龍ヶ城・伏見山 《京都百名山No.23》
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- GPS
- 06:03
- 距離
- 15.3km
- 登り
- 1,362m
- 下り
- 1,372m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
龍ヶ城付近に踏み跡がある程度 |
写真
感想
府道707号線今西中から林道に入り山の端に達した処に車を置いた。今朝は亀岡から北の京都府下全て霧で、夜久野のこの村も濃い霧が立ち込めていた。今日のコースは、その殆どが道のない処で歩けそうな尾根に目星を付けて選んだ。駐車地点の南側の尾根に取り付き、先ずは龍ヶ城から南に延びる尾根の先端にある梅谷三角点を目指した。傾斜は急でジグザグに登り稜線に達した。少し西に戻ると3等三角点「梅谷」(351m)があった。
展望もないので直ぐに引き返して稜線を北東に進んだ。殆どが杉の植林帯で下草もなく道はないが歩行に何の問題もない。小さなピークを一つ越えP488に乗り上がると「行者山」の表示があり予期していなかった山名を一つ稼ぐことができた。P510を越えるとツインピークのP573で急斜面を這い登った。植林帯の中にも広葉樹のエリアが残り名残の紅葉が楽しめた。ツインピーク南峰からは紅葉の向こうに雲海に浮かぶ居母山(730m)が望めた。北峰は573mの標高点が打たれているが山名はなかった。展望地がなく木の間隠れに見える龍ヶ城の姿がもどかしい。稜線から東に少し外れてP533があるので序でに立ち寄ってみた。何もないピークだが心もち樹林が薄く龍ヶ城の姿が少しだけスッキリ見ることができた。
主稜線に戻り険しい斜面を登り返して龍ヶ城に到ると3等三角点「辰ヶ城」があり山頂標識も設置されていたが残念ながら展望はなかった。尖がった山容の割に山頂部は広く、人工的に整地された城跡を示しているのだろうか。南北朝時代に荻野朝忠が築いたとされているが山頂に井戸の跡と伝わる窪地があるだけで自然の険しい山容を防禦とし特段の土木工事はなされなかったようだ。縦走路は北西に向きを変え下った鞍部は笹波峠(474m')で古道が越えている。「ままとうげ」と読ませるようで字は簡単だが難読だ。石仏と「南無阿彌陀仏」と名号のある石があり往時が偲ばれる。今では小畑からの道だけが機能しているようだ。
90m程の登り返しでP561に到ると直進方向にも顕著な尾根がありルートファインディングのポイントだ。P589への登りは急で東側にトラバースするように進んだ。P589南のピーク東の尾根に乗り上がると北側が伐採地で東から北の展望が得られた。まだ雲海は残り三岳山(838m)や江笠山(728m)、遠く青葉山(693m)の姿も望めた。P589の北側に4等三角点「仏坂峠」(577m)があり北西に下って同名の峠に達した。小畑と仏坂の集落を結ぶ峠で今も歩く人がいるようでしっかりした道が越えていた。此処にも石仏があり昔の人達の願いが伝わる。
160mの登り返しでP617に到り伏見山(ぶくみやま710m)へとピストンする。伏見山直下は急登でその西側が伐採地で南から西の展望が開け、歩いて来た梅谷三角点から龍ヶ城が一望でき鬱屈していた溜飲が下がった。南には粟鹿山(962m)、西には居母山(730m)が素晴らしい。伏見山(ぶくみやま710m)山頂に達すると3等三角点「畑」があり離れた処に小さな山名プレートが掲げられていた。
昼食休憩を取ってP617に引き返し南西に派生する尾根を下った。小ピークで南に方向転換するところが読図のポイントでコンパスを南に合わせて進んだ。430m位まで高度を下げP505へと登り返した。畑川西岸尾根の最高点だが山名はないようだ。P351を越え下って行くと車道が越える“にごろ峠”(271m)で南側の稜線に取り付いた。小ピークを二つ越えると稲垣と桑村集落を結ぶ峠があった。登り返して4等三角点「桑村」に達したが点標があるだけだった。これでピークは終わり、南の尾根を下り桑村集落に下りるが最後は藪を分けて県道に達した。県道歩き1.2劼巴鷦崔賄世北瓩蠎回縦走を終えた。
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