6.剱岳 「憧れと試練と・・・・」
- GPS
- 32:00
- 距離
- 10.7km
- 登り
- 1,481m
- 下り
- 1,144m
コースタイム
二日目(8月13日)剣沢小屋−別山尾根ルートで剱岳山頂往復−剣沢小屋−剱御前小屋(小屋泊)
※立山へ続く
天候 | 8月12日:雨 8月13日:晴れ |
---|---|
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○剣沢小屋から山頂はシーズン中の混雑は覚悟の上、早朝出発して時間に余裕を持って登るのがいいでしょう。特にカニのタテバイでは1時間待たされました。 ○カニのヨコバイは、足場が見えないだけに、最も集中しなければならない場所だと思います。両手と左足で確実に三点確保しながら、右足で足場を探し、右足を亀裂に差し込んだら、横に進んでいくといいでしょう。そこさえ気を集中すれば、あっけなくカニのヨコバイは終わるので、ゆっくりと呼吸を整えつつ通過して下さい。 |
予約できる山小屋 |
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写真
感想
第6座 憧れと試練と・・・・
昨年の僕は蓼科山へ登り、その頂を踏むことに成功した。その単独登山の第二弾として、今年の夏は日本百名山の中でも難易度の高いといわれている剱岳、そして開山1300年を迎えた立山に登ることに決めた。特に剱岳は難所の多い山であり、若いうちに登頂を果たしたいと思っている山のひとつなのだ。
しかし、その思いだけで剱岳の山頂を極められるほど甘くはない。そう思った僕は登山靴やストックを新調し、「仮想剱岳」として奥三河明神山に訓練登山をした。剱岳山頂アタック当日に雨が降っていたら山頂をを極めることは潔くあきらめると自らにいい聞かせ8月12日早朝、富山電鉄立山行きの電車に乗り込んだ。
立山駅から美女平までケーブルカー、美女平から室堂までハイブリットパスで向かう訳だが、さすがに盆休みであるだけに混雑は激しい。雨の降る中、それらの乗り物を乗り継いで室堂まで到着した。
「そういえば昨年の蓼科山に登る初旧は雨だったなあ〜」
そんなことを思いながら僕は出発した。
みくりが池、地獄谷と硫黄のにおいが立ち込める中を歩き、雷鳥平に入った。この頃になると降っていた雨は止んでいた。見上げてみると山脈が大きく横たわっていた。
その稜線上に建っている小さな建物は剱御前小屋であろう。ここまで来ると、僕は今年も山に来たんだなあ〜と実感が沸いてきて妙に嬉しくなってしまった。
雷鳥平を中腹まで登って振返ってみると、先ほどまでいた雷鳥平キャンプ場に設営されているテント達が色とりどりの花のように、点在していた。そして、所々に雪渓が横たわっていて、キャンプ場付近の雪渓は子供たちの格好の遊び場になっていたのが、ここからでも見えた。雷鳥坂を登りきった所で剱御前小屋に到着。ここまで来れば剱岳の全容が望めるはずなのだが、霧で見えなかった。
剱御前小屋を後にして、降りていくと宿泊地である剱沢小屋が見えた。キャンプ場も併設されており、上から見下ろすと涸沢みたいだと思った。
今回僕が宿泊する剱沢小屋は開業が大正13年。長いこの小屋の歴史は食堂に飾られているモノクロの写真達がそれを物語っていた。その中には山岳小説の第一人者である新田次郎氏や女優の八千草薫さんの直筆サインも飾られていた。僕はそれらの写真を眺めているうちに
「俺はとんでもない所に来てしまったのではないか?」
という思いに駆られてしまった。
僕が剱沢小屋で登山靴の靴紐を解いてから、雨は激しいものになっていた。この雨が翌日まで続くのならば、涙を飲んで剱岳を後にしなければならない。小屋の親父と話していたのだが、今の天気だと明日は晴れる確立は低いと曇った面持ちで話した。
それを聞いた明日剱岳山頂を目指そうとする登山者達のため息が漏れた。僕は奇跡が起こるようにと、立山にいるはずの神様に「明日晴れるように」と願をかけ、日も明るいうちに寝た。明日が晴れることを信じて・・・・。
8月13日、前日の雨が嘘のように晴れた。どうやら願いが通じたみたいだ。この時初めて剱岳を生で見た。まさに岩と雪に包まれた難攻不落の城と言った感じの山容である。5時30分、食事後に大方の荷物を剱沢小屋にデポして小さいザック一個に水や食糧などを入れていよいよ出発だ! とその前に立山に向かって合掌、そしてこれから登る剱岳に向かって合掌をして剱沢小屋を後にした。
剣山荘、一服剱、前剱と難なく通過して、ここからは鎖場が連続する。折しも盆休みだけに所々で渋滞が発生した。そんな中、平蔵のコルあたりの待ち時間に珍客が現れた。
「ねえ、あれ何?」
「シーツ、あれは雷鳥だよ」
「あー、ホントだ。カワイー」
僕もよく見てみると登山道の下の青々とした斜面に親子の雷鳥が歩いていた。ここに来たからには必ず雷鳥に出会いたいと思っていたのだが、こんな所で出会えるなんて! と咄嗟にカメラを取り出し、彼らの姿を写真に収めた。
立ち塞がる鎖場を辛うじて通過したが、ここまでは序の口、僕の日の前には最高の難関ともいうべき「カニのタテバイ」があった。10メートル位の断崖絶壁で鎖が吊るされ、足場が乏しい所はペグが打たれているが、万が一、ここから滑落したら無事では済まないことは、多くの登山者が苦労している所を眺めているとよく解る。これを越えなければ剱岳の頂を踏むことが出来ない。ここでは1時間位持たされた。
さあ、いよいよ僕の番だ! 息を整え、カニのタテパイに取りついた。足場が見つからない時は少々戸惑ったが、冷静に岩を読み登りきった。冷静になりさえすれ何とかなるものである。僕が山頂へ向かう様は悪路の連続でヘトヘトになり、四つん這いの形で山頂を目指した。まるで獣のように。
10時15分、遂に2998メートルの剱岳山頂に僕は立った! その時に僕は雄たけびをあげ、数人の方から拍手を頂いた。山頂を極めた多くの登山者を見ていると、携帯電話でメールを発信したり、無事登頂の連絡をしたりと数年前は北アルプスの涸沢ですら携帯電話が使えなかったのに、その時の事を思えば隔世の感有りだ。
何よりも驚いたのが、多くの登山者に混じって、父母同伴ながら中学生らしい女の子がいた事だ。下山する時に小学生の男の子がカニのタテバイを通って山頂を日指す所をすれ違った時にはさらに驚いた。こちらは、父親が登山用ロープでアシストしていたみたいだったけど。
下山も安心出来ない。何故なら「カニのヨコバイ」という難所が待ち構えているからだ。先日、ここで中年女性が尊い命を落とされたばかりなのだから。
実際僕の番ともなると、自分の視線には鎖か見えず、足場が見えない状態で、さすがに恐怖心がよぎった。触覚を足に集中して無我夢中でカニのヨコバイに臨んだ,注意しなければならないのは、最初だけで、その後の足場は横方向に亀裂が入っていて、そのまま足をスライドさせれば良かった。イメージ的には長く続くかと思ったが、案外なほどに短く終わった。僕的にいわせれば、タテパイよりもヨコパイの方が怖かったのは事実である。
その次は梯子を下りて、あとは帰り道をトレースするだけだ。14時頃、不要の荷物をデポした剱沢小屋に到着した。靴を脱いで、荷物の整理をしているうちに、一種の脱力感が僕を包んだ。今までの緊張感がここで解き放たれたみたいだ。それを振り切るかのように宿泊地の剱御前小屋へ向かった。
剱御前小屋に着くと荷物の整理もそこそこに缶ビールを買って談話室で祝杯をあげた。思えば剱岳の難所は北穂高岳から南岳を縦走する大キレットに匹敵するほどの難所であった。僕がその大キレットに挑んだのが本格登山デビューした時だった。あの頃は頭が真っ白になりながらも無我夢中で岩にしがみついて生き延びるために登ったものだった。剱岳に登っているうちにあの頃の僕のことを思い出しながら登っていた。そんな気分に浸りながらピールを飲んだ。
立山へ続く・・・・
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