大和三山と飛鳥京・高松塚古墳巡り
- GPS
- 12:26
- 距離
- 68.9km
- 登り
- 451m
- 下り
- 466m
コースタイム
- 山行
- 11:51
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 12:27
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
今日は軽装でカメラと雨具、飲み物などをもって、MTBを5時過ぎに出発。大和三山と藤原京、古代寺院跡や古墳などを巡る。駅のコンビニは何とまだ開いておらず、やむなくそのまま出発、駅の西側から線路を越え、次の信号の交差点にコンビニがあった。飲み物は昨夜、駅前のコンビニとスーパーで買っておいたが、おにぎりとサンドウィッチなどの行動食を購入し、左折して西側の耳成山を目指す。途中突き当りに出るが少し迂回してさらに西に進み、散策する住民の方に道を確認して耳成山の入口に出る。多くの地元の人が散策している。直接MTBで入口から登り始める。ダートで石ゴロゴロの道だが傾斜は比較的緩く、問題なく登っていく。朝の散策の住民とひっきりなしにすれ違うので、邪魔にならないように慎重に進み、10分くらいで山頂直下の神社に出る。ここからは傾斜が急な山道になるので、MTBを置いて歩いて山頂に出た。大和三山は有力氏族の氏神が祀られていることが多いらしい。耳成山は三山の中で標高は最も低いが、円錐状の秀麗な形をしている。残念ながら展望はほとんどないので、耳成山口神社を見学してすぐに下山。6時過ぎ、下山して香久山に向かう。ところどころに道標があるのでそれを見ながら進む。はじめは奈良文化財研究所の藤原京資料館のあるまっすぐな道を進み、途中から香久山神社に向かう道に移動、神社に到着した。ここから自転車を担いで登ろうかと考えていたが、境内は自転車進入禁止なので、あきらめて西側の山裾の道に回って進むと登山口があった。そこに自転車をデポして山頂を目指す。やぶ蚊がすごかったので、日焼け止めクリームの上から虫よけスプレーをかけて出発、10分足らずで山頂下の分岐に出てすぐ山頂に到着。山頂には國常立神社があり、境内社として竜神様が祀られ、雨乞の儀式が行われていたらしい。かつては高い樹木がなかったらしく、二上山、葛城山、金剛山などが展望できたようだが、現在は木が茂ってよく見えない。すぐ下山して自転車を回収し大官大寺を目指す。途中、南側の天岩戸神社に立ち寄り、さらに南下していくと田んぼの中に明日香遊歩道が現れ、大官大寺跡へと導かれる。大官大寺は7世紀末に建てられ、平城京遷都により移転して大安寺となった。
遺跡の前を走っている明日香遊歩道を南下していくと、7時ころ、石神・水落遺跡に出る。昨夕は時間がなく通過したので、今朝は見学してみた。明後日の博物館ツアーでも来る予定だが、時間が無くなる可能性もあるので、自転車を置いて見学、石神遺跡は斉明天皇時代の宴の場所で、水落遺跡は当時としては先端技術である水時計が造られていたようだ。この後、昨日登らなかった甘樫丘に登ってみる。四方がよく見える好展望台だった。この麓からは蘇我氏邸宅跡と想定される石垣や建物跡が発掘されている。丘の上の展望台で休憩している人らに豊浦寺のことを尋ねると、豊浦という場所を指して、あの地域の寺が豊浦寺の後続の寺でその寺の付近に碑があると教えられた。昨日探して見つからなかった古寺跡が見つかりラッキー。この寺は552年、百済王が倭王に献上した金銅仏を蘇我稲目が賜り、日本最古の寺として推古天皇が豊浦から小墾田宮に移転した年に建てられたという。現在は向原寺と、これまた当時の地名にちなんだ名前の寺になっている。またこの近くには「伎楽伝来の地」という石碑が「韓国文学を憶う会」の名で建てられている。次の亀石に出た時はすでに8時を回っており、天武持統天皇陵や鬼の俎板・雪隠を見学し、欽明天皇陵を経て8時半過ぎに飛鳥駅に出る。ここから線路をくぐって、牽午子塚古墳に向かう。10分くらいで古墳に出る。以前より、巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造で知られており、2010年、一根間の発掘調査で明日香村教育委員会は「版築による三段築成の八角墳であることが判明」したと報告、道教に大きな影響を受けた斉明天皇陵である可能性が高くなったという。ここから檜隈寺跡を経由して、キトラ、高松塚と回る予定だったが、予定より少し遅れてしまったこと、暑さで体力的にも厳しいことを考慮して、キトラをカットして高松塚に向かうことにした。百済の渡来僧が居住したという檜隈寺跡も、簡単には辿りつかず、到着した時は9時15分を過ぎてしまった。跡には十三重石塔の一部が残されている。高松塚には9時半前に到着、墳丘や解説板などを見学した後、高松塚壁画館を見学。暑いのでしばらく館内で休みながら復元された壁画などを見学していた。
このあたりは国営飛鳥歴史公園の一部で、歴史公園館も覗いてみたが、特に何もなかったので、すぐに畝傍山方面に向けて出発、10時15分過ぎに橿原神宮の鳥居に出た。この先もまだまだ見学箇所が多数あるので、神宮の拝観はしないでまず畝傍山に向かう。神宮の敷地内を散策する人に畝傍山への登り口を尋ね、海軍の記念碑に向かう。登山口を発見し、MTBを置いて山頂に登る。標高は198mで三山の中では最も高く、標高差も120mと大きい。道も他の山より急で20分かけて山頂に出る。山頂には三角点の他に畝傍山口神社跡の石碑があり、また眺望も最もすぐれていた。10分強で下山すると11時を回ったので、畝傍御陵前駅付近のレストランに入り、昼食。その後本薬師寺跡や藤原京朱雀大路跡などを見学、12時半過ぎに飛鳥宮跡資料館を見学する。明後日に再訪する予定だが30分近く一通り見学して予備知識を蓄えた。藤原京・宮跡や寺院などに関する様々な出土品、とりわけ多数の木簡によって、藤原京の実態がより明らかにされつつあるようだ。
さて、1時半前に資料館を出て、藤原宮跡などの史跡を見ながら次の田原本に向かう。田原町の史跡巡りの案内にあった道を辿って。1時56分頃、多神社の大鳥居に出る。道標に従って2時に多神社到着、この神社は「延喜式」にも出てくる大きな神社だったようで、また「多遺跡」は弥生の大集落跡が発掘された場所ということだった。ここから飛鳥川に沿ってしばらく進み、保津環濠集落跡を見学、黒田大塚古墳に2時48分、法楽寺には2時52分到着、桃太郎伝説発祥地とある。法楽寺から今度は東に進んで耳成山付近から流れている寺川に沿って進み、今井浜史跡を探すがわからないので、あきらめて唐古・鍵遺跡に向かう。予定より一時間以上遅れて3時15分頃、遺跡に到着、まだ史跡整備は進んでいないようで、出土品の地図のある案内板もあることはあるが、おそらく何も残っていないと思われ、見学用の整備はされていないようだーー不思議な塔のようなものが見えたが、多分この遺跡関連復元物と思われたが、時間がないので唐古・鍵考古ミュージアムに向かう。少し走って3時50分前にミュージアムに到着、遠くからも見える巨大な建物に驚いたが、図書館やその他の複合施設だった。灼熱地獄で少々参っていたので、最初に喫茶コーナーで冷たいものを飲んで休息してから二階のミュージアムの見学に出かけた。唐古・鍵遺跡はわかっている範囲でも30平方mと吉野ヶ里遺跡に次ぐような大規模な環濠集落で、銅鐸の生産拠点でもあった。おそらく国内有数の勢力の拠点の一つと考えられる。弥生時代後期から古墳前期にかけて度重なる洪水後も再建されたことはこの遺跡の特徴という。また弥生中期の絵画土器が多く出土し、そこからも環濠の生活の復元の試みがなされている。 ここが今日の予定の最後なのでミュージアムのボランティアの解説の方にお願いして展示解説をしていただいたーーというより、ミュージアムのスタッフの方と話をしていたら、自然とそういう展開になった。見学者は私しかいないし、ボランティアの方も役割を果たしたいでしょうし??ーー。大和盆地における最大の弥生環濠集落である唐古・鍵遺跡―出土品から見たその暮らしの様子、絵画土器から見るシャーマンや祭祀の様子、多重環濠を築くための様々な道具ーーなぜ多重環濠を築いたのかーー??まだまだ分からない点が多いようだ。先の現場での妙は櫓も絵画土器からの創造復元物だったーー。この遺跡の特徴の一つ、絵画土器のほかに水につかって残った木製器具がある。鉄器が普及していなかった時期には木製品の加工は大変だったろうーーその様子も実験考古学などで研究されているのでしょうがーーまた青銅器の製作加工も行われていたようで、様々な遺物が出土している。また糸を紡ぎ、機を織る様々な道具も出土している。そして弥生の戦いと祈りの展示――最後は時間が乏しく、急ぎ足になってしまったがーー高地性集落や環濠集落の評価も、まだまだその途上にあるーーじっくり展示を見て考えたいけれども残念ながら閉館時間。また勉強して再訪しよう――。桜井の宿までは6勸未蚤腓靴慎離ではないはずだが、3勸盟ったところで、道の選択を間違えて、箸中に出てしまう。間違いに気づいて、昨日と同じ道を旅館まで走った。1.5勸麺招廚冒ったか?
夜は旅館の食事があるので楽だ。明日に備えて荷物を整理して早めに休む。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する