【過去レコ 1980年3月(大学2年)】槍ヶ岳・北鎌尾根
- GPS
- 104:00
- 距離
- 35.7km
- 登り
- 3,073m
- 下り
- 3,048m
コースタイム
- 山行
- 8:15
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 9:10
- 山行
- 7:05
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 7:15
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 6:40
- 山行
- 8:20
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 8:30
- 山行
- 8:35
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 8:55
天候 | 3/21快晴、22雪、23雲時々小雪、24晴後小雪、25快晴後晴 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
(帰路)3/25 新穂高温泉16:10ー(バス)-高山--富山、夜行急行能登で翌朝上野駅 |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
大学2年の3月、同じ2年生同士3名(A.K君、N.M女史)で積雪期の槍ヶ岳・北鎌尾根の縦走に挑んだ。私にとって高校時代に読んだ加藤文太郎や松濤明の記録に魅せられ、憧れ続けたルートであった。後で考えれば、雪山経験2年めの3名で挑むなど無謀であったかもしれないが、自分の憧れと情熱を抑えきれずに挑んだ青春の1ページ。死への恐怖心もあったが、この山行のために2月の八ヶ岳で1週間の合宿を行い、赤岳西壁・大同心・三叉峰ルンゼなどでアイゼン登攀の練習を行った。
●実際この山行で山での死を身近に経験した。我々より1日早く入山した3人組の2パーティ(いずれも関西の社会人山岳会だったと思う)が、北鎌のコルの先で雪崩に遭って2名が流され、それを2名が捜索に行き、残った2名と北鎌のコルで遭遇した(結果的には4名が亡くなったのだが、携帯電話などない時代でである)。社会人山岳会に対して雪山2年目の我々に出来たのは、新穂高に下山後に状況を連絡するだけだった。実際には残った2名が大町に下山して連絡する方が1日早く、それが新聞に載ったらしい。同時期に同じ3名だったので、我々の登山本部は我々が遭難したらしいということで情報を集めているところに無事下山の連絡をしたのだった。
●この時一緒だったA.K君は、大学時代の一番のザイルパートナーだった。彼は大学卒業後に社会人山岳会で活躍していたが、1986年1月ネパールのタウチェ峰南東稜を登攀中に6000m付近で滑落し亡くなった。写真のルート記録図は彼の遺稿集にあったものである。
●60歳を過ぎて、40年以上前の山行記録を調べながら、ヤマレコにアップ。若かったな~という思いと、どこか基本的なところでたいして変わっていないのかも、という感じだ。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2316038.html
同世代のようですね。記録拝見しました。写真が多く、44年前の北鎌を思い出しました。装備は大きく進歩したのでしょうが、北鎌の魅力は今でも変わりませんね。
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