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Yamareco

記録ID: 459980
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
アジア

クリュチェフスカヤ山【ユーラシア大陸火山最高峰】とカムチャッカの旅

2003年07月22日(火) ~ 2003年07月26日(土)
 - 拍手
yamatabi その他7人
GPS
344:00
距離
14.6km
登り
1,459m
下り
1,462m

コースタイム

1日目 ペルバルニクレーター(BC、2750m)− C1予定地(3300m) − BC
2日目 BC − C1(3320m)
3日目 C1 − 4010m − C1 − BC
過去天気図(気象庁) 2003年07月の天気図
アクセス
利用交通機関:
バス 自家用車 飛行機
福岡 ー 関空 ー ウラジオストック ー ペトロパブロフスクカムチャッキー − エッソ − BC
コース状況/
危険箇所等
BC〜C1 最初は溶岩流の跡の複雑な地形でルートファインディングが困難。後半は氷河の直登
C1〜   崩れやすい噴石の堆積物の急登。落石多し。
クリュチェフスカヤからカーミンを振り返る
2
クリュチェフスカヤからカーミンを振り返る

感想

7月18日  福岡〜関空〜ウラジオストック
激しい雨の降る中、福岡を国内線で関西空港へ。6時間の待ち時間のあと、 ウラジオストック航空のツポレフ154型機 に乗り込んだ。機内は狭く、荷物を入れる上の棚は小さい。ほとんどの荷物はシートの下に押し込むことになった。
約1時間半のフライトだが、機内食とドリンクのサービスがあった。時差が2時間あるので、19:30にウラジオストック到着。 空港に隣接したホテルに入った。イタリア資本のきれいなホテルだが、お湯はでないし、水は赤いし、従業員は無愛想だった。
7月19日  ウラジオストック〜ペトロパブロフスクカムチャッキー
朝、NHKの衛星放送で、博多駅周辺や飯塚市が大雨で浸水していることを知った。 1999年にナンガパルバットに行ったときも、博多駅の地下街が浸水して死者が出ていたのを思い出した。
空港があるのはアルチオン市で、ウラジオストック市街までは約50kmある。午前中、市内観光をしたが、雨で展望はきかなかった。 車はほとんど日本製の中古車だ。関税が500%くらいかかるが、ロシア製に比べて故障が少ないためらしい。
市内にはトロリーバスが走り、なんとなく長崎に似ている。シベリア鉄道9,800kmの終着駅を見に行った。改札口はなく、だれでもホームに降りられる。 隣は港になっていて、軍艦が多数停泊していた。
州立博物館、潜水艦博物館をみたあと、空港に戻り、国内線で17:25カムチャッカに向け飛び立った。このとき、手荷物のオーバーチャージ約1万円を取られた。 機内持ち込みのサブザックが皆大きくて、見とがめられ、すべて計量させられたため37kgオーバーとなったのだ。言葉が通じないので、いわれるまま支払ったが、会計担当としては、こんなときつらい。
カムチャッカの時差はさらに2時間あり、到着は22:20だった。カムチャッキー市内のホテルに入ったのは、日付も変わる頃だった。ここのホテルは、水がでなかった。
7月20日  ペトロパブロフスクカムチャッキー〜エッソ
9:00に現地スタッフが韓国製中古バスとともにやってきた。登山ガイドのボバとセルゲイ(小)、コックのレナとセルゲイ(大) 、それにツアーガイド兼通訳のアルチョム、フィッシング隊ガイドのアレクセイの6人だ。
9:30出発、途中、メルソボの自由市場でビールとウォッカを買い込み、バスは一路、タイガの中の一本道を砂煙を巻き上げながら北へ走った。 暑いので窓を全開にしているのだが、対向車が来たときは、砂煙が入らないよう一斉に窓を閉めなくてはいけない。
ときどき、休憩のため停車したあとは、人の乗り降りについてきた蚊を、しばらくはみんなでパチンパチンとたたき落とさなければならなかった。 ミリコボの町で遅い昼食をとったあと、再び走り続け、エッソ村に着いたのは19:50、10時間以上の移動だった。
エッソは、トナカイを飼う民族エベン族の村で、年間300日は晴れるというとてもきれいな所だ。温泉もある。ここで、本多勝一も泊まったという民宿「ツリスティチェスキー」に入った。
7月21日  エッソ滞在
朝から霧でヘリが飛ばない。終日待機となった。いつ飛ぶか判らないので遠出するわけにも行かず、犬のウチュールと遊んだり、 畑で草取りのアルバイトをしていた中学生の女の子と話したりして暇をつぶした。蚊が多いのでこっちは防虫網をかぶっているのに、 彼女たちは半袖、ヘソ出しで涼しい顔をしている。
フィッシング隊は、この日から活動を始め、早速、何匹か釣って食べてきたらしい。
7月22日  エッソ〜BC
10:00にやっと電話があり、ヘリポートへ向かった。ヘリは大型で、20人程と大量の荷物を積むことができる。 後部の観音開きのドアから次々に荷物を積んだ。現地スタッフは、軽量化など考えてないらしく膨大な量の荷物を積み込んでいた。
10:45離陸、くねくねと蛇行したカムチャッカ川を見下ろしながら山へと向かっていく。
高度1500m地点で着陸し、荷物と人を分けてピストン輸送するため一旦降りた。ここは、高山植物も多く、マーモットの巣穴も見られた。まもなく戻ってきたヘリに再び乗り、 11:45にBC設営地点のペルバルニクレーター(2,750m)に着陸した。
パオ型の食堂テントの外、6張りのテントを張った。昼食後、高所順応のため、氷河を横断してウシュコフスキーのアイスフォール直下まで、トレッキングに出た。 往復約2時間。氷河の上では、所々に白い小さなチョウが仮死状態で横たわっていた。息を吹きかけてやると動き出した。なぜ、氷と岩しかないところまで飛んできたのか謎である。
7月23日  BC〜C1予定地〜BC
夜中に時々、ドォーンとクリュチェフスカヤが噴火する音が鳴り響いていた。こんな山に本当に登れるんだろうか。日本ならとっくに立ち入り禁止措置 になっているだろう。この国では、自分たちの責任で登るなら関知しない、といったところのようだ。
8:30に荷上げのため、全員でC1予定地に向け出発した。しばらく雪面を下ったあと、複雑な地形のところにさしかかった。 モレーンかと思ったら、溶岩流のあとが浸食されてできたものらしい。20〜30mの高さの襞のような尾根を登り下りしながら斜め上へ横断していく。 2900m地点でようやく広くなだらかな氷河上にでた。12:55にクリュチェフスカヤとカーミンのコル(C1予定地、3300m)に到着、小屋跡に荷物をデポした。
16:40BCに帰着。
7月24日  BC〜C1
アタック隊6名と、ガイド3名はC1入りするため、前日と同じルートを登った。 隊長のOさんは、腰痛のためBCに残ることになった。
コルから少し登った地点(3320m)にテント3張りを設営した。
夕方、我々が登って来たのとは反対の東側から、ドイツ隊が登ってきた。ヘリを使わず、麓から4日がかりで歩いてきたらしい。
夕食は、日本から持ってきたカレーライス。ロシア料理に少し飽きが来ていたのでうまかった。
あいかわらず、噴火は続いていた。クリュチェフスカヤは、活火山で、地熱が高く雪が積もらないからなのか、氷の上から噴石がつもったからなのか黒々とした姿である。 それに比べ、隣のカーミンは似たような形だが白く輝いてきれいな山だ。どちらかというと、カーミンに登山意欲はそそられるが、どうせ登るならカムチャッカ最高峰で、ユーラシア大陸最高の活火山である クリュチェフスカヤにしようと決めてやってきたからには、登ってやろうと思った。
7月25日  C1〜4010m〜BC
いよいよ、アタックである。
4:00に起床、雑炊を掻き込んで5:45出発。ドイツ隊はすでに出たようだった。徐々に傾斜が急になって、ガラガラの足下は踏ん張りがきかず、2歩登っては1歩ずり落ちるような感じだ。
3665mでFさんが断念、アルチョムと下山していった。さらに、3855mで、Sさんが断念し、セルゲイ(小)と下った。 残ったのは、隊員4名とガイドのボバさんだけとなった。今度、誰かが下るときは全員一緒である。
4,000mを超え、ルートは最大の難所と思われるところにさしかかった。クーロワールを右にトラバースして、対岸の稜線にとりつくのである。 ここで、ボバさんはザイルで全員をつなぎ、コンティニアスで登るよう指示を出した。滑落の危険が高いのだ。
慎重にトラバースして、クーロワールの中央付近にさしかかったとき、ガラガラッと大きな音がした。見上げると、大小様々な石が数十個こっちに向かって飛んできていた。 先頭のボバさんの横を直径1mくらいの岩がはねていった。石は、斜面でバウンドし、方向を変えながら飛んでくるので、目が離せない。 直前でよけてやるという気持ちで上方をみていた。「戻れ」と誰かが叫んだが、ザイルでつながっているし、足場は悪いし、上にも神経を集中しなければならないので、 なかなかその場から脱出できなかった。
安全なところまで戻ってきたとき、もうだれも登頂を口にするものはいなかった。どうやら、噴石が斜面上部に落下し、落石を誘発したらしい。 小さな石がMさんの腕にも当たっていたが、幸いにもけがはなかった。
12:00にはC1に戻ってきていた。テント撤収後、下山開始。15:00ごろ、溶岩流の中の小川を、飛び越えようとしてSさんがふくらはぎを傷めてしまった。サポートしながらゆっくり下山し、 BCに着いたのは17:30であった。その夜は、残っていたビールとウォッカで残念会が行われた。
7月26日  BC〜エッソ
衛星電話で迎えのヘリを頼んでいたので、朝食後荷物をまとめ、テントを撤収した。 ところが、いつまで待ってもヘリはやってこない。コックが、荷物をほどきハムやウォッカを出してきて、小宴会が始まってしまった。
ようやく、15:00ごろ飛んできて、16:00にエッソのヘリポートに到着した。入れ替わりにフランス人の観光客の団体が乗り込んでいく。 こんな時間からどこに行くのだろうか。
民宿に戻ると、フィッシング隊が釣り上げたキングサーモンのルイベとイクラが待っていた。早速ビールとともにいただいた。新鮮で完熟したイクラは、きらきらとまさに宝石のよう。 さいこうのごちそうだった。
夕食までの間、温泉に出かけてみた。広くてプールのようだ。もちろん日本と違い、皆水着だ。石けんで体を洗っている人もいない。 泳いでいる子供もいるが、ほとんどの人は、ただ、じっと浸かっていたり、ウッドデッキで日光浴をしているだけだった。
20:00から夕食。ガイドも呼んで、お礼のチップを渡した。ボバさんはとてもまじめで、経験も豊富でいつも冷静である。酒も余り飲まない。
7月27日  エッソ〜ビーストラ川キャンプ
9時にバスが迎えに来た。民宿のご主人アナトリさん夫婦が見送ってくれた。
道沿いのタイガの森は伐採が進んでいるようで、原生と思われる古木はほとんど見られない。エッソに近いところにカラマツの大径木があるくらいだ。 あとは、せいぜい樹高10mくらいのモミやカンバやドロヤナギの森が広がっていた。しかし、ヘリから見たところでは広大な緑の大地が見えたので、奥地に行くとまだまだ原生林はあるのだろう。
また、山火事のあとも目についた。白骨のような立ち枯れの木の根元がこげている。まだくすぶり続けている場所もある。見渡す限り湿地のようになった焼け跡もあった。焼け跡や伐採跡には、必ずヤナギランの ピンクの花が群生している。
13:00ミリコボの町で再び昼食をとったあと、バスは南下を再開した。分水嶺を超え、ガナル山脈の針峰群を左手に見ていたら、やがてマルキ温泉に着いた。 河原のあちこちから温泉がわき出ていて、多くの人が周囲でキャンプを楽しんでいた。ここでも、すぐ横の山が火事で煙をもうもうと上げていた。 しかし、ブルドーザが一台消火に当たっているほかは、誰も気にもしていないようで、温泉を楽しんでいた。慣れっこなのだろう。
来た道を少し戻り、ビーストラ川への入り口で、バスから6輪駆動のオフロード車に乗り換えた。アルチョム以外の現地スタッフとはここでお別れとなった。
6輪駆動車は道なき道を河畔のキャンプまで運んでくれた。大きな食堂テントのほか、たくさんの就寝用テント、トイレが完備していた。ゴムボートやバレーコートもあった。 夕食のあとは、キャンプファイヤーを囲み日露歌合戦となった。
7月28日  ビーストラ川キャンプ〜ロドニコバヤ
4人ずつ3艘のゴムボートに分乗して、川下りをしながらルアーフィッシングを楽しんだ。 ビーストラとは「急流」という意味らしいが、所々瀬がある程度で、ほぼゆるい流れだった。ルアーを投げてはたぐりながらゆったりと下っていく。 時々上陸して釣り、また下る。ルアーデビューの私もオショロコマを3匹釣り上げた。ニジマスは資源保護のためかリリースしなければならない。 Nさんがキングサーモンを釣り上げた。しかし、授精後だったらしく、脂が抜け犬も食わないといわれ、がっかりしてた。
午後は、南部のビルチンスキー(2,173m)山麓へ向かった。ビルチンスキーを南から回り込み峠を越えると、そこは見渡す限りの高山植物の高原だった。 ここで、さらにごつい6輪駆動車に乗り換えた。テレビ番組の下見に来たという日本人ディレクターを乗せ、今夜の宿ロドニコバヤのロッジがある谷底に向かって、 恐ろしく急な悪路を降りていく。車を乗り換えた理由がわかった。特殊な車と卓越した運転技術がないと、とても走れないだろう。
ロドニコバヤは、金鉱跡で、温泉がある。地元のスキー・登山クラブのロッジがあり、冬にはTバーリフトが設置され、スキー場にもなるらしい。
7月29日  ロドニコバヤ〜ムトノフスキー山麓〜ロドニコバヤ
朝、小屋のすぐ5m程横にクマの足跡があった。寝ている間に周囲をうろうろしていたようだ。
特殊車で高原巡りに出かけた。まず、ビルチンスキー南麓の標高600〜700mの高原地帯を巡った。そこには、ノヒメアヤメ、エゾツツジ、チシマフウロ、ツガザクラの見渡す限りの大群落。シオガマ、ハクサンイチゲ、キバナシャクナゲ、 ワタスゲ、チシマギキョウ、ウルップ草、ツクモグサ、イワウメ、ヒメヤナギランなども咲き乱れていた。
ときどき特殊車は、道を外れ高山植物の中に踏み込んでいく。高山植物への影響が心配だが、あまりに広大なのと訪れる人も少ないので大丈夫という。
さらに南下し、ゴレーリ山(1892m)へ向かった。ゴレーリカルデラの中の道なき道を進んでいった。火山がごろごろした月面のような風景に変わった。所々に雪田も残っている。いくつものクレーターがあり、そのうちの1つの縁で昼食となった。雪渓で缶ビールを冷やし、ランチボックスが配られた。 コックとして、ウラジオストックの女子大生アリョーナとスエタが同行していて、コーヒーをいれたり韓国製カップ麺を作ってくれた。
午後はさらに南のムトノフスキー(2323m)山麓へ行った。美しい山が点在していてその間に草原が広がっている。高山植物に混じり、背の低いブルーベリーの木が実をたわわにつけている。 時々それを口にしながら、丘に登ったり寝ころんだり、至福の時を過ごした。
7月30日  ロドニコバヤ〜ペトロパブロフスクカムチャッキー〜バラトゥンカ
午前中のんびりしたあと、次の宿であるバラトゥンカ温泉郷に向かった。ホテルにチェックイン、昼食のあとカムチャッカの州都ペトロパブロフスクカムチャッキー観光に出かけた。
まず、博物館へ行った。カムチャッカの自然、歴史、文化がわかりやすく展示してあり、17世紀に漂着した大阪の商人伝兵衛の遺品や、大黒屋光太夫の資料もあった。ロシア人が毛皮を求めてやってきたのが17世紀で、 それまでは、コリャーク人などの先住民族の土地だったのだ。
そのあとデパートや本屋、市場を回っておみやげを仕入れた。
エリゾボのレストランで、カムチャッカ最後の晩餐をとった。ロシア料理はとても口に合う。ボルシチやピロシキは有名だが、ほかの料理もうまい。新鮮なサーモンや鱒、それに新鮮な野菜や果物がたくさん出てくるのがうれしかった。
ホテルに戻り、メンバーのYさんとSさんの還暦をワインで祝った。
7月31日  バラトゥンカ〜ウラジオストック
朝、バラトゥンカ温泉をあとに、空港へ向かった。通訳のアルチョムともここでお別れである。オーバーチャージは食料が減ったので、19kgで約5000円だった。
昼前にウラジオストックに到着。往きと同じ空港に隣接するホテルに入った。ここでもまた断水。ロシアの極東は、自然も豊かで、近く、時差も少ない、欧米に比べて食べ物もうまいなど、日本の観光客を呼ぶには条件がそろっている。 しかし、ホテルだけはどこもいただけない。モスクワよりも日本の方を向き始めているというが、地元のインツール(旅行社)が独占しているようでは観光客は増えないだろう。
午後は自由行動。しかし、周囲には空港以外何もない。空港の土産物屋を覗いて回り、夜の宴会用にビールとつまみのイクラ買った。
8月1日  ウラジオストック〜関空〜福岡
帰国できない?!
チェックアウトの時、ガイド見習いのフィリップがレセプションの女性となにやらもめている。彼はほとんど日本語ができないので、事情がなかなかわからない。
ロシアでは滞在先で証明スタンプをもらうのだが、テントやロッジ生活が多かったので、滞在日数の割にはスタンプが少ない、と怪しまれたらしい。カムチャッカのインツールに電話して、 誤解が解けたのは、搭乗時間ぎりぎりであった。その間、渉外役のWさんはてんてこ舞いだった。
オーバーチャージは、なぜか60kg、260ドルに増えていた。
関空で残ったドルを円に両替して、皆に還付したら会計の仕事も終わった。久しぶりの日本食を堪能し、長い夏休みも終わりを迎えた。

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