日笠山・御着南山
- GPS
- 04:58
- 距離
- 14.9km
- 登り
- 576m
- 下り
- 560m
コースタイム
- 山行
- 4:18
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 4:58
天候 | 晴れ一時曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR神戸線御着駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備された道 |
写真
感想
JR神戸線曽根駅は、播磨アルプスの支尾根の張り出しを回り込むような位置にありホームが円弧を描いている。平成30年に来たときは此の支尾根を登ったが今日は、南に歩き天川の西側に横たわる日笠山の南端へと向かった。JR神戸線、姫路バイパス、山陽新幹線を越え天川を右岸に渡ると住吉神社に到った。此の辺りは嘗ての海岸線で村の漁師の信仰を集めていたのだろう。八代龍王大神の祠の横から住宅地に上がって行くと高砂市の水道施設があり回り込んで石段を登り日笠山(62m)に達した。まあ山と云うより一寸した丘だが瀬戸内海の展望が素晴らしい。痛々しい姿の4等三角点「日笠山」があり、日笠山公園として地元のお年寄りの散歩道となっているようだ。陽だまりの梅の木に花一輪、春はもう其処まで来ているようだ。
北に続く稜線は天川沿いに低山が連なり、しっかりした道が付いている。次のピークは標高80m程度で山頂付近に「夫婦岩壱番地」の表札のある休憩舎があった。此のピークは夫婦岩展望台と呼ばれているようだが“壱番地”と云うのは意味が分からない。夫婦岩について何の案内も無かったがピークにある大岩のことのようだ。お年寄りが一人「何か珍しい鳥はいたか?」と聞かれたが唐突過ぎて・・? この北側には92mの標高点があるが何の表示もなかった。地元のお年寄りたちが置いたのか稜線には簡易なベンチが幾つも設えられていた。40m程下りた所は馬坂峠で舗装された小道が越えていた。峠の先には顕著なピークがあるが、登山道は東側を巻いている。折角なのでピークを取りたいと登路を探していると獣道のような踏み跡を見つけ辿って行くと茨が絡み付きピーク直前で進退窮まり登頂は断念した。
稜線を進むと“大塩山城跡”の案内板が現れた。天正6年(1578)羽柴秀吉に攻められ落城したとあった。特段城跡の痕跡もなくこの地形なら砦とするには好都合だったのだろう。名はないが牛谷と北脇を結ぶ峠を越えると北方向の展望が開けた所があり播磨アルプスの桶居山、鷹巣山、高御位山(304m)などを望むことができた。北から巻き込むように一本松山(136m)に達すると4等三角点「北脇」が置かれていた。先に30mほど進むと展望台があり瀬戸内海が一望できるが少し霞んで家島がはっきりしなかった。北脇から直登路がありお年寄りが「この道はしんどい」と云って登って来た。折角の展望台なので景色を眺め早めの昼食を取った。
少し北に行くと“子亀岩”があったが亀にも見えず小さ過ぎて一寸拍子抜けだった。更に“㊙展望台”なる標識に従って少し下りると西側の展望が広がり海岸線に近い高坪山(105m)などが望めた。稜線に戻り少し下ると“亀岩”があり此方は人が10人以上乗れる大岩だった。登り返したピークは、イタチ山(80m’)と表示があり、北側の展望が開けていた。更に進み大谷峠に達すると北浜町西浜への下山路となり南に下るが、この先のピークが気になり先に進んでみると棚田のような段々が人工を感じ、城跡であったのでは推測したが何の案内も無かった。少し戻って西へ更に進むと姫路バイパスのすぐ南のピークで此の西にある最後のピークを目指そうとしたが笹藪が濃くなりまた茨が出そうで断念して大谷峠に戻った。下山路は西浜に下りる南側にしか登山記録はなかったが地形図には登山道はなく、北側にだけ点線道が描かれ赤テープもあったので辿って行ったがだんだん怪しくなった。何とか老人保健施設の裏側に下りて来た。道に出られるところまで迂回し、姫路バイパスの別所PAの辺りに下り立った。
バイパス沿いに西に進み、南山への取り付きを探すと尾根の西側に回り込んですぐの所に取付きがあった。100mの登り返しは此の山域では凄く登ったような気になれる。送電鉄塔のピークに到ると南山(167m)がドンと見えたのは嬉しいが、やたらに送電線が纏わり付いて煩い。計4組の送電線が此の山を越えている。一旦北に上がり回り込むようにして山頂に到った。3等三角点「南山」があるが山頂標識はなく、赤テープに山名が書かれているだけだった。先の送電鉄塔まで行って見たが展望もなく残念だった。この山は北側を中心に御着南山公園として整備され東屋や展望台が設えられていた。階段で鉄工団地に下りると文化シャッターの工場内のようで御着駅の裏側に出た。
今日の旅はまだ終わらず御着駅近くの播磨国分寺と壇場山古墳に立ち寄った。播磨国分寺跡は、南大門、中門や回廊の基盤が復元され、金堂の位置には現在真言宗のお寺、牛堂山国分寺が建っていた。壇場山(だんじょうさん)古墳は、墳丘長が142.8mもある大きな前方後円墳で5世紀前半の築造。後円部が山頂(約26m)で石棺の蓋石が露出している。壇場山の由来は神功皇后が壇を築き祈念した地と云うことらしい。
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