらに落ち葉で滑りやすくなり、左(北)を巻いて巨岩群の脇を上っていきました。もちろん、南側にちゃんと土道はあります。
17木見稲荷神社岩場
お稲荷様の岩屋
岩の前には瓦が散乱、以前は祠があったのかもしれません。岩の隙間をのぞくと・・・<写真18>へ
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17木見稲荷神社岩場
お稲荷様の岩屋
岩の前には瓦が散乱、以前は祠があったのかもしれません。岩の隙間をのぞくと・・・<写真18>へ
18木見稲荷神社岩場
お稲荷様の岩屋内部
天然の小さな岩屋の中には数僂里稲荷様が😃ちゃんとお米がお供えされています。
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18木見稲荷神社岩場
お稲荷様の岩屋内部
天然の小さな岩屋の中には数僂里稲荷様が😃ちゃんとお米がお供えされています。
19木見稲荷神社
磐座越しに稲荷祠
割れた岩の奥に稲荷神社の祠<写真21>が見えています。後でここから歩きながら磐座(いわくら)や祠を動画に撮りました。
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19木見稲荷神社
磐座越しに稲荷祠
割れた岩の奥に稲荷神社の祠<写真21>が見えています。後でここから歩きながら磐座(いわくら)や祠を動画に撮りました。
20木見稲荷神社
石垣の上にお稲荷様
おそらく、ここにも祠があったのでしょう。やはり数僂稜鬚い稲荷様が鎮座😊
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20木見稲荷神社
石垣の上にお稲荷様
おそらく、ここにも祠があったのでしょう。やはり数僂稜鬚い稲荷様が鎮座😊
21木見稲荷神社
磐座&稲荷祠
やっと土の参道に下りて見上げてみました。お稲荷様と磐座(いわくら)だらけのTheパワースポットですが、詳細は不明です。
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21木見稲荷神社
磐座&稲荷祠
やっと土の参道に下りて見上げてみました。お稲荷様と磐座(いわくら)だらけのTheパワースポットですが、詳細は不明です。
22木見稲荷神社磐座西端
割れた岩<写真19>の少し左です。展望は効きそうで効きません。
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22木見稲荷神社磐座西端
割れた岩<写真19>の少し左です。展望は効きそうで効きません。
23木見稲荷神社
磐座&秋葉祠跡
手前の岩も磐座(いわくら)で、以前は上に秋葉権現の祠があったようです。奥の磐座の上に稲荷祠<写真21>が見えています。
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23木見稲荷神社
磐座&秋葉祠跡
手前の岩も磐座(いわくら)で、以前は上に秋葉権現の祠があったようです。奥の磐座の上に稲荷祠<写真21>が見えています。
24木見稲荷神社
百度石&手水鉢
もっと大きな社があった名残でしょう。ここから右(南)に下りる道が延びていました。今回は左の土道を上ります。
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24木見稲荷神社
百度石&手水鉢
もっと大きな社があった名残でしょう。ここから右(南)に下りる道が延びていました。今回は左の土道を上ります。
25謎の祠&石灯篭&磐座?
またしても磐座(いわくら)らしき岩の前に祠が😛左は石灯篭でしょう。ウルトラQに登場するカネゴンではないと思います😜
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25謎の祠&石灯篭&磐座?
またしても磐座(いわくら)らしき岩の前に祠が😛左は石灯篭でしょう。ウルトラQに登場するカネゴンではないと思います😜
26うろこ岩orジャミラ岩⁉
この不思議な亀裂はこの面だけでした。自分的には、昔ウルトラマンで見た口から100万度の高熱火炎を吐き、インド象の5000倍の腕力を持つジャミラの頭に見えました😱動画も撮りました。ここからしばらく、道の両サイドに岩が並んでいました。山城にはわざと道に岩を配置してあることがあります。戸山城跡<写真29〜36>と関係があるのでしょうか。
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26うろこ岩orジャミラ岩⁉
この不思議な亀裂はこの面だけでした。自分的には、昔ウルトラマンで見た口から100万度の高熱火炎を吐き、インド象の5000倍の腕力を持つジャミラの頭に見えました😱動画も撮りました。ここからしばらく、道の両サイドに岩が並んでいました。山城にはわざと道に岩を配置してあることがあります。戸山城跡<写真29〜36>と関係があるのでしょうか。
27パックリ岩⁉
見事にバランスをとって倒れません。祠の基礎に使おうと割っただけで放置されたのでしょうか。
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27パックリ岩⁉
見事にバランスをとって倒れません。祠の基礎に使おうと割っただけで放置されたのでしょうか。
28奥ノ谷山頂上三角点
「奥ノ谷」
標高154.0mの三角点が設置されています。展望は効きませんが、ここに来るまでの巨岩コースでお腹一杯になりました😄何のためかはわかりませんが、周辺は細い木1本ずつにテープが巻かれ、しかも黄、青、緑に色分けされていました😱展望も効かないのに、360度動画を撮ってしまいました😅
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28奥ノ谷山頂上三角点
「奥ノ谷」
標高154.0mの三角点が設置されています。展望は効きませんが、ここに来るまでの巨岩コースでお腹一杯になりました😄何のためかはわかりませんが、周辺は細い木1本ずつにテープが巻かれ、しかも黄、青、緑に色分けされていました😱展望も効かないのに、360度動画を撮ってしまいました😅
29戸山城跡
主郭西南西の石積み
戸山(こやま)城跡主郭<写真31>に向かい南西尾根を登っていると、道の右側にありました。このような石積みがあっちこっちに遺っているそうですが、これが一番まとまってきれいに見えました。
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29戸山城跡
主郭西南西の石積み
戸山(こやま)城跡主郭<写真31>に向かい南西尾根を登っていると、道の右側にありました。このような石積みがあっちこっちに遺っているそうですが、これが一番まとまってきれいに見えました。
30戸山城跡主郭西の切岸
戸山城跡主郭<写真31>の西の小さな曲輪(くるわ)と主郭との間にある切岸です。道はこの左を巻いていましたが、直登できそうでした。
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30戸山城跡主郭西の切岸
戸山城跡主郭<写真31>の西の小さな曲輪(くるわ)と主郭との間にある切岸です。道はこの左を巻いていましたが、直登できそうでした。
31戸山城跡主郭の祠
標高191mの頂上は展望は効きませんが、30m×20m程の平坦地で、ここにもまさかの祠😛地元では、ここは常山城の出城で城主は常山城主であった上野肥前守隆徳の家臣の一人、水澤(三澤)九郎座衛門眞吉と伝えられています。常山合戦で落城したとの書き込みが登山口の標柱<写真40>にありました。鎮魂碑なのか、木見稲荷神社が元々ここにあったのか、詳細は不明です。
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31戸山城跡主郭の祠
標高191mの頂上は展望は効きませんが、30m×20m程の平坦地で、ここにもまさかの祠😛地元では、ここは常山城の出城で城主は常山城主であった上野肥前守隆徳の家臣の一人、水澤(三澤)九郎座衛門眞吉と伝えられています。常山合戦で落城したとの書き込みが登山口の標柱<写真40>にありました。鎮魂碑なのか、木見稲荷神社が元々ここにあったのか、詳細は不明です。
32戸山城跡
主郭南の切岸越しに祠
主郭南東の曲輪(くるわ)に下りて切岸を見上げると、主郭の祠<写真31>が見えました。
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32戸山城跡
主郭南の切岸越しに祠
主郭南東の曲輪(くるわ)に下りて切岸を見上げると、主郭の祠<写真31>が見えました。
33戸山城跡
主郭南南東の石積み
南東尾根上には石がゴロゴロした一角があり、見上げると石積みのように見えました。
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33戸山城跡
主郭南南東の石積み
南東尾根上には石がゴロゴロした一角があり、見上げると石積みのように見えました。
34アラゲカワラタケ
カワラタケに似ていますが、カサの表側には毛が生えており、裏の管孔は歯牙状です。
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34アラゲカワラタケ
カワラタケに似ていますが、カサの表側には毛が生えており、裏の管孔は歯牙状です。
35戸山城跡主郭北の切岸
北北東尾根上にも曲輪(くるわ)があります。主郭から一段下りて振り返ってみました。
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35戸山城跡主郭北の切岸
北北東尾根上にも曲輪(くるわ)があります。主郭から一段下りて振り返ってみました。
36戸山城跡
主郭北の切岸&石積み
さらに一段下の曲輪との間の切岸には、石積みが遺っていました。
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36戸山城跡
主郭北の切岸&石積み
さらに一段下の曲輪との間の切岸には、石積みが遺っていました。
37ハカワラタケ
アラゲカワラタケ<写真34>と同じく、カサの表側には毛が生えていますが、色は白っぽく、裏の管孔は歯牙状なのがよりわかりやすいです。
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37ハカワラタケ
アラゲカワラタケ<写真34>と同じく、カサの表側には毛が生えていますが、色は白っぽく、裏の管孔は歯牙状なのがよりわかりやすいです。
38竹ロード
戸山城跡登山口<写真40>までこのような竹ロードが続きました。歩きながら動画も撮りました。
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38竹ロード
戸山城跡登山口<写真40>までこのような竹ロードが続きました。歩きながら動画も撮りました。
39竹漏れ日
左側の竹林から木漏れ日ならぬ竹漏れ日が見えました。きれいだったので動画も撮りました。
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39竹漏れ日
左側の竹林から木漏れ日ならぬ竹漏れ日が見えました。きれいだったので動画も撮りました。
40戸山城跡登山口
住心院のご住職には、墓地に黄色いポールがあってそこから登れるとお聞きしていましたが、ここに出てきました。
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40戸山城跡登山口
住心院のご住職には、墓地に黄色いポールがあってそこから登れるとお聞きしていましたが、ここに出てきました。
41素戔嗚神社拝殿
昭和19年、疫神社を素戔嗚(すさのお)神社と改称しました。拝殿と本殿が一緒になったタイプです。
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41素戔嗚神社拝殿
昭和19年、疫神社を素戔嗚(すさのお)神社と改称しました。拝殿と本殿が一緒になったタイプです。
42素戔嗚神社狛犬
垂れ耳がキュートな狛犬です😊
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42素戔嗚神社狛犬
垂れ耳がキュートな狛犬です😊
43ガマの穂
長さ10〜15僉太さ2冂の穂は「田舎のフランクフルト」と言われます。実が熟すとこのように穂から綿毛が飛び出してきます。
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43ガマの穂
長さ10〜15僉太さ2冂の穂は「田舎のフランクフルト」と言われます。実が熟すとこのように穂から綿毛が飛び出してきます。
44波乗りジョビー😃
ジョウビタキのオスはメス<写真06>とは違い、顔が黒いのでわかりやすいです。まるで波乗りをしているかのようにゴミステーションの波打つトタン屋根からこちらを観察、寒いので羽毛をふくらませてコロコロです😊動画を撮っていると、ヒヨドリとメジロの鳴き声がよく聞こえていました。
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44波乗りジョビー😃
ジョウビタキのオスはメス<写真06>とは違い、顔が黒いのでわかりやすいです。まるで波乗りをしているかのようにゴミステーションの波打つトタン屋根からこちらを観察、寒いので羽毛をふくらませてコロコロです😊動画を撮っていると、ヒヨドリとメジロの鳴き声がよく聞こえていました。
45瑜伽大権現石灯篭
&尾原公民館西古墓群
見上げる高さにありました。鎌倉・室町時代の五輪塔が並んだ端に由加山参道の石灯篭がありました。
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45瑜伽大権現石灯篭
&尾原公民館西古墓群
見上げる高さにありました。鎌倉・室町時代の五輪塔が並んだ端に由加山参道の石灯篭がありました。
46三余塾跡地
三余塾は1856年に犬飼松窓が開いた私塾です。知識だけではなく、自分の生活や公益に活かせる実践的な教育を行いました。当時、山田方谷が開いた有終館、阪谷朗廬が開いた興譲館と並び、備中の三塾の一つに数えられました。
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46三余塾跡地
三余塾は1856年に犬飼松窓が開いた私塾です。知識だけではなく、自分の生活や公益に活かせる実践的な教育を行いました。当時、山田方谷が開いた有終館、阪谷朗廬が開いた興譲館と並び、備中の三塾の一つに数えられました。
47素盞嗚神社(旧疫神社)
鳥居越しに拝殿
昭和18年の神社整備の際に旧号「疫神社」を「素盞嗚神社」と改めました。鳥居は慶応元年(1865年)のものです。
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47素盞嗚神社(旧疫神社)
鳥居越しに拝殿
昭和18年の神社整備の際に旧号「疫神社」を「素盞嗚神社」と改めました。鳥居は慶応元年(1865年)のものです。
48素盞嗚神社(旧疫神社)
本殿&荒神社
現在の本殿は、天津神社の社殿であったのを、明治初年譲り受けたものだと伝えられています。
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48素盞嗚神社(旧疫神社)
本殿&荒神社
現在の本殿は、天津神社の社殿であったのを、明治初年譲り受けたものだと伝えられています。
49ソシンロウバイ
その名の通り、蝋細工(ろうざいく)のように見えます。 蝋梅(ロウバイ)とは違い、花の中心部が赤みを帯びず、花被片はより薄く透明感があります。動画も撮りました。
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49ソシンロウバイ
その名の通り、蝋細工(ろうざいく)のように見えます。 蝋梅(ロウバイ)とは違い、花の中心部が赤みを帯びず、花被片はより薄く透明感があります。動画も撮りました。
50慈眼院本堂
&枝垂れ桜越しに客殿
応徳元年(1084年)開山の真言宗の寺院で児島八十八ヶ所霊場50番札所です。天保8年(1837年)に焼失、同13年に麓に近い現在地に再建されました。左の小さいほうが本堂、右の枝垂れ桜越しに見えているほうが客殿です。
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50慈眼院本堂
&枝垂れ桜越しに客殿
応徳元年(1084年)開山の真言宗の寺院で児島八十八ヶ所霊場50番札所です。天保8年(1837年)に焼失、同13年に麓に近い現在地に再建されました。左の小さいほうが本堂、右の枝垂れ桜越しに見えているほうが客殿です。
51慈眼院鬼瓦
お役御免の鬼瓦でしょうか。たくさん並べてありました。
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51慈眼院鬼瓦
お役御免の鬼瓦でしょうか。たくさん並べてありました。
52慈眼院鐘楼&五葉松
日本第一熊野神社のある新熊野山の南東に位置するためか、新熊野山杉本寺慈眼院と称したこともありますが、現在の寺号は魔尼山大悲寺慈眼院です。
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52慈眼院鐘楼&五葉松
日本第一熊野神社のある新熊野山の南東に位置するためか、新熊野山杉本寺慈眼院と称したこともありますが、現在の寺号は魔尼山大悲寺慈眼院です。
53慈眼院山門越しに戸山城跡
慈眼院は天保8年(1837年)に焼失するまでは裏山に建てられていたといいます。戸山(こやま)城跡主郭の祠<写真31>の位置だったかどうかはわかりませんが、戸山城跡周辺は昔からパワースポットだったのでしょう。
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53慈眼院山門越しに戸山城跡
慈眼院は天保8年(1837年)に焼失するまでは裏山に建てられていたといいます。戸山(こやま)城跡主郭の祠<写真31>の位置だったかどうかはわかりませんが、戸山城跡周辺は昔からパワースポットだったのでしょう。
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