28.早池峰山 「風の花」
- GPS
- 32:00
- 距離
- 4.8km
- 登り
- 664m
- 下り
- 853m
コースタイム
7月29日(二日目)山頂避難小屋−コウベコウリ−河原の坊
過去天気図(気象庁) | 2007年07月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○登山を始めた時間が遅かったので、最初から山頂避難小屋を利用するつもりで山に登りましたが、山頂避難小屋はあくまでも緊急時の施設。利用を前提に考えない方がいいです。 ○僕が訪れた時は、ここでしか咲かない花、ハヤチネウスユキソウが見頃で、悪天候でしたがいって正解だと思いました。 ○立ち寄り湯は今回なかったですが、宮沢賢治記念館はファンならずともいって置きたいスポットだと思います。 |
写真
感想
第28座 風の花
阿蘇山登山の後、液晶テレビとビデオデッキ購入に伴う金欠で6月はどこの山にも登れず、それに追い討ちをかけるように、ヘルペス(疱疹)を腹から背中にかけて帯状に患ってしまい、6月下旬から7月中旬までの一ヶ月間の間、闘病に費やすこととなった。
そのヘルペスもやっと傷口が塞がりこれで山にいけると思い、7月14日から16日にかけて南アルプスの仙丈岳に登ろうと計画を立てた。ところが、梅雨前線が停滞しているのに加え、この時期から考えると信じられないことに台風4号が日本列島に襲い掛かり、夜叉神峠から広河原の道が土砂崩れのため不通となってしまった。(この路線は7月24日に復旧した)これで事実上予定変更を余儀なくされた。
最初はアルプスにこだわっていろいろと探ってはみたものの、僕が登りたいと思っている山々は最低でも2泊3日かかるところが多く、断念せざるを得なかった。結局のところ、
今年の9月に登る予定だった早池峰を前倒しにする形で登山することに決まった。盆休みには羅臼岳や斜里岳登山が控えているので、何とか山に登る手はずが出来てホッとした。
いつもなら入念に(と僕自身は思っているが)登山計画を立てるのだが、エイ、ヤァとやっつけで登山計画を立てた。本当は日帰りで登るコースなのだが、登山にゆとりを持たすことと、山頂避難小屋を利用することによる宿泊費の節約と、購入済みの食材の処理のため、あえて1泊2日の登山とした。
仕事が終わってすぐに新幹線に飛び乗り東京に入り、上野のカプセルホテルに泊まった。
7月28日の6時10分上野発の東北新幹線やまびこに乗って新花巻を目指した。盛岡までいくならこの新幹線が一番早いのだ。9時チョット過ぎに新花巻に着いた。ここから登山口である河原坊までいく季節運行のバスに乗った。乗客は15人前後であった。約1時間30分で登山口である河原坊に着いた。当初の計画ではここから登ることになっていたのだが、
バスを降りるときに渡されたパンフレットに「団体登山客などに親しまれたコース」と紹介されている小田越登山道も捨てがたく、急遽そこから登ることとなった。
河原坊から小田越登山口までは歩いて向かった。僕が歩いている横を一台のバスが追い抜いていった。実をいえば駐車場がある岳というところから河原坊を通って小田越にいくシャトルバスだったのである。ちょっと待ってあれに乗っていけば良かったかなぁ〜と思っているうちに小田越登山口に着いてしまった。こちらの登山口が登り終えた登山者で賑わっていた。ここまで来るのに11時50分になっていた。まぁ、どうせ山頂避難小屋で1泊するから大丈夫と思い登山を始めた。遠くを見てみると森の向こうに早池峰の山並みが見えたが、その山容はすぐに霧によって隠されてしまった。早池峰の山容を見たのは後にも先にもこれだけで、どうして写真に撮らなかったのかと後悔したが後の祭りであった。
一合目を示す石碑の横を通ったあたりにさしかかると、ハイマツと岩だけの登山道となった。標高にすると自信がないのだが1000メートルを越えるか越えないかだと思うのだが、森林限界が低くなっているのには驚いた。それには訳があって、ここから山頂までは強風の通り道であり、岩は露出し樹木はハイマツしか育たないということは後で知った。登れば登るほど天気が悪くなっていく様な気がする・・・・。早く登ってしまおうと思っているうちに五合目にいかないうちに雨が降って来た。
「早く雨具を着ろー!」
降りて来たパーティーのリーダーらしき男性がそう叫んだ。僕も最もだと思い雨具を着た。ここからは強風にこらえながら五合目を目指した。降りて来る登山者の中にはたくさんの中学生がいた。学校指定の青いジャージを着ていたのでそれと解った。この子達も僕から見れば先にあるハシゴ場の難所を通って来たのだから偉いものだと思い、歩を進めた。やがて五合目の石碑を通るとハシゴ場に備えてストックをザックに収納した。ここまで来ると降りて来る登山者はほとんどいない。
そしてハシゴ場に到着した。全長10メートルの長さで下半分は1本、上半分は2本の鉄のハシゴが固定されていた。そのハシゴは雨と霧で濡れていて、風も相変わらず強かった。
「南無八幡大菩薩・・・・」
と唱えハシゴに取り付いた。一段一段、慎重に足を滑らせないように登った。そして上まで登りきった。ここまで来れば山頂まではもうすぐだ。
急な坂道続きだった登山道は終わり、山頂へ連なる稜線にたどり着いた。ここまで来たら、あれだけ強かった風が嘘のように止んでいた。敷かれた木道の両端には白い花が咲き誇るお花畑があった。さらに霧がこの空間を幻想的な感覚に陥った。
そして山頂避難小屋に着いた。無人だと思って小屋の中に入ったら、既に小屋番の初老の男性が中にいた。この人のいうところによると、大きなザックを背負った怪しい登山者が登って来るので先回りして警戒せよと小田越の補導所から連絡があったというのだ。僕ひとりのために登って来てもらって申し訳ない気分であった。こうして大して怒られることもなく無事に一夜を過ごすことが出来た。
7月29日の朝を迎えた。雨は降っていないものの霧がかかっていてご来光どころではなかった。小屋番の男性は僕が怪しい登山者ではないと判断したのか既に山を降りた後だった。出発前に山頂に立ち寄り記念撮影や三角点踏みをしてから山頂を後にした。下山路は河原の坊に向かって急な坂を下るだけである。この周辺は地殻変動によって露出した岩がむき出しになって岩場となっていた。登山道の左右にはたくさんの白い花が咲いていた。この花こそが、ここにしか咲かない花、ハヤチネウスユキソウである。こうして見ていると本当にきれいな花だった。この花の咲き頃を見計らって来たわけではなかったので、何か得した気分になった。
コウベコウリと呼ばれる水場を越えるか越えないかといったあたりで登ってくる登山者とすれ違うようになった。
「早いですね。もう登られたのですか?」
「いや、山頂の避難小屋で1泊して来たんです」
登山者とすれ違うたびに、こんなやりとりを何度したことか。河原の坊登山口に着いたのは10時を過ぎていた。花巻行のバスが来るまでの間、近くにあるビジターセンターを見学したりして見学した。ここではハヤチネウスユキソウを盗掘者や下界から来る雑草類の脅威にさらされている現実を垣間見た。
花巻行のバスに乗り、新花巻駅まで戻った頃にはお昼時となったので駅前の食堂で盛岡名物の冷麺を食べた。その後に長年の念願だった宮沢賢治記念館に足を運んだ。花巻には2001年の時に訪れたことがあったが、宮沢賢治記念館をはじめ全ての施設が休館中で、やむを得ず郊外の大沢温泉に向かったいきさつがあったので、花巻に来たときは宮沢賢治記念館に必ずいこうと思っていたのだ。
タクシーで宮沢賢治記念館に向かった。館内はさほど混んでいなかったので落ち着いて展示物を見ることが出来た。その展示物は実際に愛用していた遺品類は意外に少なく、ほとんどがパネルによる展示が主体だった。賢治愛用の品々を見たいという人には物足りないかも知れないかなと思った。でも僕にとってはここまで来ただけでも満足であった。ともあれ、羅臼岳、斜里岳登山を前に一度登山を経験できたことは大きいと自らにいい聞かせ花巻を後にした。
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