北岳

- GPS
- 56:00
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 2,202m
- 下り
- 2,198m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 6:40
- 山行
- 6:05
- 休憩
- 3:35
- 合計
- 9:40
- 山行
- 3:55
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 4:25
| 天候 | 晴れ 雷雨 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
装備
| 個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
サンダル
ザック
ザックカバー
サブザック
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ヘルメット
携帯トイレ
|
|---|
感想
(部の報告書から引用 文責:ぼく)
気象)8/6,8/7 晴 午後雷雨(2 時過ぎから) 8/8 晴
行程)8/6 広河原山荘 7:10-7:35 白根御池方面分岐-9:50 大樺沢二俣 10:00-12:50 小太郎尾根分岐 13:00-13:38 北岳肩の小屋 ※2 班
8/7 北岳肩の小屋 6:00-6:40 北岳 7:00-7:50 北岳山荘 8:05-8:30 中白根山 11:05-12:00 北岳山荘 12:30-北岳-15:40 北岳肩の小屋
8/8 北岳肩の小屋 6:00-6:55 小太郎尾根分岐 6:55-7:50 白根御池小屋 8:20-10:25 広河原山荘
経 過)
〇計画
8/6〜8/9、3 泊 4 日で広河原から北岳、間ノ岳、塩見岳を縦走し、鳥倉登山口へ下山する計画であった。途中北岳肩の小屋、熊の平小屋、三伏峠小屋に幕営する予定であった。
〇前日まで
テスト期間を挟んでいたため、メンバーへの指示はほとんど LINE を通して行った。
1日目の甲府発広河原行のバスの出発時刻が4:35と非常に早かったため、全員に各自前泊を指示し、必要ならば宿を取るように勧めた(事実、私、G、Kを除くメンバーが何らかの宿泊施設を利用していたようだ)。また、遅刻や不毛な理由による欠席を防ぐため、メンバー全員に前日8/5の実地講習に参加するよう指示し、終了後全員で甲府へ向かうこととした。実地講習当日は、おそらくサボったであろうGを除き、全員が出席していた。
ここでKが山行の日程自体を間違えておりことが軽装で現れるという事態が発生したが、Kを実地講習からはやく引き上げさせ一度帰宅させる処置を取った。実地講習終了後、G、Kの両名を除くメンバーは電車で甲府へ向かった。
甲府到着後、宿に荷物をデポし、山中での食料の調達のためスーパーで買い出しを行った。その後、私を除くメンバーはそれぞれの宿泊施設へ向かい、私は甲府駅のコンコースでステーションビバークを行った。G、Kの両名は日付が変わるころに甲府に到着し、同じくステーションビバークを行った。
〇1 日目
3:50にGと甲府駅南口へ向かうと、既に男子勢は勢ぞろいしていた。バス停にザックで場所取りをして、女子勢を待つとすぐ来た。おかげで、バスでは全員が座ることが出来た。定刻通り4:35にバスは出発した。このバスはカーブの多い林道を進むため、幾度の急カーブで少々車酔いしてしまったが、広河原へ向かう際はいつものことなので仕方ないだろう。バスからは白根三山の稜線がはっきりと望め、期待に胸が躍る。定刻通り6:30に広河原に到着し、広河原山荘の前に移動、水を汲んだり靴を履き替えたりするなどの少しばかりの休憩の後、一班が入山した。
我々二班は一班の10分後にスタート。序盤は樹林帯の登りである。南アルプスの大森林に身体中が包まれているようで、汚い都会の空気を吸っている身体がどんどん洗われていくようだ。横を流れる大樺沢の音が心地よい。白根御池小屋への分岐で休憩を取り、大樺沢二俣へ直接向かうルートを歩く。ときおりコマドリやキビタキのさえずりが聞こえる道を、だんだんと踏みしめるように標高を上げていく。広河原を出発してから2時間も経つと、だんだん目の前が開けてきて、眼前に北岳バットレスの雄大な姿が現れはじめる。いつか登ってみたいものだ、と思いながらこまめに休憩を取りながら標高を上げ、トイレのある大樺沢二俣で少し長い休憩を取った。ここからが急登のはじまりと言えるだろう。
二俣を越えると、うってかわって登山道はジグザグの急登へ変わる。マルバダケブキが咲き乱れる登山道をぐんぐんと標高を上げていく。運動強度の高い道なので、やはりキツイのかIとTが遅れだしたので、隊列の二番目に交互に配置して様子を見る。先頭を歩くNもだいぶ堪えていたようで、休憩の際、「登山ってこんなきつかったっけ」みたいなことを言っていたことを覚えている。今思えばこの時点でIの顔色は少々悪かったように感じる。13:00 前に小太郎尾根分岐に着くが、だんだんと雲行きが怪しくなっていたので、少し休憩して先を急がせる。
13:40 に北岳肩の小屋に到着。すでに一班は到着しており、余裕そうな顔でGが待っていた。水場は少々下るので、N、Y、Mに全員の水筒を預けて汲みに行かせる。テント場の金を払い、幕営を指示して、少々疲れていたので一息つこうとテラスでラーメンを作っていたところ、急に大粒の雨が降ってきて、すぐにバケツをひっくり返したような大雨になる。N、Y、Mの三名がレインを持って行ったか不安になったが、的中してレインの上だけで帰ってきた。小屋の軒下に全員集まって雨が行くのを待つ。ここでTがテントを放置して小屋に逃げてきたことが発覚する。びしょびしょに浸水したテントが懸念されるが、雷のなか出ていってテントを立てるリスクを考えると再び行かせるのは現実的ではない。サブリーダーのOに雨雲レーダーの確認をお願いして待つ。一年生は三人おしくらまんじゅうのように座っていた。1時間半ほど待ち、ようやく雨が上がった。まったく積乱雲という雲はやっかいなものである。
鳳凰三山方面に、非常にきれいな虹がかかり、夕立も悪くないな、と一瞬思ってしまう。Oの雨雲レーダーの予報では一時間後にまた豪雨が来るとのことだったので、夕食を急いで作る。焼きそばであった。よくよく考えたら山の上で焼きそばを作ったのは自分自身初だが、結構楽でいい。これから採用である。
Iが体調を崩し小屋で休んでいると聞いたので、様子を見に行く。どうやら前日の宿でクーラーにあたって寝れなかったようだ。会話を交わして明日は登れないと判断し、Yに頼んで下山させることとする。KUも登山靴のソールを故障していたので、ここでY、I、KUの下山を決める。浸水したテント(アポロ)であったが、一部がメッシュとなっており、乾いていて快適に暮らせた。二男、二女、一男のテントに分れ、明日の出発時間を一時間遅らせることを伝え、就寝。なお、この後、雨が降ってくることはなかった。
〇2 日目
やや寝坊して4:20に起床、急いで朝食をとるが、ここでNの体調不良が発覚する。とても登れそうな状態ではないと判断し、Y、I、KUに追加で下山させることを決定。Iのもとへも向かったが、Iはだいぶ回復していた。本人は登れそうとのことであったが、再発の懸念もあるため前日の決定通り下山させる。Y、I、KUは北岳へのピストンを行うこととし、山頂で別れることにした。Nは小屋で待機する。
といったさまざまなアクシデントもあり、出発時間が遅れ、結局6:00に肩の小屋を出発。天気は非常によく、北アルプスの栂海新道の先まで見えていた。40分で山頂到着。計画通り20分の休止を取る。強化山行で雨続きであった一年生は初めての晴れた山が南アルプスであったので、少々興奮気味であるように僕は感じた。北ア、中央、富士山、八ヶ岳、奥秩父、全部見える。いい天気である。間ノ岳の右側に、遠く目指す塩見岳が顔を出していた。長い。長いのだ。少し自分の計画に不安を持った。まあ…最初から分かっていたことだ。 休憩後 7:00 に出発した。先頭はOに任せていたが、さすが、良いペースである。軽快に進む。南アルプスを登り続けているという79歳のおじいちゃんに出会った。このおじいちゃんにはこの先何回も出会うことになる。79で山に登るとは、すごいバイタリティである。
順調に進み北岳山荘に到着。休憩を取る。そして、こんどは間ノ岳へ登り返し始める。まずは 3055m の中白根山へ、急登を登っていく。
40 分くらいして中白根山に登頂し、さあ休憩しよう、というとき、KMとMから、Sが体調を崩しているという指摘がある。Sを見ると、ぐったりしている。これはまずいと思い、Sに水分補給を指示するが、あまり飲まない。熱中症と高山病の併発であろう、と見解する。Oがタオルに水を含ませ、首元に被せる。KMが折りたたみ傘を持っていたので、日よけとする。それぞれ少ない水を消費してSの救護に努めた。これ以上の山行の続行はほぼ不可能と判断し、当日中もしくは翌日の下山を前提とした、々河原へ撤退(水の豊富な)熊の平小屋へ突破仙塩尾根経由で両俣へ下山 の 3つの選択肢をあげ、私とOで検討し、は私の経験上倒木の多さからSの状態を考慮して却下、△蝋舁的でないと判断し、,旅河原へ撤退を選択。最短ルートである八本歯のコルを経由するルートは雪渓の通過があるため、一度北岳に登り返し、肩の小屋、白根御池小屋を経由して広河原へ至るルートを選択し、当日中に白根御池小屋を目指すこととした。通りかかったのおばちゃんが酸素をくれたことも幸いし、Sの状態もよくなってきた。
もうすでに周りにはだいぶ大きな積雲が有り、また天気が崩れるとみて、Sの状態も少し良くなっていたように感じたため、中白根山到着から 2時間半の11時に出発。SのテントはKに託し、Sのザックは私がダブルザックした。ライチョウがいる、との登山者の声を聞き、下山途中に発見する。北岳山荘で仕切り直し、なるべく先を急ぐ。北岳へ向かう道の途中、雨雲レーダーを確認したOから、これから雷が来るとの指摘があったため、重くて正直バテていたが先を急ぐ。しかし、北岳を目前にして、雹が降り始め、たちまち積乱雲の真っただ中になってしまった。幸いにも登山道が稜線から少し下の斜面をトラバースしており、雷鳴が近く危険と判断したため、低体温症の懸念もあったが、メンバーに岩陰に身を低くして積乱雲の通過を待つよう指示した。数十メートル先に雷が落ちたりと恐怖の真っただ中にいて、なかなか行動開始のタイミングを損ねていたが、Oから「このままだとみんな低体温症になる!」との声がしたので、我に帰り、雷鳴が遠ざかったタイミングを見計らって行動を再開。北岳の山頂標識をガン無視をキメて通過し、命からがら北岳肩の小屋へたどり着いた。行動中、いつもやかましいGが静かすぎて怖かった。
肩の小屋に着くと嘘のように晴れて、また虹がかかっていた。さすがにふざけんな!と思った。前日の反省からさっさとテントを張り、また一雨来るとの予報であったためテントの中で、女子勢中心に夕食を作る。熊の平小屋の管理人さんからメールが届いていたので見ると、先ほどの落雷で学生が中白根山で亡くなったという。この知らせを見て、一気に背筋がゾッとした。つい数時間前、我々はそこにいた。ボタンの掛け違えで我々がそうなっていたのかもしれない。改めて、山の気象の恐ろしさを思い知った。夕食はトマトリゾット。水が足りなかったのかチキンライスのようになっていたが、色々ありすぎて疲れていて、本当に美味しかった。こんな 3000mの山の中で、下界と同じような飯が食えるなんて、女子が多いというこの部の最高の美点の一つであると思う。というか、女性勢、強い…。
その後は、我々のテントでは焼きマシュマロをした。Gは職人レベルに上手く、一年生に自分の作った作品を食べさせていた。こんなときでもジョークを飛ばしまくって、雰囲気を和ませている。さすが元山岳部のキャプテン、山では本当に頼もしい男である。下界では、、、知らん。
トイレに行こうと外に出ると、MからOが体調を崩したとの報告がある。たしかにこの日のOは大活躍だったので、さすがに疲れるよな、ととても申し訳なく思った。明日もダブルザックかもしれないと若干テンションを下げながら伊那方面を臨むと、さっき自分の上で猛威を振るっていたであろう積乱雲が街の上にあった。傍観者になれば、積乱雲も美しい景色の一要素に過ぎないのだな、とダラダラ歯を磨きながら見る。こっから就寝まではあまり覚えていない。そして、またここから雨が降ることはなかった。
〇3 日目
起きると、またまた素晴らしく晴れていた。まあいつも夏の山って朝のうちだけだよな、とか思いながら、のんびりと朝食をとり、のんびり陽が昇るのを眺める。富士山の雲海が美しい。今日は下りるだけなので、のんびりと昨晩の米を温めて、のんびりとテントを撤収する。
ゆっくりしていた気がするが出発時間は前日と同じで、6:00に肩の小屋を出る。目の前の甲斐駒ヶ岳の姿が雄大だ。昨年断念した鋸岳のギザギザの稜線が、凶暴にくっきりと浮かんでいる。ちなみにOは復活している。さすがである。SLはGに託した。ここはGである。軽快な足取りで下っている。ここでTが遅れたので、本体に先行させ、後ろからついて様子を見る。普通に歩けてはいたので白根御池小屋で追いついた。草スベリは標高を下げるにつれ気温が上がるのがわかった。
白根御池小屋でだいぶ長い休憩をとり、再び出発。やはりTが遅れており、MTも少し遅れ気味に感じたので、OにMTを見るように指示し、変わらずOの様子を見る。どうやら靴擦れをしたようだ。途中滑落しかけて肝を冷やしたが、それ以外はゆっくりと順調に進ませ、全員 10:30 に広河原に下山。ようやく(体感的に)長い戦いが終わったと安堵し、落ち着いてから下山連絡を行う。
バスは 30 分後の出発だったが、広河原のバスは時間を守らないことに定評があるので、急いでチケットを買い、乗り込んだ。バスでは自分の後ろでGとOが反省会をしていた。いや、ただの雑談か…。甲府にて解散。ちょっと解散するのが名残惜しかった。これは、いつものことか…。
反 省)
今回の山行は反省として考えれば非常に実りあるものであったように思う。個人的な話で言えば、リーダーとしての判断力がまだまだ足りなかった。考えてみれば、2班 SLであるNが下山することが決まった時点で全員の撤退を決断するべきであったし、中白根山での撤退の決断も、もう少し早く行えたはずである。そもそも、全員の体調を完全に把握せずに山行を行った時点で、リーダーである自分の怠慢である。塩見岳まで踏破するという掲げた目標を達成できず、リーダーとして非常に申し訳なく思う。
まあ個人的な話をあげればキリがないので、全体的な話をしよう。ひとつとしては我々の山岳気象についての知識のなさ、その対処に関しての多くのメンバーの経験不足が露呈した。後者については実際のところどうしようもないとも言えるが、前者については問題であると感じる。今回、基本的な天気図を読む能力のあるメンバーが、私とGという、高校から山岳部に籍を置いていたメンバーのみであった。天気図は山岳気象を予想する基礎的なもので、必要不可欠な知識である。これについて、衆知を図るべきではないか、と感じる。
また、雷についての対処だが、これはどちらかというとリーダーの判断にゆだねられる。しかし、稜線から離れて身を低くして待つという最低限の常識だけは持っておくべきだ。
もうひとつは山中での発病である。今回、山中で熱中症や高山病を発症するメンバーが多くいた。これに関しても正しい対処法を周知させるべきであるが、山行前にできるだけの体調管理を行っておくべきということには変わりない。体調不良の状態で大量のエネルギーを消費して高所へ向かうというのは紛れもなく危険行為であり命に係わる。山は逃げない。体調不良が初めに分かっているならば撤退する勇気を持つこと、そもそも体調不良にならないこと、これは山に登る以前のこととして重要なことだ。
ただ、今回の山行はこれらの事態が同時に多発した。正直言ってこれが遭難の一歩手前なのだろう。実際のところ自分はこの部で最も山の場数を踏んできていると思うが、はっきり言って今回生じた緊急事態の全てにおいてリーダーとして冷静な判断が下せた、とは到底言えない。ただでさえ自分の命も奪われる可能性のある場所にいて、他人を気遣うというのはそもそも難しい。ただ、集団で登山をする以上我々はそうせざるを得ないし、そうすることによって得るメリットは大きい。複数で登山するからこそ我々は助け合わなければならない。我々は他人を助けるし、他人に助けられる。
だからこそ、誰かに全てを依存するようなパーティーというのは危険である。パーティーメンバー全員に最低限の知識と、意志があってこそ、パーティーというのは成り立つ。やはり我々はまだ未熟であった。緊急事態において、やはり重要なのは場数、要するに経験であると私は考える。だから私はこれからも皆に山に行ってほしい。場数を踏めば、山屋としてある程度は強くなれる。山の世界はまだまだ深い。
最後に、今回自分の一見無謀そうな計画に付いてきてくれたこの山行の仲間たちに感謝を述べたい。ありがとうございました。
JOHSON
ゆりかもめ















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