金梨山・竹田城址
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- GPS
- 03:29
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 677m
- 下り
- 670m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
金梨山西尾根は指導標なく入口が分かり辛い |
写真
感想
昨夜の天気予報は「晴れ」を伝えていた。竹田城が雲海に浮かぶことを期待して、急遽朝来市に向かった。園部、綾部辺りでは霧が出ていたので期待を持ったが円山川の畔まで来るとライトアップされた竹田城がくっきりと見えていた。広い城下町観光駐車場に駐車し、雲海は期待できないがモルゲンロートの竹田城を見るべく未明の街を歩き出した。
取り付きが分からず一寸行き過ぎて金梨山西尾根に取付いた。余り人が来ていないようで暗くて避けることもできず顔に蜘蛛の巣がべったりくっついて堪らない。比高360m程の山だが結構しんどい。踏み跡はしっかりしており大岩が現れると金梨山(464m)山頂で、4等三角点「金梨山」の金属点標が設置されていた。西に飛び出した大岩の上から竹田城方面が辛うじて開け、いつの間に出たのか下界は雲海に埋め尽くされていた。雲の隙間からモルゲンロートに輝く竹田城を一瞬見ることができた。金梨山の由来は竹田城落城の際城から逃れた姫が悲しんだことから「かなしやま」と云われるようになったそうだ。
霧が厚くすぐに姿を隠してしまったので下山に掛かったが南に少し下ると金梨山大権現の岩場があり、岩の上に人がいた。三脚を立て3日間通っていると云う男性で話をしながら暫く待機しているとサッと霧が晴れ雲海の中から竹田城が浮かび上がった。何と云う美しさだろう! 将に天空の城、雲に浮かんでいる! しかも太陽光線を正面に受け下部の雲に薄っすらとブロッケンが発生している。こんな日に来ることができたのはなんと幸運なことだろう。先客の男性と喜びを分かち合った。
金梨山大権現は展望岩の下部にあり磐座の隙間に木花作弥姫命が祀られた祠が置かれていた。赤テープに導かれるままに下山すると違う道を下っていた心算がいつの間にか登って来た道に合流しており元の登山口に帰っていた。朝来橋で円山川を渡り、竹田駅に立ち寄って風格のある駅舎を写真に収めた。駅裏に回り、天満神社の長い石段を右に見て駅裏登山口に達した。古い石段の道で等高線はギュッと詰まりジグザグに登って行く。城の西側の高い処まで車で来られるので歩いて登る人は少ない。
竹田城は、古城山(354m)の山頂域に広がる城で嘉吉3年(1443)山名持豊によって築かれ太田垣誠朝を初代城主とした。慶長5年(1600)赤松広秀を最後の城主として廃城となり江戸時代は生野代官所の支配下となっていた。昭和18年国の史跡に指定され、昭和55年には石垣の復旧工事が完成し今に至る。建物は一切残っていないが、平成18年(2006)日本百名城に選定されている。標高315mまで登って来ると料金所があり、500円を支払って有料エリアに入った。通路は一方通行で東に張出した北千畳に乗り上がった。朝登った金梨山は目の前に聳えているが逆光で今一、三の丸、二の丸を通り本丸から天守台に上がると嘗ては3等三角点「城山」があったようだが現在は「亡失」とされている。
山頂天守台からの展望は素晴らしく、稜線上の大路山(603m)、北西に大倉部山(592m)、今日登った金梨山の南には朝来山(756m)の存在感が大きい。大倉部山の麓を走る播但連絡道路の虎臥城大橋は白いアーチ橋で美しい姿をしている。南二の丸、南千畳を通り、表米神社登山道を下り始めた。表米神社(ひょうまいじんじゃ)は登山口付近にあり、祭礼が近いのか氏子さんが総出で掃除や草刈りをしておられた。表米橋を渡り観光駐車場に戻り早朝登山を終えた。
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