高速道路下のトンネル「湯ノ浦10」をくぐって左折し、そのまま道なりに進むと、「古代山城『永納山城跡』」への東側登り口に着く。但し、駐車場はない。
道標には、次の史跡への方向と距離が示されていて分かりやすい。
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7/26 6:55
高速道路下のトンネル「湯ノ浦10」をくぐって左折し、そのまま道なりに進むと、「古代山城『永納山城跡』」への東側登り口に着く。但し、駐車場はない。
道標には、次の史跡への方向と距離が示されていて分かりやすい。
10分ほど登ると、登山道から瀬戸内海が見渡せるビューポイントに着く。ここからは北側に、今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道が見え・・・
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7/26 7:06
10分ほど登ると、登山道から瀬戸内海が見渡せるビューポイントに着く。ここからは北側に、今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道が見え・・・
東側には、朝日に輝く燧灘のはるか彼方に四国の山並みが見える。
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7/26 7:07
東側には、朝日に輝く燧灘のはるか彼方に四国の山並みが見える。
そして、南側からは道前平野が見渡せる。
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7/26 7:09
そして、南側からは道前平野が見渡せる。
更に5分ほど歩くと、永納山山頂(標高132.4m)に到着。
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7/26 7:13
更に5分ほど歩くと、永納山山頂(標高132.4m)に到着。
永納山頂の三角点
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7/26 7:23
永納山頂の三角点
四国の屋根、石鎚連山。右から石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰。
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7/26 7:26
四国の屋根、石鎚連山。右から石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰。
ここからしばらくは城壁遺跡の解説板を読みながら歴史散歩。
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7/26 7:31
ここからしばらくは城壁遺跡の解説板を読みながら歴史散歩。
城壁の整備状況と保存活動について、解説されている。
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7/26 7:32
城壁の整備状況と保存活動について、解説されている。
版築(はんちく)土塁の製法とその起源についての解説。
版築とは、「板で枠を作り、土砂をその中に盛り、一層ずつ杵で突き固める(広辞苑)」土木技術とのこと。古代中国に始まったそうだ。
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7/26 7:39
版築(はんちく)土塁の製法とその起源についての解説。
版築とは、「板で枠を作り、土砂をその中に盛り、一層ずつ杵で突き固める(広辞苑)」土木技術とのこと。古代中国に始まったそうだ。
これがその復元された版築土塁。
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7/26 7:43
これがその復元された版築土塁。
しばらくは左手に石鎚連山を見ながら歩く🚶。
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7/26 7:45
しばらくは左手に石鎚連山を見ながら歩く🚶。
様々な城壁の作り方の解説。
奥にさっき通ってきた永納山が見える。
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7/26 7:53
様々な城壁の作り方の解説。
奥にさっき通ってきた永納山が見える。
永納山山頂と版築土塁を振り返る。
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7/26 7:55
永納山山頂と版築土塁を振り返る。
永納山の地形と城壁についての解説。城壁は全長2.5kmにも及ぶと。
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7/26 8:03
永納山の地形と城壁についての解説。城壁は全長2.5kmにも及ぶと。
登り始めて、1時間ほどで西側登り口に降りた。
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7/26 8:26
登り始めて、1時間ほどで西側登り口に降りた。
県道159号沿いの西側登り口(世田薬師の真向かい)には、「国指定史跡 永納山城跡」のことが詳しく説明されている。
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7/26 8:31
県道159号沿いの西側登り口(世田薬師の真向かい)には、「国指定史跡 永納山城跡」のことが詳しく説明されている。
県道から登り口まで200mと近い。
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7/26 8:31
県道から登り口まで200mと近い。
永納山城跡と周辺地理との位置関係。城跡の下をJR予讃線が通っている。
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7/26 8:33
永納山城跡と周辺地理との位置関係。城跡の下をJR予讃線が通っている。
県道沿いに立っている石碑
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7/26 8:35
県道沿いに立っている石碑
県道の反対側には、通称「世田薬師」として地元民に親しまれている真言宗の寺院「世田山医王院栴檀寺(せんだんじ)」がある。
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7/26 8:39
県道の反対側には、通称「世田薬師」として地元民に親しまれている真言宗の寺院「世田山医王院栴檀寺(せんだんじ)」がある。
世田薬師にお参りした後、本堂裏の道路を通り、世田山へと向かう。ここがその登り口。
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7/26 8:50
世田薬師にお参りした後、本堂裏の道路を通り、世田山へと向かう。ここがその登り口。
登山道には多くの仏像が祀られている。合掌。
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7/26 8:53
登山道には多くの仏像が祀られている。合掌。
世田山を経て、本日の最終目的地の笠松山まで1.6kmと近い。
低山縦走ウォーキングを楽しみながら、瀬戸の多島美としまなみ海道、燧灘から石鎚連山を見渡せる絶好のハイキングコースだ。
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7/26 9:20
世田山を経て、本日の最終目的地の笠松山まで1.6kmと近い。
低山縦走ウォーキングを楽しみながら、瀬戸の多島美としまなみ海道、燧灘から石鎚連山を見渡せる絶好のハイキングコースだ。
世田山への中腹に安置されている巨大な不動明王の石像。麓の人々の平安を守ってくださっている?
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7/26 9:26
世田山への中腹に安置されている巨大な不動明王の石像。麓の人々の平安を守ってくださっている?
この先(左側)の木製の橋がかなり崩落していて、わずかに残った二本の木の橋桁に足を乗せて渡ることになり、かなり危険、細心の注意が必要。
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7/26 9:45
この先(左側)の木製の橋がかなり崩落していて、わずかに残った二本の木の橋桁に足を乗せて渡ることになり、かなり危険、細心の注意が必要。
今治市は造船とタオルの街。世田山の中腹からは西にタオル美術館(写真左下)と今治カントリークラブが見える。ここはかつて何回かゴルフを楽しんだコースだ。あのころが懐かしい。
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7/26 10:08
今治市は造船とタオルの街。世田山の中腹からは西にタオル美術館(写真左下)と今治カントリークラブが見える。ここはかつて何回かゴルフを楽しんだコースだ。あのころが懐かしい。
世田山山頂(標高338m)に到着。南北朝時代の「世田山の合戦
」の舞台になった所。山頂の岩の上からは、燧灘から石鎚連山、道前平野まで、ぐるーっと見渡すことができる。
【以下、ウィキペディアから】
西条市と今治市の境にある世田山の東側の標高58m辺りに麓寺があり、標高280m辺りに本堂のある本来の寺地がある。
伝承によれば、奈良時代の神亀元年(724年)に行基が四国を巡錫している折に、世田山上に薬師如来の姿を見つけ、栴檀の木にその姿を刻んだという。寺院の名称はこの伝承に由来する。その本尊は身の丈9尺の立像で秘仏であり、最盛期は末寺十二坊を数え、山岳仏教の拠点として栄えたといわれている。
中世には世田山の山上に世田城が築かれた。世田城の名は太平記巻二十二「世田山の合戦」に登場する。南北朝時代の1342年(興国2年)、南朝の大館氏明は新田義貞の甥で、伊予の宮方(南朝)を守るべく奮闘し城主として世田城を守っていたが、北朝方の細川頼春の大軍1万余騎に攻められ落城し17勇士と共に切腹した。また、室町時代に入っても細川氏と河野氏の戦いが世田山城を舞台に1364年と1479年の二度の大戦がある。
昭和2年(1927年)標高280m辺りにある本堂を奥之院とし、大師堂と三宝荒神堂を山麓に移し本坊を構えた。
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7/26 10:12
世田山山頂(標高338m)に到着。南北朝時代の「世田山の合戦
」の舞台になった所。山頂の岩の上からは、燧灘から石鎚連山、道前平野まで、ぐるーっと見渡すことができる。
【以下、ウィキペディアから】
西条市と今治市の境にある世田山の東側の標高58m辺りに麓寺があり、標高280m辺りに本堂のある本来の寺地がある。
伝承によれば、奈良時代の神亀元年(724年)に行基が四国を巡錫している折に、世田山上に薬師如来の姿を見つけ、栴檀の木にその姿を刻んだという。寺院の名称はこの伝承に由来する。その本尊は身の丈9尺の立像で秘仏であり、最盛期は末寺十二坊を数え、山岳仏教の拠点として栄えたといわれている。
中世には世田山の山上に世田城が築かれた。世田城の名は太平記巻二十二「世田山の合戦」に登場する。南北朝時代の1342年(興国2年)、南朝の大館氏明は新田義貞の甥で、伊予の宮方(南朝)を守るべく奮闘し城主として世田城を守っていたが、北朝方の細川頼春の大軍1万余騎に攻められ落城し17勇士と共に切腹した。また、室町時代に入っても細川氏と河野氏の戦いが世田山城を舞台に1364年と1479年の二度の大戦がある。
昭和2年(1927年)標高280m辺りにある本堂を奥之院とし、大師堂と三宝荒神堂を山麓に移し本坊を構えた。
眼下に瀬戸内海と道前平野(旧丹原、壬生川、三芳、小松地区)の街並みが見える。
この時間になると少し雲が出てきた。
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7/26 10:14
眼下に瀬戸内海と道前平野(旧丹原、壬生川、三芳、小松地区)の街並みが見える。
この時間になると少し雲が出てきた。
先ほどの山頂のすぐ下にはこの休憩所がある。10分ほどお昼寝タイムを取って、最終目的地の笠松山を目指して出発。
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7/26 10:44
先ほどの山頂のすぐ下にはこの休憩所がある。10分ほどお昼寝タイムを取って、最終目的地の笠松山を目指して出発。
世田-笠松縦走路からのしまなみ海道の来島海峡大橋を見ながら・・・。
この眺めが、ここまでの疲れと暑さをいっぺんに吹き飛ばしてくれた。
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7/26 10:45
世田-笠松縦走路からのしまなみ海道の来島海峡大橋を見ながら・・・。
この眺めが、ここまでの疲れと暑さをいっぺんに吹き飛ばしてくれた。
世田山から笠松山への縦走路はアップダウンも余りなく、右に瀬戸の島々、左に石鎚連山の眺めが楽しめる快適なウォーキングコース。この次は紅葉の季節に訪れてみよう。
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7/26 11:21
世田山から笠松山への縦走路はアップダウンも余りなく、右に瀬戸の島々、左に石鎚連山の眺めが楽しめる快適なウォーキングコース。この次は紅葉の季節に訪れてみよう。
松笠山山頂から見渡す瀬戸の眺望は、このコース一番の見どころ。しまなみ海道の四国側起点の今治から本州に向かって伸びる来島海峡大橋がよく見える。
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7/26 11:41
松笠山山頂から見渡す瀬戸の眺望は、このコース一番の見どころ。しまなみ海道の四国側起点の今治から本州に向かって伸びる来島海峡大橋がよく見える。
松笠山山頂(標高357m)に到着。
まずは山頂に建立されている松笠観音堂にお参り。
このお堂は、筆者の住む村にある正善寺(通称「生木(いきき
)地蔵」)が管理しているとのこと。思わぬ所で我が村のお寺の名前を目にし親近感アップ。
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7/26 11:54
松笠山山頂(標高357m)に到着。
まずは山頂に建立されている松笠観音堂にお参り。
このお堂は、筆者の住む村にある正善寺(通称「生木(いきき
)地蔵」)が管理しているとのこと。思わぬ所で我が村のお寺の名前を目にし親近感アップ。
お堂内の千手観音様に合掌。
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7/26 11:55
お堂内の千手観音様に合掌。
眼下には瀬戸の多島美が見渡せる。
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7/26 11:44
眼下には瀬戸の多島美が見渡せる。
笠松山一帯は瀬戸内海国立公園の一部で、ここもかつて合戦のあったところ。ただ残念ながら、永納山のような発掘調査をし、史跡として残す活動もされていない(?)ようだ。
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7/26 12:02
笠松山一帯は瀬戸内海国立公園の一部で、ここもかつて合戦のあったところ。ただ残念ながら、永納山のような発掘調査をし、史跡として残す活動もされていない(?)ようだ。
これは今治市朝倉から笠松山への登山道。今日はここをひたすら朝倉まで下った。
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7/26 12:32
これは今治市朝倉から笠松山への登山道。今日はここをひたすら朝倉まで下った。
笠松山登り口までの車道沿いには野々瀬古墳群が形成されていて、いくつかの小さな古墳が見られる。
これは7号墳。
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7/26 12:38
笠松山登り口までの車道沿いには野々瀬古墳群が形成されていて、いくつかの小さな古墳が見られる。
これは7号墳。
続いて、8号墳、・・・
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7/26 12:39
続いて、8号墳、・・・
9号墳(左)、10号墳、・・・
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7/26 12:40
9号墳(左)、10号墳、・・・
そして、ここの古墳群の中で最も大きな七間塚古墳が右の道の奥にある。かなり疲れている上に真昼の炎天下、この古墳はパス。次回、行ってみよう。
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7/26 12:42
そして、ここの古墳群の中で最も大きな七間塚古墳が右の道の奥にある。かなり疲れている上に真昼の炎天下、この古墳はパス。次回、行ってみよう。
まだあった、17号墳。
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7/26 12:44
まだあった、17号墳。
野々瀬古墳群の入口に、この古墳群についての解説板があった。
かつては100基以上の古墳が確認されたとのこと。
このあと、真夏の炎天下をバス停のある今治市役所朝倉支所まで、ひたすらてくてく・・・。
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7/26 12:45
野々瀬古墳群の入口に、この古墳群についての解説板があった。
かつては100基以上の古墳が確認されたとのこと。
このあと、真夏の炎天下をバス停のある今治市役所朝倉支所まで、ひたすらてくてく・・・。
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