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Yamareco

記録ID: 3924319
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県倉敷市 慈眼院〜森池〜奥ノ谷山〜戸山城跡 史跡&動植物

2022年01月16日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
1
日帰りが可能
GPS
03:35
距離
7.6km
登り
289m
下り
279m
歩くペース
ゆっくり
1.51.6
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:05
休憩
0:30
合計
3:35
距離 7.6km 登り 292m 下り 288m
9:01
11
慈眼院駐車場
9:12
9:15
15
謎の祠
9:30
1
木見稲荷神社参道入口
9:31
9:33
7
由加大鳥居
9:40
9:50
6
岩椿神社
9:56
1
由加大鳥居(2回目)
9:57
14
木見稲荷神社参道入口(2回目)
10:11
10:14
16
木見稲荷神社
10:30
10:31
10
10:41
7
戸山城跡&戸山城跡登山口分岐
10:48
10:49
16
戸山城跡主郭
11:05
6
戸山城跡主郭(2回目)
11:11
3
戸山城跡主郭(3回目)
11:14
19
戸山城跡&戸山城跡登山口分岐(2回目)
11:33
17
戸山城跡登山口
11:50
11:53
27
素戔嗚神社
12:20
12:21
8
素盞嗚神社(旧疫神社)
12:29
12:35
1
慈眼院
12:36
慈眼院駐車場
史跡や旬の動植物観察などを楽しむコース
歩行距離7.5km、歩行時間3時間、歩行数11,700歩、消費カロリー1,590Kcal
天候 晴れ時々曇り
過去天気図(気象庁) 2022年01月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
慈眼院の駐車場に自動車を停めました。10台程駐車可能です。周辺の神社には駐車場はなさそうでした。
コース状況/
危険箇所等
 危険箇所やヤブコギはありません。時季によっては、草が茂っている箇所があるかもしれません。戸山(こやま)城跡の北東、南東尾根には道はありませんが、ツツジ科の細枝を少し手でよけるくらいでどこでも歩けました。

 森池北畔は、草が刈られていました。岩椿神社<写真12〜14>から北側の舗装道路を周って戻ろうとしたら、石仏<写真10>の北側の階段は封鎖されており、東に延びる草刈り跡を辿って大鳥居<写真07>の脇に出ました。この周辺は時季によっては草が茂っているかもしれません。
 木見稲荷神社岩場周辺<写真15,16>は道ではありません。大鳥居<写真07>から少しだけ南に進んだ舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。岩場を見てすぐに道から逸れて岩場を直登、<写真16>からはさらに落ち葉で滑りやすくなりましたが、左を巻くと大丈夫で、ちゃんと土道に合流できました。
 木見稲荷神社<写真19〜24>から奥ノ谷山<写真28>を経て戸山(こやま)城跡主郭<写真31>までは、途中までは鉄塔巡視路、そこからは戸山城跡に向かうために整備された道のようです。戸山(こやま)城跡の北東、南東尾根には道はありませんが、ツツジ科の細枝を少し手でよけるくらいでどこでも歩けました。
 戸山(こやま)城跡主郭<写真31>からは、少し引き返して二重赤ビニールテープから北北西に下りました。シダの間の細道もありますが、赤いビニールテープとピンクテープがあり道は明瞭でした。竹林を抜け舗装道路に出ると、登山口の標柱<写真40>がありました。
その他周辺情報 倉敷川南の備前片岡駅近くに「岡山市サウスヴィレッジ」があります。農産物の購入やいちご狩りなどの収穫体験(一部、要予約)ができます。農産物直売所ロードサイドマーケットは年中無休、それ以外は基本、火曜と奇数月の第2水曜日が定休です。
01謎の祠越しに
    福南山北東斜面
土の細道から石段を上ると、第1パワースポットに辿り着きました。何の手がかりもなく謎のままです。木見稲荷神社<写真19〜24>もここも、戸山城跡主郭にあった祠<写真31>の遥拝所のようなものだったのかもしれません。
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01謎の祠越しに
    福南山北東斜面
土の細道から石段を上ると、第1パワースポットに辿り着きました。何の手がかりもなく謎のままです。木見稲荷神社<写真19〜24>もここも、戸山城跡主郭にあった祠<写真31>の遥拝所のようなものだったのかもしれません。
02謎の祠&磐座?
人工的でしょうが、祠は三方を岩に囲まれ、背後にある巨岩は磐座(いわくら)のように思えます。謎ゆえに神秘的でもあります。周辺は少し開けていたので、以前はもう少し大きな祠があったのでしょう。参道はここで行き止まりです。少しヤブコギすれば登れなくもないかもしれませんが、今回は引き返しました。
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02謎の祠&磐座?
人工的でしょうが、祠は三方を岩に囲まれ、背後にある巨岩は磐座(いわくら)のように思えます。謎ゆえに神秘的でもあります。周辺は少し開けていたので、以前はもう少し大きな祠があったのでしょう。参道はここで行き止まりです。少しヤブコギすれば登れなくもないかもしれませんが、今回は引き返しました。
03アオジ♂
メスは目の周辺が黒くありません。オスも冬は黒色が薄くなります。秋冬は低地に移動するので、観察しやすくなります。
3
03アオジ♂
メスは目の周辺が黒くありません。オスも冬は黒色が薄くなります。秋冬は低地に移動するので、観察しやすくなります。
04由加参道丁石三十二丁石
     &木見小学校跡地
瑜伽大権現に参詣する北参道の森池沿いに三十一丁から三十六丁までの丁石が設置されています。三十一丁から三十四丁まで見ました。
1
04由加参道丁石三十二丁石
     &木見小学校跡地
瑜伽大権現に参詣する北参道の森池沿いに三十一丁から三十六丁までの丁石が設置されています。三十一丁から三十四丁まで見ました。
05十五夜丹蔵の碑
本名は小原惣右衛門といい、大阪角力の幕下まで出世した郷土出身力士です。身長六尺余り(180冤召蝓砲糧男子だったので、池田の殿様のお六尺を務めていました。お六尺とは、殿様を乗せた駕籠(かご)を差し上げたまま増水した川の中を進む役のことです。この碑は彼が住んでいた地に建てられた墓石だともいわれています。
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05十五夜丹蔵の碑
本名は小原惣右衛門といい、大阪角力の幕下まで出世した郷土出身力士です。身長六尺余り(180冤召蝓砲糧男子だったので、池田の殿様のお六尺を務めていました。お六尺とは、殿様を乗せた駕籠(かご)を差し上げたまま増水した川の中を進む役のことです。この碑は彼が住んでいた地に建てられた墓石だともいわれています。
06ジョウビタキ♀
この日は最後のお楽しみだった見池の畔で草刈り後の野焼き中のためカモの姿はなく、舗装道路も他の野鳥は鳴き声だけで、ジョウビタキだけが何度か見られました。メスはオス<写真44>に比べ地味でわかりにくいですが、ルリビタキとは違い、翼に白い紋があり、尾羽の付け根周辺がオレンジ色です。よく見るとつぶらな瞳が可愛いです。
3
06ジョウビタキ♀
この日は最後のお楽しみだった見池の畔で草刈り後の野焼き中のためカモの姿はなく、舗装道路も他の野鳥は鳴き声だけで、ジョウビタキだけが何度か見られました。メスはオス<写真44>に比べ地味でわかりにくいですが、ルリビタキとは違い、翼に白い紋があり、尾羽の付け根周辺がオレンジ色です。よく見るとつぶらな瞳が可愛いです。
07由加大鳥居越しに
     福南山北東斜面
由加山へは四方からお参りできるよう参道があり、それぞれに鳥居が建っています。慶応2年(1866年)建立のこの鳥居には、下津井城跡に建設中のお台場(砲台)の基礎に使う予定の石を無断で使ったため、天城様(米子城代であった池田由成を祖とする天城池田家?)が打ち首にすると激怒、村中あげて命乞いの末、助かったと伝えられています。池田のお殿様も血筋が違えばこうも違うのでしょうか😣
2
07由加大鳥居越しに
     福南山北東斜面
由加山へは四方からお参りできるよう参道があり、それぞれに鳥居が建っています。慶応2年(1866年)建立のこの鳥居には、下津井城跡に建設中のお台場(砲台)の基礎に使う予定の石を無断で使ったため、天城様(米子城代であった池田由成を祖とする天城池田家?)が打ち首にすると激怒、村中あげて命乞いの末、助かったと伝えられています。池田のお殿様も血筋が違えばこうも違うのでしょうか😣
08由加大鳥居扁額
この立派な扁額の龍のデザインは古市金峨によるものです。彼は文化2年(1805年)、ここ尾原村に生まれました。同じく倉敷市出身の京都四条派の大家、岡本豊彦に師事、後に故郷に戻り県内の四条派の発展に貢献しました。気さくで頼まれれば誰にでも絵を描いたので、周辺の民家には彼の作品が多数残っているそうです。
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08由加大鳥居扁額
この立派な扁額の龍のデザインは古市金峨によるものです。彼は文化2年(1805年)、ここ尾原村に生まれました。同じく倉敷市出身の京都四条派の大家、岡本豊彦に師事、後に故郷に戻り県内の四条派の発展に貢献しました。気さくで頼まれれば誰にでも絵を描いたので、周辺の民家には彼の作品が多数残っているそうです。
09森池畔より南方面
森池は毎年冬になると池を干し、外来種のオオクチバス、ブルーギルの駆除がされるようです。ちょうど刈り取った草を燃やしており、煙が上がっていました。元々、金坪池という名前でしたが、木見地区の“木”と林地区の“林”を合成し“森”池と改称しました。
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09森池畔より南方面
森池は毎年冬になると池を干し、外来種のオオクチバス、ブルーギルの駆除がされるようです。ちょうど刈り取った草を燃やしており、煙が上がっていました。元々、金坪池という名前でしたが、木見地区の“木”と林地区の“林”を合成し“森”池と改称しました。
10森池畔の石仏
承応3年(1654年)、備前一帯に豪雨による大水害が発生、藩主池田光政は借金までして被災地に米などを支給、視察後にため池などの改修工事を指示しました。石川善右衛門成一は助手として派遣され、森池などの工事後に新奉行に就任、10年間に300程のため池を改修・造成し木見・林地区の復興と発展に貢献しました。この石仏の年代は不明ですが、被災者の供養や工事の安全祈願のためにつくられたのかもしれません。
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10森池畔の石仏
承応3年(1654年)、備前一帯に豪雨による大水害が発生、藩主池田光政は借金までして被災地に米などを支給、視察後にため池などの改修工事を指示しました。石川善右衛門成一は助手として派遣され、森池などの工事後に新奉行に就任、10年間に300程のため池を改修・造成し木見・林地区の復興と発展に貢献しました。この石仏の年代は不明ですが、被災者の供養や工事の安全祈願のためにつくられたのかもしれません。
11森池畔より岩椿神社ズーム
森池の改修・拡張により規模が小さくなったそうですが、ご神木のクスノキ<写真14>に大きなパワーを感じました。推定樹齢400年余り、江戸時代の初め頃から生育してきたようです。
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11森池畔より岩椿神社ズーム
森池の改修・拡張により規模が小さくなったそうですが、ご神木のクスノキ<写真14>に大きなパワーを感じました。推定樹齢400年余り、江戸時代の初め頃から生育してきたようです。
12岩椿神社鳥居越しに祠
鳥居越しに祠<写真13>の入った社、その背後にご神木のクスノキ<写真14>が見えています。
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12岩椿神社鳥居越しに祠
鳥居越しに祠<写真13>の入った社、その背後にご神木のクスノキ<写真14>が見えています。
13岩椿神社祠
創建年代は不明です。かつては木見の氏神様でした。ご祭神の天手力男命(あめのたぢからおのみこと)は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)のお隠れになった天の岩屋の戸を手で開けた大力の神様で、スポーツの神様とされています。屋根付きの社の中に祠がありました。ちょうど地元の方が掃除に来られたので、今でも大事に祀られているようです。
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13岩椿神社祠
創建年代は不明です。かつては木見の氏神様でした。ご祭神の天手力男命(あめのたぢからおのみこと)は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)のお隠れになった天の岩屋の戸を手で開けた大力の神様で、スポーツの神様とされています。屋根付きの社の中に祠がありました。ちょうど地元の方が掃除に来られたので、今でも大事に祀られているようです。
14岩椿神社のクスノキ
推定樹齢400年余り、樹高約25m、幹周6.72mの大木です。掃除に来られた方は、「ご神木。いつ頃のかわからんけど、200年、300年?まあ、そこら。」とおっしゃっていました。あの、もっとご年配だそうですよ😊見上げて動画も撮りました。
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14岩椿神社のクスノキ
推定樹齢400年余り、樹高約25m、幹周6.72mの大木です。掃除に来られた方は、「ご神木。いつ頃のかわからんけど、200年、300年?まあ、そこら。」とおっしゃっていました。あの、もっとご年配だそうですよ😊見上げて動画も撮りました。
15木見稲荷神社岩場
      割れた顔岩⁉
舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。見上げると岩がゴロゴロしていたので、すぐに道から逸れて巨岩ワールドに突入😗これらも磐座(いわくら)だったのかもしれません。失礼しました😔
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15木見稲荷神社岩場
      割れた顔岩⁉
舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。見上げると岩がゴロゴロしていたので、すぐに道から逸れて巨岩ワールドに突入😗これらも磐座(いわくら)だったのかもしれません。失礼しました😔
16木見稲荷神社岩場
ここからはさらに落ち葉で滑りやすくなり、左(北)を巻いて巨岩群の脇を上っていきました。もちろん、南側にちゃんと土道はあります。
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16木見稲荷神社岩場
ここからはさらに落ち葉で滑りやすくなり、左(北)を巻いて巨岩群の脇を上っていきました。もちろん、南側にちゃんと土道はあります。
17木見稲荷神社岩場
     お稲荷様の岩屋
岩の前には瓦が散乱、以前は祠があったのかもしれません。岩の隙間をのぞくと・・・<写真18>へ
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17木見稲荷神社岩場
     お稲荷様の岩屋
岩の前には瓦が散乱、以前は祠があったのかもしれません。岩の隙間をのぞくと・・・<写真18>へ
18木見稲荷神社岩場
    お稲荷様の岩屋内部
天然の小さな岩屋の中には数僂里稲荷様が😃ちゃんとお米がお供えされています。
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18木見稲荷神社岩場
    お稲荷様の岩屋内部
天然の小さな岩屋の中には数僂里稲荷様が😃ちゃんとお米がお供えされています。
19木見稲荷神社
    磐座越しに稲荷祠
割れた岩の奥に稲荷神社の祠<写真21>が見えています。後でここから歩きながら磐座(いわくら)や祠を動画に撮りました。
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19木見稲荷神社
    磐座越しに稲荷祠
割れた岩の奥に稲荷神社の祠<写真21>が見えています。後でここから歩きながら磐座(いわくら)や祠を動画に撮りました。
20木見稲荷神社
   石垣の上にお稲荷様
おそらく、ここにも祠があったのでしょう。やはり数僂稜鬚い稲荷様が鎮座😊
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20木見稲荷神社
   石垣の上にお稲荷様
おそらく、ここにも祠があったのでしょう。やはり数僂稜鬚い稲荷様が鎮座😊
21木見稲荷神社
    磐座&稲荷祠
やっと土の参道に下りて見上げてみました。お稲荷様と磐座(いわくら)だらけのTheパワースポットですが、詳細は不明です。
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21木見稲荷神社
    磐座&稲荷祠
やっと土の参道に下りて見上げてみました。お稲荷様と磐座(いわくら)だらけのTheパワースポットですが、詳細は不明です。
22木見稲荷神社磐座西端
割れた岩<写真19>の少し左です。展望は効きそうで効きません。
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22木見稲荷神社磐座西端
割れた岩<写真19>の少し左です。展望は効きそうで効きません。
23木見稲荷神社
    磐座&秋葉祠跡
手前の岩も磐座(いわくら)で、以前は上に秋葉権現の祠があったようです。奥の磐座の上に稲荷祠<写真21>が見えています。
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23木見稲荷神社
    磐座&秋葉祠跡
手前の岩も磐座(いわくら)で、以前は上に秋葉権現の祠があったようです。奥の磐座の上に稲荷祠<写真21>が見えています。
24木見稲荷神社
    百度石&手水鉢
もっと大きな社があった名残でしょう。ここから右(南)に下りる道が延びていました。今回は左の土道を上ります。
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24木見稲荷神社
    百度石&手水鉢
もっと大きな社があった名残でしょう。ここから右(南)に下りる道が延びていました。今回は左の土道を上ります。
25謎の祠&石灯篭&磐座?
またしても磐座(いわくら)らしき岩の前に祠が😛左は石灯篭でしょう。ウルトラQに登場するカネゴンではないと思います😜
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25謎の祠&石灯篭&磐座?
またしても磐座(いわくら)らしき岩の前に祠が😛左は石灯篭でしょう。ウルトラQに登場するカネゴンではないと思います😜
26うろこ岩orジャミラ岩⁉
この不思議な亀裂はこの面だけでした。自分的には、昔ウルトラマンで見た口から100万度の高熱火炎を吐き、インド象の5000倍の腕力を持つジャミラの頭に見えました😱動画も撮りました。ここからしばらく、道の両サイドに岩が並んでいました。山城にはわざと道に岩を配置してあることがあります。戸山城跡<写真29〜36>と関係があるのでしょうか。
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26うろこ岩orジャミラ岩⁉
この不思議な亀裂はこの面だけでした。自分的には、昔ウルトラマンで見た口から100万度の高熱火炎を吐き、インド象の5000倍の腕力を持つジャミラの頭に見えました😱動画も撮りました。ここからしばらく、道の両サイドに岩が並んでいました。山城にはわざと道に岩を配置してあることがあります。戸山城跡<写真29〜36>と関係があるのでしょうか。
27パックリ岩⁉
見事にバランスをとって倒れません。祠の基礎に使おうと割っただけで放置されたのでしょうか。
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27パックリ岩⁉
見事にバランスをとって倒れません。祠の基礎に使おうと割っただけで放置されたのでしょうか。
28奥ノ谷山頂上三角点
       「奥ノ谷」
標高154.0mの三角点が設置されています。展望は効きませんが、ここに来るまでの巨岩コースでお腹一杯になりました😄何のためかはわかりませんが、周辺は細い木1本ずつにテープが巻かれ、しかも黄、青、緑に色分けされていました😱展望も効かないのに、360度動画を撮ってしまいました😅
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28奥ノ谷山頂上三角点
       「奥ノ谷」
標高154.0mの三角点が設置されています。展望は効きませんが、ここに来るまでの巨岩コースでお腹一杯になりました😄何のためかはわかりませんが、周辺は細い木1本ずつにテープが巻かれ、しかも黄、青、緑に色分けされていました😱展望も効かないのに、360度動画を撮ってしまいました😅
29戸山城跡
   主郭西南西の石積み
戸山(こやま)城跡主郭<写真31>に向かい南西尾根を登っていると、道の右側にありました。このような石積みがあっちこっちに遺っているそうですが、これが一番まとまってきれいに見えました。
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29戸山城跡
   主郭西南西の石積み
戸山(こやま)城跡主郭<写真31>に向かい南西尾根を登っていると、道の右側にありました。このような石積みがあっちこっちに遺っているそうですが、これが一番まとまってきれいに見えました。
30戸山城跡主郭西の切岸
戸山城跡主郭<写真31>の西の小さな曲輪(くるわ)と主郭との間にある切岸です。道はこの左を巻いていましたが、直登できそうでした。
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30戸山城跡主郭西の切岸
戸山城跡主郭<写真31>の西の小さな曲輪(くるわ)と主郭との間にある切岸です。道はこの左を巻いていましたが、直登できそうでした。
31戸山城跡主郭の祠
標高191mの頂上は展望は効きませんが、30m×20m程の平坦地で、ここにもまさかの祠😛地元では、ここは常山城の出城で城主は常山城主であった上野肥前守隆徳の家臣の一人、水澤(三澤)九郎座衛門眞吉と伝えられています。常山合戦で落城したとの書き込みが登山口の標柱<写真40>にありました。鎮魂碑なのか、木見稲荷神社が元々ここにあったのか、詳細は不明です。
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31戸山城跡主郭の祠
標高191mの頂上は展望は効きませんが、30m×20m程の平坦地で、ここにもまさかの祠😛地元では、ここは常山城の出城で城主は常山城主であった上野肥前守隆徳の家臣の一人、水澤(三澤)九郎座衛門眞吉と伝えられています。常山合戦で落城したとの書き込みが登山口の標柱<写真40>にありました。鎮魂碑なのか、木見稲荷神社が元々ここにあったのか、詳細は不明です。
32戸山城跡
  主郭南の切岸越しに祠
主郭南東の曲輪(くるわ)に下りて切岸を見上げると、主郭の祠<写真31>が見えました。
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32戸山城跡
  主郭南の切岸越しに祠
主郭南東の曲輪(くるわ)に下りて切岸を見上げると、主郭の祠<写真31>が見えました。
33戸山城跡
   主郭南南東の石積み
南東尾根上には石がゴロゴロした一角があり、見上げると石積みのように見えました。
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33戸山城跡
   主郭南南東の石積み
南東尾根上には石がゴロゴロした一角があり、見上げると石積みのように見えました。
34アラゲカワラタケ
カワラタケに似ていますが、カサの表側には毛が生えており、裏の管孔は歯牙状です。
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34アラゲカワラタケ
カワラタケに似ていますが、カサの表側には毛が生えており、裏の管孔は歯牙状です。
35戸山城跡主郭北の切岸
北北東尾根上にも曲輪(くるわ)があります。主郭から一段下りて振り返ってみました。
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35戸山城跡主郭北の切岸
北北東尾根上にも曲輪(くるわ)があります。主郭から一段下りて振り返ってみました。
36戸山城跡
  主郭北の切岸&石積み
さらに一段下の曲輪との間の切岸には、石積みが遺っていました。
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36戸山城跡
  主郭北の切岸&石積み
さらに一段下の曲輪との間の切岸には、石積みが遺っていました。
37ハカワラタケ
アラゲカワラタケ<写真34>と同じく、カサの表側には毛が生えていますが、色は白っぽく、裏の管孔は歯牙状なのがよりわかりやすいです。
37ハカワラタケ
アラゲカワラタケ<写真34>と同じく、カサの表側には毛が生えていますが、色は白っぽく、裏の管孔は歯牙状なのがよりわかりやすいです。
38竹ロード
戸山城跡登山口<写真40>までこのような竹ロードが続きました。歩きながら動画も撮りました。
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38竹ロード
戸山城跡登山口<写真40>までこのような竹ロードが続きました。歩きながら動画も撮りました。
39竹漏れ日
左側の竹林から木漏れ日ならぬ竹漏れ日が見えました。きれいだったので動画も撮りました。
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39竹漏れ日
左側の竹林から木漏れ日ならぬ竹漏れ日が見えました。きれいだったので動画も撮りました。
40戸山城跡登山口
住心院のご住職には、墓地に黄色いポールがあってそこから登れるとお聞きしていましたが、ここに出てきました。
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40戸山城跡登山口
住心院のご住職には、墓地に黄色いポールがあってそこから登れるとお聞きしていましたが、ここに出てきました。
41素戔嗚神社拝殿
昭和19年、疫神社を素戔嗚(すさのお)神社と改称しました。拝殿と本殿が一緒になったタイプです。
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41素戔嗚神社拝殿
昭和19年、疫神社を素戔嗚(すさのお)神社と改称しました。拝殿と本殿が一緒になったタイプです。
42素戔嗚神社狛犬
垂れ耳がキュートな狛犬です😊
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42素戔嗚神社狛犬
垂れ耳がキュートな狛犬です😊
43ガマの穂
長さ10〜15僉太さ2冂の穂は「田舎のフランクフルト」と言われます。実が熟すとこのように穂から綿毛が飛び出してきます。
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43ガマの穂
長さ10〜15僉太さ2冂の穂は「田舎のフランクフルト」と言われます。実が熟すとこのように穂から綿毛が飛び出してきます。
44波乗りジョビー😃
ジョウビタキのオスはメス<写真06>とは違い、顔が黒いのでわかりやすいです。まるで波乗りをしているかのようにゴミステーションの波打つトタン屋根からこちらを観察、寒いので羽毛をふくらませてコロコロです😊動画を撮っていると、ヒヨドリとメジロの鳴き声がよく聞こえていました。
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44波乗りジョビー😃
ジョウビタキのオスはメス<写真06>とは違い、顔が黒いのでわかりやすいです。まるで波乗りをしているかのようにゴミステーションの波打つトタン屋根からこちらを観察、寒いので羽毛をふくらませてコロコロです😊動画を撮っていると、ヒヨドリとメジロの鳴き声がよく聞こえていました。
45瑜伽大権現石灯篭
   &尾原公民館西古墓群
見上げる高さにありました。鎌倉・室町時代の五輪塔が並んだ端に由加山参道の石灯篭がありました。
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45瑜伽大権現石灯篭
   &尾原公民館西古墓群
見上げる高さにありました。鎌倉・室町時代の五輪塔が並んだ端に由加山参道の石灯篭がありました。
46三余塾跡地
三余塾は1856年に犬飼松窓が開いた私塾です。知識だけではなく、自分の生活や公益に活かせる実践的な教育を行いました。当時、山田方谷が開いた有終館、阪谷朗廬が開いた興譲館と並び、備中の三塾の一つに数えられました。
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46三余塾跡地
三余塾は1856年に犬飼松窓が開いた私塾です。知識だけではなく、自分の生活や公益に活かせる実践的な教育を行いました。当時、山田方谷が開いた有終館、阪谷朗廬が開いた興譲館と並び、備中の三塾の一つに数えられました。
47素盞嗚神社(旧疫神社)
      鳥居越しに拝殿
昭和18年の神社整備の際に旧号「疫神社」を「素盞嗚神社」と改めました。鳥居は慶応元年(1865年)のものです。
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47素盞嗚神社(旧疫神社)
      鳥居越しに拝殿
昭和18年の神社整備の際に旧号「疫神社」を「素盞嗚神社」と改めました。鳥居は慶応元年(1865年)のものです。
48素盞嗚神社(旧疫神社)
       本殿&荒神社
現在の本殿は、天津神社の社殿であったのを、明治初年譲り受けたものだと伝えられています。
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48素盞嗚神社(旧疫神社)
       本殿&荒神社
現在の本殿は、天津神社の社殿であったのを、明治初年譲り受けたものだと伝えられています。
49ソシンロウバイ
その名の通り、蝋細工(ろうざいく)のように見えます。 蝋梅(ロウバイ)とは違い、花の中心部が赤みを帯びず、花被片はより薄く透明感があります。動画も撮りました。
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49ソシンロウバイ
その名の通り、蝋細工(ろうざいく)のように見えます。 蝋梅(ロウバイ)とは違い、花の中心部が赤みを帯びず、花被片はより薄く透明感があります。動画も撮りました。
50慈眼院本堂
  &枝垂れ桜越しに客殿
応徳元年(1084年)開山の真言宗の寺院で児島八十八ヶ所霊場50番札所です。天保8年(1837年)に焼失、同13年に麓に近い現在地に再建されました。左の小さいほうが本堂、右の枝垂れ桜越しに見えているほうが客殿です。
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50慈眼院本堂
  &枝垂れ桜越しに客殿
応徳元年(1084年)開山の真言宗の寺院で児島八十八ヶ所霊場50番札所です。天保8年(1837年)に焼失、同13年に麓に近い現在地に再建されました。左の小さいほうが本堂、右の枝垂れ桜越しに見えているほうが客殿です。
51慈眼院鬼瓦
お役御免の鬼瓦でしょうか。たくさん並べてありました。
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51慈眼院鬼瓦
お役御免の鬼瓦でしょうか。たくさん並べてありました。
52慈眼院鐘楼&五葉松
日本第一熊野神社のある新熊野山の南東に位置するためか、新熊野山杉本寺慈眼院と称したこともありますが、現在の寺号は魔尼山大悲寺慈眼院です。
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52慈眼院鐘楼&五葉松
日本第一熊野神社のある新熊野山の南東に位置するためか、新熊野山杉本寺慈眼院と称したこともありますが、現在の寺号は魔尼山大悲寺慈眼院です。
53慈眼院山門越しに戸山城跡
慈眼院は天保8年(1837年)に焼失するまでは裏山に建てられていたといいます。戸山(こやま)城跡主郭の祠<写真31>の位置だったかどうかはわかりませんが、戸山城跡周辺は昔からパワースポットだったのでしょう。
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53慈眼院山門越しに戸山城跡
慈眼院は天保8年(1837年)に焼失するまでは裏山に建てられていたといいます。戸山(こやま)城跡主郭の祠<写真31>の位置だったかどうかはわかりませんが、戸山城跡周辺は昔からパワースポットだったのでしょう。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 タオルハンカチ カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(地図アプリ使用) eTrex22x(GPSナビゲーター)

感想

【きっかけは住心院ご住職のお話】
 2018年11月25日に倉敷市のJR木見駅の東北東にある住心院から蟻蜂山〜稲荷山〜熊山と住心院北東側の山域を巡りました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1662545.html
駐車場まで戻ってくると、ちょうどご住職がおられ、お寺の南方面を指して、戸山(こやま)城跡のことを教えてくださいました。墓地に黄色いポールがあってそこから登れるとのことで、いつでも行けると思っているうちに3年以上も経ってしまいました。
 そして、この日こそはと未知の山城である戸山城跡(191m峰)を訪れることにしました。出発点としたのはその南麓に位置する慈眼院です。

【森池と周辺のパワースポット】
 慈眼院から北西方向に進むと森池<写真09>があります。地形図には固有名詞も記載され、この地域では比較的大きな池なのですが、冬場はオオクチバスなどの外来種駆除のためか、水がありません。元々は金坪池という名前のため池でもっと小さかったのですが、大水害の発生を機に改修・拡張工事が行われました。
 承応3年(1654年)、備前一帯に豪雨による大水害が発生、死者は100人を超え被災家屋は2万軒以上、田畑も荒れ果てる大惨事となりました。藩主池田光政は、この国から一人でも困窮者を出してはならぬと借金までして被災地に米などを支給、視察後にため池などの改修工事を指示しました。
 木見、林の両地区からも大勢が参加し、金坪池の改修・拡張工事が行われ、代わりに林村のたで池、松原池、松原下池を潰して新田としました。金坪池は木見地区の“木”と林地区の“林”を合成し“森”池と改称しました。これは、名君と称される光政公のこれ以上の被害を出さぬという並々ならぬ決意、その期待に応えようとした奉行をはじめとする家臣たちの熱意、悲しみをこらえ慣れぬ工事に参加した地元民の奮闘、力を合わせてこの大水害を乗り越えた一体感、マンパワーの象徴だったのかもしれません。池の畔に大きな石仏<写真10>がありますが、被災者の供養、工事の安全祈願など、さまざまな思いが込められているような気がしました。
 なお、石川善右衛門成一は当時奉行の助手として派遣された10人のうちの1人です。よほど働きぶりがよかったのか、森池などの工事後に新奉行に就任、10年間に300程のため池を改修・造成し木見・林地区の復興と発展に貢献しました。有名な百間川の造築工事よりも30年以上も前、こうした治水事業が行われていたのです。

 このマンパワーの象徴ともいうべき森池周辺に3つのパワースポットがありました。
 1つ目は森池の南東にある謎の祠<写真01,02>です。道標もプレートも説明板も何もありませんでした。何か祭事があったのかもしれませんが、人が来る気配がまったくなく、それでもこの岩だらけの小さな祠に不思議なパワーを感じました。

 2つ目は森池の北東端に設置された由加山の大鳥居<写真07>です。慶応2年(1866年)建立のこの鳥居に使われた石は、下津井城跡に造っていたお台場(砲台)の基礎に使う予定の石を無断で使ったため、天城様(米子城代であった池田由成を祖とする天城池田家?)が打ち首にすると激怒、池田のお殿様も血筋が違えばこうも違うのでしょうか😣幸い、村中あげて命乞いの末、助かったと伝えられています。木見・林の強い仲間意識、マンパワー健在😉ピンチに強いパワーをもらった気分になりました。

 3つ目は森池の北西端にある岩椿神社<写真11〜14>です。この一帯はもと古墳丘であったようです。樹齢400年以上のクスノキが御神体にしか見えません。根元に行き、強力なパワーを得たような気分になりました。

【強力なパワースポットの奥ノ谷山&戸山城跡】
 森池を離れると、大鳥居から少しだけ南に進んだ舗装道路脇に小さな祠や石仏があり、そこから土道に入りました。地形図の破線の道を辿るはずが、見上げると岩がゴロゴロ。明らかに磐座(いわくら)と思われる巨岩もありました。冒険魂に火がつき、すぐに道から逸れて巨岩ワールド<写真15〜23>に突入😗落ち葉が積もって滑りやすかったのですが、左を巻くと大丈夫で、ちゃんと土道に合流できました。奥ノ谷山<154m峰>までは、こうした巨岩群がいくつか見られました。
 奥ノ谷山頂上には、なぜかおびただしい数のテープが細い木1本ずつに巻かれ、しかも黄、青、緑に色分けされていました😱ものすごい労力と執念を感じ、展望も効かないのに、360度動画を撮ってしまいました😅これもある意味、パワースポット😉
 奥ノ谷山までは想定以上の強力なパワースポットでした。

 奥ノ谷山から戸山(こやま)城跡<191m峰>までは尾根上を歩きました。途中までは鉄塔巡視路、そこからは戸山城跡に向かうために整備された道のようです。戸山城跡に着くと、明らかに城跡らしき石積み、切岸(きりぎし)、主郭、曲輪(くるわ)など各遺構の造りがはっきりと見て取れました。北東、南東尾根には道がありませんが、ツツジの細枝を少しよけるくらいでどこでも歩けました。
 《備陽国誌》によると、「木見戸山城で木見村にあって城主備後三郎高徳とする」とあり、南北朝時代に後醍醐天皇の討幕運動にかかわった児島高徳の居城の1つと伝わっているようです。また、《吉備温故秘録》などに書かれた木見城の可能性もあります。地元では、その後、常山城の出城となり、城主は常山城主であった上野肥前守隆徳の家臣の一人、水澤(三澤)九郎座衛門眞吉と伝えられています。
 しばらく城跡探索を楽しみ、少し引き返して二重赤ビニールテープから北北西に下りました。シダの間の細道もありますが、赤いビニールテープとピンクテープがあり道は明瞭でした。竹林を抜け舗装道路に出ると、戸山(こやま)城は常山合戦で落城したとの書き込みが登山口の標柱<写真40>にありました。住心院ご住職のおっしゃった墓地ではなく、予想よりもずいぶん西寄りに下山しましたが、これが一番確実なルートのようです。
 こんなにはっきりとした城跡を残しているのに、ネットでは記録がほとんど出てこない戸山城跡をヤブコギなしで堪能できて本日、ダメ押しのパワーをいただきました。写真もおよそ4分の3ぐらいはパワースポットです😄
 もしかしたら、まだ知られざる木見のパワースポットがあるかもしれません。またいつの日か再訪し、歴史の足跡を辿ってきたいと思います。



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