丹生湖駐車場の傍らにある辨財天「安永七戌(初秋)」(1778)
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12/11 10:59
丹生湖駐車場の傍らにある辨財天「安永七戌(初秋)」(1778)
まずはマリンちゃん投入。遠景は妙義山。
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12/11 11:03
まずはマリンちゃん投入。遠景は妙義山。
九連峰の第5峰に連なる尾根。こちらからスタート。尾根の左側から取り付きましたが、登山口は右側でした。最後に確認に行きました。
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12/11 11:23
九連峰の第5峰に連なる尾根。こちらからスタート。尾根の左側から取り付きましたが、登山口は右側でした。最後に確認に行きました。
竹藪の中に一本道がありましたが、すぐに尾根に取り付くと、そこは
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竹藪の中に一本道がありましたが、すぐに尾根に取り付くと、そこは
竹藪地獄でした。でも急登には結構役立ちました。
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12/11 11:27
竹藪地獄でした。でも急登には結構役立ちました。
良い尾根道に出ると、すぐに
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良い尾根道に出ると、すぐに
シャレオツな歌碑がありました。
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12/11 11:34
シャレオツな歌碑がありました。
「なきがらは いつくの里に 埋むとも 心御嶽に 有明の月」普寛行者の辞世の歌ですね。そして、その下部には
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12/11 11:34
「なきがらは いつくの里に 埋むとも 心御嶽に 有明の月」普寛行者の辞世の歌ですね。そして、その下部には
「御嶽山開闢木食普寛行者」の像が御座いました。これは何彫っていうのかな。線刻?浮彫?
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12/11 11:35
「御嶽山開闢木食普寛行者」の像が御座いました。これは何彫っていうのかな。線刻?浮彫?
てっきり近代物だと思ったら、江戸期でした。「嘉永六癸丑歳卯月吉日」(1853)
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12/11 11:37
てっきり近代物だと思ったら、江戸期でした。「嘉永六癸丑歳卯月吉日」(1853)
続いて「鹿島大神」。御嶽で鹿島が祀られているのは珍しい気がします。
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12/11 11:40
続いて「鹿島大神」。御嶽で鹿島が祀られているのは珍しい気がします。
「明治十六年五月一日」(1883)
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12/11 11:41
「明治十六年五月一日」(1883)
なだらかな登りのピークに着くと、
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12/11 11:43
なだらかな登りのピークに着くと、
ありました!「弎笠山刀利天宮」なかなか立派な文字塔(明治十六年五月一日、1883)です。背景にはこれも里山御嶽の東大桁山が見えています。
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12/11 11:44
ありました!「弎笠山刀利天宮」なかなか立派な文字塔(明治十六年五月一日、1883)です。背景にはこれも里山御嶽の東大桁山が見えています。
とても歩きやすい尾根道。目印テープもあります。
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12/11 11:47
とても歩きやすい尾根道。目印テープもあります。
御嶽ではお馴染みの大江大神です。こちらも「明治十六年五月一日」(1883)です。
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12/11 11:49
御嶽ではお馴染みの大江大神です。こちらも「明治十六年五月一日」(1883)です。
にわかに傾斜がきつくなりました。5峰の前衛峰には、
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12/11 11:56
にわかに傾斜がきつくなりました。5峰の前衛峰には、
こちらがsuro-ninさんに教えていただいた石塔ですね。隣には石祠もありました。後ろは5峰です。
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12/11 11:58
こちらがsuro-ninさんに教えていただいた石塔ですね。隣には石祠もありました。後ろは5峰です。
「摩利支天」(明治十六年五月一日、1883)
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12/11 11:58
「摩利支天」(明治十六年五月一日、1883)
祠の銘はとても判読困難でしたが、何とか「嘉永(三)」、
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12/11 12:02
祠の銘はとても判読困難でしたが、何とか「嘉永(三)」、
「清水権右衛門」と読めました。
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12/11 12:05
「清水権右衛門」と読めました。
青石の中世板碑が石垣にリサイクル。阿弥陀三尊かな。紀年銘も時間をかければ読めそうな感じ。
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青石の中世板碑が石垣にリサイクル。阿弥陀三尊かな。紀年銘も時間をかければ読めそうな感じ。
山繭が落ちていました。
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12/11 12:10
山繭が落ちていました。
5峰の山頂直下にも石祠がありました。
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12/11 12:14
5峰の山頂直下にも石祠がありました。
「安政二乙卯四月吉日(1855) /惣村中 世話人植松・・」御嶽関連ではない気がします。
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12/11 12:14
「安政二乙卯四月吉日(1855) /惣村中 世話人植松・・」御嶽関連ではない気がします。
5峰の石祠(無銘)と「寒念仏」石灯籠(文政十丁亥年十二月吉日、1827)。こちらも御嶽関連ではない気がします。
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12/11 12:18
5峰の石祠(無銘)と「寒念仏」石灯籠(文政十丁亥年十二月吉日、1827)。こちらも御嶽関連ではない気がします。
9ー5峰、案内図では「第5ピーク打越・詞(祠かな?)」
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12/11 12:18
9ー5峰、案内図では「第5ピーク打越・詞(祠かな?)」
9-6峰「第6ピーク打越・板碑」は通称“打越の御嶽さん”、ヤマレコでは独標325mと表示。石塔は折れています。
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12/11 12:28
9-6峰「第6ピーク打越・板碑」は通称“打越の御嶽さん”、ヤマレコでは独標325mと表示。石塔は折れています。
石塔下部には「大名持神(大己貴命、大国主神)/少名彦神」
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12/11 12:29
石塔下部には「大名持神(大己貴命、大国主神)/少名彦神」
上部には「御嶽」、側面には
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12/11 12:29
上部には「御嶽」、側面には
「明治十/
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「明治十/
九年(1886)」、反対側には「三 / 月講社建之」。
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九年(1886)」、反対側には「三 / 月講社建之」。
7峰
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7峰
左が8峰
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12/11 12:36
左が8峰
8峰より、ドーハンとケルンと稲含山
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12/11 12:38
8峰より、ドーハンとケルンと稲含山
下仁田方面の素晴らしい眺め。左に小沢岳。その手前に金剛萱、兄倉山も見えている感じ。左には四ツ又山に鹿岳。
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12/11 12:40
下仁田方面の素晴らしい眺め。左に小沢岳。その手前に金剛萱、兄倉山も見えている感じ。左には四ツ又山に鹿岳。
破風山の尾根とアイスラッガーの様な鍬柄山、大桁山と半鐘山。
本当に西上州は里山御嶽銀座という感じです。
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12/11 12:40
破風山の尾根とアイスラッガーの様な鍬柄山、大桁山と半鐘山。
本当に西上州は里山御嶽銀座という感じです。
四ツ又山と鹿岳
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四ツ又山と鹿岳
9峰吾妻山382,1m山頂。石祠群は前回紹介済なので今回は省略。おそらく御嶽関連ではないでしょう。
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12/11 12:45
9峰吾妻山382,1m山頂。石祠群は前回紹介済なので今回は省略。おそらく御嶽関連ではないでしょう。
大桁山、半鐘山、そして里山御嶽の東大桁山。やっぱりオレンジのお寺が目立ちますね。主稜峰を戻ります。
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12/11 12:46
大桁山、半鐘山、そして里山御嶽の東大桁山。やっぱりオレンジのお寺が目立ちますね。主稜峰を戻ります。
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12/11 13:01
小さくて判りづらいですが、電車が走って来ると必ず撮っちゃいますね!
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12/11 13:02
小さくて判りづらいですが、電車が走って来ると必ず撮っちゃいますね!
左奥から東御荷鉾、西御荷鉾そしてオドケ山かな。
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12/11 13:05
左奥から東御荷鉾、西御荷鉾そしてオドケ山かな。
ミニ自然博物館に色の褪せたウスタビガの繭がありました。
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12/11 13:07
ミニ自然博物館に色の褪せたウスタビガの繭がありました。
<参考>今は無き山のオッチャン。
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3/22 12:11
<参考>今は無き山のオッチャン。
稲含山が本当にいいです。
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12/11 13:13
稲含山が本当にいいです。
“富岡アルプス”ですから岩場もありますね。
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12/11 13:19
“富岡アルプス”ですから岩場もありますね。
第2峰直下の「五大龍王」碑。
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12/11 13:21
第2峰直下の「五大龍王」碑。
「明治十五年二月十八日(1882)納主柳田三衛
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「明治十五年二月十八日(1882)納主柳田三衛
左には不動八大童子、三十六童子銘がぎっしり。
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12/11 13:26
左には不動八大童子、三十六童子銘がぎっしり。
第2峰の龍王山
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12/11 13:28
第2峰の龍王山
「神事谷」320.85 m三等三角点
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12/11 13:28
「神事谷」320.85 m三等三角点
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石祠「施主 神成村中」
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石祠「施主 神成村中」
「明和二乙酉歳四月吉日」(1765)。御嶽以前の物ですね。
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12/11 13:30
「明和二乙酉歳四月吉日」(1765)。御嶽以前の物ですね。
左の鋭鋒は牛伏山。
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12/11 13:31
左の鋭鋒は牛伏山。
山頂には青石の大きな「御嶽大神」の石塔もあります。背面をじっくり探すと「明治十五年午五月吉日」(1882)とありました。
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12/11 13:33
山頂には青石の大きな「御嶽大神」の石塔もあります。背面をじっくり探すと「明治十五年午五月吉日」(1882)とありました。
石祠は南面ですが、こちらは北側を向いています。
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12/11 13:33
石祠は南面ですが、こちらは北側を向いています。
神成城本丸跡。小広い廓がたくさんあるようです。
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12/11 13:43
神成城本丸跡。小広い廓がたくさんあるようです。
1峰は
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12/11 13:46
1峰は
お城の物見台。当然眺望は良ですね。
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12/11 13:47
お城の物見台。当然眺望は良ですね。
稲含から小沢岳方面の山並み。
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12/11 13:47
稲含から小沢岳方面の山並み。
お隣2峰の龍王山
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12/11 13:49
お隣2峰の龍王山
此の穏やかな景色に戦々恐々とした時代があったなんて信じられない。
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12/11 13:51
此の穏やかな景色に戦々恐々とした時代があったなんて信じられない。
姫天狗とは?
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12/11 14:00
姫天狗とは?
「御嶽座王大権現」ハイキングコースを歩けば必ず目につく立派な石塔。
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12/11 14:03
「御嶽座王大権現」ハイキングコースを歩けば必ず目につく立派な石塔。
達筆な文字の主の銘らしきものもありますが、読めません。
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12/11 14:03
達筆な文字の主の銘らしきものもありますが、読めません。
背面に「嘉永四辛亥良辰」(1851)とあります。
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12/11 14:08
背面に「嘉永四辛亥良辰」(1851)とあります。
ハイキングコース脇の少し上方にある不動三尊像。
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12/11 14:12
ハイキングコース脇の少し上方にある不動三尊像。
矜迦羅(こんがら)童子
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12/11 14:13
矜迦羅(こんがら)童子
制咤迦(せいたか)童子
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12/11 14:14
制咤迦(せいたか)童子
そして不動明王坐像。火炎光背がちょっと重そう。
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12/11 14:15
そして不動明王坐像。火炎光背がちょっと重そう。
そこに「明治十九年丙戊年第四月二十八日」(1886)。他願主銘列刻。
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12/11 14:18
そこに「明治十九年丙戊年第四月二十八日」(1886)。他願主銘列刻。
折れた不動三尊の文字塔。中央に「不動明王」右「矜迦羅(こんがら)童子」左「制咤迦(せいたか)童子」
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12/11 14:23
折れた不動三尊の文字塔。中央に「不動明王」右「矜迦羅(こんがら)童子」左「制咤迦(せいたか)童子」
下部には三十六童子銘がびっしりと。
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12/11 14:23
下部には三十六童子銘がびっしりと。
始めは先代の童子像かと思いましたが、観音菩薩かもしれません。
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12/11 14:26
始めは先代の童子像かと思いましたが、観音菩薩かもしれません。
お背中には「享保十五庚戌」(1730)、その他造立目的らしい銘がありました。このお山で出会った最古の石造物です。
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12/11 14:30
お背中には「享保十五庚戌」(1730)、その他造立目的らしい銘がありました。このお山で出会った最古の石造物です。
こちらも誰もが目にする赤帽のお地蔵さん。後で辿ったこの峰の上にお墓があったので、それに因んだものかもしれません。お地蔵さんの左上にもうお一方、
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12/11 14:38
こちらも誰もが目にする赤帽のお地蔵さん。後で辿ったこの峰の上にお墓があったので、それに因んだものかもしれません。お地蔵さんの左上にもうお一方、
青面金剛像のような感じですが・・・
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12/11 14:40
青面金剛像のような感じですが・・・
こちらは馬頭尊ですね。
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12/11 14:42
こちらは馬頭尊ですね。
「(慶)應二年十二月日」(1866)
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12/11 14:44
「(慶)應二年十二月日」(1866)
<参考>前回この近くで見つけた普寛霊神碑は探しましたが、見つかりませんでした。
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3/22 14:50
<参考>前回この近くで見つけた普寛霊神碑は探しましたが、見つかりませんでした。
中学校が見えたので戻ります。赤帽地蔵の手前に踏み跡があったので入ってもみました。
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12/11 14:52
中学校が見えたので戻ります。赤帽地蔵の手前に踏み跡があったので入ってもみました。
祠の一つでもあればめっけもの、と思っていたらほんとにありました。残念ながら無銘でした。さらにその先に、忘れ去られたようなお墓が二つ。
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12/11 14:56
祠の一つでもあればめっけもの、と思っていたらほんとにありました。残念ながら無銘でした。さらにその先に、忘れ去られたようなお墓が二つ。
一つは明治十八年(1885)に「富岡町 北甘楽精糸會社」の社長らが建立。故人はその設立に貢献した人物なのかな?世界遺産で脚光を浴びても、その影で埋もれている遺産もあるのですね。まあ、そういうのが私好みなのですが。
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12/11 14:57
一つは明治十八年(1885)に「富岡町 北甘楽精糸會社」の社長らが建立。故人はその設立に貢献した人物なのかな?世界遺産で脚光を浴びても、その影で埋もれている遺産もあるのですね。まあ、そういうのが私好みなのですが。
ハイキングコースに戻ってから、北に向かう作業道を下りました。
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12/11 15:05
ハイキングコースに戻ってから、北に向かう作業道を下りました。
その出口付近におそらく山の神の石祠と山林記念碑(大正六丁巳年、1917)がありました。
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12/11 15:14
その出口付近におそらく山の神の石祠と山林記念碑(大正六丁巳年、1917)がありました。
こちらに出ました。
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12/11 15:16
こちらに出ました。
永鱗寺の門前を通り過ぎます。古そうな六地蔵と
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12/11 15:23
永鱗寺の門前を通り過ぎます。古そうな六地蔵と
姥神様?がいらっしゃいました。
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12/11 15:24
姥神様?がいらっしゃいました。
車道を歩いていたら、何と「御嶽山」と表示のある道標がありました。やはり北側ではそう呼ぶのですね。
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12/11 15:29
車道を歩いていたら、何と「御嶽山」と表示のある道標がありました。やはり北側ではそう呼ぶのですね。
デポしたマリンちゃんを回収してゴールです。
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12/11 15:36
デポしたマリンちゃんを回収してゴールです。
近くには庚申塔「<種子ウーン青面金剛>明和元甲申年十一月十三日、1764)に欠けた寒念仏塔、胴体だけの石仏、そして
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12/11 15:37
近くには庚申塔「<種子ウーン青面金剛>明和元甲申年十一月十三日、1764)に欠けた寒念仏塔、胴体だけの石仏、そして
こちらは?「壽□祖神」(明和元甲申年十一月十三日、1764)、コ庚申塔とセットのようですね。
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12/11 15:38
こちらは?「壽□祖神」(明和元甲申年十一月十三日、1764)、コ庚申塔とセットのようですね。
北尾根参道の入り口を確認しました。
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12/11 15:42
北尾根参道の入り口を確認しました。
ここから竹藪の急登で最初の尾根道になるようです。オレンジテープが目印です。
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12/11 15:43
ここから竹藪の急登で最初の尾根道になるようです。オレンジテープが目印です。
四国お遍路旅の後でお疲れの中、コメントいただき恐縮です。今回はお天気だったのが幸いでしたが、やはりその厳しさがうかがえました。やはり自分には無理かなぁと思ってしまいました。
神成山以前からお気に入りでしたが、今回の山行でまた一段と気に入ってしまいました。まだまだ探索しがいがあるようです。北尾根歩くなら丹生湖Pはいいかもしれません。歩いても四国に比したら歩いたうちに入らないと思います(笑)。本当にお疲れ様でした。 godohan
久しぶりに訪問したら、私の名が出ていてビックリ。
山歩きをしていて、御嶽大神の石碑あるいはその関連の石碑が出てくると、godohanさんを思い出してはいます。お会いしたことないけど。
神成山だけでなく、東大桁山にも御嶽山信仰の石碑があるんですね。まだ訪れたことないので、春までには歩いてみたいと思います。
さて、神成山と鍬柄岳の間の、破風山455には、もうご存じだと思いますが御嶽大神の石碑があります。その東西に石祠が5つほど岩の上に鎮座しています。銘は、私には危険なので確認してありません。いくつかは、ロープが必要かな?
南西(なんさい)神社から最興寺を過ぎ、150辰らい進んだ、谷間の手前を登って尾根に出れば、岩を乗り越えながら全ての石祠に出会えます。
一番簡単なのは、1/25千の地形図でP404の西に並ぶ、2つめの小ピークに上がるルートです。登山口は、北側の林道のS字の屈曲部(西端)から尾根に上がります。ピンクテープがあるから沢とカーブミラー?ガードレール?が目印かな(10ヶ月前なので、ちょっと忘れています)その他の尾根からも上がれますが、とりつきは藪になっていると思います。
九連峰はとてもメジャーですが、あそこの尾根は知らないと気づきませんね。普寛像にも会えて感激でした。教えていただいて本当にありがとうございました。ただ同じ西上州の三笠山はおりましたが、八海山を見かけませんでした。どこかに隠れているのかな?それを含めてまた探しに行ってみたいと思います。東大桁山は大桁山から周りましたが、東方面に参道があったのでは?とふんでいるので私も近々行こうと考えています。少し前ですが高戸谷山にも行ってきました。御嶽には会えましたが、時季が悪かったようでヒルの餌食になってしまいました(笑)。
破風山も行きたいのは山々なのですが、やはり危険そうなので躊躇しています。今回また詳細な情報をいただきありがとうございます。そろそろかな、とは思っていた所でした。
それではまた気になった御嶽がありましたら教えて下さいませ。 godohan
こんばんは。鳴神山でお会いしたyamadanukiです。
神成山は祭祀物が多く「信仰の丘」ですね。今度出かけましたら、P2-2やP0(御嶽座王大権現の石碑の南東尾根)に是非寄ってみてください。面白いものがあります。
また破風山東のみかさ山には隠れ切支丹の石祠と思われるものがあるのですが、神成山ー破風山界隈に隠れキリシタンを思わせるものを発見しましたら是非レコに載せてください。
神成山は西登山口の駐車場が閉鎖となり、宮崎公園のPは満車になりやすいですね。丹生湖の駐車場が今後活躍しそうです。
それは大変楽しみですね。新情報ありがたいです。神成山ほんと立派な石塔がたくさんあってビックリですね!
隠れ切支丹の石祠のレコも以前に拝見しております。破風山もそろそろ行きたい、と思って新たにyamadanukiさんのレコを読み返しましたが、見れば見るほどビビッてしまいます(笑)。ダメならダメで撤退覚悟で近々行きたいとは思っております。そうそう、前に教えていただいた三ツ岩岳の神像にこの春に会ってきました!台石に講紋もあり、つくづく首なしなのが残念です。あそこも結構ビビりました。隠れ切支丹といえば、ちょっと離れていますが、旧十石街道の白井宿でも見かけました。“西上州と隠れ切支丹”もなかなかおもしろそうですね。
コメント&ご教示ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。 godohan
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