大子(だいご)廃集落から醍醐山 渋描き隊長 今週もかい(甲斐)
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- GPS
- 05:35
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 726m
- 下り
- 695m
コースタイム
天候 | 晴れ ☀ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
<行き> 甲斐岩間駅(JR身延線)〜波高島駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
西山・醍醐山周辺登山道:標識あり、登山道は明瞭 醍醐山展望台からの展望は殆どない |
その他周辺情報 | ![]() ![]() |
写真
感想
山梨県の全市町村(平成の大合併により出来た市町村は合併前の町村を含む)を赤線(歩いた軌跡)繋ぎをしながら歩いています。
現在の身延町は、平成15年4月1日に南巨摩郡身延町、中富町と西八代郡下部町の3町が合併し出来た町です。新町名が合併にもあった身延町と同じのため、合併したことが分かり難いですが、平成の大合併でできた町の一つです。
今回の課題は次の3つです。
1.西山と醍醐山(甲州百山・甲斐百山)の登頂
2.甲斐岩間駅と波高島駅を結ぶ(歩く)
3.身延町に合併した「下部町」の看板を見つける
醍醐山への下部温泉側からの登山口から約1時間登ると廃集落の大子に出ました。山道を歩いてると時々、よくこんなところに家を作ったなぁと思われる廃集落に出くわします。大子集落も同様の集落で、最近まで住んでいたのではと思われる家がありました。
醍醐山への登山道は、道標があり、歩きやすい道でした。定期的に整備していることが窺える登山道でした。これからの紅葉の時期に静かに山を歩かれたい方には、良いハイキングコースかと思います。
hamburg
渋描き隊長
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平成の合併で西八代郡身延町となり、近在に知られた下部温泉郷を巡る低山地帯を散策しました。2両の車両で山間部を走る身延線の波高島駅からの出発です。もちろん無人駅で、駅前には商店らしきものはなく、某宗教団体の布教所が駅に隣接して建てられているのが異様に感じられました。
目指す醍醐山は大子という集落から30分くらい登った低山です。集落の名前は「だいご」と読むようで、山は醍醐と書きますがどうして違うのかよくわかりません。もともと我が国では明治以前はどの音にどの漢字を充てるかは曖昧なのもだったようです。
醍醐という地名は京都にあって有名ですね。全国には都の地名を真似したような地名がかなりあります。高尾山はもちろん、嵐山だって相模湖駅の南にそびえています。丹念に探せば「だいご」という地ほかにもあるかもしれません。
山そのものは、戦国時代に武田氏の烽火台があったと伝えれれていますが、今は眺望の利かない静かな山頂になっています。大子集落もそんなに山間部ではないのですが廃村になっているようでした。住む人いなくなった民家やかろうじて残された鎮守のお社と江戸時代の年号を刻む古い墓石や石仏だけが残され、わびしさに打ちひしがれる光景でした。
醍醐山を下り、身延線甲斐岩間駅までの道筋で見たものは多くの空家と耕作放棄された農地でした。特に一ノ瀬駅付近にあった下部ホテル従業員寮、鉄筋コンクリ―ト造りで建設当時は立派な建物だったのでしょうが、下部温泉郷の衰退とともに廃墟になってしまったのが印象に残りました。
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