左に獅子吼城址入口(上)があります。が見学は後にしてお山を目指して車道を行きます。
3
11/5 6:46
左に獅子吼城址入口(上)があります。が見学は後にしてお山を目指して車道を行きます。
厳重なブドウ畑の間を歩きます。当然収穫はすでに終わっています。
3
11/5 6:59
厳重なブドウ畑の間を歩きます。当然収穫はすでに終わっています。
中世板碑でしょうか。阿弥陀三尊ですが文字銘はすでに読めません。青石じゃないのが私的には珍しいです。武田氏と関連があるものかと妄想しました。
5
11/5 7:04
中世板碑でしょうか。阿弥陀三尊ですが文字銘はすでに読めません。青石じゃないのが私的には珍しいです。武田氏と関連があるものかと妄想しました。
板碑の後ろから尾根に取り付きます。
2
11/5 7:06
板碑の後ろから尾根に取り付きます。
立派な水路がありました。
4
11/5 7:08
立派な水路がありました。
恩賜林の石標がありました。岩に「三二捕一」でしょうか。
3
11/5 7:12
恩賜林の石標がありました。岩に「三二捕一」でしょうか。
ゴロゴロしている巨石の間を回り込みながら行きます。
3
11/5 7:20
ゴロゴロしている巨石の間を回り込みながら行きます。
一瞬、カネゴンに見えました(笑)。
6
11/5 7:24
一瞬、カネゴンに見えました(笑)。
ここで沈胴に出られるみたいでしたが、そのまま擁壁沿いの急斜面を登りました。
2
11/5 7:27
ここで沈胴に出られるみたいでしたが、そのまま擁壁沿いの急斜面を登りました。
ここで一旦、林道にでました。
2
11/5 7:34
ここで一旦、林道にでました。
その先に行く、ちょっとわかりづらい取付点。
3
11/5 7:37
その先に行く、ちょっとわかりづらい取付点。
ちょっと手間取った岩場。帰りは巻きました。
5
11/5 7:39
ちょっと手間取った岩場。帰りは巻きました。
急登が終わると、水利施設と恩賜林の石標「三二」がありました。
3
11/5 7:44
急登が終わると、水利施設と恩賜林の石標「三二」がありました。
その先は平坦の別天地。この辺りが「机」と呼ばれる所でしょうか。
4
11/5 7:47
その先は平坦の別天地。この辺りが「机」と呼ばれる所でしょうか。
しばらくは恩様をたどります。
4
11/5 7:53
しばらくは恩様をたどります。
黄色を中心にかろうじて葉っぱが残っていました。
5
11/5 8:10
黄色を中心にかろうじて葉っぱが残っていました。
尾根には中程度の岩がゴロゴロ。これがウサギさんに見えて兎藪?と勝手に妄想しながら歩きます。恩様はいつのまにか消えていました。
2
11/5 8:17
尾根には中程度の岩がゴロゴロ。これがウサギさんに見えて兎藪?と勝手に妄想しながら歩きます。恩様はいつのまにか消えていました。
脳内BGMは♪ロングイエローロード
4
11/5 8:32
脳内BGMは♪ロングイエローロード
落ち葉がフレッシュなので踏み音が静寂にしみいります。
6
11/5 8:33
落ち葉がフレッシュなので踏み音が静寂にしみいります。
ちょっと赤も出てきました。
5
11/5 9:07
ちょっと赤も出てきました。
同じ葉っぱに見えますが、色が違うので、種類も違うのでしょうか。
8
11/5 9:08
同じ葉っぱに見えますが、色が違うので、種類も違うのでしょうか。
特に好展望の場所もなく、
5
11/5 9:17
特に好展望の場所もなく、
「孫左衛門」1449.06 m三等三角点にとうちゃこ。兎藪さえ?なのに、この名称の由来はどうなんでしょう?道案内役で甲州親子だるま君が御同伴。
7
11/5 9:20
「孫左衛門」1449.06 m三等三角点にとうちゃこ。兎藪さえ?なのに、この名称の由来はどうなんでしょう?道案内役で甲州親子だるま君が御同伴。
山頂はもう少し先のようです。こちらも特に展望なし。
3
11/5 9:24
山頂はもう少し先のようです。こちらも特に展望なし。
昨日は一旦諦めた兎藪に立っているのが何か不思議。こちらも卯年に間に合ってよかったです。
7
11/5 9:25
昨日は一旦諦めた兎藪に立っているのが何か不思議。こちらも卯年に間に合ってよかったです。
イベントの前に腹ごしらえです。桔梗信玄餅とのコラボコッペパンがありました。くろみつ&きなこは想像できましたが、餅状の物まで入っていました。微妙でした。
4
11/5 9:35
イベントの前に腹ごしらえです。桔梗信玄餅とのコラボコッペパンがありました。くろみつ&きなこは想像できましたが、餅状の物まで入っていました。微妙でした。
兎藪なのでいっぱい連れてきました。ウサちゃん祭り!
5
11/5 9:58
兎藪なのでいっぱい連れてきました。ウサちゃん祭り!
umiminさんに作っていただいたウサちゃんと房州団扇の月見兎
5
11/5 10:03
umiminさんに作っていただいたウサちゃんと房州団扇の月見兎
調神社の神使兎とノバ兎、それから月島もんじゃの赤兎。
4
11/5 10:03
調神社の神使兎とノバ兎、それから月島もんじゃの赤兎。
甲州親子だるま、越中八尾の組み兎、多摩張り子の兎に、同じく多摩の猫兎、なかなか出番のなかったクオッカ君も車内で寂しそうにしていたので連れてきました。
5
11/5 10:04
甲州親子だるま、越中八尾の組み兎、多摩張り子の兎に、同じく多摩の猫兎、なかなか出番のなかったクオッカ君も車内で寂しそうにしていたので連れてきました。
♪祭りのあとの淋しさが…名残惜しいですが下山します。
4
11/5 10:09
♪祭りのあとの淋しさが…名残惜しいですが下山します。
石祠や甲斐武田氏最後の当主信勝が真田に伴われて信州に逃れたという伝説のある金ヶ岳へのルートは、気力折れ足尽きた状態なので、宿題にします。
3
11/5 10:10
石祠や甲斐武田氏最後の当主信勝が真田に伴われて信州に逃れたという伝説のある金ヶ岳へのルートは、気力折れ足尽きた状態なので、宿題にします。
昨日、一昨日の兎山は人出が沢山ありましたが、ここは独りぼっちの貸し切りでした。
5
11/5 10:10
昨日、一昨日の兎山は人出が沢山ありましたが、ここは独りぼっちの貸し切りでした。
誰もいないのでハープも吹き放題でした(笑)。
5
11/5 10:14
誰もいないのでハープも吹き放題でした(笑)。
紅葉も独り占めです。
5
11/5 10:33
紅葉も独り占めです。
展望には恵まれませんでしたが、申し分ありません。
7
11/5 10:34
展望には恵まれませんでしたが、申し分ありません。
下山も気持ちの良い尾根歩きですが、迷い所がいくつかあるので注意が必要です。
3
11/5 10:45
下山も気持ちの良い尾根歩きですが、迷い所がいくつかあるので注意が必要です。
特に紅葉に見とれていると、
5
11/5 10:55
特に紅葉に見とれていると、
あぶないところでした。来るときに自分で置いた目印をうっかり越えてしまいそうでした。左です。
3
11/5 10:58
あぶないところでした。来るときに自分で置いた目印をうっかり越えてしまいそうでした。左です。
再び黄色が主役になります。
4
11/5 11:07
再び黄色が主役になります。
恩様の親玉は「三九」でした。
3
11/5 11:45
恩様の親玉は「三九」でした。
帰りも恩様を追ってみました。「三七」
2
11/5 11:46
帰りも恩様を追ってみました。「三七」
「三六」
3
11/5 11:48
「三六」
「三五」
3
11/5 11:50
「三五」
「三二」朝の急登上の恩様の所に戻ったようです。
3
11/5 11:53
「三二」朝の急登上の恩様の所に戻ったようです。
帰りはここを下りたくなかったので、林道を歩く予定でしたが結局下るハメに。
3
11/5 11:56
帰りはここを下りたくなかったので、林道を歩く予定でしたが結局下るハメに。
ここから林道を歩きました。
2
11/5 12:06
ここから林道を歩きました。
武田金山があったという斑山でしょうか。マンドリン山という別称があるそうなので、マンドリンを持って登りたいですね。
6
11/5 12:12
武田金山があったという斑山でしょうか。マンドリン山という別称があるそうなので、マンドリンを持って登りたいですね。
その向こうには、うっすら赤岳が見えています。
7
11/5 12:14
その向こうには、うっすら赤岳が見えています。
手前には一寸オッパイ山に見える江草富士(城山)。
7
11/5 12:23
手前には一寸オッパイ山に見える江草富士(城山)。
板碑の所に帰ってきました。
4
11/5 12:24
板碑の所に帰ってきました。
チラリと祠が見えたので行ってみましょう。
3
11/5 12:35
チラリと祠が見えたので行ってみましょう。
三十番神社。碑には(獅子吼城主)江草信康の末裔が姓を川手氏と改め烽火通信の任務にあたる。天正壬午の乱百姓に変身し現在に至る云々、社は「駒ヶ入」の守り神として祀られ、H5年町道改修工事のため再建遷座とありました。
2
11/5 12:37
三十番神社。碑には(獅子吼城主)江草信康の末裔が姓を川手氏と改め烽火通信の任務にあたる。天正壬午の乱百姓に変身し現在に至る云々、社は「駒ヶ入」の守り神として祀られ、H5年町道改修工事のため再建遷座とありました。
屋根には武田菱。
5
11/5 12:38
屋根には武田菱。
いよいよ城址見学ですが、入り口の上方に石祠がありました。
2
11/5 12:41
いよいよ城址見学ですが、入り口の上方に石祠がありました。
無銘のようです。石棒?御柱?(石造の御柱ってあるのかな?)
4
11/5 12:45
無銘のようです。石棒?御柱?(石造の御柱ってあるのかな?)
堀切と竪堀がありました。
2
11/5 12:48
堀切と竪堀がありました。
石積が点在しています。腰曲輪のもののようです。
4
11/5 12:50
石積が点在しています。腰曲輪のもののようです。
横堀?通路?
2
11/5 12:53
横堀?通路?
石垣が当時のまま残されています。崩れている所も多いです。
3
11/5 12:55
石垣が当時のまま残されています。崩れている所も多いです。
4
11/5 12:59
4
11/5 12:59
遠目からオッパイに見えた正体はこれ。
5
11/5 13:03
遠目からオッパイに見えた正体はこれ。
本丸(頂上)とうちゃこ。おもしろそうなものがありますが後でじっくり拝見します。
3
11/5 13:03
本丸(頂上)とうちゃこ。おもしろそうなものがありますが後でじっくり拝見します。
新府城(韮崎)方面が開けています。復元された烽火台があります。
3
11/5 13:05
新府城(韮崎)方面が開けています。復元された烽火台があります。
「城山」788.43 m四等三角点
6
11/5 13:05
「城山」788.43 m四等三角点
ドーハン君は長旅の疲れで一休みです。
5
11/5 13:06
ドーハン君は長旅の疲れで一休みです。
獅子吼城。別名江草城。平安時代には朝廷の牧が設置され、その牧監があったという。応永年間には武田信満三男江草信泰(先ほどの石碑では「信康」表記)が居城。
3
11/5 13:07
獅子吼城。別名江草城。平安時代には朝廷の牧が設置され、その牧監があったという。応永年間には武田信満三男江草信泰(先ほどの石碑では「信康」表記)が居城。
信玄の時代は烽火通信の重要な中継地だったようです。場^柵武田滅亡後は家康VS寺氏直の舞台に(天正壬午の乱)。北条方の兵が詰めていたが、服部半蔵の伊賀組や武田遺臣の津金衆、小尾衆の夜襲により落城。
4
11/5 13:11
信玄の時代は烽火通信の重要な中継地だったようです。場^柵武田滅亡後は家康VS寺氏直の舞台に(天正壬午の乱)。北条方の兵が詰めていたが、服部半蔵の伊賀組や武田遺臣の津金衆、小尾衆の夜襲により落城。
家康の甲斐支配に至ったそうです。ちなみにそれが甲州における戦国時代最後の合戦だったそうです。とても長閑でそんな歴史があったなんて信じられませんね。
6
11/5 13:12
家康の甲斐支配に至ったそうです。ちなみにそれが甲州における戦国時代最後の合戦だったそうです。とても長閑でそんな歴史があったなんて信じられませんね。
無銘。普通に考えれば根古屋神社の奥宮か。先ほどの三十番神社の可能性は?さらにあちらの可能性も妄想。
5
11/5 13:13
無銘。普通に考えれば根古屋神社の奥宮か。先ほどの三十番神社の可能性は?さらにあちらの可能性も妄想。
「聖徳太子」(明治二十四年四月吉日、1881)供養塔。大工さん等職人さんに信仰されていました。なぜここに?お城=建築で?あるいは移設?
5
11/5 13:15
「聖徳太子」(明治二十四年四月吉日、1881)供養塔。大工さん等職人さんに信仰されていました。なぜここに?お城=建築で?あるいは移設?
そして大きな摩利支天像です。
7
11/5 13:16
そして大きな摩利支天像です。
摩利さんにしては寅さん似の優しいお顔です。
6
11/5 13:16
摩利さんにしては寅さん似の優しいお顔です。
猪さんは何かお疲れの感じ。
6
11/5 13:16
猪さんは何かお疲れの感じ。
♪ドュビドュビーパパパヤーやめてけれ…って歌いそうです。
5
11/5 13:17
♪ドュビドュビーパパパヤーやめてけれ…って歌いそうです。
武神ですので城址にあって何の不思議もありませんが、「明治十九年五月建之(1886)世話人講中」がちょっと気になる。
6
11/5 13:17
武神ですので城址にあって何の不思議もありませんが、「明治十九年五月建之(1886)世話人講中」がちょっと気になる。
銘を呼んでいたら珍客がいらっしゃいました。
5
11/5 13:22
銘を呼んでいたら珍客がいらっしゃいました。
「両組中」、もしかしたらあっち関係?と妄想も。
3
11/5 13:22
「両組中」、もしかしたらあっち関係?と妄想も。
「じょうやま」のプレートもありました。
5
11/5 13:26
「じょうやま」のプレートもありました。
南面の急峻地を下ります。
5
11/5 13:31
南面の急峻地を下ります。
こちらも黄色の世界
5
11/5 13:31
こちらも黄色の世界
こちらも石積があります。
4
11/5 13:32
こちらも石積があります。
なだらかになりました。
3
11/5 13:35
なだらかになりました。
こちらに出ました。目印の幟が数本あります。
2
11/5 13:43
こちらに出ました。目印の幟が数本あります。
車道を歩いて駐車地に戻りました。江草富士です。
4
11/5 13:53
車道を歩いて駐車地に戻りました。江草富士です。
麓にある根古屋神社。城の守護神として祀られたみたいです。
4
11/5 14:17
麓にある根古屋神社。城の守護神として祀られたみたいです。
目を見張ったのが大ケヤキ。江戸の書物にも紹介されているみたい。こちらは社殿向かって右にある「畑木」。
5
11/5 14:17
目を見張ったのが大ケヤキ。江戸の書物にも紹介されているみたい。こちらは社殿向かって右にある「畑木」。
幹は途中で切られています。
5
11/5 14:18
幹は途中で切られています。
祭神の「天児屋根命」石標(昭和十年)。藤原氏の祖神として知られる春日大明神。
6
11/5 14:18
祭神の「天児屋根命」石標(昭和十年)。藤原氏の祖神として知られる春日大明神。
石燈籠(左基)「天保七丙申二月吉日(1836)」願主の中に「川手市太夫」、右基には石工銘も「石工 市之烝」
2
11/5 14:19
石燈籠(左基)「天保七丙申二月吉日(1836)」願主の中に「川手市太夫」、右基には石工銘も「石工 市之烝」
こちらは左手にある「田木」
7
11/5 14:20
こちらは左手にある「田木」
両木の芽吹きによって、その年の豊凶を占うそうです。
3
11/5 14:20
両木の芽吹きによって、その年の豊凶を占うそうです。
こちらは「奉納 秋葉山 愛宕山」銘のある石燈籠(単基)、
3
11/5 14:21
こちらは「奉納 秋葉山 愛宕山」銘のある石燈籠(単基)、
「寛政六甲寅二月吉日(1794)」
3
11/5 14:21
「寛政六甲寅二月吉日(1794)」
神社から山頂に至るルートもあるようです。
4
11/5 14:28
神社から山頂に至るルートもあるようです。
それにしても立派な巨木。若葉も見てみたいですね。
6
11/5 14:29
それにしても立派な巨木。若葉も見てみたいですね。
本日のご褒美コーラはこちらに。この後雁坂トンネルを抜けて、結局、福井勝山から下道で帰ってきました。久しぶりに楽しいドライブができました。
5
11/5 15:52
本日のご褒美コーラはこちらに。この後雁坂トンネルを抜けて、結局、福井勝山から下道で帰ってきました。久しぶりに楽しいドライブができました。
同行した仲間が増えていることにビックリしました!まるで、godohan御一行様ですね。クオッカ君もいるとは…恐れ入りました。
この所の山行ペース、凄いですね!なかなか追いつきません(笑)。
クオッカ君は話題になった頃逢いに行きましたが、ちょっと臆病な感じでした。今頃は人慣れしたかなぁ。それでは。 godohan
兎巡り遠征お疲れさまでした。
物凄い行動力ですね!一体移動距離は如何程なのか?私にはとても真似出来そうにありません😅
兎薮って変わった山名ですね。聞いたことも無かったですが、ちょっと惹かれてしまいます。摩利支天尊の石像、素晴らしいですね!これはいつか見に行ってみたい気持ちになります。神社の大ケヤキも見てみたい!
マニアックな情報ありがとうございました😊
ほんと変わった名前ですね。元々はそこから金ヶ岳に向かう尾根の一画の名称だったという話もあります。兎藪だけだとホント何もないので金ヶ岳・茅ヶ岳方面に縦走するか、武田の古城址とセットで歩くのがよいと思います。
さすが摩利支天にチェックいただきありがとうございます。大きさにはビックリしました。お顔は何か朴訥な感じで印象に残りました。最近城址見学にも少し興味を持つようになったのですが、ここは当時の石積がそのまま残され、あまり手が加わってないみたいなのでとても良かったです。
そうそう、先日の両神山レコ拝見しました。恐ろしく健脚ですね!それでは。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する