四津山、山頂部に何か建っています。案内看板に従って、右折すると、
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2/5 11:27
四津山、山頂部に何か建っています。案内看板に従って、右折すると、
すぐに駐車場があります。お隣はデイケア施設。小川町では「四ツ山城」推しみたい。
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2/5 11:47
すぐに駐車場があります。お隣はデイケア施設。小川町では「四ツ山城」推しみたい。
四津山神社の参道を行きます。
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2/5 11:47
四津山神社の参道を行きます。
こちらは「史蹟 盡城」(昭和37年)
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2/5 11:47
こちらは「史蹟 盡城」(昭和37年)
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四津山城、四津山神社の由来。
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2/5 11:50
四津山城、四津山神社の由来。
「伊勢太々講」石燈籠(大正二年、1913)。左右両基の台石に、第一回明治二十一年、第二回明治二十五年、第三回明治四十五年の「高見講太々講」講員銘列刻。
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2/5 11:55
「伊勢太々講」石燈籠(大正二年、1913)。左右両基の台石に、第一回明治二十一年、第二回明治二十五年、第三回明治四十五年の「高見講太々講」講員銘列刻。
石工銘も有。「小川町石工曽根多十三」
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2/5 11:58
石工銘も有。「小川町石工曽根多十三」
石段と「四津山神社磴道記」(昭和二年)。※「磴トウ」石段、石坂、石橋等。左は、
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2/5 12:00
石段と「四津山神社磴道記」(昭和二年)。※「磴トウ」石段、石坂、石橋等。左は、
犬走り跡。腰廓に続きているみたい。(未確認)
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2/5 12:01
犬走り跡。腰廓に続きているみたい。(未確認)
石段を上って、右に坂道を行くと、此処にも腰廓。男道(石段)と女道の分岐になっています。さらに、嬉しい物が・・・
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石段を上って、右に坂道を行くと、此処にも腰廓。男道(石段)と女道の分岐になっています。さらに、嬉しい物が・・・
覆屋に劇画チックな迦楼羅炎の不動明王。剣もご立派。発砲スチロール?で補修された左手先は崩壊気味。
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2/5 12:06
覆屋に劇画チックな迦楼羅炎の不動明王。剣もご立派。発砲スチロール?で補修された左手先は崩壊気味。
細面のお顔がリアル感あって怖さましまし。昔の悪役レスラーみたい。
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2/5 12:06
細面のお顔がリアル感あって怖さましまし。昔の悪役レスラーみたい。
背面には詳細な願文と「享和三癸亥年三月廿四日(1803)/寄進村々志之施主中」
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2/5 12:08
背面には詳細な願文と「享和三癸亥年三月廿四日(1803)/寄進村々志之施主中」
「別當明王寺(稽宥)重玄代/武犯羇觀換盡村」
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2/5 12:08
「別當明王寺(稽宥)重玄代/武犯羇觀換盡村」
大きな青石の「大黒天」がありました。背面には「文政三庚辰年十二月吉日當邑講中十五人」、
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2/5 12:10
大きな青石の「大黒天」がありました。背面には「文政三庚辰年十二月吉日當邑講中十五人」、
表面をよく見ると「八十八翁愚禅寫」とあります。今の吉見町に生まれ曹洞宗の高僧になった無学愚禅和尚の揮毫みたいです。
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2/5 12:10
表面をよく見ると「八十八翁愚禅寫」とあります。今の吉見町に生まれ曹洞宗の高僧になった無学愚禅和尚の揮毫みたいです。
体調不良につき男坂はパス。
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2/5 12:11
体調不良につき男坂はパス。
こちらでのんびり歩きます。
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2/5 12:12
こちらでのんびり歩きます。
先程の石段を来るとここに上ってくるのですね。石燈籠のある、この眺めのなかなかグッドです。
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先程の石段を来るとここに上ってくるのですね。石燈籠のある、この眺めのなかなかグッドです。
赤城山〜日光白根
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2/5 12:17
赤城山〜日光白根
〜男体山ファミリーの遠景。小さなお子さんのいるファミリーがこの景色を愛でながらランチしてました。穴場かもしれない。
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2/5 12:17
〜男体山ファミリーの遠景。小さなお子さんのいるファミリーがこの景色を愛でながらランチしてました。穴場かもしれない。
杉山城方面
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2/5 12:18
杉山城方面
元来は愛宕神社と称され、御祭神は火遇突智命、御神体は勝軍地蔵。明治四十年近隣の神社が合祀され四津山神社と改称。火防の神として信仰が厚い。
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2/5 12:19
元来は愛宕神社と称され、御祭神は火遇突智命、御神体は勝軍地蔵。明治四十年近隣の神社が合祀され四津山神社と改称。火防の神として信仰が厚い。
四ツ山城跡(高見城)の説明。鎌倉街道上道、鉢形城と松山城の間の交通の要衝。太田道灌の書状に「高見」「高見在陣衆」と記載がある。
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2/5 12:22
四ツ山城跡(高見城)の説明。鎌倉街道上道、鉢形城と松山城の間の交通の要衝。太田道灌の書状に「高見」「高見在陣衆」と記載がある。
長享二年(1488)の高見原合戦では山内・扇谷両上杉氏は激しく戦ったそうです。ちなみにこの時は扇谷側が勝利し、山内側は鉢形城に敗走したそう。
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2/5 12:22
長享二年(1488)の高見原合戦では山内・扇谷両上杉氏は激しく戦ったそうです。ちなみにこの時は扇谷側が勝利し、山内側は鉢形城に敗走したそう。
『新編武蔵風土記稿』には長享元年に没した増田四郎重富の居城と伝える。その後、山内上杉氏の鉢形城の支城になったみたい。
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2/5 12:25
『新編武蔵風土記稿』には長享元年に没した増田四郎重富の居城と伝える。その後、山内上杉氏の鉢形城の支城になったみたい。
二の郭跡
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2/5 12:31
二の郭跡
静かでいい感じ。冬枯れも陽光が気持ちいい。
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2/5 12:32
静かでいい感じ。冬枯れも陽光が気持ちいい。
三の郭跡。
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2/5 12:33
三の郭跡。
あの辺りが最高点?
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2/5 12:34
あの辺りが最高点?
堀切。この先は少々藪っぽい所ありますが、この時季なので特に問題なし。
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2/5 12:37
堀切。この先は少々藪っぽい所ありますが、この時季なので特に問題なし。
小川町の地籍図根三角点
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2/5 12:46
小川町の地籍図根三角点
左に巻道がありましたが、右の尾根道を行くと、
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2/5 12:54
左に巻道がありましたが、右の尾根道を行くと、
石祠(無銘)がありました!何かうれしい。
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2/5 12:56
石祠(無銘)がありました!何かうれしい。
さらに進んで行くと
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2/5 13:00
さらに進んで行くと
立派な尾根道に、卒塔婆のある石祠がありました。
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2/5 13:14
立派な尾根道に、卒塔婆のある石祠がありました。
無銘ですが現役のようです。ただお供え物が荒らされているようです。
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2/5 13:14
無銘ですが現役のようです。ただお供え物が荒らされているようです。
さらにその先は金網フェンスがあらわれてジ・エンドです。
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2/5 13:21
さらにその先は金網フェンスがあらわれてジ・エンドです。
フェンスの向こうは・・・
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2/5 13:22
フェンスの向こうは・・・
隣の高見を目指します。
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2/5 13:24
隣の高見を目指します。
尾根道の続きのような所に「牟礼」168.57 m三等三角点
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2/5 13:30
尾根道の続きのような所に「牟礼」168.57 m三等三角点
この先少し急傾斜になります。
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2/5 13:31
この先少し急傾斜になります。
養蜂箱のある林道になりました。
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2/5 13:35
養蜂箱のある林道になりました。
ニホンミツバチでしょうか。♬ブンブンブン・・飛んでいます。
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2/5 13:36
ニホンミツバチでしょうか。♬ブンブンブン・・飛んでいます。
士峯山泉立寺。戦国時代末頃に創建、開山は白軸和尚、開基は牟礼(無禮)村の地頭内田弥三郎と伝わる。
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2/5 13:40
士峯山泉立寺。戦国時代末頃に創建、開山は白軸和尚、開基は牟礼(無禮)村の地頭内田弥三郎と伝わる。
中世板碑(左)と江戸期の読誦塔(中)、そして
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2/5 13:42
中世板碑(左)と江戸期の読誦塔(中)、そして
「奉修念佛十六億四万四千四百四・・・/宝暦五乙亥二月吉日(1793)/武斑槙亰換盡□今市村願主潮音・・」これはスゴイ回数!新記録かな。
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2/5 13:42
「奉修念佛十六億四万四千四百四・・・/宝暦五乙亥二月吉日(1793)/武斑槙亰換盡□今市村願主潮音・・」これはスゴイ回数!新記録かな。
最近のお地蔵様の中に一人だけ、
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2/5 13:48
最近のお地蔵様の中に一人だけ、
「享保元申天十月吉日(1716)」。敷茄子には「武斑槙亰缶吟溝嫉楴臚眦鳥瓠ΑΑ彝基内田氏の子孫の方でしょうか。
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2/5 13:48
「享保元申天十月吉日(1716)」。敷茄子には「武斑槙亰缶吟溝嫉楴臚眦鳥瓠ΑΑ彝基内田氏の子孫の方でしょうか。
市野川沿いを歩きます。金山橋。
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2/5 13:57
市野川沿いを歩きます。金山橋。
広いグランドゴルフ場。あの白い建物はフェンスの向こうにあった物の一つだと思います。
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2/5 14:04
広いグランドゴルフ場。あの白い建物はフェンスの向こうにあった物の一つだと思います。
県道沿いに立派な青面金剛庚申塔がありました。台石に銘がありますが、時間が無く読めませんでした。
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2/5 14:11
県道沿いに立派な青面金剛庚申塔がありました。台石に銘がありますが、時間が無く読めませんでした。
文字塔の馬頭尊があって、次にこちらの如意輪観音主尊の二十二夜塔。右側面に、
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2/5 14:15
文字塔の馬頭尊があって、次にこちらの如意輪観音主尊の二十二夜塔。右側面に、
「明治廿二年十一月吉日(1889)男衾郡村大字無禮」※明治22年男衾郡男衾村成立、明治29年男衾郡は大里郡に統合。
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2/5 14:15
「明治廿二年十一月吉日(1889)男衾郡村大字無禮」※明治22年男衾郡男衾村成立、明治29年男衾郡は大里郡に統合。
埼玉では珍しい双体道祖神「明和二酉年九月吉日(1765)」がありました。さらに県道沿いを織るいて行くと、
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2/5 14:25
埼玉では珍しい双体道祖神「明和二酉年九月吉日(1765)」がありました。さらに県道沿いを織るいて行くと、
「比企郡八和田村大字高谷/大里郡男衾村大字今市」上部が欠けていますが、境界の石標のようです。
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2/5 14:42
「比企郡八和田村大字高谷/大里郡男衾村大字今市」上部が欠けていますが、境界の石標のようです。
右側面に「(大字)高見ニ至ル」
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2/5 14:42
右側面に「(大字)高見ニ至ル」
左は「(カケ)今市支部」。おそらく青標の一つでしょう。
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2/5 14:43
左は「(カケ)今市支部」。おそらく青標の一つでしょう。
大黒様と恵比寿様のいる石祠。山道があるようですね。
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2/5 14:43
大黒様と恵比寿様のいる石祠。山道があるようですね。
水面と四津山。桜(枝垂れ)が咲いたら絵になりそう。
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2/5 14:50
水面と四津山。桜(枝垂れ)が咲いたら絵になりそう。
遠目からは本物のおばあさんに見えた。風化した石塔もありました。
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2/5 15:00
遠目からは本物のおばあさんに見えた。風化した石塔もありました。
そしてお目当ての御嶽の石神群。手前は庚申塔です。
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2/5 15:02
そしてお目当ての御嶽の石神群。手前は庚申塔です。
別角度から。まさかこれほどとは。偶然G地図で見つけました。G地図いい仕事しましたね。
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2/5 15:03
別角度から。まさかこれほどとは。偶然G地図で見つけました。G地図いい仕事しましたね。
まずは庚申塔。直接御嶽とは関係ないですが、信仰の担い手は同じ地縁かもしれません。
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2/5 15:04
まずは庚申塔。直接御嶽とは関係ないですが、信仰の担い手は同じ地縁かもしれません。
「万延元庚申冬庚申日(1860)當所講中」
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2/5 15:06
「万延元庚申冬庚申日(1860)當所講中」
「御嶽山三十三度登拝/神道御嶽教大平講社長中講義岡部市太郎」背面「明治三十六年一月日(1902)/世話人大平講社中 男 岡部彦五郎 男 賓陽三五郎 建之」
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2/5 15:10
「御嶽山三十三度登拝/神道御嶽教大平講社長中講義岡部市太郎」背面「明治三十六年一月日(1902)/世話人大平講社中 男 岡部彦五郎 男 賓陽三五郎 建之」
「御嶽大神/八海大神、三笠大神」背面に「御嶽教大平講社長中講義岡部市太郎/明治三十年十一月日(1897)」その他講員銘多数。
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2/5 15:13
「御嶽大神/八海大神、三笠大神」背面に「御嶽教大平講社長中講義岡部市太郎/明治三十年十一月日(1897)」その他講員銘多数。
「高岡一心霊神」背面「大平講中 世話人岡部竹三郎浅野利三郎田口浦三 発起人佐藤眞治良岡部彦五郎/昭和二年一月十五日(1927)」
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2/5 15:15
「高岡一心霊神」背面「大平講中 世話人岡部竹三郎浅野利三郎田口浦三 発起人佐藤眞治良岡部彦五郎/昭和二年一月十五日(1927)」
でました!「普寛(霊神)」背面「明治三十年・・願主岡部・・・」
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2/5 15:16
でました!「普寛(霊神)」背面「明治三十年・・願主岡部・・・」
ここから後列。「□主大神」背面「岡部竹三郎」。?な神様、経津主神かなぁ。
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2/5 15:18
ここから後列。「□主大神」背面「岡部竹三郎」。?な神様、経津主神かなぁ。
倒れていた石塔「明治三十年十一月日/願主岡部周三」、確認すると「講祖霊神」とありました。
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2/5 15:20
倒れていた石塔「明治三十年十一月日/願主岡部周三」、確認すると「講祖霊神」とありました。
確認すると「講祖霊神」とありました。
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2/5 15:21
確認すると「講祖霊神」とありました。
「清滝大神」背面「明治三十四年五月日/根岸嘉(名)吉」
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2/5 15:22
「清滝大神」背面「明治三十四年五月日/根岸嘉(名)吉」
「一心霊神」も!背面「明治三十年十一月日/願主岡部周三」
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2/5 15:24
「一心霊神」も!背面「明治三十年十一月日/願主岡部周三」
こちらは上部が欠けて、下部は殆ど埋まっています。「十二・・・」様でしょう。背面「岡・・・」。
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2/5 15:28
こちらは上部が欠けて、下部は殆ど埋まっています。「十二・・・」様でしょう。背面「岡・・・」。
おそらくはお山にあったものがG造成で降ろされのでしょうが、破棄されるよりはいいです。四津山が見えます。
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2/5 15:30
おそらくはお山にあったものがG造成で降ろされのでしょうが、破棄されるよりはいいです。四津山が見えます。
山頂部の建物は神楽殿でした。ここは桜並木になっています。花の景色も見てみたい。
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2/5 15:39
山頂部の建物は神楽殿でした。ここは桜並木になっています。花の景色も見てみたい。
駐車地に戻ってゴールです。
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2/5 15:46
駐車地に戻ってゴールです。
少し移動して杉山城跡のある峰と左に四津山が見えます。
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2/5 16:10
少し移動して杉山城跡のある峰と左に四津山が見えます。
小さなお山ですが目立ちます。
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2/5 16:17
小さなお山ですが目立ちます。
朝食、昼食と食べそびれて、カレーと珈琲を目当てに訪れましたが、何とカレー、御飯が売り切れ。でこちらになりました。ドリンクセットで1000円。
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2/5 17:13
朝食、昼食と食べそびれて、カレーと珈琲を目当てに訪れましたが、何とカレー、御飯が売り切れ。でこちらになりました。ドリンクセットで1000円。
3択から「ビタースイートブレンド」とチョイス。いつもながら美味しい珈琲でした。これが飲みたくて、つい立ち寄ってしまいます。
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2/5 17:24
3択から「ビタースイートブレンド」とチョイス。いつもながら美味しい珈琲でした。これが飲みたくて、つい立ち寄ってしまいます。
『アスタリスク』さんでした。
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2/5 17:47
『アスタリスク』さんでした。
雲が無ければ奥武蔵の峰々のシルエットが・・。宵の明星が輝いていました。
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2/5 17:48
雲が無ければ奥武蔵の峰々のシルエットが・・。宵の明星が輝いていました。
山城の見方はまだまだ良くわからないのですが、今の所その雰囲気を味わうだけで満足しています(笑)。比企から北武蔵、西上州にかけて、まだまだ無名(こちらが知らないだけですが)の城跡や館跡など無数にあるので、まだまだ楽しめそうです。ただ、時代の波にのまれて消えてしまうものも多いと思うので、間に合う内に廻りたいです。コメントありがとうございました。 godohan
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